もりやま歴史浪漫紀行 守山区と徳川家康
1.守山区と小牧・長久手の戦い
天正12年(1584年)「小牧・長久手の戦い」において、羽柴(後の豊臣)秀吉軍と徳川家康・織田信雄軍が、織田家の主権を巡って争いました。
3月に始まった戦いは、犬山城に秀吉、小牧山城に家康が陣取り、膠着状態となりました。両軍の睨み合いが続くなか、4月に入り、家康の本拠を狙った秀吉軍の「三河中入作戦」が行われました。
4月6日夜半、秀吉軍の池田恒興、森長可、堀秀政、三好秀次が庄内川を渡河し、守山区内を経て長久手へ進出しました。この動きを察知した家康軍は4月8日夜半に小幡城へ入城し、ここを拠点として長久手方面へ向かい、秀吉軍を撃破しました。
敗報を受けた秀吉は、その日の夕方に「小幡城」から直線距離でわずか約2.5kmの「龍泉寺」に本陣を移しました。秀吉は小幡城の攻撃を命じましたが、稲葉一鉄らが、「古来より夕刻以降の攻城は禁じられている。明日にすべし」と諫言したため、翌朝の城攻めを決定しました。
一方、小幡城でも龍泉寺の夜襲が建議されましたが、家康が許さず、午後8時過ぎに小牧城まで撤退し、直接対決を避けました。
その後、大きな衝突もないまま、秀吉が信雄と和睦をしたため、家康の局地的勝利だけが残りました。天下を獲った秀吉に、戦で勝ち越したことが、家康の立場を非常に強くし、最終的な家康の天下をもたらしたとも言えます。
(注)日付は旧暦です。
(注)画像データには文字情報が含まれておりません。内容についてお問い合わせをされたい場合は、守山区地域力推進室(電話番号052-796-4527)までお問合せください。
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もりやま歴史浪漫紀行-守山区と徳川家康(表面)(史跡紹介) (PDF 806.8 KB)
印刷用パンフレット(表面)です。小牧・長久手の戦いや徳川家にゆかりのある区内の史跡を紹介しています。 -
もりやま歴史浪漫紀行-守山区と徳川家康(裏面)(徳川家康対羽柴秀吉 一触即発の地) (PDF 2.4 MB)
印刷用パンフレット(裏面)です。小牧・長久手の戦いにおけるクライマックスシーンをご紹介しています。 -
もりやま歴史浪漫紀行-小幡城趾 (PDF 407.6 KB)
印刷用チラシです。徳川家康が本陣を置いたと言われている小幡城の城趾をご紹介しています。 -
もりやま歴史浪漫紀行-龍泉寺 (PDF 462.4 KB)
印刷用チラシです。羽柴(後の豊臣)秀吉が布陣した龍泉寺についてご紹介しています。
2.「守山崩れ」と松平清康
天文4年(1535年)、三河に松平家の地盤を築き上げた名将・松平清康(家康の祖父)は、織田信光(信長の叔父)が守る守山城にて家臣により殺害され(享年25歳)、主を喪った松平勢は崩れて守山を落ちていきました。
この事件は「守山崩れ」と呼ばれ、これをきっかけに松平氏による三河支配が崩壊し、松平家は苦難の道を歩むこととなります。
守山城は、桶狭間の戦い以降、廃城となりましたが、寛永4年(1637年)、清康の菩提を弔うため、城跡に宝勝寺が建立されました。
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