水上交通の歴史
堀川、中川運河及び七里の渡しの水上交通の歴史を紹介します
堀川
慶長15(1610)年に開削された堀川は、名古屋の幹線輸送路として、多くの物資を船によって城下へ運ぶとともに、乗合船も運行され、人々の交通手段としても使われていました。明治期には、黒川の開削や新木津用水の改修により、犬山方面と名古屋との舟による運送事業も行われていました。昭和7年には松重閘門の整備によって中川運河との連絡が可能となりましたが、トラック輸送の発達に伴う舟運の減少により、昭和43年を最後に閘門は閉鎖されました。現在は、宮の渡し、白鳥、納屋橋、朝日橋の船着場が整備され、不定期で観光船が運航されています。
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中川運河
昭和5年の完成当時「東洋一の大運河」と称された中川運河は、松重閘門によって堀川との連絡が可能となり、通航船舶数は年々増加しました。第二次世界大戦中は運河利用も減少しましたが、戦後は名古屋港の復興とともに増加を続け、ピークの昭和39年度には75,000隻を超える船が往来しました。しかし、昭和40年以降は、通航船舶数が徐々に減少し、現在は、物流運河としての役割は小さくなり、新たな役割が期待されます。
七里の渡し
旧東海道の熱田宿(宮宿)と桑名宿を結ぶ海路で、距離が七里であったことから「七里の渡し」と呼ばれました。所要時間は、通常3時間程度で、潮位によっては6時間かかることもあり、悪天候のときには運航が中止されました。このように、七里の渡しは、旧東海道の大きな難所の一つとなっていました。
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