名東区の町名の由来
名東区の町名の由来を掲載しています。
出典
- なごやの町名(平成4年3月 名古屋市計画局 発行)
- 猪高村誌(昭和54年6月 愛知県郷土資料刊行会 発行)
赤松台(あかまつだい)
字名赤松と四方を見渡すことのできる高台であったことによります。
北西端は物見塚と呼ばれ、かつては名古屋城が望めました。小牧・長久手の戦いの時、戦況を偵察するため、一人の武将が夜が明けるのを待って登ったことから、この山を「明け坂」、のちに赤坂と呼ぶようになったといいます。また、同戦いの折に、夜あまり人馬の音がするので民衆が山へ避難し、再び山を下った時に夜が明けたことに由来するともいわれています。
明が丘(あけがおか)
住民の明るい生活を願いつけられました。
朝日が丘(あさひがおか)
区の北東端に位置し、東傾斜地で朝日の美しさが格別であることから。
石が根町(いしがねちょう)
字名石ヶ根によります。江戸時代、尾張藩水野代官所の支配に属していた藤森村の一部で、付近は乾燥した丘陵地が多いため、灌漑用の多くのため池が造られ、この地にも石かね池というため池がありました。
猪高台(いたかだい)一・二丁目
猪高の地名に高台であることから台を添え猪高台としました。
猪高町(いたかちょう)
明治39年猪子石村と高社村とが合併して猪高村となりました。その村名から命名。
一社(いっしゃ)一から四丁目
大字一社によります。明治11年愛知郡一色村(いっしきむら)と下社村(しもやしろ)が合併した際に両村名から一字ずつとって村名を一社村(いちやしろむら)としたことに由来します。
猪子石(いのこいし)一から三丁目
猪子石小学校があることから命名。霊石として伝承が残る「猪子石」に由来します。
猪子石原(いのこいしはら)一から三丁目
旧猪子石原村の村名から。
植園町(うえそのちょう)
字名植田山の「植」と、地域に隣接する東山公園の「園」によります。
梅森坂(うめもりざか)一から五丁目
字名梅林坂によります。梅森の名の由来は諸説があり、伝承によると寿永3年に造られた天神祠付近に、梅林が多かったことにちなんで名づけられたとされています。
梅森坂西(うめもりざかにし)一・二丁目
町名は梅森坂の字名と、この辺りが通称西町と呼ばれていたことによります。
延珠町(えんじゅちょう)
字名によります。かつてエンジュの木が茂っていた為名づけられたといます。
扇町(おうぎまち)
新しく区画された区域の形が扇形であったことによります。
大針(おおばり)一から三丁目
字名によります。大針は広く耕した土地の「大墾」(おおはり)の意味とされています。
香流(かなれ)一から三丁目
香流小学校があることによります。香流は地形が南から北にかけて低くなっていくことから「片流れ」とも呼ばれ、それが「カナレ」になったとも考えられています。
神丘町(かみおかちょう)
通称山の神と呼称される地域であり、地勢が丘陵地帯であることによります。地域の北部、また高間町にも山の神地蔵という石像が祀られています。
神里(かみさと)一・二丁目
地域の通称山の神の「神」を用いて神里としました。
上菅(かみすげ)一・二丁目
町名は字名上菅廻間によります。かつてこの地に「菅狭間(すげはざま)池」という九反余りもある農業用のため池があり、土地の人がこの池を「菅の様」と呼んでいました。猪子石(猪高町大字猪子石)で最大のため池であり、昭和30年頃、160,000平方メートル余りもの土地を灌漑しており、ありがたい池であったので、様をつけて親しまれていたようです。
上社(かみやしろ)一から五丁目
大字名上社によります。中世には社郷と称された地域で、のち矢白神社を中心に区分され上社・下社の村名ができたといいます。
亀の井(かめのい)一から三丁目
字名瓶の井から、「瓶」を「亀」に改め、亀の井としました。昭和30年頃まで上下二つのため池があり、大きい上池の西ノ池から下る水路を「上ノ井」と呼んでいたことが地名の由来と考えられます。
