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万場の渡しかいわいコース

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このページを印刷する最終更新日:2016年12月21日

ページID:1796

ページの概要:中川区史跡散策路万場の渡しかいわいコースのご案内です。

万場の渡しかいわいコース(地図)

佐屋街道と七宝焼きゆかりの地を訪ねて

コース順路(全長約5.7km)

市バス「万場大橋」停→(1) 旧佐屋街道→(2)万場宿跡(万場の渡し)→(3)国玉神社→(4)光圓寺→(5)正明寺→(6)八幡神社→(7)赤星神社→(8)天神社→(9)圓乗寺→(10)行雲寺→市バス「千音寺」停

市バス「千音寺」停時刻表(外部リンク)別ウィンドウ(名古屋市交通局のページ)

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コースガイド

(1)旧佐屋街道

その昔、東海道を旅する人が熱田の渡しからの海路を避けて通った脇街道で、佐屋路または姫街道とも呼ばれた。浪漫的な響きをもつこの道は万場の渡し跡から西に延びて海部郡大治町へと続く。街道沿には火の見櫓、低い二階家、黒壁の家、高く土盛りした民家が並び、懐かしい日本の昔の雰囲気が漂う。

(2)万場宿跡(まんばしゅくあと)<万場の渡し>

万場宿跡の写真

庄内川にかかる万場大橋から100メートル南の堤防に跡碑が立っているが、この付近に渡船場があった。尾張名所図会に描かれた渡し船には馬2頭、客9人、籠、船頭2人が乗っている。このような大きな川船が行き来していたことは東西交流の多さを物語る。

(3)国玉神社

佐屋街道の脇にあり、現在は、国玉神社と八剱社が合殿になっている。平安時代の初期の作である延喜式神名帳にも記録されている由緒ある神社である。この社を取り巻く環境は変化しても、境内の樹木は変わらず静かに木影を落としている。

(4)光圓寺(こうえんじ)

光円寺の写真

もとは天台宗で、医王山瑠璃光院薬師寺と称したが、嘉禄元年(1225年)一向宗に改宗、臥龍山蓮華院光円寺とした。山号「臥龍山」の立派な金字額がかかる山門は、織田信長と斉藤道三が会見した尾北(一宮市)富田村聖徳寺の山門を移築したものである。手入れされた庭には、ハゼノキ・サルスベリ・カエデの接木したような寄合木がある。また、天台宗所属時代の本尊薬師如来と蓮如上人真筆六字名号がある。

(5)正明寺(しょうみょうじ)

正明寺の写真

山号は慧日山。「松下の蓮如さま」で知られる真宗大谷派の寺院である。寺宝には蓮如上人作と伝えられる木像がある。眼光厳しく、心が静められる面持ちで、毎年旧暦の3月24日から3日間ご開帳される。また、寺の裏に七宝焼の元祖梶常吉の墓がある。

(6)八幡神社

八幡神社の写真

応永14年(1407年)正月6日創立された神社であり、60年ごとに御鍬祭がある。歴史を感じさせるものは少ないが、掃き清められた境内がすがすがしい。同じ所に神明社、秋葉社もあり、八百万の神が鎮座しているかのようである。

(7)赤星神社

赤星神社の写真

祭神は根裂尊。神社の南を通る都市高速や国道の建設などで、のどかな田園風景が残っていたこのあたりも様相が一変した。しかし、往時は国司が祭礼に参詣し、祭典を行った神社であり、このあたりでは数少ない星神の信仰の社である。

(8)天神社

祭神は天穂日尊。田の中に樹木に囲まれて静かに祭られている。しかし、その傍らで国道の建設が進むなど環境の変化をみせている。由緒等は不明であるが、かつては村社として村民の尊敬を集めていた。現在は子ども達の元気な声が響いている。

(9)圓乗寺(えんじょうじ)

天慶2年(939年)比叡山延暦寺延昌座主の創設。元は天台宗で千如山音教寺と称した古刹。文明元年(1469年)時の住職日意上人は、日蓮宗総本山身延第十一世と法論三昼夜、日蓮宗に改宗し、安住山圓乗寺に改めた。後、日意上人は総本山身延第十二世となる。第二次世界大戦で山門・鐘堂・本尊以外の七堂伽藍は焼失。現在の建物は、昭和25年から順次再建された。

(10)行雲寺

行雲寺の写真

もとは天台宗で、千手観音寺と号し、聖武天皇(724年~749年)の勅願寺であった。天平19年(747年)、命により右大臣藤原豊成が造営を行った。豊成の女が当寺山門にこもり写経をしたところから、この山門は閑籠門と呼ばれる。嘉禎元年(1235年)に岡崎の人本多左近尉政春が見真大師に帰依して、名を一音と号し、真宗に改宗、寺号も西光坊となり、さらに万治元年(1658年)には一音山行雲寺と改号した。応仁2年(1468年)に山門は焼失したが、現在の山門には閑籠門の額がかかっている。

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