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第2章 髙羽少年の青春時代

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このページを印刷する最終更新日:2016年9月13日

ページID:81433

第2章 髙羽少年の青春時代

司会:

子どもの頃はどんな感じで遊んでいたんですか?

髙羽:

遊び場はやっぱり近所。港湾ばっかりだよ。いまは公園になってるけど、当時は下が運河だった港橋の上から飛び込んで。あと伝馬船に乗って遊んどったな。

司会:

てんません?

髙羽:

櫓を漕ぐ船って知らん?時代劇で矢切の渡しを行き来しとるやつ。当時は名古屋港にもたくさんあって、みんな漕いどったよ。

まだ運河が通っていた頃の港橋

司会:

小学生の頃に疎開しているんですよね?

髙羽:

最初は明治村のあたり…。入鹿池(犬山市)の南端におばあさんの家があって、小学校1年になる前に疎開してた。まぁ、静かなもんよ。隣の家って言ったって2、300メートル離れとるし。

司会:

どんな生活なんですか?

髙羽:

まぁ、楽しかったよ。入鹿池のそばの駐屯地で「曹長のお坊ちゃまだ」って言われて当時は珍しかった車に乗せてくれたりした。兵隊さんにボートに乗せてもらった時は、暗くなっても家に着かないときがあって、「あれ?遅いな?」ってなったり(笑)。

司会:

戦火とは無縁の生活ですね。

髙羽:

そうだと思ってたんだけどな。田舎の別荘でおばあさんと2人で住んどるだけだし。

ある日、たまたまおばあさんがいないときに飛行機が飛んできたんだわ。日本の飛行機かと思ったから見とったら、アメリカの飛行機でな。「バリバリッ」て俺をめがけて機銃掃射をかけてきた(笑)。

そんで、ここは危ないってことで、即、母方の実家がある兵庫県養父郡口米地村ってところに引っ越した。隠れ里のようなところだったんじゃないかな。

司会:

名古屋での戦争体験はないんですか?

髙羽:

疎開前ならあるよ。上空にアメリカの飛行機が飛んでくると地上から高射砲を撃つんだけど、これが全然当たらなくてな。子ども心に「全然当たらんなぁ」といって面白がってた(笑)。

でも、ある時、撃墜の瞬間を見たよ。飛行機がダメになって、落下傘で落ちてった米兵を見てて、「あれどうなるんだろな」って思ったな。 

司会:

戦後は復興期から高度成長期に入っていきますよね。「髙羽少年」はどんな感じの子どもだったんですか?

髙羽:

おとなしかったよ。でも、負けん気があってなかなか謝らなかった。

司会:

何となく「やんちゃ」な人なのかと思っていましたが(笑)。

髙羽:

実際は、やんちゃはあまりやっとらんね。真面目は真面目だったよ。ただし喧嘩っ早かった。昔は何かあると喧嘩やっとったな(笑)。

相手が大きかろうと小さかろうと跳びついとったで。

司会:

強い方でしたか?(笑)

髙羽:

どうだろうな。ただ、殴られたことあまりないもんな(笑)。

司会:

ひどい目にあったこともありますか?

髙羽:

あるよ。海ん中放り込まれそうになった(笑)。

司会:

ええ!?

それはまたハードな話ですね。状況が分からない(笑)。

髙羽:

向こうから酔っ払いが3人歩いてきて俺が避けなんだ。そしたら追いかけてきて(笑)。

後ろから両手をねじ上げられて、海の方まで連れてかれた。まぁ、俺もついてくとこまでついてったったわ(笑)。

跳上橋の方にある倉庫のところまで行ったら、いよいよ海に放り込まれそうな雰囲気になってな。そこで、俺は笑いながら「ここでええだろう?」って言ったら解放してくれた。内心はビビってたよ(笑)。

司会:

めちゃめちゃ危ないじゃないですか!現在では考えられないですね。

 

次章へ続きます。第3章 栄よりも栄えていた名古屋港界隈

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