かつて存在していた栄区
戦時下に誕生し、わずか1年8ヵ月だけ存在した幻の「栄区」をご存じですか?
名古屋市が大都市へ成長する中、戦局悪化への対応として急きょ設置された栄区は、戦時の特例的な区として誕生しましたが、終戦直後に廃止されました。
短期間だけ存在したがゆえに、今日ではあまり知られていない“幻の行政区”として記憶されています。
ここでは、その栄区の誕生から廃止までの歴史についてご紹介します。
栄区の誕生から廃止まで
戦争に突入した名古屋
昭和初期まで繊維工業が中心だった名古屋は、戦争の時代を迎えるころには、急速な工業化と軍需産業の拡大によって、日本有数の工業・軍需工業都市へと大きく姿を変えていました。
1943年(昭和18)戦時中の市の人口は1,365,209人となり、これまでの最高の人口となりました。
このころ戦局は激化しており、本土空襲が予想され、日本の航空機生産の中心ともいえる名古屋は特に空襲の危険度が高まっていました。
市では、防空壕や待避壕の増設・防火・非常救助・緊急対策の必要に迫られるなど、人口の増加と戦局の厳しさから行政の体制を整えることが必要であるとされました。
昭和18年12月18日の市議会において、「防空防衛の完璧を期せんがため、警察行政と区行政との区域の合致を必要とするに至ったので、増区に関する件」が提出されました。
議案について、佐藤正俊市長から説明がされました。
「時局いよいよ緊迫の度を加え、今や市民生活の安全と安定とを確保することと、市民防衛の態勢とを整えなければならない緊急の場合にたちいたっている。
殊に名古屋がその必要性を多分に持っている。なお市民委員会においても本市行政と警察管区とを一致せしむべし、これがため必要あらば増区をも併せて断行すべしとの決議となり、翼賛市政調査会を通じて理事者に対して、その実行を要請せられたのである。」
佐藤市長の説明ののち、市議会では満場異議なく可決されました。
10区制から13区制へ
区行政と警察管区の区域
議案の提出があった1943年(昭和18)当時の名古屋市は、中区・千種区・東区・西区・中村区・昭和区・熱田区・中川区・港区・南区の10区でした。
また、警察管区は、次のとおり13の警察署がありました。
| 警察署 | 住所 |
|---|---|
| 門前警察署 | 中区門前一丁目 |
| 新栄警察署 | 中区新栄町二丁目 |
| 千種警察署 | 千種区田代町 |
| 鍋屋警察署 | 東区筒井町一丁目 |
| 江川警察署 | 西区天神山町一丁目 |
| 城北警察署 | 西区田幡町 |
| 笹島警察署 | 中村区太閤通一丁目 |
| 御器所警察署 | 昭和区永金町一丁目 |
| 瑞穂警察署 | 昭和区瑞穂通二丁目 |
| 熱田警察署 | 熱田区伝馬町一丁目 |
| 中川警察署 | 中川区篠原町 |
| 名古屋臨港警察署 | 港区海岸通一丁目 |
| 笠寺警察署 | 南区笠寺町 |
栄区の誕生
このように中区・西区・昭和区には警察署が二か所ありました。また、区域と警察署管区が一致していたのは、中川区のみでした。
そこで、区の数を警察署の13に合わせて3区増やすことになり、1944年(昭和19)2月11日、これまでの10区の区域を再編し、北区・栄区・瑞穂区が誕生し13区制が実施されました。

3区役所
戦時下という非常時で、緊急に設置された3区役所は次の通りです。
- 北区役所(北区光音寺町字中道間(東亜紡織株式会社所有建物))
- 栄区役所(栄区新栄町一丁目八番地(中区役所庁舎内))
- 瑞穂区役所(瑞穂区瑞穂町字中ノ口十五番地(天理教会内))
栄区の廃止
1945年(昭和20)3月19日、空襲により、栄区一帯は焼夷弾の炎に包まれて焦土と化し、ほぼ全域が壊滅状態となりました。隣接する中区も一部が延焼し、大きな被害を受けました。
1945年(昭和20)9月29日、市会において「栄区および中区は戦災に因る実情に鑑み、両区独立して行政区を劃定(かくてい)する要なきに至りたるに由る」という理由で、栄区は、中区の区域に併合され、『栄区を廃止する』ことが決議され、同年11月3日栄区廃止となりました。
こうして1944年2月に誕生した栄区は、戦後の1945年9月に、わずか1年8か月で区制の幕を閉じました。
栄区が誕生するまでの名古屋市の歩み
ここからは、栄区が誕生する前の名古屋市の歩みについて紹介いたします。
明治時代の市域拡大
名古屋市が誕生した1889年(明治22)は、面積13.34平方キロメートル、人口157,496人の規模でした。
その後、市域が拡大し、名古屋市は発展を続けていきました。

