鳴海周辺のみどころ一覧5
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昭和17年11月15日に開業。大高緑地の最寄りの駅である。戦争中に日本住宅営団(公団の前身)が神明社のある丘陵地を開発し日本車輌、名古屋造船、名機製作所の社宅が建ち並んだ。そして通勤者のために左京山駅ができた。
鳴海城主安原備中守宗範の家臣伊勢木右衛門の屋敷にあった井戸で、桔梗が生えて花が咲いていたので花井と言われる。名泉として知られ、江戸時代は酒造用として使い、つい最近まで近くの住人の飲み水として重宝されていた。
鳴海小作争議の理論的指導者で京都大学教授であった雉本朗造博士の銅像が浦里公園の北西角に建っている。小作争議は大正6年(1917年)12月から始まり、翌年小作人と地主方と裁判になり雉本博士の永小作権の理論により裁判は長引いたが、大正12年3月和解が成立した。しかし途中博士の瀬戸内海での不慮の死があり、農民有志が遺徳を偲び、昭和5年(1930年)一望する石堀山に銅像を建立した。戦後都市化の波にのまれ区画整理され、昭和48年争議発生の地の浦里公園に移転された。
元は神明社で備前検地で縄除であったから室町末期以前の創建の社。明治になって八幡社と合祀されて社地は神明社で名を八幡社にした。祭神は天照大神と応神天皇である。戦後整備され社殿、鳥居、灯籠、手水場は近代化され昔の面影は無い。
明暦2年(1656年)真言宗の薬師堂として開山された。安永5年(1776年)八事の仏地院住職の物道和尚が隠居して薬師堂に入り曹洞宗に改宗した。明治になってから尼僧が守ってきたが今は住職がいる。戦災で全焼したが立派に再建され、「高鍬」伝説の平清盛より下賜された阿弥陀如来像が安置されている。本尊は東方薬師瑠璃光如来。古鳴海の鎌倉海道沿いにあった文政8年(1825年)の道祖神の道しるべが祀ってある。
上ノ山台地一帯で発見された竪穴式住居址や炉址。鎌倉時代の遺跡包含層に上ノ山台地一帯で発見された竪穴式住居址や炉址。鎌倉時代の遺跡包含層によってこの地が先史時代から中世末期まで住居地域であったことが証明された。
浦里の枯木田園に天保の頃迄茂っていた。季節風が一方向に吹くところに生育したものは葉が一方に偏ってしまったという説(季節風説)ー街道伝承説もあり。
日本武尊が東征の折、鉾を松の木にかけて休憩されたところといわれている。
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