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今回は港区の西築地で生まれ育ち、現在は西築地学区の地元のさまざまな役職をお務めになっておられる髙羽章さんからお話を伺いました。
戦時中の幼少時代のお話から港まち界隈の栄枯盛衰、伊勢湾台風の実体験、地元での取り組みに至るまで、髙羽さんが肌身で感じた港まちの情景を語っていただきました。
途中、「凝り性で飽き性」と自称する髙羽さんの趣味の話も交えながら、西築地学区を中心とした港まちの素顔に迫ります。
司会:
今日はよろしくお願いします。
では最初の質問ですが、髙羽さんはおいくつになられるんですか?
髙羽:
昭和13年生まれだで、今年78歳になる。
司会:
生まれてからずっと港で暮らしてきたんですか?
髙羽:
生まれてからずっと西築地だよ。まぁ、子どものころは1年間で3回疎開したな。
でも、留学も上京もしたことないし、学校もすべて名古屋だし。
司会:
お仕事も港ですか?
髙羽:
家業の魚の卸売の商店で働いていたんだ。名古屋に一つしかないんだけど。
業態はちょっと複雑かな。市場では小売業者だけど、地元に来れば卸売業者になる。
船員の食料として魚を納めていた。多いときは貨車1杯分の鮭を押さえていた。肉体労働だったよ。
司会:
勝手な想像ですけど、髙羽さんの物腰からして営業マンをされていたのかと思っていました(笑)。
髙羽:
営業なんてしなくても、お客さんは向こうから来た(笑)。
おやじの代から港の規模が大きくなってきていろいろやるようになったよ。取引先は総合商社だから野菜も何も全部乗せてくるんだけど、うちの伝票で魚を押さえさせてくれと言ってくるようになった。そのかわり1割の手数料がもらえるんだ。伝票だけ回してあげればいいから、いい商売だったな。
まぁ、本業としては、魚を一生懸命売らなければならなかったな。その頃は、名古屋は高いけど品物は良いと言われていた。
司会:
あまりイメージがわかないです。
髙羽:
もともと漁場だった下之一色(中川区)から大八車に魚を載せて行商をしていたんだよ。
髙羽:
ほんで、名古屋港に魚を持ってきたら大量に売れたことがきっかけ。祖父の代からで、名古屋港に寄った船が遠くの港まで行くもんだから、魚は1週間分仕入れてくれるんだ。「これは儲かるぞ」ということで、ここで店を出すことにした。
その後、今の場所に住むようになった。だから、俺が生まれる前は、今いるところに小屋を建てて、商売していたんだわ。
次章に続きます。第2章 髙羽少年の青春時代
ミナトガタリ 港まちの粋人 髙羽章の素顔に迫る!
第1章 髙羽さんってどんな人?(現在のページ)
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