新修名古屋市史 資料編「考古2」
飛鳥時代から江戸時代までを対象時期とする、資料編「考古2」の概要等
『新修名古屋市史』資料編「考古2」 概要
資料編「考古2」の特徴
「考古1」の続巻として、飛鳥時代から江戸時代までの主要遺跡170か所と、その考古資料を掲載しています。また、遺跡の分布状況と時代の概観や、テーマごとにまとめた集成・特論のほか、「考古1」刊行後に平手町遺跡で発見された日本最古の船形木棺など、「考古1」を補完する資料についても補遺として掲載しています。
本書について
B5版 本編1,040ページ(上製本) 定価4,500円 平成25年5月21日(火曜日)販売開始
『新修名古屋市史』資料編「考古2」 目次
第1章 総論
- 第1節 本書作成の基本
- 第2節 名古屋の地形と古代から近世までの遺跡の分布
- 第3節 古代の名古屋
- 第4節 中世の名古屋
- 第5節 近世の名古屋
第2章 主要遺跡解説
- 第1節 古代の遺跡
- 第2節 中世の遺跡
- 第3節 古代・中世の窯業生産遺跡
- 第4節 近世の遺跡
第3章 集成・特論
- 第1節 出土瓦からみた尾張元興寺
- 第2節 古代尾張における施釉陶器生産と歴史的背景
- 第3節 記録に残された中世城館跡
- 第4節 戦国那古野城の復元
- 第5節 桶狭間の戦いに関連する遺跡・伝承地・記念碑
- 第6節 名古屋城の丁場割と石垣の刻印
- 第7節 尾張藩主徳川家墓所
- 第8節 尾張藩江戸屋敷跡出土の考古資料
第4章 補遺
- 第1節 仁所遺跡の弥生時代土製品
- 第2節 平手町遺跡の船形木棺
- 第3節 中社古墳・南社古墳の埴輪
- 第4節 西大久手古墳の形象埴輪
第5章 名古屋の遺跡調査史
- 第1節 遺物・遺跡に対する関心と記録
- 第2節 「史蹟名勝天然紀念物保存法」の制定
- 第3節 「文化財保護法」制定後
- 第4節 見晴台遺跡の調査と考古資料館の開館
- 第5節 高度経済成長期とその後の開発に伴う遺跡調査
- 遺跡一覧表
- 遺跡分布図
- 用語解説
- 参考文献一覧
『新修名古屋市史』資料編「考古2」 本文抜粋
主要遺跡解説より 第2章第4節 近世の遺跡 名古屋城本丸御殿跡(P664)
遺跡の位置・立地
名古屋城は、熱田台地の北西端に位置し、本丸・二之丸・西之丸・御深井丸・三之丸からなる。本丸・二之丸・西之丸・御深井丸は北と西側を水堀に、東と南側を空堀に囲まれる。北側には水堀を挟んで下深井御庭などが、南側には空堀を挟んで武家地として利用された三之丸が広がる。本丸は二之丸・西之丸・御深井丸に囲まれ、本丸御殿は本丸の北西端に位置する天守の南に建てられていた。標高は14から15mである。名古屋城は本丸・二之丸・西之丸・御深井丸を中心として国の特別史跡に指定されており、本丸御殿跡も特別史跡内に位置する。
本丸御殿の歴史
名古屋城本丸御殿は、慶長15年(1610)から開始された名古屋城の築城に伴い建築され、元和元年(1615)に完成した。このときの本丸御殿が慶長期の御殿である。その後、藩主は二之丸御殿に移り、本丸御殿は寛永10年(1633)の三代将軍徳川家光の上洛に伴って、上洛殿などが増築された。このときの御殿が寛永期の本丸御殿である。
明治維新後、明治4年(1871)に名古屋城は徳川家から陸軍省の管理下に移り、明治5年、後に第3師団となる東京鎮台第3分営が本丸(本部=本丸御殿)に置かれた。その後、明治26年まで陸軍省の管理が続き、同年、本丸・西之丸・御深井丸が陸軍省から宮内省に移管され名古屋離宮となる。宮内省の管理は、昭和5年(1930)まで続き、同年12月に本丸・西之丸・御深井丸などは名古屋市に下賜された。この時、天守や本丸御殿など建物24棟が国宝に指定されている。昭和7年には「史蹟名古屋城跡」の指定を受けたが、昭和20年5月14日、空襲により天守とともに本丸御殿も焼失した。
(中略)
遺構
(中略)
車寄せでは、花こう閃緑岩や花こう岩が多く使用されている。これらの礎石には刻印が残されているものも見られる。刻印が残されている理由としては、石垣石材として運ばれてきた石を礎石に転用しているためであると考えられている(伊藤・今野ほか2009)。
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