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小谷剛

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このページを印刷する最終更新日:2023年1月6日

ページID:139417

〈小谷剛〉戦後復活した最初の芥川賞作家。産婦人科医でありながら、多くの文学者を育てた名伯楽。

小谷剛

「確証」小谷剛著(昭和24年9月27日発行 改造社)
第21回芥川賞受賞作品
芥川賞受賞記念 懐中時計

プロフィール

氏名

小谷 剛(こたに つよし)

中川区内のゆかりの地

中川区石場町(産婦人科医院)

人物の紹介

 大正13(1924)年、京都市で生まれ、父の転勤に伴い名古屋に移り、昭和12(1937)年、東海中学へ入学しました。中学1年生の時には、小説を書いて国文法の先生に褒められたこともあったと言われています。

 昭和17(1942)年、名古屋帝国大学付属医学専門部に入学し、昭和21(1946)年には中川区石場町に産婦人科医院を開業しました。同年、雑誌「文化人」に初の小説「こわい女」を発表し、昭和23(1948)年には、有志者らと共に同人雑誌「作家」を創刊しました。「作家」11号で発表した「確証」は、昭和24(1949)年に戦後初となる第21回芥川賞を受賞しました。

 その後、小谷主宰の「作家」の同人は全国的な規模にまで広がり、同人である藤井重夫が昭和40(1965)年、「虹」で直木賞を、豊田穣が昭和45(1970)年、「長良川」で直木賞を受賞するなど、直木賞や芥川賞受賞者を何人も輩出しました。そのほか、「作家賞」という文学賞を設け、地道に作品を書き続けている全国の作家たちを奨励し、後進の育成にも尽力しました。この賞は、昭和40(1965)年当時、芥川賞と同額の十万円の賞金が授与されることで話題にもなりました。また、長続きしないのが常識という同人雑誌の世界で、「作家」は小谷の逝去後暫くまで45年間もの間続けられ、516号まで刊行、歴史に残る全国屈指の同人雑誌となりました。
 平成3(1991)年、自伝的長編小説「絆よ」を執筆中に、結腸癌のため66歳で逝去しました。

 代表作は「確証」「不断煩悩」「冬咲き模様」「連獅子」など。
 

小谷医院

中川区で開業していた産婦人科医院

同人誌「作家」

(手前から)
「作家」3号 昭和23年6月1日
「作家」75号 昭和29年11月1日
「作家」77号 昭和30年1月1日
「作家」300号 昭和49年1月1日
いずれも編集・発行 小谷剛、作家社発行

資料提供

文化のみち二葉館(外部リンク)別ウィンドウで開く(郵便番号461-0014 名古屋市東区橦木町3丁目23番地 電話番号:052-936-3836 ファックス番号:052-936-3836 )

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『中川区人物事典』とは、中川区で誕生や活躍などされたゆかりの深い偉人、有名人を紹介するものです。

中川区ゆかりの人物について、区民をはじめとする多くの市民に知ってもらい、人物を通して区の歴史や文化、産業を再発見し、地域への関心を高める目的で実施しています。

(注)掲載されている写真や文章等を、無断で転載、複写することを固く禁じます。

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