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第6章 地域社会で活躍する!

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このページを印刷する最終更新日:2016年9月13日

ページID:81437

第6章 地域社会で活躍する!

司会:

町の移り変わりを地元の人はどのように受け止めているんですか?

髙羽:

どうなんだろうな。

最近では、地元の人か越してきた人か区別がつかなくなってきたな。俺の町内も半分は地元、マンション・市営住宅ができたから半分が越してきた人たち。

司会:

そういう町内会のあり方って、最近よく課題になっているじゃないですか。うまくやっていくコツはありますか?

髙羽:

まずは「掃除にきて。」と声をかけることだな。そうすると来る人もおるで。

「来ん人がおる」といって苦情を言う人もおるけど、ええんだわ人のことは。「あんたも休みたかったら休みゃあよ。」と言ったればいいだけ。

司会:

髙羽さんはいつから地域に関わっているんですか。

髙羽:

41歳のときに町内会長やって、45歳のときにPTA会長をやったな。

PTAの新聞に「これから少しずつ人が少なくなっていくだろう」と書いた。

俺は今の状態を何とか保っていこうという考えだった。俺には発展させる能力がないからそういう人が現れるまで何とか維持しよう、とね。

司会:

良くなりましたか?

髙羽:

今はちょっと人が増えてきた。やっぱ、港まちづくり協議会の存在は大きいな。

まあ、結果としては多少維持できたかなと思っとるけど。

港まちづくり協議会の活動

港まちづくり協議会

司会:

地域とのかかわりについて、具体的にはどうやってすすめてきたんですか?

髙羽;

体育委員やっとった時なんだけど、メンバー全部集めてミーティングしたんだわ。どうしたら会員増えるのかについてな。そこでいろいろなアイデアが出たよ。今まで2チームだったのを呼びかけて町内対抗にするだとかね。

あと、新しい競技についても考えたな。バレーボールは突き指する。それで、ビーチボールというのがあるらしいと聞いて、日曜日に体育館集合してもらうことにした。

司会:

レクバレーみたいな感じですかね。

髙羽:

レクバレーとは違う。ボールが柔らかくて突き指せんのだわ。ネットはバレーの使って。

司会:

実質的にビーチバレーみたいな感じですか?浅尾美和さんがやっていたような。

髙羽:

スパイクはできんことはないよ。いろいろ規制しとるけどな。

そういえば、俺がレクバレーをやったら5つの反則とられたな。スパイクだめだろ。フェイクだめだろ。ってことで(笑)。

司会:

(笑)

髙羽:

あと、大きな自信になったのはアジアバスケットボール選手権を誘致した時だな。会場は県の体育館、名古屋に選手村を持ってきてね。日本協会連盟から名古屋に打診が来た。「開催まであと3か月しかないけど、やらんか?」って。

司会:

それは大変ですね!

髙羽:

逆にあと3か月しかなかったからやれたのかもな。

太田さんというんだけど、当時の県のバスケットボール協会の会長の夢が「名古屋で世界選手権やれないだろうか」ってことだった。で、こういう機会が来たから「実働部隊に髙羽さんも」となった。俺は選手団担当だったんだよ。選手の受け入れ、練習、移動まで全部やらなかんかった。ほとんど寝る時間なかったよ。12時過ぎぐらいに大会の仕事が終わって帰ってきて、6時に起きて仕入れの仕事やって。当時、事務局が入っていた都ホテルの支配人が「ここに泊まっていけば早いがね」って言ってたけど、そうもいかんしね(笑)。

司会:

大変そうですけど、やりがいがありますよね?

