名古屋市港区役所 電話番号:052-651-3251(代表) 南陽支所 電話番号:052-301-8118 所在地、地図
会場中央から東会場を望む(「名古屋汎太平洋平和博覧会誌」上巻より)
会場中央から西会場を望む(「名古屋汎太平洋平和博覧会誌」上巻より)
司会:
先ほども少し出ましたが、港区のハイライトともいえる汎太平洋平和博覧会について教えてください。
「汎太平洋博覧会」
「汎太平洋平和博覧会報告書」より
◆画像の解説:汎太平洋平和博覧会の会場配置。平和塔と平和橋(一部残存)があった
池田:
あれは新しい名古屋駅ができかけた昭和9年頃に話が出たと思う。
中川運河は昭和6年ぐらいにできたのだけど、収用した土地が売れないからどうしようかと いう話もあった。
中川運河も最初は発想が違うんだけど、昭和の初めという絶不況の時期に計画がすすめられていた。この時期は、市は町村の大合併の後で、都市開発が進んでいた時代なんだ。手法としては区画整理なんだけども。こういう機運が高まると区画整理組合間で競争になる。
それで良い条件を提示して先んじて事業に取り組みたいというところが多かった。具体的には何らかの目玉を作る。たとえば、土地 所有者の寄付でできた東山公園の手前の区画 整理では地価が一気に数十倍に跳ね上がったらしい。
司会:
そうなんですか!
池田:
特に名古屋の区画整理は凄かった。大正10年に合併した後に元々の市域が4倍になったところだからね。
ただ、旧法の区画整理の枠組みだったから公園があまり整備されなかったんだけど。そういう問題はあったけど活気はあった。
司会:
不況だけど。名古屋は上がり調子だったんですね。そういった状況で昭和初期にかけていろいろなものが整備されて行きましたよね。
池田:
世の中は不景気でも儲かってるところはあるということだね。
司会:
その影響で昭和12年に汎太平洋平和博覧会が開催されたのでしょうか?
池田:
いや、そうじゃなくて、記念碑かな。
私は今も調べているのだけど、なぜ名称を「平和博」にしたか。
当時は日中戦争の直前で社会的にもそういうムードだったわけだ。そりゃ、陸軍は怒るでしょう。そもそも、名古屋は軍需産業が盛んだった。そういうところを敵に回すって危険性を考えないはずがない。
司会:
それはそうですよね。
池田:
一部ではこんな話があるんだよね。もう軍需産業はただの民間企業ではない。とにかく生産しなきゃいかんから軍が頼むからやってくれって。だから断ろうと思っても断れなかった。ある企業が軍からの圧力で無理やり作らされて潰れちゃったってこともある。アツタ号もそれでつぶれたと言われている。
そのくらい軍需産業は国と一体的だったし、都市産業の礎でもあった。でも、名古屋には陶磁器産業とか繊維産業が多くて重工業はなかった。東京、大阪は重工業で栄えたことを考えると名古屋は遅れていた。
とにかく重工業を、ってことで運河の整備が出てきて、偶然だけど、その延長線上に汎太平洋平和博覧会があったともいえるかな。
司会:
時期を同じくして空港とかゴルフ場の整備も進んだのですよね。
池田:
あれは昭和2年に名古屋商工会議所の役員会で伊藤次郎左衛門が「名古屋も、随分、国際化してきたけども足りないものが 3つある。西洋式のホテルとゴルフ場と国際空港だ」と言ったことがはじまりとされている。
経済界が動いて最初にできたのが名古屋観光ホテル。それから数年後にゴルフ場が和合にできた。で、国際空港だけは行政の仕事だから遅れることになった。
でも、県に財界と名古屋市が協力して10号地にとりあえず仮で作った。しばらくして11号地に作ったんだ。残念ながらあまり国際線は飛ばなかったのだけどね。でも大連に飛んでたというから、国際線なのか国内線なのか数便は飛んだみたいだよ。とにかく滑走路は凸凹で危なかったみたいだけど。
司会:
古い滑走路は、もともと空見のあたりに作ったんですよね。
池田:
そう。まず仮設が10号地にあった。その後に作られた11号地のところも雰囲気が残ってるね。
「名古屋国際飛行場」
「名古屋港築港誌」4期計画(部分・一部加筆)
◆画像の解説:名古屋港の国際飛行場位置。10号地に仮設。本設は11号地
司会:
滑走路が、ですか?
池田:
いや、中は確認できない。もう跡形もないはずだけど。
あと水上飛行機が飛んでいた水面部分もある。当時は重要だったんだ。で、当時の水上飛行機の発着所が残ってる。金城埠頭のメイン通りの西側にちょっとした四角い所がある。
司会:
そうなんですか。でもあまり長くは稼働しなかったんですよね?
池田:
戦争のころは暫く使ったんだけど。空域の問題があったらしい。慌てて作った空港だったから、いろいろ問題があったんだろうなー。
司会:
空港としては物凄く短かったんですね?