1896年(明治29)愛知郡御器所村大字前津小林を名古屋市へ編入
大字前津小林は、現在の老松学区の東側半分辺りと前津通の東の地域で、大須学区の前津中学校の辺り、橘学区の上前津二丁目、富士見町、大井町、千代田四丁目辺りが該当の地域となります。
1899年(明治31)愛知郡那古野村・古沢村大字東古渡を名古屋市へ編入
那古野村は、名古屋駅周辺の地域で、中村区、西区の名駅一・二丁目と中村区名駅三・四丁目辺りが該当の地域となります。
古沢村大字東古渡は、現在のほぼ平和学区の地域となります。
1907年(明治40)愛知郡熱田町、小碓村大字熱田新田東組、千年、熱田前新田、稲永を名古屋市へ編入
熱田町は、熱田区の大部分の地域、小碓村大字熱田新田東組、中川・港区の一部、小碓村大字千年、熱田前新田、稲永は港区の一部となります。この合併は、名古屋港の開港に伴いなされています。(海外貿易の振興を視野に入れて改良工事が進められていた熱田港は、名古屋港として開港しています。)
1909年(明治42)愛知郡千種町と御器所村を編入
合併は、鶴舞公園の地域を編入したもので、愛知県・名古屋市によって誘致した博覧会会場としてこの地域が開発されました。

名古屋市の4区制施行
1907年(明治40)時点の名古屋市は、相次ぐ合併によって面積が32.86平方キロメートルとなり、市制施行時と比べて約2.5倍の規模に拡大しました。
また、人口も35万人を超え、約2.2倍に増加していました。
このため、市役所による業務・事務処理を複数の役所に分けて行政を分担・効率化する必要が生じました。
1908年(明治41)東、西、中、南の4区制を施行しそれぞれに区役所が置かれました。

大正時代の市域の拡大
1921年(大正10)隣接した16カ町村を編入
合併した町村は、愛知郡千種町・東山村・御器所村・呼続町・小碓村・荒子村・八幡村・愛知町・中村・常盤村・笠寺村、西春日井郡枇杷島町・金城村・清水町・杉村・六郷村の16カ町村でした。

日本一の都市「大名古屋」の誕生
市の面積は、149.56キロ平方メートルとなり、4区制施行時の比べて約4.5倍、市制施行時とは10倍以上の規模となりました。
大正10年時点の名古屋市の面積は、東京市約75キロ平方メートル、大阪市約55キロ平方メートル、京都市約66キロ平方メートルを大きく上回るもので、日本一の面積の都市となり、「大名古屋」と言われました。
(その後、1925年(大正14)に大阪市の市域の拡大により面積が181キロ平方メートルとなり、名古屋市は日本一の座を明け渡すこととなりました。)

名古屋市の市域は大きく拡張され、4区の区役所は市の中央部に位置することとなりました。
一方、新たに編入された区域は市中心部から遠隔地となるため、16か町村の旧役場の15か所を区役所の分所として利用することとなりました。
しかし1923年(大正12)、区役所分所は経費節減のため11か所が廃止されました。
昭和時代の市域の拡大
- 1930年(昭和5)国勢調査による調査の結果、名古屋市の人口は、約 907,000人とされ、大阪市の約 870,000人を抜いて全国第2位の都市となりました。(第1位は、東京市で約 2,070,000人。次の国勢調査では、大阪市第2位、名古屋市第3位。)
- 1934年(昭和9)市の人口が1,017,700人となり名古屋市は100万人の大都市となりました。
- 1935年(昭和10)区別人口が、東区約26万人、西区約20万人、中区約34万人、南区約28万人となり、1区当たりの平均人口27万人を超えるのは6大都市(東京・大阪・京都・神戸・横浜・名古屋)中で最高となりました。(区の規模が大きくなりすぎていた。)
面積も人口も大規模となった各区の役所は、事務処理が追いつかなくなっていました。区役所設置当初は年間約2万4千通だった文書数が、昭和10年には約750万通にまで急増していました。(名古屋市会史第8巻)
1934年(昭和11)市議会では、市中心部の人口増加が停滞したものの周辺部の急激な人口増加が始まっていたことに伴い増区実施促進の決議を行いました。
1937年(昭和12)愛知郡下之一色町、西春日井郡庄内町・萩野村を編入

合併に伴い、1937年(昭和12)10月1日、東・西・中・南の4区を再編し、千種・中村・昭和・熱田・中川・港の6区が増区され、10区制が実施されました。。
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