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令和5年7月3日 市長定例記者会見

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このページを印刷する最終更新日:2023年7月21日

ページID:164975

報告事項

  • 令和5年度電力・ガス・食料品等価格高騰緊急支援給付金の支給について

会見動画

報告内容

令和5年度電力・ガス・食料品等価格高騰緊急支援給付金の支給について

(市長)
 はい。それでは、7月3日ということで、定例会見を始めてゃあと思います。
 おはようございます。本日は、まず「令和5年度電力・ガス・食料品等価格高騰緊急支援給付金の支給」についてご報告いたします。
 モニターに資料掲出ありというこっでございまして、こういうもんでございます。
 昨今の電力・ガス・食料品等の物価高騰を踏まえ、家計への影響が特に大きい住民税非課税世帯等を支援するために、本市において1世帯当たり3万円の緊急支援給付金の支給に向けた案内を7月6日木曜日から開始をいたします。(送付対象は)29万、27万か。27万4,628世帯と。去年は5万円でございましたけど、今回は3万円と。
 昨年度も給付金による支援を行ったところですが、今回の支給では申請不要のプッシュ方式、すなわち内容の変更がなければ過去の振込口座に振り込む方式を新たに導入いたします。
 手続など分からないことがありましたら、コールセンター電話番号050-3135-3260、が(案内チラシの)一番下ですね、それからファクスの問い合わせは052、ここ2のところに何でか知らん、こちらのやつはマークがしてありますけど、052-228-2774と、ここにあります。ここまでお問い合わせをお願いいたします。
 最後に、給付金を装った詐欺に十分にご注意ください。この給付金に関して、名古屋市の職員などがATMの操作や手数料の振り込みをお願いすることはぜってゃあにありません。マスコミの皆様におかれましても、注意喚起にご協力をお願いいたします。
 はい。私からは、今日は以上でございます。はい。

質疑応答

名古屋城バリアフリーに関する検証について

(記者)
 それでは、市政一般について、各社さん、お願いいたします。質問のある社は、挙手の上でマイクをとってから質問をお願いいたします。
(市長)
 何もなしじゃあ、寂しいで。はい。
(記者)
 市長。
(市長)
 はい。マイク、やってちょうでゃあよ。
(記者)
 先週、議会の委員会、総務環境(委員会)とか経済水道(委員会)とか開かれて。その中で、名古屋城のことについて討論会もそうだけど復元検討全体、復元計画全体についても検証の対象に加えるべきじゃないかという話が出たり。あと、杉野副市長から、検証は半年から1年ぐらいかかるんじゃないかという話も。
(市長)
 3、4カ月って言えへんかったけ。
(記者)
 私、聞いたところだと、1年とか、半年とかという声も聞こえたんですが。
(市長)
 3、4カ月と思うけど。まあ、1年かもと。
(記者)
 その辺り、市長ご自身、委員会の討論とかも報告を受けたと思うんですが、感じられている部分があれば伺ってもよろしいですか。
(市長)
 はい。まあ、とにかく市民討論会におきましては何遍も謝っとりますけど。まあ、傷つけた発言がござぁまして、これは大変申し訳にゃあというか、すみませんということでございます。
 だけど、マスコミで見とって河村さんが発言したのかという、間違えとる人もいる。私が言ったんじゃにゃあよということですけど。
 市民討論会においても、よう注意して。市民討論会いうのは、本当の市民が自由な発言をしてくというのが、これが非常に重要なことですけど。当然、何が起こるか分かりませんし、もうちょっと丁寧に言えば、やっぱり不自由な、あんときはハンディキャップのあるという、私、表現を使ったと思いますけど。ハンディキャップのある皆さんのことでございますので、思わぬ差別発言が出る可能性があるぐらいのことは予想しといて事前に言えばよかったんですけど、(人を傷つけるような発言をしないよう)注意してくださいよと。
 だけど、あれはちょっと私からも、冒頭の始まるときに反対にですね、ああいう無差別抽出(正しくは無作為抽出)をして本当に。で、ほかの人は来てもらわんようにしようということにしたんですよ、あんとき。せっかくやるんだで、ようけの人来てもらって、みんなにわあわあ言ってもらう。わあわあは悪いけど、意見をもらったほうがいいんじゃないかいうことがありましたけど。そうすると、どうしても偏りが生じますので、残念ながらね。特定のグループなんかが来ていろいろ言いますんで。そうじゃなくて、(無作為抽出で選ばれた市民アンケート対象者のうち、参加申し込みいただいた)36人意思表示した人だけにしようと。その代わり、どう言ったかな。初めのときは、始まるときは伸び伸びとは言わなんだけど、自由にご発言くださいか、そういうのは話しちゃったわな、確か。
 まあ、ええですけど。そこんところ。そういうようなふうで始まったということでございますが。まあ、ああいうことになりまして、申し訳にゃあということですけど。
 これ、マスコミを通ると誤解があるのがあって。一切市が何もしなかったというわけではなく、初めのお一人目の方がしゃべられたときには、これは言い合いになりましたから僕もよく耳に残っておりますけど。まあ、言い方もちょっときつかったですが、何やらで我慢せえよというのを言い合いがあったということです。その後、市の職員がかけつけまして、それは止めたということです。それが差別発言で止めたのか、けんかはいかん言うて止めたのかですね、そういう意見はありますけど。その辺になってきますと、ちょっとですね私自身も、ああ、困ったなと、これはと思ったら、すぐ市の職員が来て止まりましたので。あれで良かったなとそうとは思わなかったですけど。ああ、良かったなという感じで、その後ずっと話が進んでいったということで。