貴船(きふね)一から三丁目
二丁目にある貴船社に由来します。
小池町(こいけちょう)
字名小池刈と灌漑池の小池刈池(現在の地下鉄藤が丘駅の場所)の名から。
小井堀町(こいぼりちょう)
字名によります。
香坂(こうさか)
香流川に沿った地であることと、字名の水汲坂から。
香南(こうなん)一・二丁目
香流川の南に位置することから。
極楽(ごくらく)一から五丁目
字名によります。字名にかかわる伝承として、現在の名古屋市の西、俗に西在と呼ばれる平坦地が、木曽川・庄内川などの堤防もない低地帯でたび重なる洪水に家も田畑も流され、住民は安住の地を求め、山深からず、水多からずの高針の地を目指して、ここを極楽の地とした、また、天正12年の長久手の合戦の折に、敗れ傷ついた兵たちがようやくこの地にたどり着き、「ここは極楽だ」と言い合った、などがあります。
桜が丘(さくらがおか)
周辺一帯を所有していた岡本桜の名にちなんで、昭和3年、桜の木を数多く移植したことによります。
山香町(さんこうちょう)
さんだか山と呼ばれていたことから「山高」の字をあてのちに、「山香」となったと考えられます。
神月町(しんげつちょう)
町内にある神明社・月心寺という二つの社寺にちなんで命名。
新宿(しんじゅく)一・二丁目
かつて町内を東西に通り飯田街道へ通ずる高針街道(別名伊那街道、中馬街道とも)があり、明治末期までこのあたりに宿場がおかれていたことから、字名新屋敷前の「新」と宿場の「宿」をとってつけられました。
勢子坊(せこぼう)一から四丁目
字名によります。江戸時代、末森山と植田山は尾張藩の抱え山で、徳川家の御狩場として巻狩が時々催され、そのたびに高針村の村民が獲物を狩り出す勢子となったことから名づけられました。
代万町(だいまんちょう)
地元では子孫の代まで栄えるようにと願いをこめ万代町を希望したが、万代町は既に西区に存在したため、代万町としました。
高針(たかばり)一から五丁目
大字名によります。高針の由来は二説あり、「高き地を開墾(はり)たるを高治(たかはり)といひ、平なる地を治(はり)たるを平治(ひらはり)と呼、墾も治も同意也。針は借字なり」と言われ、また一説では「奈良の高尾張の人、ここに来たり勢力を張り高尾張と命名し後に尾の字を抜いて高張とした」とも言われています。
高針台(たかばりだい)一から三丁目
高針の台地上に広がっている地域という意味から。
高針原(たかばりはら)一・二丁目
高針に字名原を加えたものです。
高間町(たかまちょう)
大字であった高針の「高」と字大廻間の「間」からつけられました。
高社(たかやしろ)一・二丁目
旧高社村の村名から命名。
高柳町(たかやなぎちょう)
字名によります。
宝が丘(たからがおか)
この地域の南部が南に傾斜しており住宅地として適地で、宝玉のような価値ある地という意味から。
丁田町(ちょうだちょう)
かつて丁田山と呼ばれていたため。町の中ほどにある猪高小学校の開校について「明治四五年・・・大字上社字西山の山上約二万坪の地を劃(かく)して敷地とし、頂上をならして・・・」とあります。
つつじが丘(つつじがおか)
この地域につつじが多かったことから地域住民の要望によりつつじが丘としました。
照が丘(てるがおか)
藤が丘地区で一番高いところにあり、太陽が照り注ぎ、緑と太陽のある住宅地であることから命名。
天神下(てんじんした)
字名によります。
天白町(てんぱくちょう)
旧天白村の村名から。天白村は天白川の名に由来します。
富が丘(とみがおか)
住民の総意により富裕な生活ができることを願ってつけられました。
にじが丘(にじがおか)
虹ヶ丘団地の呼称から。
西里町(にしさとちょう)
かつてのこの地域の字名西山より西里町と命名。もともと西山とは、大字高針から見て西に位置する山だから西山とつけられたといわれています。
西山台(にしやまだい)
字名と丘陵地であることから。
西山本通(にしやまほんどおり)
