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緑区史跡散策路・鳴海宿コースの紹介

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ページID:1945

最終更新日:2010年7月7日

コース案内

【名鉄鳴海駅】→(1)浅間社(2)中島砦跡(3)常夜燈→(4)金剛寺→(5)瑞泉寺(6)善照寺砦跡(7)浄泉寺→(8)万福寺→(9)誓願寺(10)円道寺→(11)円龍寺→(12)根古屋(鳴海)城跡→(13)長翁寺→(14)東福院→(15)如意寺→【名鉄鳴海駅】(約4.2キロ)

緑区史跡散策路・鳴海宿コース案内図

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主なポイントの解説

(1)浅間社(せんげんしゃ)

祭神は木花開耶姫命。元文2年(1737)に鳴海八幡宮の御旅所となった。通称浅間堂。境内には、火伏せ(防火)の神様である秋葉社が合祀されている。

(2)中島砦跡(なかじまとりであと)

永禄2年(1559)に織田信長が今川義元の侵攻に備えて築いた砦。永禄3年(1560)の桶狭間合戦では梶川平左衛門尉一秀を守将として今川勢と戦った。現在の碑は昭和2年建立。

(3)常夜燈(じょうやとう)

文化3年(1806)宿場町の東入口に、旅人の目印・宿並びに道中の安全を祈願して建てられたもの。石燈籠の四面に「永代常夜燈」「宿中為安全」「秋葉大権現」「文化三丙寅正月」と文字が刻まれている。

(5)瑞泉寺(ずいせんじ)

曹洞宗、応永3年(1396)創建。開基は安原宗範。開山は大徹禅師。はじめは、瑞松寺といった。総門は宝暦6年(1756)宇治の万福寺総門を模した三間一戸重層四脚門の黄檗様式の建造物である。(昭和32年県指定文化財)

(6)善照寺砦跡(ぜんしょうじとりであと)

永禄2年(1559)織田信長が築いた砦。今川の将岡部氏の守る根古屋(鳴海)城に対するもので、信長が桶狭間の奇襲に移る直前、ここに兵を集結した。砦公園内には「鳴海絞開祖三浦之碑」(鳴海絞組合建立)がある。

(7)浄泉寺(じょうせんじ)

浄土真宗、永享4年(1432)森山左近三郎吉勝(浄空)の開基。本尊は阿弥陀如来像。当初は専修念仏の道場。明治20年(1887)愛知郡第三高等小学校を開校したところである。

(9)誓願寺(せいがんじ)

浄土宗、天正元年(1573)僧俊空の開山。本尊は阿弥陀仏、千代倉家の菩提寺。

<芭蕉供養塔> 元禄7年(1694)10月に芭蕉が亡くなった翌月の命日に如意寺に建立、その後に移された。芭蕉の供養塔としては最古のもの(昭和52年市指定文化財)。

<芭蕉堂> 安政年間(1854から1859)に永井士前始めその門人が建立。芭蕉手植えの杉の古木で彫刻した芭蕉像が安置されている。

(10)円道寺(えんどうじ)

曹洞宗、天正年間(1573から1592)創建。仁甫良義和尚開山。本尊は青面金剛明王(庚申)。当初は猿堂寺であったが、後に地蔵堂、庚申堂、円道寺と変わった。本堂の屋根には、本尊の使わしめである猿の「見ざる」「言わざる」「聞かざる」の格好をした三猿がすえられている。

(12)根古屋(鳴海)城跡(ねごや(なるみ)じょうあと)

応永年間(1394から1427)安原宗範の居城。永禄年間(1558から1569)に今川の将岡部五郎衛門元信がこの城を守り、桶狭間合戦の際勇名を轟かせた。その後信長の臣佐久間信盛、正勝が居城し、天正末期に廃城となった。

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