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舟運でにぎわった堀川

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このページを印刷する最終更新日:2020年6月19日

ページの概要:舟運でにぎわった堀川の紹介をします。

舟運でにぎわった堀川

熱田の浜と城下を結ぶ舟運

広井官倉に貢米を納る図(尾張名所図会・市博物館所蔵)

堀川は名古屋城下の住民が必要とする大量の物資輸送の動脈でした。「尾張志」には「諸国の商船、米穀、炭、薪、竹木、器財、魚菜の類、諸雑物を運送するに此川を出入りし、府下第一の用川也」と記載されています。沿川には多くの豪商が住まいを構えて、川沿いには荷物を保管する蔵が堀川に向かって建てられていました。
また、尾張藩領であった木曽からは良質のヒノキ等が木曽川を下り伊勢湾を横切り堀川をさかのぼって城下に搬入されました。当時の河口近くには広大な貯木場が設けられ、上流の市街地には木材を扱う商人等が住み、元木材町や木挽町(現:中区丸の内、錦、栄一丁目)などの地名を残しました。
この図は、市博物館所蔵の広井官倉に貢米を納る図(尾張名所図会)です。

犬山と名古屋を結ぶ舟運

元杁樋門

犬山方面と名古屋の舟運等のため、明治10年(1877)に黒川開削、明治16年(1883)に新木津用水が改修されました。従来は、木曽川経由で7日かかって輸送されていたのがわずか4時間に短縮され、明治19年(1886)から大正13年(1924)までは、愛船株式会社による運送事業が行われました。
この写真は元杁樋門であり、かつてこの樋門の中を、荷物を満載した舟が行き来していました。

名古屋港と瀬戸を結ぶ舟運、鉄道

明治44年(1911)には瀬戸電気鉄道(現:名鉄瀬戸線)の堀川と瀬戸の間が全通しました。景雲橋のたもとには堀川駅が設けられ、瀬戸方面から陶土・陶器などが堀川を通って名古屋港に運ばれるようになりました。この駅は、昭和51年(1976)の名鉄瀬戸線の栄乗り入れによる堀川駅から土居下駅の廃線とともに無くなりました。

中川運河による混雑緩和

松重閘門

昭和7年(1932)に中川運河が堀川とつながり、松重閘門により水位が違う両河川を行き来できるようになりました。これにより堀川中下流部の舟運の混雑が緩和されましたが、トラック輸送の発達とともに利用が減り、昭和43年(1968)を最後に閘門は閉鎖され、昭和51年(1976)に使用廃止と保存が決定されました。

船着場の整備

納屋橋の船着場

平成8年(1996)に宮の渡し、平成9年(1997)に名古屋国際会議場、平成13年(2001)に納屋橋、平成17年(2005)に朝日橋の船着場が整備されました。都心と港を直接結ぶ交通路として、またユニークな遊覧の場所として、今後さらに利用が高まり沿川地域の活性化がはかられることが期待されています。

このページの作成担当

緑政土木局河川部河川計画課堀川総合整備担当

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