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北斎が描いた名古屋のまちの記憶

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ページID:188719

最終更新日:2025年8月29日

ページの概要:北斎は、名古屋に2度滞在し、名古屋の風景、人々の日常生活などをスケッチしています。北斎によって残された当時の名古屋のまちの記憶は、今も世界中の人に伝えられ感動を呼び起こしています。

名古屋を描いた北斎

北斎自画像

1812年(文化9)、北斎は、大阪、奈良吉野、和歌山、伊勢などへ旅をした際に名古屋にも立ち寄り、約半年間滞在し300余りの版下絵を描き残しました。
その後の1814年(文化11)、版下絵を元に名古屋を代表する出版者東壁堂(本町玉屋町)の永楽屋東四郎が、『北斎漫画』を出版しました。
1817年(文化14)、北斎は再び名古屋に来て、西本願寺境内で大達磨を描き、名古屋の人々を驚かせました。
1831年(天保元)、北斎71歳の時、冨嶽三十六景を版行、当時の名古屋三景の一つであった『尾州不二見原』が紹介されました。
画像は、北斎自画像

最初の滞在

1812年(文化9)、北斎最初の滞在は、名古屋の門人だった牧墨僊の家に半年ほど居候しています。その現在地は、商業施設「ラシック」(中区栄三丁目6)です。(名古屋市博物館特別展北斎だるせん!)

北斎漫画の初編は、名古屋から発行されました。

1814年(文化11)に刊行された葛飾北斎著「伝神開手 北斎漫画」(初編)の序文によれば、北斎はこの最初の滞在で、『北斎漫画』の下絵300図を描いたとされています。(新修名古屋市史)

すみだ北斎美術館 北斎漫画初編(外部リンク)別ウィンドウで開く 紹介ページ

多くの人々に親しまれ、世界に広まった「北斎漫画」

北斎の作品で特に有名なのは「冨嶽三十六景」ですが、これと並んで北斎の代表作とされるのが『北斎漫画』
北斎が世の中のありとあらゆるものを描いた本(絵手本)で、画狂人とも名乗った彼の描くことに対する情熱を感じることのできる作品です。北斎漫画は、続編が刊行され、北斎没後、1878(明治11)の15編まで断続的に刊行されるベストセラーとなりました。北斎漫画の影響は国内のみならず海外にまで及び、ジャポニスムに刺激を与えたことでもよく知られています。(名古屋市博物館特別展北斎だるせん!)

北斎漫画初編の手本画

江戸末期から明治の頃の西欧の芸術界で最初に高い評価を得ることとなる北斎の作品は、冨嶽三十六景などの錦絵ではなく、絵手本の『北斎漫画』であったそうです。
また、北斎没後約30年、初編から60年余りという時を経てもなお北斎漫画15編が刊行されていたことは、国内においては多くの人々に親しまれ続けていたことを物語るものでした。

北斎の弟子 牧墨僊(まきぼくせん)

尾張藩士で本名は牧助左衛門信盈(のぶみち)。江戸詰めの時、喜多川歌麿について浮世絵を習いました。
1812年(文化9)名古屋へ訪れた北斎の門人となり、自分の屋敷に留めて世話をしていました。
有名な「北斎漫画」初篇の画稿300余図は、この時に描かれたものでした。
墨僊は名古屋に初めて浮世絵を広めた人として知られています。(名古屋市史跡・名勝地図解説より)

「古事記伝」も「北斎漫画」も出版 東璧堂(永楽屋東四郎)

北斎漫画15編奥付

東壁堂こと永楽屋東四郎は、名古屋の出版書林の草分け風月堂孫助の別家です。
本居宣長の「古事記伝」44冊や「北斎漫画」初編を始めその後の諸編の出版で知られています。出版のほかに薬の販売の取り次ぎもしていました。(名古屋市史跡・名勝図解説)
出版業としての永楽屋は、江戸中期から始まった名古屋でいちばん活躍した地本問屋です。江戸にも店を持ち、幕末から明治まで続きました。(名古屋の史跡と文化財)

二度目の滞在

1817年(文化14)、北斎漫画六・七編の出版予定があった永楽屋東四郎は、北斎を名古屋に招き、出版記念イベントを本願寺名古屋別院(西別院)で催しました。
これが二度目の名古屋の滞在で、この時は花屋町の家に滞在しています。その現在地は、専門学校のビル(中区栄三丁目20-4)の辺りとなっています。(名古屋市博物館特別展北斎だるせん!)

大だるま

大だるまイベントの様子

北斎は、西別院の境内に広げられた120畳敷(縦約18m、横約11m)の紙に大だるまの半身像を描いて名古屋の人々を驚かせました。
これより前1804年(文化元)、江戸の護国寺の境内で120畳敷の紙に大だるまを描いて江戸の人々を驚かせており、名古屋にてこれを再現したものでした。
また、北斎が江戸両国の回向院で大布袋を描いて人を驚かせた後、今度は米粒に二羽の雀を描いてみせました。超人的な腕前を目の当たりにした人々は二度も仰天したというエピソードが伝えられています。
画像は「大だるまイベント」の様子を伝える図(尾張名所図会)

北斎が描いた尾州不二見原

尾州不二見原の画像

『尾州不二見原』は、冨嶽三十六景の第1弾として出版された「神奈川沖浪裏」を始めとした10の錦絵のうちの一つです。
名古屋三景の一つとされていた名所「不二見原」は、名古屋で滞在していた北斎はよく知っていたものと思われます。
名古屋三景は、江戸時代、綺麗な景色、優れた景色がみられる場所を三か所あげていたもので、その他には、沢観音妙安寺(熱田区新尾頭二丁目2-19)、関貞寺(東区徳川二丁目17-26)からのみはらしが優れていたことを「尾張名所図会」などで伝えています。

不二見ヶ原(尾張名所図会)

尾張名所図会に描かれている「不二見ヶ原」(画像)
富士山らしき山が左の山々の中に描かれています。

尾州不二見原について(外部リンク)別ウィンドウで開く(文化遺産オンライン)

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