髙羽:

実際にこれが自信になったよ。国際的な対応の仕方だとか、貧富の差がこんなにあるとか。

特に、会長の対応見てたら「なるほど」と。毅然として対等に立ち合うってことだな。

「ダメなものはダメ」と。

お金の集め方だとか、書類の書き方だとか、要綱つくって組織つくってというのも地元で町内会を運営する時に活かすことができたしな。

司会:

組織的ですね。

髙羽:

当時の地元の行事はやり方がずさんだったから、実行委員会方式を提案して委員たちに「勉強せよ」と生意気に指導するつもりで言ってたな(笑)。

なるべく育つようにと思ってね。

司会:

当時はまだ若かったはずなのに(笑)。

髙羽:

まだ43歳ぐらいだったから、周りから見たら生意気だったと思うよ(笑)。

俺の性分なんだろうけど、真っ先に手あげて、いちゃもんつけとった。でも、代案は必ず持っとったから、だいたい一発で通ったよ。神社の町内会の集金割り当ても、当時はいくら払ってもらえばいいのか分からなかったんだけど、「これは任意の問題だから、封筒だけ渡したら」って言ったら、今までの倍ぐらいの金が集まった。

意外と町内会長も「肩身が広い」でしょ?(笑)

司会:

そういう改善をいっぱいやってこられたわけですね。親分肌でやってこられたわけじゃなくて(笑)。

髙羽:

そうだよ。成人式やるで金を集め、敬老会で金を集め、と、ギリギリの状態で運営していたので年度はじめに金がない。俺は「それでも会計か!」と言って値上げして資金を作った。問題があれば改善をしてきたよ。

司会:

ちなみに、区政協力委員長はいつからやっていたんですか?

髙羽:

委員長は51歳から今まで。途中に7年間ブランクあるけどな。なったのは平戸議長と一緒だよ。同期は俺と平戸さんと西川さんだったかな。

司会:

40代から地域のことばかりやってたんですね。

髙羽:

多いときは3つの役職を並行してやっとったな(笑)。

司会:

プライベートの時間なんてないんじゃないですか?

髙羽:

バスケットはあまりやらんくなったな。平成6年に国体が来たときは忙しかった。その時に愛知バスケットボール協会の理事長の交代という話が出て、俺が説得に行くことになってまった。で、一晩説得して辞めてもらったと思ったら、結局俺がやる羽目になった。愛知バスケットボール協会の理事長は実務的なトップ。会長はおったけどね。

司会:

重責ですね。

髙羽:

55歳ぐらいのときか。委員長と並行してやってた。今思うとすごいな(笑)。

今もまち協の会長、委員長とガイドマイスター、まち美の会長。あと、名前だけになっちゃったけど、アットポートもようやっとったよ。

司会:

名古屋港エリアでまちづくりをやっていた団体ですね。

髙羽:

今のまち協に近いことをやっとった。名大の茂登山先生が武藤さんを連れてきて。まぁ、地元の一部の人はあまり理解できなかったみたいだけどね。

司会:

地元の理解…。いつもまちづくりの課題になるポイントですね。

髙羽:

俺たちの世代なんだけどな。何でこの世代はああなんだろうな。言いたいこと言って妥協せん(笑)。

司会:

地域団体で活動するにあたって、悩みはありますか?

髙羽:

最初のころはなかったよ。タイミング良かったし、作戦が良かったんだろうな。

髙羽さん

司会:

最近は西築地にもマンションが増えていますが、地域コミュニティとの温度差があったりしませんか?

髙羽:

近所に市営住宅ができたときに「自治会を作ります」という集会があって行ってきたんだけど、見とったら、会がちっとも進めせんがや。お互いに知らん人ばっかやからな。で、俺が近くにいる若い人に「あんたが議長をやってみたらどう?」って声かけて(笑)。

そしたらその人がやってくれた。で、各フロアから10人集まったよ。結局、その日に議長やった人が自治会長になったけどね。スムーズにいったから、全員集めて、まつり参加させてって流れができた。

司会:

なかなかうまくいかないと言われている問題ですが、さすがですね。

髙羽:

あるマンションは、管理会社が自治会を作る会合に呼んでくれなかった。地域に組み込まれては困ると。で、選ばれた自治会の人数も5、6人しかおらんから、最初はなかなか地域の活動に参加できなかったよ。3年目にやっと34人になったけどね。住民の意識はいろいろで、子どもおっても入らんとこがあると思えば、まつりの寄付が町内で一番多い人もおる。

次章へ続きます。第7章 みなと祭秘話

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