名古屋市役所 郵便番号:460-8508 愛知県名古屋市中区三の丸三丁目1番1号 電話番号:052-961-1111(代表) 所在地、地図
それでは、おはようございます。2月4日(月曜日)でございますが、記者会見を始めたいと思います。
本日は、まず、名古屋市美術館にて開催される開館30周年記念特別展「辰野登恵子 オン・ペーパーズ」について、お知らせします。
名古屋市美術館は、昨年4月に開館30周年を迎えました。これを記念した最後の特別展として「辰野登恵子 オン・ペーパーズ」が2月16日(土曜日)から始まります。
辰野登恵子さんは1950年生まれ、長野県岡谷市出身の画家で、現代美術の中でも特に抽象絵画の可能性を広げた画家として知られております。
辰野さんは1980年代後半に、豊かな色彩と存在感のある形を大型のキャンヴァスに描いた油彩画で評価を高めました。
本展覧会は、こうした高い評価を得ている絵画はもちろんですが、本格的な油彩画の制作に移る前に手がけていた、初期の版画やドローイングなど、これまでまとめて見られる機会が少なかった「紙」に描かれた作品を数多く展示して、画家・辰野登恵子の全貌、創作の過程に迫ります。
油彩、アクリル画31点を含む合計 約220点の作品で、辰野の40年余りの画業を振り返る本展覧会、どうぞご期待ください。
(当局)
本展覧会でご紹介いたします画家・辰野登恵子は、美しい色彩と丸や四角、ひし形といった単純で大胆な形を用いて独自の抽象絵画を生み出した画家として知られています。
1995年には東京国立近代美術館で、当時最年少かつ女性としては初めて個展を行い、また、2013年には毎日芸術賞を受賞するなど、高く評価されていましたけれども、2014年に惜しくも64歳で逝去されました。
この展覧会のタイトルの「オン・ペーパーズ」、これは紙の上の表現を意味します。辰野が1974年に東京芸術大学大学院を修了してから、しばらく制作していた版画作品、それから、1980年代以降に油彩画の制作と並行して制作されてきた鉛筆とかパステルを用いたドローイングの作品、こうした紙に描画された作品を約190点、展示いたします。
辰野が初期から晩年まで描きためていた、いわば実験的な作品を一挙にご覧いただける貴重な機会となります。
名古屋の美術ファンはもちろん、図工や美術に関心のある学生さんにもぜひご覧いただきたい内容となっております。
「辰野登恵子 オン・ペーパーズ」は、2月16日(土曜日)から3月31日(日曜日)まで、伏見の名古屋市美術館で開催いたします。どうぞご来館いただきたいと思います。
(記者)
愛知県知事選挙が昨日ありましたが、その感想と、今後、愛知県とどう連携をとっていくかということを教えていただけますか。
(市長)
元気に人生生きてってほしいということでございますが。それと、やっぱり尾張名古屋は大事にしてもらわないかんですよ、本当に、これはねえ。どう言いますか、やっぱり歴史的な廃藩置県じゃないですけど、まず、この基礎的自治体というものがありまして、名古屋市と尾張名古屋と、といって三河と分けるわけじゃないですけど、徳川家康も三河ですから、そういう意味では、愛知県的な広がりがあるんだけど。やっぱり大都市機能というのはもっとせいぜい利用せんといかんですわ、これね、と思いますね、いろんな意味で。
それと、あんまり何遍も言っとっていかんけど、やっぱり応援をしないのはですね、そういうびっくりこくようなことはあんまり言うもんじゃにゃあぞと。支援をしないと記者会見で言うとかね。酒飲んだときに、「あいつ、ばかやろう」とか言うのは、そんなもんはまあええですけど。それとかいうことですけど。一応、私も給料800万円、税金でいただいておりますので、やっぱりそれは名古屋市民のため、まあ愛知県も同じようなことですけど、のため、日本国のために働かないかんですから。それは愛知県なら名古屋市とか、そういうことの働くべきことについてはちゃんとやりますんで、それは。そりゃまあ市民の皆さん、別に全然心配せんでもええです、それは。これはね。そんなことですけど。
