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横井庄一

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このページを印刷する最終更新日:2018年5月31日

<横井庄一>グアム島で28年間、陸軍軍人としてサバイバル生活を送った不屈の残留日本兵。

横井庄一

写真提供:横井庄一記念館

プロフィール

氏名

横井 庄一(よこい しょういち)

中川区内のゆかりの地

富田町千音寺の「横井庄一記念館」

人物の紹介

 大正4(1915)年愛知県海部郡佐織村(現愛西市)で生まれました。
 昭和16(1941)年に二度目の召集を受け、満州を経て昭和19(1944)年からはグアム島に配属されました。同年8月には全島がアメリカ軍に落ち、同月に戦死したとされ戦死公報が届けられました。昭和20年(1945)年のポツダム宣言受諾により日本軍の無条件降伏が発令されたことも知らず、ひたすら潜伏して飢餓と病に苦しむ28年間の苦難の戦いが始まりました。
 砲弾の破片を木の先に縛り付けて、それをシャベルにして穴を掘り潜みました。主食は、パンの実を中心とした木の実でしたが、手に入れるのは難しいことでした。タンパク質は、野ぶた・ネズミ・トカゲ・川エビなどからとりました。村人の食糧には決して手を出さず、これで長期間発見されませんでした。細工した竹をこすり合わせて火をおこし、火種を慎重に灰に保存していました。衣類は、元洋服の仕立屋だったことから、木の皮をはいでアク抜きをして繊維を作り、手製の織り機まで作って布にしました。発見されるという恐怖感から28年間一瞬たりとも熟睡したことがありませんでした。                                             
 昭和47(1972)年に偶然住民と遭遇し、57歳で日本に帰還しましたが、帰国の際、羽田空港で発した「恥ずかしながら帰って参りました」の言葉がその年の流行語になりました。
 帰国後は、中川区富田町千音寺に居住し、その年に結婚しました。
 その後は、自身のグアムでのサバイバル生活の体験から、耐乏生活評論家として全国各地で講演を行いましたが、平成9(1997)年82歳で逝去しました。

参考文献

横井庄一 『明日への道 全報告グアム島孤独の28年』 文藝春秋 昭和49年

横井庄一 『無事がいちばん 不景気なんかこわくない』 中央公論社 昭和58年

横井庄一 『横井庄一のサバイバル極意書 もっと困れ!』 小学館 昭和59年

横井美保子 『鎮魂の旅路 横井庄一の戦後を生きた妻の手記』 ホルス出版 平成23年

『中川区人物事典』とは

『中川区人物事典』とは、中川区で誕生や活躍などされたゆかりの深い偉人、有名人を紹介するものです。

中川区ゆかりの人物について、区民をはじめとする多くの市民に知ってもらい、人物を通して区の歴史や文化、産業を再発見し、地域への関心を高める目的で実施しています。

※掲載されている写真や文章等を、無断で転載、複写することを固く禁じます。

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