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鬼頭景義

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このページを印刷する最終更新日:2024年4月11日

ページID:90436

〈鬼頭景義〉新田開発の第一人者。17世紀、27年の間に27カ村石高2万3千石を開拓した。

鬼頭景義

木像 空雲寺所蔵

プロフィール

氏名

鬼頭 景義(きとう かげよし)

中川区内のゆかりの地

中川区中島新町4-1201 道龍山 空雲寺

人物の紹介

 鬼頭勘兵衛(吉兵衛)景義は源為朝の子孫といわれ、八田村(中川区八田町)に在住しました。

 土木工事の技術に優れた才能を持ち、寛永8年(1631)から明暦3年(1657)までの27年間、新田開発に東奔西走し、尾張西部を中心に美濃まで合計27ヶ所の新田を開き、その総石高は2万3千石にも及んだといいます。中川・港・熱田区の中島新田、中野内・外新田、東・西福田新田、熱田新田などが含まれます。晩年は仏門に入り、自ら道龍山空雲寺を中島新田に開きました。空雲寺には景義の墓碑と木像があります。

 新田の開拓に尽力した景義が熱田新田の干拓工事に携わっていた時、夢枕に観音さまがたち、「この場所(須成)に水の引くところがある。そこに鶴がとまったらその場所から埋め立てを始めるように」告げられ、その通りにしたら首尾よくいったので番割ごとに観音を祀ったと言う口伝が番割観音の十二番に残っています。(異説もあり)

参考文献

『百曲街道と番割観音めぐり』はっけん・たんけん・中川区まちの魅力発信隊、中川区役所地域力推進課

『道龍山空雲寺』空雲寺

『中川区史』名古屋市中川区役所

『熱田区史』名古屋市熱田区役所   他

『中川区人物事典』とは

『中川区人物事典』とは、中川区で誕生や活躍などされたゆかりの深い偉人、有名人を紹介するものです。

中川区ゆかりの人物について、区民をはじめとする多くの市民に知ってもらい、人物を通して区の歴史や文化、産業を再発見し、地域への関心を高める目的で実施しています。

(注)掲載されている写真や文章等を、無断で転載、複写することを固く禁じます。

このページの作成担当

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