大名古屋は大事にしてちょうということですわ。その大名古屋も今や、あれでしょう、税収もリーマンショックの後からずっと減税してきたんだけど、税収の伸び(平成30年度当初予算額の対平成21年度決算額比)も大阪市を抜きまして(旧5大市で)トップになりましたし、名古屋は。減税しとってですよ、これ言っときますけど。マスコミも誰もわかっとりゃせんけど、わかっとるのに書かんのか何かようわかりませんけども、1,000億円返したんですよ、名古屋はこれ、市民に、約10年間で。1,000億円、現金ですよ。手形じゃないですよ、これ。1,000億円、毎年100億円と。100万世帯ありますから、毎年1万円、だから皆さん全世帯にわたって10万円。こんなことをやっとるとこは、日本中で名古屋しかなくて、今の政府の議論だったら、1,000億円も減税したら、市民サービスが悪ならないかんじゃないですか、福祉が。それどころじゃない。名古屋は日本一税金が安くて、日本一福祉がええと、自信持っとりますよ、これは。特に子どもさんへのいろんなサービスは、まだまだこれ途上ですけど、圧倒的に日本一ですよ、これ。というようなことをやってきた、名古屋はね、これ。やっぱり大事にしていってもらいてゃあと、ありますけどね。
お城のこともありと。またいろんなご意見言われるのもあれですけども、大事にしてもらわないかんですわ。お城のことはちょっとさっきあった幹部会でも言いましたけど、本当に某重要な資料が出てきまして、今日見まして、昭和23年の、ちゃんと覚えといてちょうよ、皆さん、配るとまずいということで、ほんであれだけど、23年にですね、某新聞社がアンケートをとっとるんですわ。昭和23年いったら僕の生まれたときですけど。お城ができたとき、昭和34年ですから、お城ができる10年前ですね。
大体名古屋の、今も同じですね。これできると大体10年ぐらい前から議論が始まったことになりますので。だで10年前に名古屋のお城はどうだと。木造がええか、近代建築、コンクリートがええかいってアンケートとっとるんですわ。トップは何と木造ですね、44.7%。第2位が近代建築、37.何%で。大体2割、実はあの当時でも木造が多いんです。びっくりしましたね、これ。何となく今までは、当時、皆さんの民主主義の力でというか、コンクリートを推進したというような気持ちが、そうやって書いてあるとこがあるわけ。
だけど、わしはおかしいなと思っとったんですよ、これ。昭和23年、生まれたときで、意識がまだなかったと思いますけど、私も400年名古屋に住んどりますけど、70年、そういう気持ちになったことは僕ないですからね、コンクリートのほうがええいうの。だから、おかしいなと思っとったら、実は違うんですわ、これ。
その記事の一番最後に、名古屋市の職員のコメントで、それも部長さんの、当時の復興部長って書いてありましたね。どう書いてあるかと言うと、4,000万円だったと思いますけど、6,000万円かわからん。「4,000万円も使えば立派なコンクリート製のお城ができるでしょう」と書いてある。その記事のところに、昭和23年に。44.7%のアンケートについては、もしできたらと思っとる人が多いというような、だから確定的な気持ちじゃないようなことを書いてありますけど、もうむちゃくちゃですわ、本当に。
ということですので、ちょっと話があれになりましたけど、そういうやっぱり名古屋の市民の気持ち、文化庁にも言ってきましたけど、その話を。大事にしたってちょうよということですわ。でしょう。愛知は愛知で広いですけど、そりゃあ、農業生産高も大きいし、うみゃあ魚介類もぎょうさん食えるでありますけど、やっぱり一定の大都市いうのもやっぱり要りますのでね。これはこれで名古屋を大いに大事してもらって、この名古屋が世界に冠たるニューヨーク、ロンドン、パリ、名古屋と言えるようになることが、愛知県の発展にもなるし、日本の発展にもなるのが当たり前じゃないですか、それは。そういう視点は大事にしてちょうよと、そういうことです。
(記者)
今の知事選のことに関連してなんですけれども、いろいろ個人的な思いは持っていらっしゃると思うんですけれども、愛知県知事が大村さんになったので、今後どうしたいかというのを、愛知県との関係について。
(市長)
そりゃ、東京に負けんようにしっかりやるだわね。そういうことですわ。
(記者)