池田:
そうそう。要するに空港を作るというより埋め立てて・…という感じで、ほんとに小さなものだった。管制なんてあったのかなー?
司会:
お話しが戻りますが、汎太平洋平和博覧会は国内初の国際博覧会だったんですよね?
池田:
「国際博」ってどこで線を引くかってことなんだけど。
大規模な外国の参加があったということだね。それまでも国の開催する博覧会が5回あった。1 回目から3回目までは上野でやって、4回目は京都でやった。その博覧会会場の跡地で平安神宮を作った。で、5回目を今の大阪天王寺公園でやった。その時に海外のものを扱ったという話があるから、外国のものを出品するだけだとその頃にもやったことになる。
逆に、国としての公式参加は平和博でもなかったんじゃないかな。平和博は、国を対象に募集したということが初めかなー?
司会:
ほう。
池田:
平和博はね、図書館に行くと平和博の報告書があって、細かいことを知ることができる。
名古屋市長が30分にわたって NHKラジオで放送した原稿なども読むことができる。当時の大岩市長が今でいうゴールデンタイムに全国へ発信した。名古屋の博覧会はこうだと。
これは貴重だよ。民放もNHK第2もない、一つの放送局だけの時代だからね。ただラジオを持ってない家もあったけどね。それを読むと大岩市長の志が分かる。
司会:
なるほど。
池田:
それから、博覧会の総裁になる東久邇宮は名古屋にいたことがあった。2,3 年前 に。2年か3年くらい。軍の将校として滞在していたんだ。
司会:
東久邇宮は当時陸軍中将だったけど、平和博覧会の総裁になるんですね。
池田:
彼も20代のころは戦争推奨派だった。それが後になると戦争に反対の平和派になる。名古屋に滞在したことが関係するのではないかと思っているんだけど。ここには興味があるところだね。私は、「平和」という言葉を付けたのは宮様じゃないかなと思っている。
司会:
そうなんですか。実際に閉会の2か月後に戦争が始まりますもんね。
池田:
そう。だから、そんな時に「平和」とわざわざ掲げたということかなー。それも陸軍中将だよ。
司会:
陸軍としてはやはり支持していないですよね?
池田:
絶対に反対の立場だよ。これから軍事予算を増やしていくって時に「平和」だなんてね。だけど、皇族の陸軍中将が総裁では、軍も公式には反対できなかったらしい。
司会:
その頃はもう、普通の人がそんなことを言おうものなら憲兵に連れていかれますよね。
池田:
まだそこまで強烈ではなかったと思うけどね。だけど、やはりそんな時にテーマとして掲げることではない。だから大岩市長か東久邇宮ぐらいの人じゃなきゃ主張できなかったと思う。
司会:
ちなみに、博覧会には中国とアメリカも参加していたんですよね?
池田:
どうだったかなー。たぶん参加してると思うよ。
ただ各国の参加にあたっては涙ぐましい努力をしてる。それも博覧会の報告書に書いてあるよ。とにかく在外公館や企業の支店を使って「1 品でもいいから出してくれ」というように、ね。
でも国家として考えれば出たものは少なかったと思う。向こうのお金持ちが「じゃあ俺のコレクションからこれを出すわ」ってものも1国に数えてるんだ。でも、それは、もう、苦心の作だよ。 とにかく一生懸命にやったみたいだよ。大義を説明して、民間の人が中心になって、誘致したんだ。
司会:
こんな一大事業は地元が官民挙げてやるんだと。
池田:
民の方が全面的に応援体制だった。だからそれだけのことやっておきながら、歴史のかなたに葬り去られることはもったいないよね。
司会:
会場となった現在の港北公園周辺はそのために造成されたんですか?
池田:
もともとは干拓地だね。干拓で造ったんだけど、当時は葦が生えて使えない土地になっていた。そこに土を入れて使えるように造成した。
司会:
博覧会が終わった後は、基本的には重工業政策の観点から企業に払い下げしていったんですよね。
池田:
博覧会で有名にはしたけどもあまり売れなかったみたい。東邦ガスが買ったのも義理だったかもしれない。
司会:
ただ同然で払い下げられたのかと。
池田:
そうじゃない。売れない土地を買ったの。
司会:
今、港北公園があるところは、基本的には工場がいっぱいあったんですか?それが無くなったから公園にしたんですか?
池田:
ま、そういう事だろうね。昔はガスの大きな基地もあったから。
司会:
それによって発展したってことですか?あの一帯は。
池田:
前には何もないからね。そういう意味では発展したって事かな。あと路面電車が博覧会用に作られたでしょ。あれは大きいよね。あれが地下鉄名港線のルーツだから。
司会:
江川線にあったのでしょうか?
池田:
そう。その前は一本東、違う線しかなかったからね。現在の国道154号線が名古屋港への メインルートだった。でも熱田の方の渋滞があるから避けられて。今の江川線から入る道が メインの道路になったんだろうね。
ミナトガタリ なごや古道・街角案内人
第7章 汎太平洋平和博覧会について(目次)
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名古屋市港区役所 所在地、地図
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