 その次の発言をされた方については、「我慢せえ」いうのは、初めの方の「我慢せえよ」という言葉は、よう言ってますけど、言い方もあれはちょっといかんですけど。おまえさんの不自由があるんだで我慢せよと、これはちょっといかん、差別発言になると思うけど。我慢せえという言葉自体はですね、じゃあ、お互いに我慢しようと言った場合は、これは差別発言にはならんと思いますけど。
 だけど、二人目の方の発言はいわゆる差別発言ですけど。ばあっと、人間は不平等があって、それでこういうのがあって、それから健常者もおってということでざっといきまして。個人に向けられた話ではなかったですね、僕の印象では。一般論としてばーっと言った、話されたんでにゃあかと思いますけど。後で聞いた話ですけど。後で聞いた話では、その話は個人に向けたものではないと。一般論として、人間には不平等があって、その不平等には何とかいう方とか、健常者もおるとか、そういう話だったこともあり。
 聞こえなかったいうのが、この間も本会議で言いましたけど、耳に残らなかったというのが正しい感覚はですね。まあ、僕以外でも役所の仁でも、「いや、河村さんが言っとる通りで耳に残らなかったのか、記憶に残らなかったのか。河村さん、そうだったよ。」というのもあったということで。
 終わるときには、盛り上がってというか、皆さん意見が聞けたということで。8人しゃべられましたけど、6人は大変ええ意見だったですよ、いまだに私は思いますけど。ええ。全く普通の市民ですからね、あれ。無作為(抽出)で当たった人ですから。全く普通のいうと怒られるか分からんけど、一般的な市民の方がああいうところに出てきてテレビカメラの前でしゃべるというのは、結構すごいプレッシャーなんですよ、実は。これは。
 だから、非常に良かったですけど。お二人の方からそういう話(差別発言)が出て、残念は残念ですわね。ええ。ということだったということですが。
 ほれから、ちょっとこっちから言ってかなあかんのは、それからいろんなところでとはありますけど。熊本城と同じようにしろという意見がありますけど。これ、グーグルをぜひ見ていただいて、今からでもいいですけど。マスコミの皆さん、熊本城は昭和35年です、できた(外観復元された)のが。名古屋城は昭和34年です。1年違うだけです。熊本城は名古屋城と同じ鉄骨鉄筋コンクリートのお城ですから、今も。ほぼ名古屋(城)と同じと言ってもいいですよ、これ。
 というふうに確かに一番上までいけるようにエレベーターつけたんですけど。これは、熊本の市長に裏とってまってもええけど、私、ちゃんと熊本市長にも電話したりますから。名誉を毀損するつもりはないと、熊本城のね。あれも西南戦争の直前に燃えたんですけど。加藤清正、この尾張のお母ちゃん同士が(豊臣)秀吉と(徳川)家康だと言われております中村(区)の出身の方が行って造ったんですけど。西南戦争の直前に燃えまして、造り替えたお城というのは昭和35年、名古屋城と同じなんですよ、要は。今の、今(鉄骨鉄筋)コンクリートにある名古屋城と同じなんです。熊本城と同じようにするんだったら、名古屋城もそう言われたらどうですか。それこそ。これは。
 何をやっとったんですかとなりますわね、これ。本当に。名古屋城は、図面もあるし、(旧)国宝(であり城郭としての指定)1号だったし、写真もものすごい量あります。野帳というそのときのいろんな作業の図面もありますし、金城温古録といって何冊あったかは忘れましたけど、ものすごい資料が残ったんですね。多分、多分というか、多分じゃなくて世界でただ一つ。昨日NHKでやっとりましたけど、(徳川)家康さんがその後ですね、嫁さんと息子を亡くしました、昨日(の大河ドラマで)。いろんなことがあって、最後、この名古屋城から大阪夏の陣に出陣するわけです、これ。そのときに、多分天守に上がったであろうお城そのままが復元できると。といいますと、反論も来ると思います。反論に対する反論を先に言っときますけど。徳川家康が名古屋城に上ったという資料、証拠はないじゃないかいう。確かにありません。上ったいう記録もないし、上ってないという記録もありません。だけど、別にうそじゃありませんので。
 井沢元彦さんと、今日ちょっと時間がありますんで言っときますけどね。ぜひ、せっかくですから。井沢元彦さんいうて、名古屋のご出身の方なんです。逆転の日本史(正しくは『逆説の日本史』)とか世界史(正しくは『逆説の世界史』)も書いてますから。私は、井沢さんの弟子を自認しておりまして、ちゃんと有料で講演会をこの間も聞きに行きましたら、井沢さんが「やあ、河村さん。別に自認だなぁでもええよ。」と言ってましたけど。井沢さんに聞いたんですよ。「(徳川)家康、上ったかな。」いうて、名古屋城の天守に。ほしたら、いや、井沢さんに聞いてください、これは。本当ですから。「いや、そりゃあ、上ったに決まってるじゃないですか。」と、これ。「何で記録がない。」言うて。それは当たり前だからだと。要するに、名古屋城を造ってすぐですね、あれ。何年なるかな。大阪夏の陣に名古屋城から出陣してくわけです、これ。で、ちょうど西に向けて今で言うと(ホテルナゴヤ)キャッスル、今ないですけど、(ホテルナゴヤ)キャッスルのほう向けて造った。すなわち、(豊臣)秀頼のほうを向けてですね。
  まあ、諦めやあと、あんたもよういって。天下とりてゃあか分からんけど、淀君はそう言っとるか知らんけど。まあ、わしの天下になるんだと、(徳川)家康はね。んだで、ちいしゃあ、どっかの大名ならするでという気持ちがあって。それともう一つは、多分、(徳川)家康は(豊臣)秀吉に申し訳にゃあなと思ったと僕は思いますけど。「河村さん、そういうこと思っとるで総理になれんわ。」と言った歴史学者がいましたけど。ええ。
 (豊臣)秀吉からですね、息子を頼むぞと。(豊臣)秀頼をと。よっしゃ、よっしゃと、オーケー、オーケーと英語で言ったかどうか知りませんけど。そこまで約束しとる。記録に残ってますわね、あれ。そういう(豊臣)秀頼を殺しに行くわけです。名古屋から出陣してって。だから、井沢さんが言ってましたけど、そりゃ、西のほうを見てですね大阪城があるわけです。だから、その間、今みたいにああいうJR東海のああいうの(高層建築物)はありませんから、何にも。だから、だーっと見れるわけですよ。どっかに隠れとる奴はおらんかとか、どういう地形でどうなんだろうかとか。そういうことを確認するために造っとんだから、あれは。お城の。物見やぐらですよね、あれ。監視台ですわ。
