日比津・大秋の里散策コース(詳細)
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名古屋市中村区役所 郵便番号:453-8501 名古屋市中村区松原町1丁目23番地の1 電話番号:052-483-8161(代表) 所在地、地図
幼児の守護神といわれ、安産の神様として敬愛を受けている塩土老翁命(シオツチノオジノミコト)を祀ったこの神社の10月の祭日には、栄生町かいわいのみならず、西区の方からも多くの人が集まり、沿道いっぱいに露店も出て大層なにぎわいをみせます。境内にはムクノキ、タブノキ等の保存樹があります。
堂々たる門構え、ひときわ立派な鐘楼が目をうばいます。「山田荘」の銘がある梵鐘が保管されていて、古くはこのあたりまで山田荘であったことがしのばれます。本尊十一面観世音。曹洞宗。
慶長15年(1610年)、今市場(現・名古屋城敷地内)といった所にあったのを、名古屋城築城に際して、普請奉行の1人、佐久間河内守がこの地に移したと伝えられます。広い境内にはクロマツ等の古木が多くあり、また、遷座当初のものといわれる元和2年(1616年)の銘の燈篭もあります。
上古、国司長官が参拝して着任を申告したという由緒ある神社。祭神少彦名命(スクナヒコナノミコト)。当社の由緒記は、当氏神少彦名命は神代の昔大国主命 (オオクニヌシノミコト)と力を合わせて天下を治められたが、人々のために病を治す方法を定めた。特に鳥獣昆虫の災害を払うための方法を定め、それにより、百姓はその恩恵を今に至るまでこうむっている、と伝えています。
古来より歯痛を治すことで知られ敬われているこの社は、この地方開墾の際、加賀の白山より勧請し、産土神として里人が祀ったのが創始と伝えられています。参道に沿って多くの木が繁り、春にはこれらの花が見事です。
道徳才学兼備、和歌、茶道をよくし、幕末の頃、身延山六十世貫主であった高僧日潤が住持したこの寺は、神仏混交の寺として特徴があります。当寺の番神堂には、伝教大師の作と伝えられる天照大神、八幡大菩薩、春日大明神の三体の他三十体の尊像が、永く諸人に利益あらんことを願って鎮座しており、多くの人に敬われています。
当寺は初め静岡県狩野村にあったが、火災により焼失。その頃、日比津村に吉田茂左エ門という人がいて、先祖菩提のため一寺建立の発願をして、明治33年に妙聴寺をこの地に移転し、妙行寺及び同村の定徳寺の壇家を信徒に迎えたと伝えられます。
往昔、軍事上の要衝の地であったこの地方には、日比津城と栗山城の二城があり、大円寺は日比津城主の菩提寺でした。境内に城主野尻掃部の墓である宝篋印塔と五輪塔があり、五輪塔地輪に刻まれた「貞治4年(1365年)3月18日」の銘は市内最古の石塔紀年銘です。境内右方にあるクロマツの古木は一見に価します。
1,100本以上もの芳香植物が植えられた中村公園の香りの園。四季それぞれの自然の移りかわりを花の香により楽しめるこの園は、昭和51年に開園しました。バラ、ツツジ、フジ等の色とりどりの花は、香りとともにあわただしい都会生活を忘れさせてくれます。
簡素な美しさを醸す庭に、「夏の月 すずしき方へ おもむかん」「さくら咲 山やした行 鐘の声」と刻まれた二つの句碑がひっそりとたたずんでいます。同寺にはさらに、お釈迦様の足跡を石に刻んだ「仏足石」もあって、拓本等のために訪れる人も少なくありません。本尊阿弥陀如来座像。法然上人絵伝は県指定の文化財。
旧中野村の氏神。若宮旧記によれば、若宮八幡境外末社にして、若宮これを支配す、とあります。イチョウ、クスノキ等保存樹の大木があり、明和8年 (1771年)鶴田信吉による石燈篭が残っています。
古書に、「則武の荘に八幡社三社あり、その中で本社最も古く、今川氏附属の大秋重郎左衛門が此地に住みたる故に附近を大秋という」とあります。明治の頃まで盛んに行われていた梯子獅子は、「大秋の梯子獅子」として有名でした。境内に近郷の若者達が石を持ち上げて力比べをしたという「力石」があります。
中村区役所区政部地域力推進課地域力推進担当
:052-433-2741
:052-433-2086
名古屋市中村区役所 所在地、地図
開庁時間 月曜日から金曜日 午前8時45分から午後5時15分まで(休日・祝日・年末年始を除く)
(注)開庁時間が異なる組織、施設がありますのでご注意ください
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