大正・昭和レトロな公共建築物

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ページID1051813  更新日 2026年8月31日

愛知県庁本庁舎と名古屋市役所本庁舎の写真

大正から昭和初期にかけて建設され、現在も名古屋の歴史とまちなみを象徴する近代公共建築として親しまれているレトロな建物を、全2回にわたってご紹介します。今回は、昭和レトロな愛知県庁本庁舎名古屋市役所本庁舎を取り上げます。

愛知県庁舎・名古屋市庁舎の歴史

愛知県・名古屋市の現庁舎の前史

版籍奉還

1869年(明治2)、尾張藩は版籍奉還を実施し、名古屋藩に改まり、尾張藩付家老竹腰家の上屋敷(愛知県警察本部北館辺り(三の丸二丁目1))に「政事堂」を置いて執務を開始しています。藩の行政区はそのままで、尾張徳川家16代義宜(よしのり)を名古屋知藩事(政府直轄の地方長官)に任命しています。
この政事堂が愛知県庁舎の前身となります。
版籍奉還は、全国の大名が治めていた領地(版)と人民(籍)を天皇に返還し、それまで大名が持っていた支配権を朝廷に返すことで、政治権力を中央に集中させようとした政策でした。

廃藩置県と愛知県の成立

1871年(明治4)、廃藩置県が行われ名古屋藩が廃止、名古屋県が成立し、知藩事は、県令(政府直轄の地方長官)に変更、県令は、これまでの藩主ではない政府が任命した井関盛艮が初代の県令となりました。
廃藩置県は、全国の藩を廃止して新たに県を設置し、それまで藩主が行っていた政治を政府が直接行うことで、中央集権的な国家体制を確立しようとした政策でした。

翌年、県内に8つの大区という区分が設けられ、旧名古屋城下町一帯を第一大区(名古屋市の前身となる区分)とし、第一大区会所(県の事務所)が置かれることとなりました。

1872年(明治5)、名古屋県は愛知県に改称。

1874年(明治7)、名古屋城の郭内に置かれた名古屋鎮台(陸軍)の拡張により、旧竹腰邸を明け渡す必要が生じ南久屋町の土地を確保しましたが、直ちに東本願寺別院掛所へ移転となり、別院内に仮庁舎を置きました。

1876年(明治9)、第一大区会所は、第一区役所と改称され大須の万松寺内に設置された後、西別院内(本願寺名古屋別院)、南外堀町の旧松井小十郎邸(久屋大通公園最北端)へと移転しました。

初代愛知県庁舎の開庁

1877年(明治10)、愛知県は広小路を正面とした南久屋町に庁舎を建設し、初代愛知県庁舎を開庁しました。
この場所は現在のオアシス21南側から新栄一丁目、栄四丁目1番地、中区役所周辺にあたります。

最初の愛知県庁舎の写真
木造二階建て洋風建築の初代愛知県庁舎。(名古屋市中区史より)

名古屋区の誕生と区役所庁舎の開庁

1878年(明治11)、郡区町村編制法の制定に伴い、第一区は行政区として再編され、名古屋区となりました。初代名古屋区長には吉田禄在が就任しました。
郡区町村編成法は、地方制度を整える法律で、郡・区・町・村の行政区画を定め、地方自治の基礎を築いたものです。
この時、名古屋区役所は、南外堀町松井小十郎旧邸(久屋大通公園ケヤキヒロバ、三の丸三丁目5-14の書店の南辺り)に置かれました。

1880年(明治13)、栄町南大津町交差点(現在の栄交差点)南西角、現在のスカイルが建つ場所に名古屋区役所庁舎が新築されました。広小路に面して建てられた木造2階建ての庁舎で、区会議事堂も併設されていました。なお、吉田禄在が江戸時代に木曽山の管理に携わっていたことがあってか、この庁舎には木曽ヒノキが使用されたと伝えられています。この庁舎が後に初代名古屋市庁舎となります。

最初の市庁舎の写真
最初の名古屋市役所庁舎(名古屋七十年史)