 だで、「上ったでしょうと。河村さん、そう言ってまってもええよ。」と、これは井沢元彦さんが言っとられました。もし会ったら、ビデオ見とられるか分からんで。井沢元彦の逆説チャンネルいうのをやってますけど、今。あれもおもしろいですよ。よう見てますけど。
 まあ、そういうようなお城にですね。ただ、もう一つの反論があるのは、その1750年ぐらいかな。宝暦の改修って、傾きましてね、お城が。そのときに、図面もありますよね。ロープで引っ張って直したから。正確に言いますと宝暦改修のときのお城ですけど。まあ、しかし、一番原点は(徳川)家康さんが造ったお城ですんで。
 そういうのはね、まあ、わしは皆さんにお願いしてゃあけどよ。名古屋に一つだけ宝物を残さしてくれいうことですよ、これは。言いてゃあことは。まあ、こういうことを言うのは市長としてもよお、わしも情けにゃあけど。多分、名古屋で一つですよ、これ。名古屋城の天守、本物復元。木造復元です。たった一つ。あとは、そういうのはありません。
 そういうと、自分自身も情けにゃあけど。空襲でめちゃくちゃ燃えちゃいまして、名古屋のまちは。それから、戦災復興事業というやつで。まあ、とんでもにゃあ8メートル以下の道路は作らない(正しくは6メートル以上の道路を標準とする計画)ということで、平和公園、みんなお墓を移転したということで。まあ、古い建物ってのはほとんど壊滅。そん中で、名古屋市民が自慢できる、今後1000年にわたってね。1000年って何を言うんやけど、法隆寺は1300年残ってますからね、あれ。言っときますけど。法隆寺も1400年ぐらい前に造ったんだけど、すぐやっぱり論争があったけど、やっぱり焼けたようですね、すぐ。ええ。1300年残った。本当、宝じゃないですか。だから、法隆寺以降の日本最高の木造建築だと。これ、学者が言ってます。
 その名古屋のお城をおんなじように造らせてくれんのかと。せっかく図面があってできるのにと。これ。名工大(名古屋工業大学)の学長が非常に熱を入れてやったそうですけど、市の職員もやってますけど。名工大(名古屋工業大学)の学長に聞いたってみゃあ、これ、図面を、造った人。昭和5年に国宝になって、昭和7年に、昭和実測図いってんのが。近代測量における実測図を作ったただ一つのお城はやっぱあ残してほしいにゃあ。市民全員の皆さんに訴えかけてゃあわ、本当に。どっかの街頭で、これ、本当に。
 熊本城と同じだ言っとるけど、熊本城言って(鉄骨)鉄筋コンクリートのお城ですよ、言っときますけど。これ、熊本の市長、裏とってもらってもいいけど、電話しまして。名誉を毀損するつもりはにゃあと。事実を言っとかんと、みんな間違えるで。だから、そりゃそうだわね言って、そりゃ違うわねと言ってましたけど、市長は。
(記者)
 あまり質問の答えになってない気がするんですけど。
(市長)
 何やすか。
(記者)
 市長、もう一度。
(市長)
 何が言いてゃあすか。
(記者)
 それで、前の委員会で外部の検証チームを立ち上げるということは当局も話していて。その中で、市長とか副市長もその対象に加えるべきなんじゃないかっていう意見も議会からはあったんですね。
(市長)
 はい。
(記者)
 もし、そうなった場合、市長ご自身も聞かれる対象になるんであれば、どんなふうに外部検証チームを進めていくのか。あるいは、どれぐらいの時期に話を聞き始めて、どれぐらいの時期にまとめたいのか。スケジュール感と、具体的にどういうふうに外部の検証を進めていくかということについて、お考えがあれば聞かせてください。
(市長)
 ほかにありましたら、今言ったとおり答えますよ。ええ。市民の皆さんの無作為抽出によって、ある団体から何人かどっと来たやつじゃなくて。一遍、本当にテレビカメラの前で初めてしゃべるような方でね、本当の生の声を聞いて。僕が決めたんじゃないんですよ、あれ。無作為抽出は。議会からの提案によって、そのときは無作為抽出とは言ってないわけですけど。(正しくは、令和5年2月定例会本会議質問における副市長答弁後、手法を検討し、無作為抽出でのアンケート及び市民討論会と決まった。)決めたようですけど。まあ、いいじゃないのということでそうなりましたと。今言ったとおり答えますよ、私は。
 私は私で、僕自身もやってほしいぐりゃあですよ。
(記者)
 市長は、もし、外部の検証チームが市長もヒアリング対象に加えたいと、市長からも話聞きたいと言われた場合は応じるつもりでいらっしゃる。
(市長)
 喜んで行くわ。初めに、一番最初に手を挙げてしゃべりますわ。まず、俺からしゃべらしてくれいうて。
(記者)
 分かりました。ありがとうございます。
(市長)
 何でこんなことが起きたいう話をします。本当に。
(記者)
 すみません。質問の関連なんですけれども。今回の検証委員会が数カ月から長いと1年以上かかるかもしれないという杉野副市長のお話、ありましたけれども。そうすると、これ、名古屋城の復元化事業がまたいつ再開されるのかっていうのが今全く見通せない状況で、暗礁に乗り上げているって言ってもいいような状況になっていると思うんですけれども。
 この点について、市長としてずっと2009年ぐらいからずっと名古屋城の復元という話をされてきて、今2023年なんですけれども。これ、また進まないということについての受け止めといいますか、状況をどう見ていますか。
(市長)
 そりゃあ、悲しんでみえる市民の方がものすごいたくさんお見えになると思いますね。もう、現に、この週末でもそうでしたけど。特に高齢の方なんかは、僕もそうだけど、74(歳)だでね、わしも、これ。早く本物の世界の宝を名古屋に残していきたいと、名古屋のまちに。これ。
 分かっとるかな。この木造復元というのと、新築だ言ってましたけど、ある方が。違いますからね、これ。もし、同じだ言うなら、文化庁行って抗議してってまなあかんですよ。
 木造復元と新築建造物は違うということですから。木造復元という世界で初めてのこんな巨大な建物を造ってくということを早くやってくれないと、死んじゃうじゃないですか。はっきり言いまして。74(歳)ですから。なら、早くやることをやってあげるいうか。やってあげる言うと、ちょっとあれですけど。名古屋のまちに宝を、名古屋のまちに宝を造ろうと。1000年の市民の、いう話ですよ。
