岩塚宿散策コース(詳細)
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名古屋市中村区役所 郵便番号:453-8501 名古屋市中村区松原町1丁目23番地の1 電話番号:052-483-8161(代表) 所在地、地図
境内に足を踏み入れたとき、見事な禅寺の風格を備えた庭園が眼前に広がります。放生池を中心に、スケールの大きい岩組み、松樹豊かな中之島等市内でも屈指の名園といえます。本堂の前に織田信長が子どもの頃、手習いで真っ黒になった草紙を枝に掛けて附近の子どもたちと遊んだという、信長草紙掛の松があり、石碑が建っています。
祭神天照大御神。稲葉地城址の碑があります。稲葉地城は織田信長の伯父津田豊後守の居城。四代小藤次が京都本能寺の変で戦死し、以後廃城となったと伝えられます。
祢宜町の塩屋利兵衛が再興したと伝えられます。利兵衛は新田の開発にも努力し、港区福田新田の浄恩寺は二男長賢の創建。境内のイチョウ、モミ、マツ等の庭木が訪れる人の心をなごませてくれます。
通称花ノ木神明社。祭神天照大御神。稲葉地旧下ノ切の氏神で春日、八幡、秋葉、大日の諸社も祀ります。境内にクロマツ、ケヤキ等の保存樹があります。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)始め7柱の神を祀るので、古来より七所社といわれます。旧暦1月17日に行われる尾張三大奇祭の1つ、きねこさ祭で有名。境内に平安朝初期のものといわれる円墳があり、また、日本武尊は東征の帰路伊吹山に向かうとき、川の渡し船を待つ間、腰をかけて休まれたと伝えられる「日本武尊腰掛石」もあります。伝説の真偽はともかく、岩塚が昔から交通の要衝の地であったことがしのばれます。
本尊は行基作と伝えられる子どもを守る仏様地蔵菩薩。この地蔵様にサラシを掛けて安産を祈願し、戌(いぬ)の日にこれをはずして体につける妊婦も多い。
尾張徇行記に、「此村ハ佐屋街道駅場也、名古屋ヘ二里、熱田ヘ四里、神守ヘ二里九町アリ、・・・」と書かれているように、佐屋街道の宿場として、寛永13 年(1636年)に設けられました。本陣、問屋場、旅籠屋も設けられにぎわったものと思われますが、当時をしのぶことができるものは、何も残されていません。
この寺の境内はもと岩塚城があった所。岩塚城は吉田氏代々の居城であったが、慶長5年(1600年)清須城主福島正則によって滅ぼされたといわれます。境内のイブキの巨木は区内で最初に指定された保存樹で、その立派さは人々の目をうばいます。本尊阿弥陀如来立像。
往古は横井山の北あたりにあり、天正の頃、この地に移転。横井村は横井氏発祥の地であり、この寺は横井氏の菩提寺であったとも伝えられています。本尊阿弥陀如来立像。
旧下小路の守護神。本殿は亀甲積塙上にあり、鞘堂内にある。なお、八社学区の名のゆかりである。
薬師寺は岩塚薬師ともよばれ、薬師如来を祀り、京都・奈良の薬師如来七仏(興福寺、秋篠寺、薬師寺、法輪寺、東寺、神護寺、延暦寺の七仏)の巡拝も行われています。この寺に布袋尊があります。布袋尊は弥勒菩薩の化身。
昭和初期まではこの地は松並木が続き、春の摘草の好適地として、また遠足やキャンプにとにぎわった名古屋随一の水辺でした。戦後、かつての面影を取り戻そうと整備が進められ、今では新しい区民のいこいの場となっています。春、人生記念樹の346本の桜が一斉に花開く様はまるで桜の花のじゅうたんを敷きつめたようです。
「一楊しょう御厨舊地」の碑があります。一楊荘は稲葉地から下之一色に至る広い荘園で、その一部は伊勢神宮の御神領地で御厨とよばれていました。この宮は一色城主前田氏の祈願所であったといわれ、戦前まで、この地方で行われていた嫁獅子が奉納されていました。
中村区役所区政部地域力推進課地域力推進担当
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名古屋市中村区役所 所在地、地図
開庁時間 月曜日から金曜日 午前8時45分から午後5時15分まで(休日・祝日・年末年始を除く)
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