そういうふうにするために、名古屋とどうしたいですか。
(市長)
そりゃ、名古屋が頑張ることですよ、まず。
(記者)
手を組んで頑張るということですか。
(市長)
手を組んでもあるけど、手を組んで同じようなことばっかりやっとっていかんので、そりゃあ、名古屋は今もやっていますけど、(恒久)減税だって名古屋しかあらへんじゃないですか。ほんでトップになったと、税収の伸びが、とかね。それから、この辺のいろんな、ちょっと大きいので言いますと、あれですわな、ソフトバンクとトヨタ自動車さんと一緒に組んで、名古屋でね、今度の来るべき、自動車という言葉が残るかどうか知りませんけど、モビリティーですか、英語で言やあ、移動の手段の大実験が行われるとか。それから子どもさんを、今日も幹部会で言っとったけど、千葉の本当に悲しい事件ですわね、ああいうものに対して、わし皆さんにまた話、そのぐらい言ってもええけど、いろんなテレビをよう見とるけど、教員を責めること、児童相談所を責めること、それから親を責めること、だわな。それに終始しとるがな、今のとこ。とりあえずはええかもしれませんよ、それは。そこからどうしたと、どうすべきだったいうのが、相変わらずあれへんもんな、これ。
名古屋から言わせてみれば、やっぱり名古屋でやっとる、いわゆる専門職常勤のスクールカウンセラーをちゃんと学校に置いとくべきじゃないのかと。ああいう「先生、何とかできませんか」と言われたときに、その先生がちゃんと常勤職のスクールカウンセラーに頼めて、その人たちが朝から晩までちゃんと毎日フォローできるような体制を持っとる必要があるんじゃないのかと。名古屋にはありますけど、名古屋しかあらへんのだで、これ。とかね。今度の、来年度から予算措置して制度もできますけど、そういうとこに、先生が例えばああいう文章をもらったときに、相談に行くところが学校でやっとるでしょう。そうじゃなくて、ちゃんと別個のとこがあるんです、ちゃんと。本当の独立なところなんです。子どもの悩みやら親の悩みを引き受ける子どもの権利擁護機関というのが。この4月から、条例を通してもらったらですけど、できるわけです、名古屋で、これが。
そういうことでしょう、それはアメリカにはあるんだから、これ。ヨーロッパではオンブズマン、アメリカではコミッショナーと言いますけど。それもよほど独立しとらないかん。そういうとこをつくらないかんじゃないのかとか。
(記者)
そういう名古屋市のもろもろやっている施策と、それに例えば抜けているところとか補完する部分は愛知県になってくるんですか。
(市長)
いやいや、それは役割が違う部分があるもんで、それはそれで名古屋でがんがんやってきゃええわけですよ。
(記者)
その手の組み方というのが、ごめんなさい、今の説明ではちょっと見えてこない。
(市長)
手の組み方いって、別に名古屋はこれ一国で独立できる立場だもんで、本当から言えば、これはね。
(記者)
一国で独立できるというのと、名古屋も大切にしてほしいというのと、ちょっと矛盾するような気がするんですけど。
(市長)
現実の制度の中では、とりあえずそうなっとるもんだで、これは。いろんな意味でそれは県もね、もともとは国のどういうのか廃藩置県ですか、明治時代かな、これ、いうとこの中にあり、中と言ってはいかんわな、独立に別にあるんだけど、県民税も払っているじゃないですか。どえりゃあようけありますけど。やっぱり市の独立的な運営というのが国を引っ張っていくと。そりゃあそうですよ。
(記者)
市長、先ほど大都市機能をせいぜい利用しないかん、いろんな意味でということをおっしゃったんですけど、もう少しかみ砕いて、どういうようなことですか。
(市長)
かみ砕いて、最近のネタで言うと、例えばIRですわね。IRとか国際展示場とか。IRなんかでも、私、直接オペレーターの実際やる人に伺いましたけど、アメリカ系3社、中国系2社ですかね、それから間に入っていろいろコンサル1社と。そりゃやっぱりここら辺、名古屋近郊というのは、ものすごい地の利がええわけです、東京、大阪の真ん中で。大体いろんな説がありますけれど、5,000万都市圏だとか7,000万都市圏だとかいう、8,000万都市圏だという人があります。だから、そういうとこというのは、大いに利用したほうがええと思いますよ、この地域の発展のためにも。そういうことです。
