鈴木政吉
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写真提供 鈴木バイオリン製造株式会社
鈴木 政吉(すずき まさきち)
中川区広川町(本社・工場)(令和3年に区外へ移転)
創設者鈴木政吉は安政6(1859)年に、尾張藩七石二人扶持の下級武士の次男として、名古屋市東区宮出町に生まれました。
明治維新後、政吉は父政春の三味線作りを手伝い18歳で家業を受け継ぐこととなりました。一方、学校の教師を志して勉学に励みました。その勉強のさなか、同門の友が持ち込んだ、一丁のバイオリンが政吉の運命を変えました。未知の楽器に魅せられ、バイオリン作りを始めました。明治21(1888)年、鈴木バイオリン第1号を作りました。政吉は、多くの機械を発明し、特許を取得し動力を取り入れた新しい工場を建設しました。
また、明治33(1900)年のパリ万国博覧会で銅賞、明治43(1910)年には日英博覧会にて大賞、大正6(1917)年には発明功労として緑綬褒章を受章したことにより、海外の著名な音楽家にも認められることになりました。第一次世界大戦の好景気に恵まれ、絶頂期の大正10(1921)年には、年間15万6千丁を生産したと言われています。一方、鎮一(三男)がドイツに留学し、持ち帰ったイタリアのガルネリが製作した名器を手本に高級手工バイオリンの製作に没頭しました。その作品は、世界の音楽家にも評価され、相対性理論のアインシュタインの賞賛を受けたほどでした。
昭和19(1944)年86歳で亡くなりましたが、死の数日前までバイオリンの製作に没頭していたと言われています。名古屋市中川区広川町(本社工場)には、鈴木政吉の銅像が建立されています。
〈政吉の手工した名器の保持者〉
井上さつき『日本のヴァイオリン王鈴木政吉の生涯と幻の名器』中央公論社
徳川義親『最後の殿様』講談社
中日新聞「3丁目の政吉製バイオリン」平成27年8月27日
中日新聞「『バイオリン王』円熟期の逸品」平成25年6月21日
中日新聞「鈴木政吉バイオリン栄光の歴史」平成23年9月19日
中日新聞「兄弟2丁が初の競演」平成28年11月9日 他
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