初代名古屋市庁舎の開庁

1889年(明治22)10月1日の市制施行により、名古屋区は名古屋市となりました。
市庁舎には従来の名古屋区役所庁舎が引き続き使用され、1890年(明治23)3月19日に開庁式が行われました。
これが初代名古屋市庁舎の始まりとなりました。

明治24年の地図の画像
初代愛知県庁舎と初代名古屋市庁舎の場所 1891年(明治24)地図(新修名古屋市史付図)

二代目愛知県庁舎

1900年(明治33)、愛知県庁舎は、南武平町へ移転しました。
旧庁舎は広小路の正面に位置し、笹島の名古屋駅と向かい合う場所に建っていました。しかし、中央線の開通に伴って千種駅が設置され、広小路通が同駅まで延伸されることとなったため、道路用地の確保により庁舎は旧第一師範学校跡地に移転することとなりました。

1900年(明治37)の地図の画像
「最新詳密 名古屋市実測全図」1904年(明治37)(新修名古屋市史付図)
2代目愛知県庁舎の写真
「写真に見る明治の名古屋」名古屋市教育委員会より

初代庁舎は洋風の木造建築でしたが、2代目庁舎は木造2階建ての和風建築へと改められました。

初代名古屋市庁舎の焼失

1907年(明治40)、名古屋市会議事堂西側仮倉庫から出火し、議事堂と庁舎が全焼。
このため、栄町(久屋大通公園希望の広場のすぐ南)にあった名古屋商業会議所内に市役所仮庁舎が設けられるも、すぐに新柳町6丁目2番地に仮庁舎を設置し移転しました。

2代目の名古屋市役所庁舎

1909年(明治42)、新栄町1丁目(現在の中区役所所在地)に2代目の庁舎が建てられました。

二代目の市役所庁舎の写真

新栄一丁目に建てられた2代目の名古屋市役所庁舎です。
3代目が建てられ市役所が移転した後は、中区役所の庁舎として生まれかわりました。

帝冠様式建築が建ち並ぶまで

名古屋の発展と行政の体制

明治後期

この時期の名古屋は、鉄道や港の整備、産業の発展を背景に人口が増加し、市街地が大きく拡大し、中部地方を代表する大都市へと歩みを始めていました。
1908年(明治41)、名古屋市で4区制が施行され、中区、東区、西区、南区が誕生しました。
各区の区役所は、南区役所(旧熱田町役場)を除き、当初は寺院などを仮庁舎として業務を開始しました。その後、1909年(明治42)に布池町へ東区役所庁舎、1913年(大正2)に南外堀町(現在の景雲橋小園)へ西区役所庁舎、1914年(大正3)に西川端町へ中区役所庁舎がそれぞれ新築されました。

大正時代

大正時代も周辺との合併による市域の拡大、人口の増加が続きました。
1921年(大正10)市に隣接する16か町村を編入し、現在の名古屋市の基礎が築かれました。編入後の名古屋市の面積は149.56キロ平方メートルとなり、当時の東京市(約75平方キロメートル)、大阪市(約55平方キロメートル)、京都市(約66平方キロメートル)を大きく上回り、日本一の面積を誇る都市となったことから、「大名古屋」の誕生ともいわれました。
この時合併した旧町村役場を区役所の分所として置かれ、増加した事務処理の対応がされました。
しかし、1923年(大正12)、区役所分所は経費節減のため11か所が廃止されました。

昭和初期

1934年(昭和9)名古屋市は、人口が1,017,700人となり、100万人の大都市となりました。
1935年(昭和10)区別人口が、東区約26万人、西区約20万人、中区約34万人、南区約28万人となり、1区当たりの平均人口27万人を超えるのは6大都市(東京・大阪・京都・神戸・横浜・名古屋)中で最高となりました。(区の規模が大きくなりすぎていました。)
1937年(昭和12)、隣接の町村の編入がされた後、東・西・中・南の4区を再編し、千種・中村・昭和・熱田・中川・港の6区が増区され、10区制が実施されました。

三の丸に新庁舎 官庁街のはじまり

1921年(大正10)の大合併により、名古屋市は市域・人口ともに大きく拡大しました。それに伴い市役所の業務量も増加し、職員数も増えたことから、既存の市庁舎は手狭となり、新庁舎の建設が課題となっていました。