(記者)
もう少し、これについては協調するというか、協力してということですか。
(市長)
協力してというか、そういう気持ちになったほうがええんじゃないのということ。やっぱり名古屋という便利なところをもっと盛り上げようと、これはね。ものによりますけど、これは。そのものによりますけど。ということですわ。大都市機能、それと交通アクセスがむちゃくちゃ便利だと、東京、大阪の真ん中でね。ということですわ。そりゃやっぱり、ただ名古屋には悲しいながらも戦争でみんな燃えてしまったし、その後戦災復興事業で道路ばっかりつくっとったという事情があってですね。やっぱり最も、観光地として行くとこがにゃあナンバーワンになっとる。それはそれで名古屋でよっぽど頑張らないかん。そのかけがえのない第一歩が名古屋城の木造天守の復元なんだけど、それはまあ第一歩ですね、これは。
(記者)
名古屋市を大事にしてちょうって、裏返せば、大事にされていないと感じていると思うんですけど、どのあたりが大事にされていないですか。
(市長)
そりゃ、あなたらもよう知っとるもんだで、疲れるで、まあいいね、そんなもん。個別事案ではね。
(記者)
言わないですか。
(市長)
ええよ、展示場だってそうだけど、そりゃみんな、あの名古屋の近辺につくってくれたほうがみんな便利だって、みんな言ってますわ。事業者が言ってるじゃないですか。ぜひ東京ビッグサイトと競争できるような。それはお客さんが来るという意味だよいって言ってました。事業者もありますよ、展示場やっとる人。展示場をやっとる人に聞きゃええがな、皆さん。聞いたアンケートでも出さないかんわ。出さずにしまってまうもんだで、これは。マスコミが弱いもんだで。でしょう。
これはもうはっきり言ってますわな。そりゃお客さんが来やすいところに展示場をつくってもらわないかんいって。そうすると、やっぱり名古屋駅から近くというのは、ものすごく便利なんですよ、当然のことながら。東京ビッグサイトでも、あれは30分ぐらいかかるかな、あれ。だけど、もっと近いとこにつくるというのは、業者さんなんか、自分の利益のために言っとるのじゃない、お客さんが来やすくなければやれえせんじゃないですかいって、そんなの。ただ、あれは別ですよ、イベントは。税金で使ってやるやつ。
G20はやるわけじゃないんだけど、ああいうようなやつね、ああいうようなやつはまた別に価格競争と違う論理でできるもんで、それは別だけど。一般的に展示場ビジネスの中で競争のあるものね、それはやっぱり名古屋駅の近くは、そりゃ便利だと。はっきり明言しとるから、これ。
(記者)
名古屋城なんですけど、解体先行ということを文化庁に提案してきたということなんですけど、これがもし順調にいった場合に、早ければいつごろ解体ということになるんでしょうか、見込みとして。
(市長)
確か秋ごろじゃなかったかな、あれ。確か秋ごろですよ。
(記者)
もとの予定で言うと、いわゆる復元の許可がおりた場合には、9月というスケジュールもあったんですけど、それより。
(市長)
それと同じだと思いますけど。
(記者)
同等ですか。
(市長)
同じだろう、確か。同じですわ、そのとおり。大体1週間ぐらいで、業者さんに電話しましたら、もう準備していますけどって言ってましたけど。上からクレーンで、ばたっと倒さずに、まあちょっと私も勉強せないかんけど、専門じゃないで申しわけないけど、外していくらしいです、上から。だから、下にダメージを与えないと。最高の工法だいって言ってましたけどね。
(記者)
いわゆる切断して取っていくという方法ですか。
(市長)
まあ、そういうことです。
(記者)
そうすると、石垣にダメージがないという。
(市長)
そりゃないでしょう。
(記者)
あと解体期間中って、そこそこ、本丸御殿と近いと思うんですけど、その入場に関してはどうなりそうなんですか。
(市長)
そこがまだちょっと私も、本丸御殿はええですね。こっちからやるんだろう、北から、確か。
(廣澤副市長)
それは大丈夫です。
(市長)
北から取るんだろ、あれ。
(廣澤副市長)
本丸(御殿)には影響ないです。
(記者)
