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1.部落差別(同和問題)を正しく理解しましょう

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このページを印刷する最終更新日:2023年12月14日

ページID:89594

1 部落差別(同和問題)とはどういう問題なのですか

 部落差別(同和問題)は、1871(明治4)年の太政官布告(いわゆる「解放令」)によって、江戸時代の身分制度は廃止されたにもかかわらず、同和地区や被差別部落などと呼ばれる地域の出身であることや、そこに住んでいることを理由に、結婚や就職などにおいていわれなき差別や不利益を受け、基本的人権や人間としての尊厳がおびやかされ、侵されているという日本固有の人権問題です。

 人間は誰もが生まれながらに自由・平等であり、幸せで健康に生きる権利を持っています。日本国憲法は「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」(第14条)と「平等の原則」をうたっています。にもかかわらず、交際相手が同和地区出身だからといってその結婚に反対されたり、居住地や出身といった本人の能力や適性と無関係な理由で就職を拒否されるなど、同和地区の人々に対する差別があります。
 部落差別(同和問題)の解決に向け、私たち一人ひとりが部落差別(同和問題)を自らの問題としてとらえ、正しく理解し認識を深めて、差別や偏見のない人権が尊重された地域社会を築いていきましょう。

2 「解放令」により身分制が廃止されたのになぜ部落差別が残ったのですか。

 江戸時代には、身分的制度のもとで農民、町民とは別に置かれた「えた」「ひにん」などと呼ばれた人たちへの差別が強くなりました。住む場所や職業が決められ、結婚、服装、時には食べるものさえも規制されたのです。
 1871(明治4)年、「えたやひにんといった名称はなくした、これからは身分も職業も平民と同じである」という内容の太政官布告、いわゆる「解放令」により封建的な身分差別は制度上はなくなりました。しかし、人々への啓発などは行われず差別意識は依然として残りました。さらに、明治政府の急激な近代化政策の中で同和地区の産業は衰退し、かといって根強い差別のため新たな仕事につくこともできず、同和地区の人々の貧困化は進みました。子どもたちが満足に学校にも行けないなどその貧しい生活実態が差別の口実として新たに加わったのです。
 1947(昭和22)年5月、日本国憲法が施行されました。新憲法により国民の基本的人権が明確に保障されましたが、実際には進学、就職、結婚などに際して、同和地区の人々に対する依然として厚い差別の壁があったのです。
 部落差別(同和問題)の早急な解決に向けて、国・地方公共団体による具体的な対策が始まったのは、「同和対策審議会答申」を受けて、1969(昭和44)年に「同和対策事業特別措置法」が制定・施行された以降のことです。

3 部落差別(同和問題)解決のため、どのような取り組みがなされてきたのですか。

 1871(明治4)年の「解放令」により江戸時代の封建的な身分制度はなくなりましたが、同和地区の人々への支援施策はほとんど行われず、明治政府の急激な近代化政策とあいまって、従来の差別に貧困が加わり、同和地区の人々の生活はかえって厳しくなりました。
 こうした中、同和地区の人々の生活を改善することを目的に、国や各種の団体などにより事業や運動の取り組みがみられましたが、現実の厳しい差別の解消にまでは向かいませんでした。本格的な部落解放運動が展開されたのは、同和地区住民の手により1922(大正11)年に全国水平社が創立されてからでした。日本における最初の人権宣言といわれる「水平社宣言」が宣言され、自主的な解放運動は全国に広がっていきました。しかし、戦争が激しくなるとその活動も停止を余儀なくされました。
 部落差別(同和問題)に対する国や地方公共団体の本格的な取り組みは、1965(昭和40)年の「同和対策審議会答申」から始まります。同和対策審議会は、「同和問題の早急な解決は国の責務であり、同時に国民的課題である」との認識に立ち、1.生活環境の改善、2.社会福祉の充実、3.産業・職業の安定、4.教育文化の向上、5.基本的人権の擁護などの施策を総合的に推進するよう答申し、これを受け、国と地方公共団体は、1969(昭和44)年から、法に基づく特別対策として同和対策事業を33年間にわたって展開しました。名古屋市においても、住宅の建設や道路の整備、奨学金の支給など国の施策に準じた同和対策事業に取り組んできました。

4 部落差別(同和問題)は解決したのですか。

 国や地方公共団体は、1969(昭和44)年から2002(平成14)年3月末まで33年間にわたって、同和地区やそこに住む人々に対して同和対策事業を特別対策として展開してきました。名古屋市においても同和地区の住宅や道路、公園などの整備を進め、その生活環境は大幅に改善されました。また、奨学金制度などにより同和地区の子どもたちの高等学校等への進学も大幅に改善されました。
 しかし、差別がすべて解決したとは言いがたい状況があります。結婚問題を中心に、差別意識は依然として存在していますし、最近ではインターネットを利用した差別情報の流布など新たな問題も生じてきています。
 部落差別(同和問題)は基本的人権や人間としての尊厳にかかわる重大な社会問題です。今後とも、女性や子ども、高齢者や障害者、外国人などにかかわる人権問題への取り組みと一体となって、その解決を積極的に進めていく必要があります。

5 部落差別(同和問題)は、わたしたちの人権とどのような関わりがあるのでしょうか。

 部落差別(同和問題)は、今日においてもなお同和地区の人々が、就職や結婚などにおいて差別され、その基本的人権を侵害されることがあるという重大な社会問題です。

 私たちのまわりには、さまざまな差別や人権侵害の事象があります。とりわけ部落差別(同和問題)は、最も深刻な人権侵害のあらわれのひとつです。この問題の解決に積極的に取り組むことは、人々の間に人権尊重の意識を根づかせ、あらゆる差別や偏見をなくし、私たちの身のまわりを良くしようとする取り組みにつながることになります。

 国及び地方公共団体は協力してこの問題が一日も早く解決するよう努力していますし、国民に対しても理解と協力を求めています。
 幸せに生きたいとの願いを踏みにじる部落差別をなくしていくことは、同時にすべての人の基本的人権の侵害を許さないことにつながり、国民一人ひとりが自由に、平等に、人間らしく生きていくことを実現していく道なのです。

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