1928年(昭和3)3月、騎兵第三連隊は守山へ移転しました。同連隊の跡地は現在の中区三の丸三丁目1番地にあたり、現在は名古屋市役所、愛知県庁、東海財務局が所在しています。

同年7月愛知県は、県庁舎移転用地として同跡地を買い取る議案が臨時県会に提出されましたが、否決されました。しかし、翌年再び建築計画案を県会に提出しその後計画は進められました。

同年11月名古屋市は、市会において、新たな市庁舎の建設予定地として、騎兵第三連隊跡地を国から買い受けることを決定しました。

このように、愛知県と名古屋市はともに庁舎の狭あい化への対応を課題としており、新庁舎の建設を構想していました。そのため、県と市は共に騎兵第三連隊跡地の払い下げを国に申請していたことがうかがえます。後に三の丸に愛知県庁舎や名古屋市役所本庁舎などの帝冠様式の建築が並ぶことになった、その出発点はこの時にあったようです。
(名古屋市:国登録有形文化財 名古屋市役所本庁舎現況調査報告書より)

旧騎兵第三連隊の碑の写真
「騎兵第三連隊跡」碑(市役所本庁舎北)

碑文
騎兵第三連隊は明治25年11月創設以来昭和3年3月守山に移転迄此の地に駐留せり
茲に往時を偲び明治百年を記念し之を建つ
昭和42年4月 騎三会

御大典記念事業

1928年(昭和3)は、昭和天皇の即位の礼と大嘗祭からなる御大典が執り行われた年でした。こうした祝賀機運の高まりを背景に、新市庁舎の建設は御大典記念事業として計画されることとなり、同年11月の市会において建設予算が可決されました。

昭和の御大典では、11月10日に京都御所で即位の礼が執り行われました。当時、東京と京都を結ぶ鉄道の所要時間は約10時間から12時間であったため、昭和天皇は東京と京都を往復される際、往路・復路ともに途中の名古屋で一泊されたそうです。また、この年の9月から11月にかけて、鶴舞公園では「御大典奉祝名古屋博覧会」が開催されていました。当時の名古屋は、御大典を祝賀するさまざまな行事が行われるなど、祝賀ムードに包まれていたと考えられます。

3代目名古屋市役所庁舎の新築

1929年(昭和4)市庁舎建築準備会が組織され、庁舎の外観のデザインは、公募によって建築設計案を集め優秀な案を基に設計されることとなりました。

1930年(昭和5)、559案の応募があり、金賞の当選は、平林金吾氏の設計案に決定されました。

1931年(昭和6)、新庁舎の着工がされ、1933年(昭和8)9月竣工しました。

3代目の名古屋市役所庁舎の写真

完成した3代目の名古屋市役所庁舎(現在の名古屋市役所庁舎)

愛知県新庁舎建設への道のり

騎兵第三連隊跡地を県庁舎移転用地として取得する議案が臨時県会で否決された翌年の1929年(昭和4)愛知県は県庁舎建築委員会を設置しました。
委員会では、愛知県当局から新庁舎建設計画の説明が行われ、県庁舎および警察庁舎を昭和4年度から4か年継続事業として建設する方針について審議が行われました。
その後、委員らは新庁舎建設の参考とするため、他県の庁舎の視察を行い、神奈川県庁、東京府庁、群馬県庁は、建築計画を検討するうえで重要な参考事例となりました。

視察後に開かれた委員会では、県の原案に対して若干の意見が出されたものの修正案は提出されず、最終的に原案は満場一致で承認されました。
その結果、計画は委員会案としてではなく、県当局の原案のまま臨時県会へ上程されることとなりました。

臨時県会では県庁舎等改築に関する議案をめぐって激しい論争が起こり、予算について修正案の主張があり審議はまとまらず、最終的に議案は審議未了(未議決)のまま閉会となりました。
しかし、愛知県は、新庁舎建設について反対があった審議ではないため、原案執行を国に申請し、内務省、文部省の許可を得て、県庁舎建設計画を進めることとなりました。(愛知県議会史より)

3代目愛知県庁舎の新築

1929年(昭和4)の臨時県会では、建築費の予算額を巡って紛糾し審議未了となっていましたが、1933年(昭和8)、財源を愛知県債を一部充てることで新庁舎建築費の予算案は可決されました。