本丸の入場は継続するわけですね。
(市長)
と思いますけど。それよりそのままほかっといたほうが危ないですわ。地震のいろんな影響を考えると。本丸御殿はよっぽどええだろう言ってましたけどね、僕が聞いた人も。小天守があるもんで、だだっと倒れてきたとしても。だけど、ちぃと周りの、今の天守は入場禁止だけど、仮にほかっているような状況になったとすると、やっぱり中へ入っていきますと、売店があって、広場があるわね、あそこに、(天守の)東側に。あの辺のとこもずうっと入場禁止にせないかんのでにゃあかと言ってましたけど、ある人は。上から落ちてくるということですわ。ガラスが割れて落ちてきたり、瓦は1階ですけど、上は銅板ですけど、銅板だって危ないですね、これ。そういうことに、落ちてきたら危ないですよ言って。
(記者)
解体後の天守ってどうしようかなというのは。
(市長)
それはいろいろ勉強しておりまして。まあ5階ぐらい残したらどうかという人もいます。いろんな説がある。大至急ちょっと考えないかんと。VRみたいな格好で残すいうのは、大体やると、これは決まってますわね。竹中工務店さんの予算の中には入っています。いくらかちょっと忘れましたけど。予算の中には。
(記者)
5階部分っていうのは、今の5層で7階の最上階の部分だけは、何か形として残していくんですか。
(市長)
何かそこの昔の展望台の思い出というのが若干ありますので。それが決まったわけじゃない。それはどうかという話もあると。
(記者)
工法についてなんですけども、1週間ぐらいで準備できるとおっしゃいましたけども、また文化庁に行かれる予定ですかね。
(市長)
僕は行こうと思っています、出しに、今度は。だから取り壊し現状許可申請ですか、それにちゃんと宿題となっとる取り壊しの資料をつけて持っていくと。
(記者)
確認なんですけども、5月の文化審議会には、解体事業と並行して復元事業の許可も目指されるということでよろしいですか。
(市長)
いやいや、解体だけ出します。解体だけ。
(記者)
復元に関しては10月以降。
(市長)
まあ、早うやりますわね、それ。早うというか、石垣の調査やりますから、その後。あんまりそういうと何だかんだいって言われるいったって、わしは文化庁に何遍ももう行くたびに言ってますけど、もう5年ぐらい前で、今いく人間で、僕が一番古いんですわ、正直言って。文化庁も、もうほとんど変わりました、向こうも。名古屋市側も僕が一番古いやろ、もう、既に。それで、そのときに、こうやって技術提案・交渉方式でやっていくというような話で、とにかく言いましたよ、それ。それで、わかりましたと。ほんだでとにかく丁寧に、事あるごとにという言い方じゃなかったけど、説明してくださいねいって、やってきたでしょういって、4、5年前から、これ、いう話ですわ。
(記者)
5月の文化審議会に、解体後は諦めているということですか。5月の文化審議会に復元の許可を得ることは、もう諦めたということですか。
(市長)
復元のほうにせずに、そのときは、まず、解体の許可申請をするということです。
(記者)
それはもう復元は5月の文化審議会には諮られないことは、もう了承していると、市としてもそれはしょうがないということでしょうか。
(市長)
しょうがないというか、とりあえず、それは僕が言っとるんじゃないですよ。石垣部会から推薦を受けたコンサルタントがそう言っとるんですよ、これは。
(記者)
そう言っとるというのは。
(市長)
そういう方法がええと。
(記者)
解体を先にやったほうがいいと。
(市長)
そうそうそう、そういうことですね。解体を先にやれば、当然のことながら石垣も調査しやすいじゃないですか。そんなこと当たり前のことだわね、これ。しやすいより決定的だと思いますよ。もう何遍も言っとるけど、文化庁にもちゃんと言いましたから、これ。本当に延びると、調査も中止になりますよと言って、危ないから。労働安全衛生法、これ懲役になりますんで、刑事罰ですから。はっきりわかっとるでいかんですよ、Is値0.14いうのと。5月に入場禁止にしとるから、これ。そこまでやっとる建物ですよ。その54メートル下で、漫然と竹中工務店の従業員の方に調査して当たり前だなんて言えませんよ、やっぱりこれ。はっきり言ってあります、文化庁に、これ。本当ですよ、これ。
