【JR大高駅】→(1)明忠院→(2)鷲津砦跡→(3)長寿寺→(4)丸根砦跡→(5)山神社→(6)津島社→(7)春江院→(8)氷上姉子神社→(9)酒蔵→(10)大高城跡→(11)秋葉社→(12)八幡社→【JR大高駅】(約5.7キロ)
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曹洞宗、天正元年(1573)山口海老之丞が創建。本尊は釈迦如来金剛坐像。その他に、子守地蔵像、毘沙門天立像がある。当初は真言宗であったが、元和5年(1619)春江院の末寺となり今の宗派とした。大正10年(1921)に県下で初めて保育施設を開設し、その記念碑がある。
永禄2年(1559)に信長が大高城の北東700mの丘陵上に、丸根砦とともに築城。永禄3年の桶狭間合戦のとき、今川勢に攻められ、砦を守っていた飯尾定宗ら大半の兵士が討死した。現在は公園にもなっており碑石が建っている。(昭和13年国指定文化財)
臨済宗、草創年月は不詳。本尊は阿弥陀如来座像。当初は真言宗長祐寺と称したが桶狭間合戦のとき、兵火によって焼失。大高領主志水忠継の子忠時は祖母長寿院の禅寺建立の遺命に従い、天和2年(1682)に伽藍竣工し、宗派を黄檗宗に寺号を長寿寺に改めた。その後元禄4年(1691)に臨済宗に改派した。
鷲津砦の東南400m、大高城の東方800mの地点にあり、永禄2年(1559)信長が大高城を包囲するように築かれた砦の一つで、永禄3年の桶狭間合戦のとき佐久間盛重が守り、松平元康(徳川家康)ら今川勢の軍と激戦したところである。現在は碑石が建っている。(昭和13年国指定文化財)
曹洞宗、弘治2年(1566)水野大膳(大高城主)が創建。本尊は多宝如来。本堂は文政13年(1830)に、入母屋造りの鐘楼は慶応元年(1865)に再建された。書院は有松絞の開祖竹田庄九郎宅のものを移築。特に襖絵の「白さぎ」は狩野永秀の筆である。また、静けさと奥深さとの配合の美しさが見られる下村実栗作成の庭がある。
祭神は宮簀媛命。仲哀4年(195)の創建。熱田神宮の摂社で延喜式内社。宮簀媛命は日本武尊が東征の帰途この地に留まられた際に結婚され、尊が亡くなった後草薙神剣を奉斉守護して、やがて熱田神宮におまつりした。これが熱田神宮の創祀である。その後持統4年(690)に現在地に移した。境内末社として、元宮、神明社、玉根社が現存している。北側の斉田では6月に御田植祭が行われる。
大高川の左岸(南方向)に煙突や黒囲いの酒蔵の町並みがある。大高町の酒造の起源は不詳だが、かなり古くからあったらしく、酒株帳によると大高村200石という記録があり、樽舟によって遠くは江戸まで送られていたことからとても盛んであったといえる。現在は三軒で清酒醸造が行われている。
築城年代は不詳。永正年間(1504から1520)の頃は花井備中守が、天文・弘治の頃には水野忠氏父子居城した。桶狭間合戦のときには、今川の支配下にあり、松平元康(徳川家康)の兵糧入れは有名である。合戦後元康は三河に帰り、廃城となった。その後、元和2年(1616)志水忠宗が三の丸に宅を設けたが明治3年(1870)に廃した。(昭和13年国指定文化財)
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