なごやまちの天神様
桜天神社

錦二丁目にある桜天神社は、昔、なごや城下町の中心地であったため、神社の行事や植木市などで大いに賑わいを見せていた場所でした。
現在は、まちの記憶も薄れ、賑わいの面影も見られることはなく、天神さまはビルの谷間にひっそりと佇み、合格祈願の受験生など、訪れる方をお迎えしています。
桜天神社について

信長の父の織田信秀は、菅原道真公を深く信仰しており、公の木像の束帯像(ご神体)を作らせて信秀の城の那古野城の中に祠を設けたものが桜天神社の始まりとされています。
祠は、1538年(天文7)現在の場所に移され、1540年(天文9)に織田信秀が、現在の丸の内二・三丁目南部と錦二・三丁目あたりの広大な敷地に万松寺を建立した折にお社(天満社・天神さま)を設け、寺の鎮守にしたそうです。
名古屋城築城と城下町が作られた1610年(慶長15)頃に万松寺は大須へ引越ししましたが、桜天神社はこの地に残されました。
時分鐘
江戸時代の桜天神社の境内には、時分鐘(じぶんしょう)という正午と午前0時に鐘をつき鳴らして、町に時を知らせる設備がありました。

桜天神社の場所が、城下町のおよその中心地であったため、設置されたものと思われます。
城下町が造られた初めの頃は、天守閣の南、現在の金シャチ横丁義直ゾーンの南の辺りにあった東照宮の鐘をついて時を知らせていましたが、尾張徳川家2代光友公の時よりお城から太鼓で知らせ、同時に桜天神社の鐘をついて知らせるようになり、やがて、桜天神社の南に鐘楼(鐘つき堂)が建てられました。
また、1690年(元禄3)に東別院が建てられた際にも鐘楼が作られ、なごやのまちには、お城、桜天神社、東別院から時が知らされていました。
明治時代に入り時報に加え、火災報知で鐘が鳴らされていましたが、名古屋城一帯に軍の施設が置かれ、時の知らせは大砲に替わりました。これによって1873年(明治6年)に桜天神社等の鐘つきは廃止されました。
現在は、桜天神社の入り口に置かれた鐘楼のレプリカを見ることができます。。

桜天神社のうそ替え神事

桜天神社では、毎年1月25日の初天神の日に行われている「うそ替え」という神事が、昔からの記憶を残す行事として今も行われています。
「鷽(ウソ)替え神事」は、前の年に知らず知らずのうちについていたすべての嘘を、天神さまの誠の心に取り替えるという神事です。
鷽
鷽(ウソ)とは、スズメの仲間の鳥のことです。天神さまのお使いの鳥とも言われています。
道真公の盆栽の梅の木に鷽が好んで寄ってきていた、蜂の大群に襲われそうになった道真公を鷽の群れが蜂を食べて救った、天満社を建てるための材木を食い散らかしていた虫を鷽が大挙して退治したなど、天神さまとの良い関係のいろいろな謂れが伝えられています。
鷽替え神事
参詣者が神前に集い、神社から授かった木製の鷽(うそ)を「替えましょう、替えましょう」と声をかけ合いながら人の手から手へと渡して取り替えていく。何度も何度も取り替えていくことによって、前年に起こった悪いことを嘘(鷽)であったことにして、吉事に替えることができるといわれています。
取り替えてゆく鷽は、木製が多いのですが、桜天神社では、土製の鷽を中身がわからないように包装されている鷽を取り替えているのが特徴です。
中身がわからないのは、金の鷽が一つ、銀の鷽が二つ、銅の鷽が三つあり、取り替え終えた後は、誠の心に取り替えるとともに、その年の幸運を試されることもあり、現在も毎年これを楽しみに神事に参加されている方も多いそうです。
また、桜天神社の近くに商売人が多く住んでいたころは、商売のため上手い嘘をついたことを清めるようにと商店の多くの方々が行事に参加され、参拝もされていたそうです。
江戸時代の頃の桜天神社の賑わい

「二月桜天満宮植木市の賑わいこのあたり数町の間(500m以上)ことに多し」と解説文があります。
このような人の賑わいは、広小路まで伸びていたそうです。
桜通の地名は桜天神社から
信秀によって建立された万松寺には、多くの桜が植えられており、万松寺の引っ越し後も天神さまの境内に桜の大樹があったため桜天神と呼ばれていましたが、1660年(万治3)の大火で桜の大樹は、焼失してしまいました。
1686年(貞享3)長者町四丁目は町内に桜天神があったので小桜町と名称を変え、その後近くの町も小桜町と町名を変えました。小桜町は俗に桜ノ町と呼ばれていました。また、小桜町の道筋は桜ノ町筋と呼ばれるようになりました。
1871年(明治4)桜ノ町は、桜天神(桜天満宮)が菅原神社と名称を変えたため、一部は桜町、一部は菅原町になりました。

名古屋市では、1921年(大正10)に周辺市町村と大合併を行い市の面積が倍増したため、大規模な都市計画事業を興す必要がありました。
1924年(大正13)名古屋市は、名古屋駅を現在の場所へ移転新設し、新駅の正面に名古屋のまちの基軸となる道路を通すという街路計画案を策定しました。計画の中で一番幅の広い道路を設定した道路が現在の「桜通」でした。
1937年(昭和12)幅約43mの新名古屋駅前通りが完成しました。
この道路は、桜町と桜ノ筋といわれた道を大幅に拡幅して通したもので、当初より自然に「桜通り」と呼ばれていました。
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