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ミナトガタリ 第10弾なごや古道・街角案内人 第5章 鉄道と港湾

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このページを印刷する最終更新日:2016年9月26日

ページID:83461

第5章 鉄道と港湾

現在の名古屋駅の様子

司会:

今度は時代を進めまして、明治時代の築港について教えてください。

池田:  

立派な港ができたのは、この地域にとってとても重要なことだよね。

そもそも、港には2つのタイプがあって天然の良港と遠浅を浚渫して港湾にするものとがある。

よく言われるのが、どうして名古屋港は名古屋から遠くて寂しいかってことなんだけど。天然の良港じゃなくて遠浅の海を掘って作ったものだから。

つまり名古屋は港湾から発展した都市じゃないんだ。だから港町のロマンがないっていうのは当たり前なんだよね。もともと人も住んでない所だったわけだし。

司会:  

どうして名古屋港を作ろうという考えになったのでしょうか?

池田:  

明治20年ころの名古屋市には非常に大局的にものを考えた人がいた。そして名古屋という都市には鉄道と港湾が必要ということを主張した。今の人は名古屋に港が要るって危機感はないかもしれないけど…。

司会: 

まずは、東京と大阪をつなぐ鉄道ですね。国としては、本当は中山道の方を通したかったと聞いたことがあります。

池田:  

国としてはね、最初そんな計画を立ててたんだけど。もともと計画は 2つあったの。東海道か中山道か。山県有朋が東海道ルートは海から攻撃を受けた時に困ったことになると進言 して中山道ルートですすめることになった。これはだいたい明治16年に決まった。

でも、実際に中山道で作ろうと思ったら課題があったみたいでね。なかなか進まなかったんだ。そこに名古屋区長の吉田禄在が中山道は大変だ。それに「名古屋をパスされては困る」って思って動いた。

司会:

ほう。

池田:

それで東京に交渉に行ったんだよ。その頃には国の方でも東海道がいいという意見もあった。一般に言われてるほど名古屋が国を動かしたっていうことではないと思うけどね。

司会:  

それで広小路通を、市民の寄付で西に延長して、国を動かしたという美談がありますよね。

池田:  

当初、駅はまず熱田に作る予定だったのかな。国は明治の初期から東海道ルートの調査をやってるんだけど、熱田のところに港を作って東海道とつなげようという案もあった。中山道は港がないから東海道なら熱田に作りたいという考えもあって、熱田に駅を作ることが考えられていた。

ところがそこに港ができそうにないって分かって、10年後に、もっと北へ駅を持っていって、そこまでは運河を掘ることにしたんだ。

司会:

すごい計画ですね。

池田:

今では当初の熱田駅周辺は何もなくなってるけど、地図を見ると、ここを想定していたんだなということが分かる。だいたい、昔、東海道ルートを計画した時はほとんどが街道との主要な交点にしか駅を作らなかったんだね。

名古屋城下にも駅の候補はあったみたいだけどでも、吉田禄在が何とか笹島にと。笹島には一応「柳街道」って道が通っていた。しかし細々とした街道なので、駅設置の交換条件として、広小路を延伸するって話が出てきたんだろうな。    

池田

結局、吉田禄在が名古屋駅も、名古屋港も、その構想を考えたといえる。皆市域外だったけれど、昔の人はえらくて行政の境なんか目ではなかった。

将来を考えれば、都市には駅がいる、港がいるんだと。だから、自分のところに権限がないから、国に建白したんだね。    

司会:  

港湾は、もともと吉田禄在が主張していたんですね。

池田:

そう。当時の人はできると思ってなかったかな。国も四日市や武豊に天然の良港型の適地があることはわかっていたわけだし。 東京と横浜。大阪と神戸、の時代だから。

司会:  

エリアとしてはそれでカバーできそうですもんね。

池田:      

だから禄在は県を動かすなど、頑張ったということだよね。

司会:  

奥田助七郎さんという方が活躍されたんですよね。

池田:  

奥田さんはそのあとの工事が中心だよね。実際に作った人として名が残っている。そのもっと前から構想されていたんだよ。

司会:  

吉田禄在さんが考えたってことってなんですか?

池田:  

禄在だけじゃないけど、彼は中心になって動いたひとだよね。ちなみに吉田禄在はそのあと覚王山の日泰寺の誘致もやってるんだ。あれはまとめ役にさせられたって感じかな。地元の重鎮だったからね。

司会:  

交通の要衝が外れちゃうというのは都市として死活問題ですよね。例えば奈良なんかはかつては都だったけど今はぽつんとしているとか。

池田:  

だから、そういう意味では名古屋駅を引っ張って来たってことは物凄く大きかったね。それもいい位置に。今思えば駅としてはベストな位置じゃないかな。        

司会:  

もともと汽車だから郊外も通る想定ですもんね。人が住んでるところを突っ切っていくのは現実的ではない。

池田:  