字名西山であり、旧西山地区への主要交通道であるため西山本通とつけられました。
望が丘(のぞみがおか)
西境を南北に走る東名高速道路と地区の中央を東西に走る地下鉄一号線(東山線)の開通が本地開発の原動力であり、多年の願望であったところから地区住民の要望によりつけられました。
野間町(のまちょう)
古くから野間として地元の人々に親しまれていたことから。
八前(はちまえ)一から三丁目
字名によります。
引山(ひきやま)一から四丁目
字名によります。引山は「短山」(ひきやま)つまり低い山に由来するといわれています。
姫若町(ひめわかちょう)
植田川に架かる「姫若橋」に由来します。
藤香町(ふじかちょう)
字名藤ノ木の「藤」と香流川の沿岸に位置するため「香」を組み合わせてつけられました。
藤が丘(ふじがおか)
大字藤森の「藤」をとるとともに地下鉄藤ヶ丘駅(現在は藤が丘駅)の所在地であることによります。
藤里町(ふじさとちょう)
猪高町大字藤森字藤ノ木が大部分を占めていることから命名。
藤巻町(ふじまきちょう)
東山公園とこの地の間にある曙峠付近の山を藤巻山といったことから名づけられました。
藤見が丘(ふじみがおか)
地下鉄藤ヶ丘駅(現在は藤が丘駅)を眺められることから住民の要望によりつけられました。
藤森(ふじもり)一・二丁目
大字名によります。藤森は藤の花が多く咲く郷であったといいます。
藤森西町(ふじもりにしまち)
旧藤森村の西端に位置していることから。
文教台(ぶんきょうだい)一・二丁目
図書館があること、丘陵地であることから住民の要望によりつけられました。
平和が丘(へいわがおか)一から五丁目
町区域の西側一帯(墓地公園)が平和が丘と呼ばれ市民に親しまれていたことによります。
本郷(ほんごう)一から三丁目
この地域の洞前・杁ノ池・大久田などの小字を総称して「本郷」あるいは「郷」の名で呼んでいたこと、また地下鉄本郷駅があることによります。
牧の里(まきのさと)一から三丁目
この辺りが南東部に造られている牧野ヶ池から水を引き、田畑が潤った里であったことと、字名の牧とを合わせてつけられました。
牧の原(まきのはら)一から三丁目
字牧と字原の字名に由来します。
松井町(まついちょう)
字名によります。
名東本通(めいとうほんどおり)
この地域は都市計画街路沿線の両側に面し、この街路が名古屋市東部本通の意味を持つためつけられました。
名東本町(めいとうほんまち)
住民アンケートにより、当地の南端部が名東本通に接することからつけられました。
社が丘(やしろがおか)一から四丁目
大字上社の「社」をとり、地勢が丘陵地帯であったことによります。
社口(やしろぐち)一・二丁目
大字猪子石字社口(しゃぐち)が近くにあり、大字上社の地であることから。
社台(やしろだい)一から三丁目
大字一社・大字上社の「社」と丘陵地帯のため高台の「台」を合わせ命名。「社」という名は、一説に「矢白」に由来するといいます。伝説によると、景行天皇25年この地を訪れたタケウチノスクネが、水不足による荒田を悲しみ、白鷹の矢を人々に与え、彼らがそれを祠に祀ったところ、水がわき出し、その後祠は矢白神社になり、中世に矢白を「社」に改めたと伝えられています。また、一説には、当地の氏神に、矢尻と薙刀の刀身を御神体として祀っていたのが「矢尻」が転訛して「社」になったといいます。
山の手(やまのて)一から三丁目
字名によります。
豊が丘(ゆたかがおか)
住民の要望により豊かな生活を願う意味からつけられました。
よもぎ台(よもぎだい)一から三丁目
隣接する猪子石地区に蓬萊洞(よもぎほら)という字名があり、「よもぎ」と丘陵地であるために高台の「台」を用いたことによります。
陸前町(りくまえちょう)
字名陸之前によります。
若葉台(わかばだい)
若葉のきれいな丘陵地であったことから地域住民の要望によりつけられました。
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