第7章 みなと祭秘話

司会:
みなと祭は戦後の復興期に始まったそうですが、ずっと地元におられた髙羽さんは最初からの流れを知ってますよね。そのころは子どもだったと思いますけど。
髙羽:
最初は少し形が違っていて、今みたいな形で踊ってなかったと思う。まつり自体は、主催団体は変わっても名古屋港管理組合が事務局だった。当時は巻藁船が出ていたんだよ。中学の時は5漕ぐらい出てきたけど、本当の巻藁船は西築地だけだった。365も提灯つけてな。
司会:
そのうち踊りが中心に…?
髙羽:
はじめのころは灯台の前で踊っとったんじゃないかな。今のポートハウスの北側で踊ったり、歩道橋の上であいさつしたり。で、ガーデンふ頭ができてからはつどいの広場で踊るようになった。
司会:
踊りながら移動するのは、当初はやっていなかったと聞いていますが。
髙羽:
俺が委員長になってすぐあたりに流しおどりを始めた。踊りの先生からは「歩きながら踊るなんて邪道だ」と言われたけどな。やっぱり祭を盛り上げなかんから。町内で試行錯誤して、流れを確立して、それを学区で取り上げて改良していったんだよ。

司会:
ちなみに花火は当初からやっていたんですか?
髙羽:
いつからというのはよく分からんけど、けっこう前からやっとったと思うよ。少なくとも俺が子どものころからあったな。
司会:
当時と今とで違うことはありますか?
髙羽:
屋台の雰囲気が違っていたな。今の屋台は食べ物ばっかだろ?昔の屋台は飴細工とか手品とか、絵を描く人とかいろいろあったな。あとは反物の量り売り。今は屋台も人も多いと言われとるけど、昔は道幅が半分だったから、密度はもっと凄かったんだよ。
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