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改修としゅんせつ
開削当初から江戸時代
開削当初の護岸は土のままで、必要に応じて地元の住民が木や竹で崩れるのを防いでいましたが、寛文3年(1663)に「石垣にする旨仰せ出された」との記録があり、その後部分的に護岸工事が行われたと思われます。
また、大幸川が堀川に接続された天明4年(1784)には、「堀川のしゅんせつにつき仰せ出された」との記録があり、文化13年(1816)には住民からしゅんせつの請願が出され、天保7年から8年(1836から1837)と嘉永2年から3年(1849から1850)には住民により「冥加浚え」が行われました。
江戸末期の護岸(「尾張名陽図会」「尾張名所図会」部分、市博物館・県図書館所蔵)

中心市街地に近い伝馬橋付近は石積みでした。

現在の天王崎橋付近は、素掘りや板柵でした。
明治時代以降

明治の文化開化後、名古屋が産業都市になるとともに、堀川の改修が大きな課題になりました。明治39年(1906)に愛知県議会で工期4年の改修工事が議決されており、昭和2年から14年(1927から1939)には西区朝日橋から名古屋港までの間で、しゅんせつ、護岸、係船設備、狭幅員部の拡幅が行われ、昭和6年から8年(1931から1933)には、北区大幸川合流点から西区朝日橋までの間で、しゅんせつと護岸の築造等が行われました。また、昭和37年から39年(1961から1964)には昭和34年(1959)の伊勢湾台風の高潮被害を踏まえ、堀川河口部に防潮水門がつくられました。
昭和61年(1986)に市政100周年記念事業に位置付けられ、昭和63年(1988)から河川改修に着手し、平成4年(1992)からは堀川を活かしたまちづくりを行うため、「マイタウン・マイリバー整備事業」として河川改修を進めました。

川底に堆積しているヘドロは、昭和40年度から57年度(1965から1982)に北区猿投橋から河口までの区間で約30万立方メートルを除去し、その後平成6年度(1994)から平成19年度(2007)までの堀川環境整備事業では、澪筋(川の中央部)のヘドロを除去しました。現在は、下流からの護岸整備に合わせてヘドロを除去しています。
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