鉄道の設置条件は、人の住んでるところは避けることと勾配に配慮すること。1%以上勾配があると難しい。

よく言われるのは、岡崎の街は国鉄の駅から4kmくらい離れてるんだけど、あれは住民が反対したとかじゃなくて、勾配が 1.7%あったからなんだ。それで1%に抑えなきゃいけないってことでわざわざ幸田に回った。

つまり鉄道は勾配に弱いから名古屋のあたりは比較的平坦で都合が良かった。

司会:

そんなに勾配に弱いというイメージはなかったです。

池田:

例えば、1%の勾配と言うことは、5mの高低差があるとしたら500m先から登ってくるということ。特に貨物列車が弱いんだね。客車だけならまだ大丈夫だったけど、広域の鉄道を引こうと思ったら貨物を想定しなくてはならない。

勾配が1%以上になると後ろに機関車付けて2つで行く。3つのものもあったよ。昔は3重連って言ったんだけど、機関車3台で引っ張るわけ。編成は勾配によって違った。だから東海道線だと御殿場の辺りは無理があるんだね。そこだけは機関車を複数使って対応していた。

司会:  

結果的には名古屋駅だけじゃなくて熱田とか金山の発展にも寄与するルートができたんですね。

池田:  

当時はあまり人が住んでいないところという意味では、今でいう金山のくぼみところがうまく使えたんだね。熱田と名古屋を結ぶのがここしかなかったんだ。

司会:  

だから空いたところを利用してったっていうのが金山なんですね。

池田:  

金山のくぼみは、後で中央線を通すときも利用されたんだ。

司会:  

大きな話としてとらえれば、城下町と新設の駅周辺と都心から港という位置関係が産業都市名古屋を発展させたわけですね。ただし、戦後は名古屋港がどんどん沖合に展開していった。

池田:  

とにかく港の町として大誤算だったのは、高度成長期に港湾機能を拡充するにつれて港まちが衰退したということ。

港まちを変えたもの。…これはコンテナ化ですよ。コンテナ化して船員がうんと少なくても良くなった。

要するに昔は荷役をするために凄く人が要った。その人たちが荷役を出し入れするのに何日かを要したんだ。その間船員はブラブラ遊んでたんですよ。それが港町を作っていった。

ところがコンテナになったから1日いることが少なくなった。荷物の積み下ろしがあっという間に終わってしまうからね。船員も荷役をする人も少なくなる。それでは港まちができない。

司会:

なるほど。

池田:

だから昭和30年代 はセーラーさんがいっぱいいた。独特の情緒を持った町だったが、コンテナ化がすすむと誰もいなくなった。

ところがそのころ、名古屋港にはちょうどタイミング良く地下鉄ができた。コンテナ化で外から人が来なくなったことと、地下鉄ができたことで、一気に住宅適地になっちゃった。で、結局、港町は消えちゃった。

司会:

地元の方もそういったことをおっしゃっていました。

池田:

神戸も客船が来ない限り港町ではない。でも名古屋港は完全にギブアップしたもんでもないね。現在では、何百人何千人と乗ってくる客船をどうやって対応するのかという課題ができたね。2、3 日くらい停泊するときもあるのだから観光や何かを考えなくてはならない。

司会:      

国交省が金城ふ頭でお迎えプロジェクトを考えているようです。

池田:   

ガーデンふ頭にはお迎えが何にもない。やはり港まちは名古屋の印象を海外にばらまいてくれるっていう機能があるからね。客船だって名古屋に毎回来るわけではないから、もっとお迎えイベントをしてあげた方がいいんだね。あと近くに周辺の地図などの情報とかあるといいよね。

司会:  

今、ガーデンふ頭の辺りは残念ながら何もないですよね。水族館はあるけど夜ブラブラ歩くには何もないですね。最近は活性化事業をやっているので、少しずつ良くはなってきてはいると思いますが。

池田:  

地下鉄化、コンテナ化によって人がいなくなった。ちょうど周辺の工場地が住宅に変わっていったこともある。で、今どんどんマンションとか商業施設に変わってるよね。

…そこで期待しているのが、たとえば港明地区の開発には平和博のメモリアルなんかを作ってくれると良いのだけど。

まずは、何よりもあそこが「平和博」をやった土地だというのをみんなに知ってもらうことが重要だよね。一番の希望を言わせてもらえるならば平和塔のあったところを分かるようにしてほしい。

司会:  

一応、区役所で平和橋のメモリアル作ったんですけど。

池田:  

見た。見た。よかったね。

今行われている跡地開発だけれど、開発に関わる人たちがちゃんと一流ならば歴史を勉強している。これまでの土地利用を知らずして開発する人は三流だと思う。

司会:  

そういえば、商業施設のコンテンツとして、その土地の歴史を盛り込むのは効果があるように思えますね。先日 オープンした常滑のイオンは大きな招き猫をシンボルとして活用していますし。

池田:  

歴史的なシンボルとして塔か何かを活用できると良いよね。あまり知られていないと思うんだけど、平和博がどういうものだったかくらいは分かるようにしておきたいよね。それは港区の財産だし。

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