 だけど、文化を残すというのはものすごい価値感が要るんです、これは。ほうでしょう。タクシーの昨日の、二人おった。
(記者)
 市長、市長、すみません。すごく市民の方が残念がっているっていうことなんですけれども。それは、でも、ある意味、この問題が起きたのっていうのは、じゃあ、責任はでもこれは市長にもあるんじゃないんですかね。
(市長)
 まあ、私、言っとるがね。市役所の職員のミスは自分のミスだいうて。言ってますがな。しかし。
(記者)
 ちょっと、若干そのさっきのお答えだと、少し他人事のように聞こえるんですけど、聞こえたんですけど。
(市長)
 他人事じゃないですよ、自分事ですよ。死んじまいますから。
(記者)
 いやいや、じゃなくて。
(市長)
 冗談じゃないです。
(記者)
 暗礁に乗り上げてることが。
(市長)
 何を言っとるんすか。
(記者)
 いや、違う。だから。
(市長)
 他人事みたいに言っとるのはあんたじゃないか。
(記者)
 他人事じゃなくて、だから、暗礁に乗り上げていること自体が。この名古屋城復元化計画が進まないこと自体が、それは市長のご責任だということは思われてるんですか。
(市長)
 いやいや、それはもう、そう思うよりしようがないです。市長をやってますから。
(記者)
 しようがないというと、本心では思ってないみたいに聞こえるんですけど。
(市長)
 800万、給料もらってますから。残念だけど、しようがないですよ。だけど、エクスキューズを言わせてもらえれば、こういう日本で初めて、世界で初めての木造復元ですよ。国宝の復元ですよ、旧国宝(であり城郭としての指定)1号の。というのは、ものすごいエネルギーが要るいうことですよ。エクスキューズを言わしてもらえれば。
(記者)
 じゃあ、単刀直入にお聞きするんですけれども。前回の市民討論会なんですけど、市長自身は自分のこれまでのあそこに至るまでの発言だったりとか、あの会自体に関わってきた、復元計画に関わって市長自身、悪いと思われているのか。別に、本心ではそんな別に自分自身は悪いと思ってないとか。
(市長)
 悪いけど、何か変なことを言っとられますけど。わし、本会議でも謝りましたし、議会でも。何遍も謝っているじゃないっすか、これ。何を言わせたゃあんですか、それ以上人間に。
(記者)
 先ほどですね。
(市長)
 それは、申し訳なかったと思ってますよ、自分自身にも。まあ、市民の皆さんの理解を得てね、名古屋の宝ができてくいうのを見たかったですよ。早く。だって、しょうがないがね、これ。
(記者)
 先ほどの、いや、我慢せえよというのは、実は差別発言じゃないっていうような言い方とかですね。
(市長)
 そんなことないですよ。もう、ええ加減に正確に言ってくださいよ。我慢しろいうのは、裸の言葉で我慢しろだけだったら、例えばあの人と両方が、あれ。例えがあまりよくないけど、質問したほうの人が、私は本物のお城を造りたい。だで、いろんなことを若干時間かかったりするのも我慢しとると。だけど、あんたも完璧な誰もが上がれるようなお城をつくりたいと。これ。しかし、なかなか両立しにくいじゃないかと。だから、お互いに我慢しようじゃないかと、そういう発言をした場合ね、仮に。言い方です、これ。言い方だけだ。現実と違うけど。ああいうようなきつい言い方をされると差別発言になると。じゃないのかと。じゃない。そういう意味ですよ。
(記者)
 分かりました。
(市長)
 そんな論争しとったって、もう、しょうがないですから。ほんなの。粛々と調査というか、進めていただいて。
(記者)
 市長、すみません。引き続いて、名古屋城の話なんですけども。今後、外部検証委員会が立ち上がっていく中で、この間の先日の議会の議論なんかを聞いていると、やっぱり市民討論会そのもののみに絞って検証するよりも、過去のプロセスにさかのぼって検証が必要ではないかということで。今、市のほうもそういう流れで進んでいると思うんですけれども。
 議員さんとかからは、結局これまでの議論の在り方が対立構造を生んで、結果的に市民討論会の場でああいう発言が出てしまったんじゃないかっていうような、市長が分断を招いてきたみたいな、その議員の発言もあったんですけども。市長自身は、これまで過去にさかのぼって、そういった指摘について、名古屋城の復元全体のその議論の進め方っていうのは、今、問題があったか、なかったかということも含めてどういうふうに捉えらえていますでしょうか。
 もう1点が、その検証委員会というのは、あくまでも市民討論会の部分を検証するべきなのか、それとも、これまでのプロセス全体も含めて検証するべきなのか。市長としてのお考えはどちらかということをお答えください。
(市長)
 まあ、一番最初からいきますと、まあ、皆さん全員でイッツ・オーケーというふうになるとそりゃいいんですけど。もともと、これは名古屋はずっとさかのぼりますと、経済のあれだったかな。もう木造じゃないわ。コンクリートで耐震補強するというふうに決めとったときがあったみたいです。相当前です、それは。相当前です。
 ただ、本市におかれましても、昭和二十何年かの調査によりますと6割から7割が木造にしてくれと言っとると、アンケートで。その後、しかし、燃えない城を造ろういうことで、まあ、コンクリートでやってこう。国策でもあったんですね。熊本城もそうですから。
 だから、そういう経過をたどっとりますので、僕はそん中でも、そりゃ一人でも理解してもらったほうがええでね、これ。何でこんな途方もないことやるんだと。木造天守閣で何考えとんだと。ではいかんもんだで、一人でも(多くの方に)理解してもらおう思ってものすごい時間をかけてきたわけだ。
 何回やりましたかね、私、これ。区民の区役所行って説明会。何回やったでしょう。議会でも何回か議論がありまして。まだまだ足らんと言われば、そうか分からんけど。まあ、僕とすれば精いっぱいの努力はしてきたと。だけど、それほどまでにこの名古屋の城を、まずこんだけ言っても知られてませんわ。そんな、何、木造で(旧)国宝(であり城郭としての指定)1号だったの、図面もあるのって。まあ、そういう方が非常に多いです。残念ながら。
