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名古屋の誕生と堀川

名古屋城ができる前のこの地方の中心地は清須(清洲)でした。清須城は手狭で、水攻めへの弱さが懸念されたので、徳川家康は慶長15年(1610年)に名古屋台地の北西端に名古屋城を建設し、清須から町ぐるみで移転しました。慶長18年(1613年)には、この「清須越し」がほぼ完了し、名古屋の町は誕生しました。
堀川は、それと時を同じくして、当時海に面していた熱田(宮の渡し)と名古屋城を結ぶ、物流の要として福島正則により開削されました。
この図は、尾張八郡図の拡大図(蓬左文庫所蔵、寛政・享和年間(1789年から1804年)写)です。
堀川の改修としゅんせつ
堀川は、地域の川として大きな役割を担ってきました。あるときは地域に降った雨を排水し市街を水害から守ったり、またあるときは舟が行き来し物流の大動脈として市民の生活やまちの発展を支えてきました。
そのため堀川は、開削してから現在まで、護岸の改修としゅんせつを繰り返してきました。
舟運で賑わった堀川

堀川は、名古屋の幹線輸送路として重要な役割を果たしていました。
米や塩、木材など多くの物資が船によって城下へ運ばれ、沿川には、大規模な藩の蔵、水軍関係者の屋敷、御船蔵、貯木場などが設けられていました。乗合船も運行され、人々の交通手段としても堀川が使われていました。
この図は、広井官倉に貢米を納める図(尾張名所図会・市博物館所蔵)です。
人々の憩いの空間

堀川は、桜や桃が咲きほこる名所でした。沿川には、寺や神社も多く、人々がお参りや散策に訪れ、堀川の風情を楽しんでいたようです。また、お祭りも多数行われており、いかに堀川が人々の生活の一部として溶け込んでいたかがうかがえます。
この図は、堀川花盛(名古屋名所団扇絵集・市博物館所蔵)です。
堀川400年祭

1610年、名古屋城の築城にあわせて開削された堀川は、2010年に開削400年目を迎えました。
この記念すべき年に『堀川400年祭』として多彩なイベントを開催しました。
堀川年表
堀川が開削されてから現在までの経緯を紹介します。
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