地震だって起こりゃせんがやと思っとるだろう、東京のみんな、地震なんか起こりゃせんと。だけど、震度6強の地震で倒壊する可能性までしか書いてないけど、ちゃんとあれ見ると、震度6強の地震で倒壊する危険性が高いというとこまで本当は書かないかん。これちゃんと正式な文書でありますから。今のIs値0.14というやつは。という建物ですから、これ。
(記者)
解体の許可申請は、無事に通るというふうにお考えですか。解体の許可は普通におりると。
(市長)
そりゃおりるでしょう、そりゃ、こんなの。そりゃおりるに決まっとるいうと怒るだろうけど、どこがいかんのですか、それ、本当に、なぜいけないんですか。
(記者)
文化庁から現天守の歴史的価値をしっかり評価をしてくださいみたいな宿題をもらっていたと思うんですけど、それはもうまとまったんですか。
(市長)
それはもうまとまって出してありますし、最後の分は出してあるのが返事がないですけど。さらに、それに加えて、僕は旭丘高校の取り壊しの、これなぜかと言うと、ちょっと前行った文化庁の課長さんが言っとったけど、そのときに僕は、それは、歴史的価値というのは、50年たった建物で、その当時の時代のシンボルとは書いてないけど、象徴というか、建物については、登録有形文化財になりますと、申請が要りますけどね、そういう条文があるんです。だから、名古屋城も、そういうことでしょう言って。まあ、そうですという話だったんです。
やっぱり向こう側からすると、「申請すれば登録有形文化財になる可能性のある建物を壊すということについて評価してくれということでしょう」言ったら、「そうです」って言ってましたから、それはちゃんと書いてありました。
旭丘高校のは、あれ昭和12年造りだったと思います、13年かもわからんけど、あれ50年以上たっとるんです。旧制中学の昔のフルスペックで残っとるのは、もうあれだけしかなかったんです。あれは座り込みまでやって、裁判で訴えられて、逮捕される寸前までいきましたけど、これが。中へ入ってきたやつ、つまみ出すいうか、出てけ言ってやりましたんで、これ。それで、どうなったか言ったら、取り壊されたんじゃないですか、本当に。これ。
あの旧制一中の建物というのは、オリジナルなんですよ、あれ自体が、これが。名古屋城の天守というのは、悪いですけど、木造の天守の、それを模範にしたものなんですよ。コピーといって、フルコピーじゃないですけど。7階の窓、それから内側は全然違いますけど。そういうものなんですよね。違うんだと、その値打ちたるや。と僕はそれ書いてきましたけど。旭丘高校のやつは本物だったんです。それでも壊されたと。名古屋城は違うんです。
それと、その後に、そこに書いてないけど、その後にわかったのは、さっき言ったように、実は昭和23年にアンケートとったら、市民はですよ、あの焼け野原の私らが生まれたまだ大変な貧しい時代に、実は2割多くはですね、木造で復元したいというふうに答えとるんですよ。そういう建物だったわけですよ、これ。
そりゃ、今日も幹部会で言ったけど、みんなで、昭和23年の市民の願いをかなえるんだと、70年たったけど。わしの生まれたときと同じですから。そういう気持ちですよ。そういう気持ちで今のコンクリート天守は評価せないかんですよ、これは。あれは衝撃的だったですね、実は。昭和23年のアンケートで。
(記者)
先に天守を壊して、復元許可がもし出なかったら、実は天守閣がない期間が結構長い期間になることってあるじゃないですか。その辺のリスクはどうお考えですか。
(市長)
そんなことあり得ませんがな。何であり得るのよ、そんなこと。
(記者)
復元の許可が出ないケースっていうのは、壊してしまった後。
(市長)
丁寧にやりますから、ちゃんと。それはこっちはこっちで、そういう趣旨でやっています。文化庁にも言ってあるけど、丁寧にやってきてですね。
(記者)
これまで丁寧にやってきて、ちょっと延びてませんか。
(市長)
いやいや、それは私が丁寧にやって、石垣部会にも非常に丁寧にやってきたからですよ。文化庁に言いました。石垣部会にも僕も話ししますよいって、これは。市民の願いというものを、それから1年延びると1億かかると。