 だけど、そのためには、やれる努力は相当してきたつもりですけど。まあまあ、まだ、おみゃあさんのやっとることが足らんのだ言われれば、そりゃあまあ、自分で謝るよりしようがないということですけど。まあ、僕とすればベストを尽くしてきたと、皆さんの理解が広がるようにね。
 僕でもそうですよ。一言いいますと、私も小学校のときに、よう写生会ですね。絵を描くのでこの名古屋城に来て絵を描きましたけど。このお城が(旧)国宝(であり城郭としての指定)1号で、そんな図面が正確な図面があると、写真まであると知りませんでしたからね、子どもの頃は。私、知らんかったですわ。で、一番上に上るとあれがあって、双眼鏡が。うちのほうが見えるかなというぐりゃあの楽しみだけど。これが本当に木造になったら、昔の天守だったらすごいだろうなとは思いました。小さい頃に。
ええ。まあ、そんなことですから。まあ、精いっぱいやってきたということしか言いようがないわな。ほんだで、どこまでさかのぼるかいうて、もう、これ議会でも可決されておりますし、何遍も説明しとりますんで。
(記者)
 市長、すみません。ありがとうございます。市長としてベストを尽くしてきたということで、今お話を頂きましたけども。これ、検証委員会が必要とあれば、市長がベストを尽くしてきた期間の過去にさかのぼって調査が必要だって言われれば、それに対しても応じるという。
(市長)
 それは、喜んで応じますよ。
(記者)
 喜んで応じる。
(市長)
 うん。悪いですけど。私を一番先に呼んでくださいと言いますわ。
(記者)
 分かりました。ありがとうございます。
(市長)
 はい。
(記者)
 私はちょっと未来の話というか、検証委員会が終わった後ですね。それを基に、またバリアフリー対策については議論をして、実際に計画について考えていくことになると思うんですけど。今回の総務環境委員会のほうでやった、出された担当局の6人へのヒアリング調査の結果を読みますと、やっぱり市長の思いを実現させようとして、一方で市民の声も聞く中で、かなり無理というか大変な心理的なプレッシャーを受けながらも計画を進めて。やや、ちょっと市長の発言、昇降設備を技術選定のときから始めて、この技術は認めないとかいう発言も市長がされたというのがヒアリング調査の中の資料には出てきたりするわけですけれども。
 検証を終えた後のスキームとしてなんですけども、どういうふうにバリアフリー対策について臨んでいかなければいけないかと、どういう議論を改めてしていかなきゃいけないかと思っているか。今のご所見を伺います。
(市長)
 そんなもん、もう、さっきから言っとるように、一番上まで、いわゆる構造の変革いってもいろいろありますけどね。決まったもんじゃないっすけど。5階まで今のやつ(選定された昇降技術)でも大体1.5メーターと、ほんで囲いまで入れると3メーターの穴を開けなあかんと。多分、真ん中に開けなあかん言ってます。両方にこうやってなってくるから。ふちのほうは木が集中しますんでスペースがない。真ん中に、これ絶対じゃないですけど、3メーター、3メーター、もしくは1.5メーター、1.6メーター、穴だけだったら。囲いも要りますからね、これは。を造るような格好でのことは、この辺は価値判断になりますわね。よくいろんなものを見とると、火災報知器もあるじゃないかとか、何とか言いますけど。これは、文化庁の木造とは書いてなかったかな。歴史的建造物の復元に関わる要綱(正しくは「史跡等における歴史的建造物の復元等に関する基準)という、ちゃんともうルールがあります。そこには、高い蓋然性を持った建物を造ることと書いてあるんです。
 そんな、もともと天守の下にはケーソンがありまして、7,000トンの、これが。あれを変えろという意見はないんです。これはさすがに。地震等もありますから。だから、全く寸分違わぬいうのは、火災報知器もないという意味じゃないです。ほれから、中にまた防災については配慮してくださいという文化庁の規定(正しくは「基準の配慮事項」)にあります。この復元が認められるには。だから、それに対して忠実に高い蓋然性を求めて、高い蓋然性というのはプロパビリティーというのか、大体こうであるという意味ですけど。オールモスト・オールという感じのものを造っていくということを、これでいこうと。なるべくようけの人にそれは理解してもらってと。
 私、これは悪いけど任務でやってますからね、これ。本当に。よく言っとるじゃないですか。建築基準法の除外規定のところに、こういう歴史的建造物をなぜ人間は残すんだと。こんな危ないものを、金もかけて。これ、法隆寺の五重塔ですよ、一番分かりやすいのは。あんな危ないものを。修学旅行(生)がようけ来るのに。それは、任務だからとはっきり書いてありますよ、これ。任務なんですよ、オブリゲーションの仕事なんですよ、これ。今を生きる名古屋の人間として。名古屋に焼け野原になっちゃったこの名古屋のまちに、1個だけはやっぱり本物と世界に自慢できるものを残していきたいと。そういう気持ちです。ほかに二心は全くありません。
(記者)
 ありがとうございます。ちょっとそもそもの質問になってしまうんですけど。その職員へのヒアリング調査の議会で出されたヒアリング調査結果の資料は、市長はお読みになられましたか。
(市長)
 はい。見ました。
(記者)
 それについて、どういう印象を。
(市長)
 それは、まあ、みんないろんな気持ちがあるんだけど、だなあと。だけど、僕が今言ったように、任務だと、これは。それと、名古屋に宝を自分で残してこうと。これ、ほんで、不自由な皆さんに対してもね。不自由ってあんまり、ハンディキャップのある皆さんに対しても、自分で行って、それこそお願いしてこうと、これは。そういう気持ちのあるとこはなかったのかなとは思いましたけどね。そういう記述はなかったわね。任務だと思っとってと。そちら側の気持ち。ええ。みんな上がれるいうのも、それは気持ちだろうと思うけど。宝を残そうという気持ち、その発言はちょっと確かにあん中にはにゃあなあと思いました。
(記者)
