城西学区(西区)の紹介
ページの概要:西区の城西学区についてご紹介します。
0.890平方キロメートル
西区各学区の人口と世帯数については、下記ページからご覧いただけます。
慶長年間に、名古屋城が築城されて以来、城下町の一角として侍屋敷を中心に、城に出入りする商人や職人が多数生活するなど、古くから栄えた学区である。台所町、手木町など旧町名には、当時居住していた職人や商人に関係ある名前がつけられていて、昔の面影を推測することができる。
明治になると、美濃路沿いに商売を営む家々が建ち、清流が流れる江川の両側には染色工場が建ち並ぶなど、次第に商工業も盛んになった。
市電の開通と区画整理事業があいまって人口を急増させ、学区は順調に発展をしてきたが、昭和20年(1945年)の戦火により、名古屋城とともに学区の全域が焼失した。
戦後、昭和21年(1946年)に、俵、花ノ木、上宿の各小学校が統合され現在の学区が誕生している。学区内は復興土地区画整理事業による町並みの整備、地下鉄の開通などによって学区の様子は大きく変わっていった。
学区の東端には堀川が流れている。名古屋城や城下町への物資の運搬路として名古屋の発展を支えてきた。堀川に架かる筋違橋に立ち川下の方を眺めると、足元には由緒ある堀川、左手には趣のある名古屋城、そして正面には近代的な名古屋駅の高層ビル群と、過去と現在が混在したような一種不思議な光景を見ることができる。
各学区の活動、取り組みなどについて、活動内容や実施スケジュール、成果、課題などの点を紹介する「地域活動事例集」の中から、城西学区の地域活動事例を紹介します。
(地域活動事例集は、地域で様々な活動に取り組まれている皆様の「他の地域の活動を参考にしたい」という声を受けて作成されたものです。地域活動の魅力向上や新たな活動に取り組む上でのきっかけとして、ぜひご活用ください。)
城西学区地域活動事例
城西学区の活動事例「大規模災害が起きた時の住民の助け合い作り」について紹介しています。
西区各学区の地域活動事例については、下記ページからご覧いただけます。
城西学区は名古屋城の北西に位置し、城下町として古くから栄えた町である。名古屋で唯一校庭から名古屋城が見える城西小学校も歴史が古く、2013年(平成25年)には創立140周年を迎える。
子どもたちが遊び、学区住民の憩いの場である公園が、学区内には10箇所以上あり、鷹匠(たかじょう)、紙漉(かみすき)、台所(だいどころ)など一風変わった公園名となっている。これらの名前は、現在、使われていない旧町名に由来している。例えば、おてこ公園はかつての手木(てこ)町にあり、御手木(おてこ)の者(土木、建築にあたった人)が住んでいたことを表している。公園名からは江戸時代の城下町の生活がしのばれる。
慶長年間に名古屋城が築城されて以来、城下町の一角として侍屋敷を中心に、城に出入りする商人や職人が多数生活するなど、古くから栄えた学区である。
戦後、1946年(昭和21年)に俵、花ノ木、上宿の各小学校が統合され、現在の城西学区が誕生した。
1981年(昭和56年)に地下鉄伏見‐浄心間が開通し、1984年(昭和59年)に地下鉄浄心‐庄内緑地公園間が開通し、学区の生活環境は大きく変貌した。
2007年(平成19年)に江川線の高架に名古屋高速6号清須線が開通したが、高架下の道路は電線などが地中化される予定である。やがて江川先の道路景観も一変することであろう。
2010年(平成22年)に学区内に区役所と保健所、在宅サービスセンターの複合施設が完成した。既存の図書館・文化小劇場とともに、西区の福祉・教育・文化の拠点となった。この施設の完成に伴って、地域巡回バス(西巡回・栄‐栄)が運行し、学区内に「城西三丁目」の新設停も誕生した。
西区役所区政部地域力推進課地域の魅力の発信・観光推進担当
:052-523-4525
:052-522-5069
名古屋市西区役所 所在地、地図
開庁時間 月曜日から金曜日 午前8時45分から午後5時15分まで(休日・祝日・年末年始を除く)
(注)開庁時間が異なる組織、施設がありますのでご注意ください
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