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司会
先ほど少し話の出た、「国道東海道」というのを教えてください。
池田:
江戸時代の東海道は、七里の渡しで海上を通過していたけれど、明治になると干拓地の堤防を伝う道ができたんだ。昔は七里の渡しが第1ルート、第2ルートが佐屋路だった。だから佐屋路には大名とか将軍が通っていた。ところが幕末になって木曽川の流れが変わって、佐屋川に水が無くなっちゃった。だからは弥富から佐屋まで、ずーっと歩いていた。すると明治2年に村田っていう人が新しい東海道を提案した。港区を通るルートに。5年に正式の東海道になって、9年に一等国道東海道になり、18年に国道2号線になった。
「国道 東海道」
池田さん作成
◆画像の解説:佐屋路の廃止と国道東海道の成立。明治5年、変更が告示された
池田:
それが、昭和9年に木曽三川に橋が架かって、別ルートの、今の国道1号線に切り替 わっている。
司会:
1号線って三重の方 で分岐してませんでしたっけ?
池田:
23号線が1号線のバイパスだね。でも 2本並んだところもある。バイパスができると普通は 国道を廃止すればいいんだけど。でも、そうは行かないんだね。地元の人は今まで国道の沿線だったのに、いきなり県道とかに落とされたら大ショックだからね。しばらくの間二つとも国道のままになる。印象が全然違うからね。だから古いところもやめられないんだよ、「国道」と言う看板を。まぁ、しばらくすると県に移すことが多いけどね。
司会:
ちなみに明治時代に国道東海道だった道そのものは現在もあるのですか。
池田:
あるよ。基本的には堤防の道だから残っているはずだけど。区画整理の時に潰しちゃうことはあるかもしれないけど。港区の場合だと境まで昔の道がきちっとあるよ。
司会:
海部郡なんかに行くと細街路が多く残っていますね。
海部郡の方から新田開発をすすめてきたって言いますが。
池田:
江戸時代の前か後か。海部郡には古いのもあるけど、大きなのは江戸時代だね。
百曲り街道の辺りは江戸時代。古いのは、東福田の辺りかな。鬼頭景義がやった。でも江戸時代。以前のものは、河川改修に伴うものが多いとおもうけど。
司会:
なるほど。
池田:
まず川の河口の整理に始まり、海の干潟に出て行った。そこに新たに土地を作るということを考えた人がいるかいないかだと思う。
司会:
その辺りの細くてまっすぐな道はもともと堤防なんですか?
池田:
堤防だったものが多いと思う。
司会:
そういうものが一等国道になることもあるのですね。
池田:
そうだよ。私の古道の本の中で福田新田を歩くルートを紹介している。昔の東海道というのは、東の方は現在の「東海通」なんだね。昔、東海道だったからそういう名前をつけたと思うよ。
司会:
南陽に入るところまでが「東海通」だったんですよね?どこまでつながっているのでしょう?そして、今でもまだあるんですか?
池田:
市内はあるよ。その西側も今でも残っているんじゃないかな。ただし、いろんな道路規格になってるかも。
司会:
港区で働いていたけど知りませんでした。
池田:
ずいぶん勝手なことばかり言ったけど、細かい数字は確かめないと間違っているかも知れないよ。それと、まずいところは適当にカットしてくださいね。
ミナトガタリ なごや古道・街角案内人
第9章 国道 東海道(現在のページ)
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