江西学区(西区)の紹介
ページの概要:西区の江西学区についてご紹介します。
0.509平方キロメートル
西区各学区の人口と世帯数については、下記ページからご覧いただけます。
明治37年(1904年)に日本陶器合名会社(現、ノリタケカンパニーリミテド)、続いて明治42年(1909年)に豊田織布菊井工場の創業により発展し、大正13年(1924年)に則武小学校・新道小学校から江西小学校が独立して誕生した。
江西学区は昭和20年(1945年)の空襲により焼失した区域と戦災にあわなかった町が入りみだれた昔からの町並みと、新しい息吹の町が生まれつつある。特に住宅棟が次々と建築され、さらに超高層のルーセントタワーの進出、名駅と牛島とを結ぶ西区最初の地下連絡歩道が建設されるなど活気がみなぎっている。
江西学区は、豊田家と関係が深く、学区創立25周年記念事業には江西小学校同窓会として豊田家にお願いして「貴重な豊田佐吉翁の胸像」を拝受し、小学校に建立され現在に至っている。
また、ノリタケ創業百周年の記念事業として水景施設もある「ノリタケの森」が実現し、市内はもちろん全国各地から多くの人が来園する名駅北の人気スポットとなっている。
各学区の活動、取り組みなどについて、活動内容や実施スケジュール、成果、課題などの点を紹介する「地域活動事例集」の中から、江西学区の地域活動事例を紹介します。
(地域活動事例集は、地域で様々な活動に取り組まれている皆様の「他の地域の活動を参考にしたい」という声を受けて作成されたものです。地域活動の魅力向上や新たな活動に取り組む上でのきっかけとして、ぜひご活用ください。)
江西学区地域活動事例
江西学区の活動事例「青チャリパトロール隊」について紹介しています。
西区各学区の地域活動事例については、下記ページからご覧いただけます。
江西小学校正門横に学区の宝物がある。豊田佐吉の銅像だ。佐吉が亡くなった後、淺子夫人が粘土で作り上げ、それをブロンズで鋳造した物だ。像の後ろには「昭和10年立秋淺子作」と刻んである。
像が江西小にやってきたのは、終戦後間もない昭和24年。同窓会のメンバーが中心となり、豊田家に願い出た成果だった。「敗戦後の日本復興を進めるために、子どもたちが、佐吉のようにあきらめることなく、チャレンジしていく大人に育って欲しい」という強い思いが豊田家を動かしたという。願い実現の背景には、佐吉の弟で江西小初代PTA会長佐助の力が働いたと思われる。佐助邸は東区「文化の道」に残っている。東区に邸宅をもつ佐助であったが、江西小が開校したころには、戸籍上では「西区西藪下1の9」が住所であった。現在のCBCハウジングセンターの場所である。そこは、かつて、豊田の試験工場、菊井工場があった。豊田佐助は工場内に籍を置く学区住人だった関係で、学区区政の一員としてPTA会長も務めていたのである。
同窓会を中心とした学区の人々の思いと佐助との縁が、江西小に宝をもたらした。今も、佐吉の銅像は、正門を通る子どもたちや学区の人々を見つめている。
Q1 江西という地名の由来は?
1以前あった「江川」という用水路の西側にあったから 2中国の江西(こうせい)省と姉妹都市だから 3「えぇーとこだね、西区は!」の略語
Q2 江西学区は豊田織機や豊田紡織などのトヨタグループと縁が深いので、江西小学校の一隅に、ある人物の貴重な銅像があります。その人物とは?
1豊田佐吉 2豊田喜一郎 3トヨタこども店長
Q3 江西学区にある40階建ての超高層ビル「ルーセントタワー」と栄のテレビ塔、どちらの背が高い?
1ルーセントタワーが高い 2栄のテレビ塔が高い 3ほぼ同じ高さ
Q4 江西学区にある「ノリタケの森」とナゴヤドーム、どちらの敷地面積が広い?
1ノリタケの森が広い 2ナゴヤドームが広い 3ほぼ同じ広さ
Q5 平成22年度、名古屋市内で8つしかない「地域委員会モデル学区」の江西学区。地域委員会にて決定され、皆さんが安心して暮らせるように結成されたのは?
1健康防犯パトロール隊 2歴史探索隊 3ジャニーズ少年隊
(答え Q1:1 Q2:1 Q3:3 Q4:2 Q5:1)
西区役所区政部地域力推進課地域の魅力の発信・観光推進担当
:052-523-4525
:052-522-5069
名古屋市西区役所 所在地、地図
開庁時間 月曜日から金曜日 午前8時45分から午後5時15分まで(休日・祝日・年末年始を除く)
(注)開庁時間が異なる組織、施設がありますのでご注意ください
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