ただし、建築に際して以下のような希望条件がつけられました。

県庁舎と警察庁舎の設計にあたっては、見た目の華美さやぜいたくさを避け、丈夫で長く使用できる建物とすること。また、職員が働きやすいことはもちろん、採光や通風など衛生面にも十分配慮すること。
建築材料については、できるだけ愛知県内で生産されたものを使用し、県内産業の振興に役立つよう努めること。
さらに、設計や工事の実施に万全を期するため、専門家などの適切な協議機関または諮問機関を設け、十分な検討を行うこと。

1935年(昭和10)新愛知県庁舎の着工がされ、1938年(昭和13)3月に竣工しました。

全国で唯一の都市景観

このような経緯で、名古屋市役所本庁舎が建設された後、その隣に愛知県本庁舎が建設されました。
明治以降、道路の突き当りなど焦点となる位置に、庁舎建築を配置することが行われたが、大正昭和期を経て、変化し、名古屋市役所本庁舎と愛知県本庁舎のように庁舎建築を連続させる景観が登場してきました。
その代表が、南北に並ぶ名古屋市役所本庁舎と愛知県本庁舎です。「日本趣味を基調とした近世式」庁舎建築が並ぶ都市景観は、この時期の重厚な町並みを代表しており、全国的に見て、比類のない独特の都市景観として高く評価されています。(名古屋市:国登録有形文化財 名古屋市役所本庁舎現況調査報告書より)

名古屋市役所本庁舎と愛知県庁本庁舎の写真

国指定重要文化財 愛知県庁本庁舎

愛知県庁舎の写真

愛知県庁本庁舎は、洋風建築の建物本体の頂部に城郭風の屋根を載せた、日本趣味を基調として近世式の建物(いわゆる帝冠様式)で、名古屋城と、先に完成していた隣接の名古屋市役所本庁舎との調和にも配慮したデザインとなっています。

外壁は、階ごとに異なる素材を用いることで、重厚感と地域性を表現しています。1階から2階窓下までは花崗岩を使用し、2階以上の中間階には黄褐色のタイルを採用しています。このタイルには、愛知県が古くから陶磁器の産地として発展してきた歴史が込められています。

また、6階部分には白色の磁器タイルが用いられ、城郭の白壁を思わせる意匠となっています。さらに、その上部には銅板葺きの瓦屋根を設けることで、建物全体に風格のある印象を与えています。

正面中央部は壁面を前方に張り出させ、その上に切妻屋根を配置しています。背後の入母屋屋根と合わせて、名古屋城を連想させるような城郭風の外観を形づくっており、名古屋市役所本庁舎と比べても、より城郭建築の特徴が色濃く表れています。(愛知県:国指定重要文化財 愛知県庁本庁舎パンフレットより)

愛知県庁舎正面の写真

国指定重要文化財 名古屋市役所本庁舎

名古屋市役所庁舎の写真

名古屋市役所本庁舎は、名古屋城との調和を意識して設計された、城郭風の外観が特徴です。建物中央には地上10階の高さをもつ塔屋がそびえ、銅板葺きの屋根の頂部には名古屋を象徴する「鯱」が据えられています。これにより、名古屋城天守閣を連想させる印象的な景観を生み出しています。 

外壁は、2階窓下までを白い石張り、中間の5階窓下までをチョコレート色の筋入りタイル張り、5階壁をクリーム色のタイル張りとする3層構成となっています。さらに、5階の胴蛇腹や軒先にはテラコッタを用いることで、重厚感と格調の高さを演出しています。 

また、中央部分には明るい色の石張りを採用し、建物正面の存在感を強調しています。素材の質感や色彩を巧みに組み合わせることで、落ち着きと威厳を備えた庁舎建築を実現しており、「日本趣味を基調とした近世式」庁舎建築を代表する建物として高く評価されています。(名古屋市:国登録有形文化財 名古屋市役所本庁舎現況調査報告書より)

名古屋市庁舎正面の写真

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中区役所 区政部 地域力推進課 地域の魅力向上・多文化共生の推進担当
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