 ごめんなさい、重ねてですけど。じゃあ、市長のほうで思ったのは、要は市長の任務という、そこも一つの視点だと思うんですけど。そこの点が、記述がなかったという点でいうと、職員にうまく伝えられてなかったかなとか。そういうところは。
(市長)
 やっぱり前からずっと言っとったんですけど、これは。なかなかそこまで何遍も言っとったんだけど、伝えきれとらなんだかなと思いますね。だで、市民に伝えるだ、これ。しょうがにゃあで。街頭でも立ってやるですよ。宝を残しましょう言って。いうことですよ。
 たった一つの宝です、多分。もう、今後こういう問題が出ることは名古屋のまちはありません。多分。多分だけど。はい。
(記者)
 おはようございます。その検証は進むにせよ、先月中旬にあった障害者の方からいろんな要望がありました、団体から。まず、要望書プラス質問も投げかけられていると思いまして。結局、この問題の一つは、障害者の皆さんとのコミュニケーション、そこの部分も問われている気がするんですね。
 検証期間がある程度かかるのであれば、同時に、今市長の思いとか、お互いの部分で折り合うというか寄り添う、折り合う部分というのも議論が必要だと思うんですけども。障害者団体の皆さんとどのような形でこれから、よく議会では局長の皆さんが信頼回復に努めるとおっしゃいますけども。それが具体的にどういうことをやっていくかということを、今後、市も検討しなきゃいけなんじゃないかと思うんですがいかがでしょうか。
(市長)
 そりゃそうだね。役所のほかの政策でもようあるんだけど、どうしても部下に任せてまうんですわ。どうしても。だから、やっぱあ直接やっぱり僕のこっだもんだで。まあ、一人ずつの方に話できりゃ良かったなと。今からでもできるんですけど。そういうコミュニケーションは、もうちょっととらなあかん。もうちょっとじゃないけど、ちゃんと。「話せばわかる」言って犬養(毅)さんは撃たれて死にましたけど。
(記者)
 話せばわかる。
(市長)
 はい。話せばわかると。
(記者)
 市長、熊本城の話は、市長のおっしゃる部分というのはそのとおりだと思うんですが。あれは議会の質問とか新聞で出たっていう話はですね、一つのバリアフリーを考える一つのきっかけというか、決してオール・オア・ナッシングじゃないんじゃないかってことを提示する一つの見方を示しているだけであって、熊本城にしようというのは誰も指摘してないわけで。そこの部分でやはり何かもうプラスアルファとか、今、停滞している議論をお互い折り合う部分っていうのを検討するっていうことが大事なんじゃないかと思うんですけれども。
 今のお話の延長で、そこの部分について、今の整備計画案が出ている部分、やはりバリアフリーにもう一つ考え方をプラス織り込まなきゃいけないという思いとかはいかがでしょうか。
(市長)
 まあ、熊本城のことについては、昨日ですけど、ある出とったら、やっぱり誤解しとる人、いましたよ。ああいうふうにマスコミ等で出るもんだで。熊本城と同じかな言って。
(記者)
 まあまあ、それは。
(市長)
 違うで言って。それはいましたよ、現実に。みんなそこまでものすご詳しくお互いにそう勉強しとるもんではありませんから。いうことがあったと。
 いろんなアイデアについては、まあ、僕は何遍も言っとったのに、最上階まで上がってはいかんいうのは、現状の変更を一番ひでえのは柱10本、はり10本、柱29本、逆か。(正しくは柱10本、梁29本)取ってしまうようなのはとにかくだめだし。それいかんでも、真ん中に3メーター、3メーター、そんなぼんと、どう言うんですか、構造物ができてしまうのは、まあ、100年後に国宝を目指してやってくわけですよ、これ。ちょっとまずいんじゃないのと、それは。その間、ここ5年、10年でもっといいテクニックが出てくる可能性は十分ある。
 だで、某ちょっと名前言うのはやめてきますけど、会社に僕が5、6、7、8年前頼んだときにチームをつくってくれて。その方はチームをつくって検討したけど、今の時点の技術ではと。条件つきですけど。これは、人力でみんなで支え合って上へあげていくほうが多分いいでしょうと。今の時点ではということを言った人もいますんでね。
 その追及は、例えばリニアモーターカーという、何だ言われるか分からんけど聞いてくださいリニア(の技術開発)やっとる人に、河村さんから何遍も電話がかかってきてうるさてしょうがなかったとか。リニアの技術はこういうふうにすっと上がっていくようにならんか。また、大阪万博で結構ええのが出るらしいです。もっと小型化せないかんもんで。やっぱり最低5年はかかる。3年から5年はかかるんじゃないかと言ってましたけど。
 そういうのをずっと追求してくと。それは、やり続けないかん。名古屋で文化財のそういう建物にもみんなそうやって上がれるようになったと。車椅子だけじゃなくてね。ベビーカーの子どももね。ベビーカーの子どもさんにも上がってほしいですよ、そりゃ。俺からすれば。そういうのをどういう技術でやっていくかということは、調整を続けるというこったけど。現状において、ものすごい、何か現状に変更を加えてまってですね、失望させてまうということはやめられたほうがええんじゃないっすかと。やめてほしいと、お願いだで名古屋に宝を造らせてくれと。そのための方策は考えますからということですよ。
(記者)
 市長、現状の昨年12月に発表された(株式会社)MHI(エアロスペースプロダクション)の垂直小型昇降機については、従前どおり最初には1、2階(まで)とおっしゃったけども、現状では1階(まで)、まず一つで。さらに、別の技術を模索するということですかね。
(市長)
 そうそう。それはそれでやってかないかん。
 それと、今の(株式会社)MHI(エアロスペースプロダクション)のでも、やはり上については、わし、聞きましたけど、本当にあんだけ通れるのかどうかと。確定してないんですよ、あれ。だから、ちゃんと造らなあかん言うて、模型みたいなやつを。天守閣で三角になっとる縁のほうは木が入り組むわけです。そこん中にうまいこと入るかどうか、これ。これは確定してない言ってましたよ、私に。
