南押切学区(西区)の紹介
ページの概要:西区の南押切学区についてご紹介します。
0.202平方キロメートル
西区各学区の人口と世帯数については、下記ページからご覧いただけます。
大正6年(1917年)9月、南押切小学校の開校により誕生した南押切学区は、明治以前には押切村と呼ばれていた。「押切」の名前の由来は、「鴛鴦(おし‐おしどりの略)」の生息地に由来し、「鴛鴦喜里」と書いたという説もあるがはっきりしない。
主要産業としては、古くから伝統技術に培われた靴の製造・販売や各種のお菓子の製造がある。時代とともに店舗の数も減少しているが、靴デザイン・クラフトスクールの開設など技術伝承の取り組みも始まっている。
また、学区では毎年5月の最終土曜日・日曜日に津島神社の祭礼が行われる。山車は石取山車とよばれ、もとは江戸時代、桑名市の桑名宗社で行われていた石取祭で、河原の石を神社に奉納する際に使われた車であった。全国的にも珍しい舟形の三輪の山車がドンドンチキチキと賑やかに鉦や太鼓を打ち鳴らし学区内を巡行する。6メートルの帆に12張りの提灯が連なる。3台が並ぶ姿は壮観で、初夏を華やかに彩るまちの風物詩になっている。
各学区の活動、取り組みなどについて、活動内容や実施スケジュール、成果、課題などの点を紹介する「地域活動事例集」の中から、南押切学区の地域活動事例を紹介します。
(地域活動事例集は、地域で様々な活動に取り組まれている皆様の「他の地域の活動を参考にしたい」という声を受けて作成されたものです。地域活動の魅力向上や新たな活動に取り組む上でのきっかけとして、ぜひご活用ください。)
南押切学区地域活動事例
南押切学区の活動事例「ふれあいもちつき大会」について紹介しています。
西区各学区の地域活動事例については、下記ページからご覧いただけます。
お菓子王国といわれた愛知。その一端を担ってきた我が地域には飴菓子・あられ・おこし・ラムネ菓子・キャラメルなど駄菓子作りの工場(家内工業)が点在していました。全国津々浦々に名古屋の駄菓子を売り広めた菓子問屋さんが西区にたくさんありました。新道には卸問屋さんが軒を並べ、近在の小売屋さんが仕入れに来ていました。
しかし、時代の変遷とともにお菓子工場は減少し、今は数えるほどになりましたが、大正、昭和、平成と綿々とお菓子作りに励んで来られたお菓子工場がわが町にあります。創業当時はヨーチビスケット、金平糖、豆菓子など、現在はラムネ菓子、キャラメルなどに主力商品を変え、販路は全国はもちろん海外へも進出する優良企業に成長しました。三代目社長は、企業理念を「最大より最良の企業を目指して日々努力しています、もっと世界中の多くの人たちに夢と感動を味わっていただける商品を創り続けていきます」と熱っぽく語っておられました。
再びわが町が駄菓子の町として発展することを願っています。
南押切学区には、西区の史跡90選の神明社(祭神、天照皇大神・豊受大神)と石取神事で有名な津島神社が在ります。今回は、津島神社の「石取山車」に焦点を当ててみました。徳川時代に社地修理や流鏑馬の馬場修理のためなどに氏子たちが桑名市郊外町屋川から、川の小石を拾い入れ、車にのせ、鉦と太鼓で「ドンドン・チキチン」と打ち鳴らし、神社へ参り神前へ奉納したのが始まりといわれています。
わが町の石取山社車は昭和2年ごろに製作されたもので、昭和10年に桑名から購入して津島神社の祭礼で用いられるようになったと伝えられる。
現在3台の石取山車が有り、全国でも三輪の山車は非常にめずらしく芸術的価値も高く評価されております。今ではこの石取神事(津島神社の祭礼)のドンドン、チキチンの音を聞くと夏も間近といわれるほど初夏の風物詩になっており、そして地域の連帯、活性化、郷土愛を感じられる行事です。
(石取神事の資料は石取山車保存会さんにご協力いただきました)
西区役所区政部地域力推進課地域の魅力の発信・観光推進担当
:052-523-4525
:052-522-5069
名古屋市西区役所 所在地、地図
開庁時間 月曜日から金曜日 午前8時45分から午後5時15分まで(休日・祝日・年末年始を除く)
(注)開庁時間が異なる組織、施設がありますのでご注意ください
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