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第1章では、港まちづくり協議会の具体的な活動内容についてお聞きしました。
いきなり濃厚なお話が聞けましたが、ここからは「そもそも古橋さんってどんな人なんだろう?」というお話で斬りこんでいきます!
(まち協には多くの人々が訪れる。こちらは「ポットラックスクール」での談笑風景。)
司会:
では、このあたりで「人間」にスポットを当てていきたいと思います。まず、古橋さんはどんな少年時代を過ごしてきましたか?
古橋
えぇ!?「人間にスポット?」「少年時代?」。。。なんか恥ずかしいトピックですね(笑)
司会:
気になさらずに(笑)。ではさっそくいきましょう。まず、高校生くらいからお願いします。
古橋:
少年時代からじゃなくて、いいんですね(笑)。高校生ですか。そうですね。高校時代は、サッカー一色でしたね。ちょうど高校一年の時がJリーグ元年だったんですよ。つまり、サッカー選手という職業ができたんですね。これはサッカー小僧としては大興奮でした。
司会:
すごく盛り上がっていましたよねー。
古橋:
そうなんです。地元は豊橋ですが、そこで名古屋グランパスエイトとジュビロ磐田の試合があって、その前座でグランパスのユースチームと試合をしたことがあるんです。あれは、中学三年生だったかなぁ。懐かしい(笑)。それで、僕らの地元の即席チームが、プロの予備軍みたいなユースチームにけっこう善戦しまして。当時のグランパスの監督は、日本代表の監督も務めたオフト監督。この監督に誉められちゃったりしてですね。これはいけるんじゃないかと勘違いしてしまいまして。思い込み激しいですから(笑)
で、高校に入ると同時に地元の精鋭をかき集めてユースチームを作りました。今はどうか知りませんが、高校時代にユースに所属すると高校のサッカー部に所属して国立競技場を目指すことはできないんですね。僕らは、Jリーグ熱にうなされていたので、迷わずユースを選びました。
司会:
自分たちでユースをつくったんですか?いきなり普通じゃないです。
古橋:
今思えばそうですね。でもほら、熱にうなされていましたからね(笑)。もちろん、地元のサッカー少年団のコーチがかなり尽力してくれました。それにも応えたかったし、まぁ当時のサッカー仲間と熱くなっていたんですね。練習場所も試合相手も自分たちで何とかしなくちゃいけない。活動費用を出すためにみんなバイトもしていましたね。もちろん学校には内緒でした(笑)
司会:
高校時代にバイトすると、視野が広くなったりしますよね。
古橋:
いやー、生意気だったと思いますよ(笑)。学校の部活に入っている人は、放課後すぐにボールが蹴れる。でも、ぼくらはそこから自転車でジムに行ってトレーニングしたり、近くのグランドを借りて練習する。しかも全部自前。状況もお金も苦しいから必然的に卑屈に、いやハングリーになる。まぁ、明るく楽しくやっていましたよ(笑)。バイトは飲食店でしたが、料理の腕もここで磨きました。ハングリーであること、チームで動くこと、その中で個を活かし合うこと、そんな僕の基本姿勢とか、あとは、しぶとく生きるという胆力みたいなものが培われたと思います。今思えば、結構大切なことをこの時期に学んだように思います。
司会:
Jリーグ入りはどうなったんですか。
古橋:
結局夢は叶いませんでした。最初に引き分けたグランパスユースにも、その後は全く勝てませんでした。本当に厳しい世界。まったく歯が立たなかったグランパスユースからでさえ、プロは一人も生まれませんでした。夢破れ、結果的には一浪して大学に入りました。
司会:
なるほど。そこでまちづくりに出会うんですか。
古橋:
いやいや、まだまだ。モラトリアムというか、模索系というか。モヤモヤしたものを抱えながら大学生になったので、やりたいこととか見つけられなくて。
(みなとイルミナートのアトラクションで居酒屋紹介ツアーの様子。)
司会:
大学はどちらだったんですか?
古橋:
名古屋学院大学です。当時は、瀬戸市にしかキャンパスがなかったころです。今は熱田区にも大学ができて、ダブルキャンパスになっていますが。
司会:
どんな大学生だったんですか。
古橋:
かなりひねくれていたと思います(笑)。実際浪人していましたので周りは年下ばかり。子どもに見えたというか、気になるんだけど、群れたくないみたいな。我ながらめんどくさい奴ですよね(笑)。大学は、単位をとったりするだけなら何も難しくなかったので、バイトばっかりしていましたね。お世辞でも裕福な家庭ではなかったし、兄弟も多かったんで、奨学金も借りていました。
司会:
苦学生だったんですね。
古橋:
学費が払えない程の苦学生ではなかったですよ。基本的に超楽観的ですし、苦労したという記憶はありません。でも、大学って結構なお金を払っていくものなので、もとは取りたいというのはありました。経験とか、純粋に将来に役立つことを学びたいという欲求は人一倍強かったと思います。例えば、講義を選択するときなんかは、シラバスの説明を見ても内容がよく分からなかったので、直接先生に講義内容を聞きにいったりしていました。それが結構おもしろかったんで、ある日、全部の教授の研究室をノックしてみようと思って、やってみたこともあります。今思えば、なんて大それたことをやっていたんだろうと(笑)
司会:
(笑)
古橋:
そういうこともあって、大学時代は、群れたりするのは避けつつも、自分が会いたい人には、どんどん行くみたいなアンバランスなところがあったように思います。
司会:
なるほど。当時抱えていた問題意識みたいなものはあったんでしょうか?
古橋:
うーん。漠然とした焦燥感みたいなものがありましたね。何かを始めなくちゃならない。でも、何をしていいのかはよくわからないみたいな(笑)。完全に自分探しまっただ中でしたね。まぁ、今もあんまり変わりませんが(笑)
次章へ続きます。 第3章 「お前はどこから来てどこへ行くんだ?」
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