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徳川家康幼時幽居地

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このページを印刷する最終更新日:2022年1月18日

ページID:27857

ページの概要:徳川家康は6歳のとき、熱田の地に幽閉されていました。

熱田区内の埋もれた見どころを発掘し、紹介しています。(広報なごや平成23年3月号掲載)

徳川家康幼時幽居地について

松平竹千代(のちの徳川家康)の父・広忠は、三河に勢力を拡大する織田信秀(信長の父)に対抗するため、駿府の今川義元への従属を強め、1547年、6歳の竹千代を人質として差し出しました。しかし、岡崎から駿府へ送られる途中、竹千代は、田原の領主・戸田康光により身柄を奪われ、織田氏へ送られました。そして、熱田の豪族加藤図書助順盛(かとうずしょのすけのぶもり)に預けられ、熱田の地に幽閉されました。

1549年、8歳の時に織田信広(信長の異母兄)との交換で和議が成立し、一時岡崎に戻りましたが、すぐに今川氏の人質として駿府へ送られました。(「新修名古屋市史」第二巻第六章ほか参照)

熱田区誌には、「1603年、家康は加藤家に140余石の土地を与えており、これは、人質として預けられた時の厚遇に感謝していたものと考えられ、家康のこまやかな配慮があったもの」という旨の記述があります。

当時の建物は戦災で焼失しました。

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