 だで、そういう状況で無理なことをやるのもどうですかねということなんですけど。まあ、5年、10年、ちゃんと責任を持って模型まで造りましたで、階段の。あんなとこ、やったことないですよ、どこも。すごい金かけて。これ。そこでもっと本当に(公募に提案を)出すいう人がおったけど、僕が割と頼りにしとった人は出さなんだで。応募しなんだ。名前は言えませんけどね、そういうふうだで。まあ、そういうことだで。まあ、ええのが出てくると思いますんで。
 まあ、世界初めての技術と、名古屋の宝と。名古屋の。本当に宝を造らんと、ええホテルができましたけど、あそこなんか言っとると思いますね、これ。本当にええかねと、名古屋市は。これ。多くの人が残念だけど、名古屋じゃ何にもにゃあわやと。こんなこと言うと感じわりぃけど、本当のこと言ってですよ。言う人も多いですよ、これ。ねえ。そんなまちにして、まあ、商売も大きいですけど、やっぱ精神的にやっぱりみんなで自慢できるもんをつくりたにゃあ、本当に名古屋に。
 多分、これ1個ですよ、あと1000年。1個ですわ。よういろいろ検討しましたけど。まあ、1個でしょうね。こういう話になるのは。歴史的建造物で相当値打ちがあって、エレベーターをつけて構造が変わってやめたほうがええか、やったほうがええかいう議論になるのは。もう、ないですね。ええ。
(記者)
 ないですか。
(市長)
 ないです。
(記者)
 市長、すみません。手短にお伺いしたいんですけれども。先ほどから本物、本物の名古屋城というふうにおっしゃっているんですけれども。文化庁は、これ、復元したとしてもそれはあくまでレプリカだっていう認識というか、そういう文書みたいなものを出してるんですけれども。
(市長)
 レプリカとは書いてないでしょう。
(記者)
 複製品、レプリカって書いてありますよね。
(市長)
 何ですか、それ。
(記者)
 ガイドライン(正しくは、「史跡等における歴史的建造物の復元の在り方に関するワーキンググループの天守等の復元の在り方についての取りまとめ資料」)のほうに。だから、あくまでも複製したものは。
(市長)
 復元的整備と書いてある。それとは違う。
(記者)
 復元的整備でつくられたものは、あくまでつまりレプリカであって。つまり、国宝とかそういうものではないという。
(市長)
 復元的整備と、復元とは違いますからね。全然。
(記者)
 え。副市長、これ、レプリカではないんですか。
(市長)
 そういうね、悪いですけど、そこまで言うと時間かかってやめてくれ言われるけど。例にね、なぜ日本はこういう復元という議論をするのかいうて、木造は燃えちゃうからですよ、これ。木の文化というとこういうことなんです。
 だから、何年か前に奈良ドキュメントというやつで、燃えるとなくなるのかと。欧米の考え方いうのは、パルテノン神殿だとか、この間のフランスのパリのノートルダム寺院だとか。あれ、木の部分は燃えましたけど、石の部分は残っとるわけ。向こうは本物の本物じゃないといかんのです。となると、日本の場合燃えちゃうじゃないですか、こうやって。ほうでしょう。伊勢神宮は国宝とかそういうのじゃないですよ。春日大社は国宝ですけど、あれ20年ごとに作り替えるわけ。
 じゃあ、どう考えたらええんだと。だから、復元というただ抽象的なものじゃなくて、3つ要件をつけとりまして。あったその場所にもう一回造ること、ほれから、もう一個は、材料もなくなってますけど同じ物を使うこと、もう一個は図面等、そういう物が残ってること。この3つ要件が備わったら、これ、木造復元としてあたかもそれはそこで焼けなかったと、そこに現存するんだというふうに考えるんですよ、これ。
(記者)
 すみません。
(市長)
 これが木の文化の。
(記者)
 あの、一応文化庁はですね、再現された歴史的建造物の価値についてというところで、価値を伝えるための手段としての複製品、レプリカと捉えるというふうに記載しているんですけれども。要するにですね聞きたいのは。
(市長)
 後で見せてちょうでゃあ。それは抗議しますから、もしそういうふうだったら。
(記者)
 それで、お聞きしたいのが、本物かどうかっていうのは誰が認定するんですか。
(市長)
 それは、社会が認定するんですよ。
(記者)
 社会っていうのは、具体的にはどういうことですか。
(市長)
 皆さんが認定するんです。それは、形式的には文化庁ですけど。
(記者)
 文化庁が本物と認定できるっていう認識でいらっしゃるんですか。
(市長)
 認定できるいうか、許可するいうことです。復元を許可すると。
(記者)
 復元を許可したら、それは本物ってことなんですか。
(市長)
 本物というのは、言ってきますけど、木の文化の場合は燃えちゃうんです、みんな。
(記者)
 それは分かるんですけど。つまり、市長が本物、本物っておっしゃってるんですけれども。要は、建て替えているわけじゃないですか。例えば、明治(時代)以降に何か復元されたものでそれを文化庁とかが国宝と認定したりとか、つまり本物と認定した事例って多分これまでないと思うんですけれども。大昔は分からないですよ。だから、その本物っていうのは何をもって本物なのか。それは、河村市長が、いや、これは本物だって思えばそれは本当なのか。それは何をもって本物なんですか。
(市長)
 それは市民が思うんでしょう。今言った文化庁の奈良ドキュメントで立てた3つの要件ね、それに合致してると。同じ場所に造る、材料も同じ物で造ると、焼けちゃったけど。ほれから、図面等が残っとるという場合については、それはそこにあると、あたかも。焼けなかったと、昭和20年5月14日に焼けなかったと、これは。いうふうに考えるんです、木の文化というのは。
(記者)
 木の文化で。
(市長)
 それを本物と言うんですよ、それを。
(記者)
 じゃあ、木で復元したら本物っていう認識なんですか。
(市長)
 え。いや、その3つ要件が要りますよ。文化庁が立てとる。
(記者)
 じゃあ、文化庁が本物と認定するっていうことなんですか。だって、本物って誰かが認定しないと本物にはならない。
(市長)
 本物は市民が認定するんですから、みんなで。ほら、みんなで、ええ建物造ったなと、燃えちゃったけど。
(記者)
 ああ。じゃあ、市長が言う本物っていうのは、市民の皆さんがこれはいい建物だと思ったら本物ってことなんですか。
(市長)
 そういうことです。
(記者)
 分かりました。ありがとうございます。
(市長)
 その代わり、そんだけの手続が要りますよ、今言った。要件も。勝手に何でもというもんではありません、これは
 木の文化、あまり言うても長なるけど。木の文化っちゅうのは本当になくなるんです。木の文化というのは。だから、一定の要件の今言った3つですわね。奈良ドキュメントで文化庁が言ったの下で、あたかもなくなっても、火災もあるし、朽ち果てる場合も。パルテノン神殿の石と違うわね。パリのノートルダムが一番ええですわ。木の部分は全部燃えてます。だから、前の石の部分、そのまま残ってますから。
 だから、そういう要件の下であたかも燃えなかったというふうに大事にしようと、みんなで。要件つきね。いう概念を、今挑戦しとるというこったもんで。大変ですわ、んだでこれ。ええ。
(記者)
 続けて。
(市長)
 はい。
(記者)
 今回、検証チームということで立ち上がるんですけど。それで、市長の認識として、今おっしゃってたような計画自体が遅れてしまうという認識はお持ちと思って良いのでしょうか。
(市長)
 いや、それはまずいわね。丁寧にやるにしても。何でか言うと、やっぱり本当に待っとる人、多いから。ええ。特に高齢者。俺もそうだけど、死んじゃうがね、本当に。ええ。
(記者)
 認識としては、検証チームを設置することにより遅れるだろうなということはお感じという感じですか。
(市長)
 そんなこと、あんまりそんな不幸なことを考えとったってしょうがねえがね、もう。世の中は。常に前向きでいかな。それと、寄附してくれた人もようけござるし。その人たちの期待に応えなあかんがね、これ。ほうでしょう。いう話ですわ。ほんだで、粛々と、淡々と調査やるんだったら僕から始めてくださいよ。滔々としゃべりますから。今の木造復元とは何かと。なぜ時間がかかったのかということもいいですよ。
(記者)
 分かりました。
(記者)
 すみません。
 先ほど質問にさらっと答えられたんですけど。この垂直昇降機について、1階まで、設置は1階までっていうふうにお考えなんですか。
(市長)
 いや、まあ、何とも言えんけど。そういうことを言っとる人もものすご多いんですよ。初め一、二階(まで)だわなと言ってましたよね、せめて造っても。と言ってましたけど。一遍、ヒアリングしたってちょうでゃあ。本当に。本物を造りてゃあいう人に。その人もようけいいるから。
 2つ造れという人も結構いますよ、今。昨日もいました。本当の本物は、本当の本物で造れと。まあ、朝日の記者には本物でにゃあかも何か知らんけど。
(記者)
 いやいや。僕の話は、誰が認定するんですかっていうことを聞いてるんですけど。
(市長)
 そりゃあ、世間がや。
(記者)
 何を根拠にして認定するんですかと。僕は別に認定できないです。本物か。
(市長)
 3つの要件があって、最終的には市民がみんなでこれは本物だということです。形式的には文化庁です。
(記者)
 もう一個。垂直昇降機は設置はするんですか。
(市長)
 まあ、あれ、選定しましたからね。ええ。となると、まあ、1階なら1階で。まず、1、2階は構造がよく似てます。同じじゃなかったかな。まあ、いろんな議論ありますけど。まあ、しかし、そういうことに選定しましたから。ですけどね。あれはあれでまた工夫も考えられるかも分からんし。いうことです。
 ほんだけど、わしも、何かあれでと言ってますけど。みんな上れる言うと11人乗りじゃないとだめですよ。電動車椅子を。ええんですか、これ。何も言わないけど。ほうでしょう。電動車椅子だと、もうはりと柱、10本と20本(正しくは柱10本、梁29本)外さないかんがね。そうなると、これは業者から聞いたんですけど、業者の皆さんから。もう、木では構造耐力がないから鉄骨に変えないかんと。ほうなったら、もともと木造じゃないで何のためにやっとったんだいうふうになりますよ、これ。
(記者)
 あと、議会の中でも話題になった、副市長答弁にもつながってしまったわけですけど。この垂直昇降設備を名古屋城にカスタマイズというか、する上で3年ぐらい技術検証が必要でというのが、技術的に体制として整えるっていうのが3年ぐらいかかるっていうのがありまして、期間として。それを終えてから設置階について考えるのか。それとも、やっぱりそれはそれとは別で、まず3年以内でも設置階については改めて考えるのか。そこら辺は。
(市長)
 3年言うてますけど、私が聞いたとこだと、ああいう構造物で上まで造ると、3メーター、3メーターのかごができてこうなってくんで。煙突みたいなやつをやってですね、仮に火災とか、火災はあんまりないんだけど。煙が出たとき、どうも大変なことになるみたいですよ。ああいうのを造ると、これ。という話を、これはそちらのほうのプロから伺いました。それは。階段ならまだええけど、そういうのだと本当にみんな死んじゃうでいって、これ。煙の通り道ができちゃうもんで。
(記者)
 ありがとうございます。この後、その3年以内に結論を出すか、3年後に実際に技術としてどこまで設置できるかというのを検討を終えてから考えるのかというと、まだそこは未定という感じですか。
(市長)
 そりゃ、まあ、普通は早く造れるとこは造って。あとは、リニアのある業者は、「河村さん、3年から5年はとってくれと。今はできんけど、小型のリニアモーターカーってなかなかの、リニアモーターか。技術の挑戦になるんで難しいけど、3年から5年待ってくれ。」いうとこもあります。ほかの外づけでやる意見もあったんです。今は特にあるじゃん、空飛ぶ自動車とかあるでしょう。昔やったけど、消防車みたいなやつ。その代わり、周りは危ないからちゃんと囲っといて。その代わり、上で入ってくとこを造らないかんけどね。まあ、そういうのも5、6年前に検討したんだけど。まあ、全て出してくれんかったね。全てではないか。
(記者)
 ありがとうございます。
 お時間がそろそろ迫ってますので、市政一般の一部を終えさせていただきまして、二部のほうに入らせていただければと思います。よろしいですか。
(市長)
 お願いしますよ。

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