(記者)
そうすると、10月の次の文化審議会で復元の許可が必要になってくるんじゃないかなと思うんです。
(市長)
そりゃ、速やかにやりますよ。なるべく早く、どんどんステップをお願いしていくということですから。
(記者)
3月の復元検討委員会には、復元計画は諮られる予定はありませんか。
(市長)
それは取り壊しの場合は要らないんですよ、復元検討委員会は。
(記者)
でも、復元には必要な過程だと。
(市長)
だから、今回は天守の取り壊しだけですから。
(記者)
10月の文化審議会には諮られる予定では。
(市長)
10月なのか、まあちょっと柔軟にやってもらうのか知りませんけど、石垣の調査もやりまして、その間ね、これはなるべく早く次の段階に移っていかないかん。
(記者)
市長、大事なことなんですけど、今回は天守解体だけを出すという認識なんですか。
(市長)
まあ、そういうことです。
(記者)
昨年10月に出せなかった木造復元の計画案は、5月の文化審議会は目指さないということでよろしいんですね。
(市長)
取り壊しを出すということです。
(記者)
わかっています。
(市長)
その後、意思のことをがたがた言われると、何を言っとるんだいって。
(記者)
聞いてる話と違いますので、5月にも両方目指していくんじゃないんですか。
(廣澤副市長)
3月(の復元検討委員会)も一応目指しては、お願いはまだしています。全体の復元を一応3月の復元検討委員会に目指してできればということです。
(市長)
できればか。できればだけど、それは文石協(文化財石垣保存技術協議会)のコンサルタントのアドバイスだね。
(堀場副市長)
分離は分離としてやるんですが、復元のほうも復元検討委員会も3月にありまして、それにお願いをしています、まだ。5月(の文化審議会)にできれば上げさせていただきたいということも。
(市長)
まだか。解体はとにかく復元検討委員会は要らんということだ。
(記者)
市長、ですから、5月の文化審議会で、もともとの木造復元計画を目指しているということを改めて説明すべきじゃないですか。間違っていらっしゃいますよね、きっと。
(市長)
そんなこと常識じゃないですか、そんなもん。もともと木造復元にしようという民意と、議会もそういう前提で予算通して、材木も半分以上切ってですね、やっとるんだで。それは当然ですよ、そんなこと。
(記者)
5月の文化審議会で木造復元を目指すということでいいんですか。
(市長)
いやいや、それは間違いですね。そりゃ目指すのは、目指すいうか、ちゃんと手続きを間違いなくとるのは、コンクリート天守の解体の申請ということです。
(記者)
文化庁から戻ってこられて、市長室の前で説明されたときは、解体だけ出して、復元は当面出さないという話だったと思うんですけど。
(市長)
当面出さないは言ってないでしょう、そんなことは。
(記者)
それをちょっと副市長に、ご説明いただいていいですか。
(廣澤副市長)
全体のほうは全体のほうで予定どおり3月の復元検討委員会、5月の文化審議会はまだ目指しているということで。
(市長)
目指しとる言ったって、申請するかどうかの問題だぜ、それは。こちら側が目指しとるのは確かですよ、それは。それはやめたわけじゃないですよ。だけど、ちゃんと申請して、申請書類をこうやって出すことについては書かないかんでしょう、ちゃんと。それは決まっとるのは、5月の文化審議会にコンクリート天守を解体することの許可をいただきたいという。
(記者)
それはわかっているんですけど、切り離したもともとの復元案があるじゃないですか、切り離す前のもの。それは3月の復元検討委員会並びに5月の文化審に許可を得たいわけじゃないですか。
(市長)
そりゃ気持ちはあるけど、当然ですけど、だけど、やっぱりコンサルタントのアドバイスもあって、みんな顔も立てないかんと、これ、顔も立てないかんもんで、まず、取り壊しだけやろうと。
(記者)
5月に許可が出ないと、2022年末は非常に難しいと聞いているんですが、それで断念してよろしいんですか。
(市長)
そういうやり方でいこうというのは、文石協とか石垣部会の提案による、そこのアドバイスですから、まず。それでやりましょうと、顔を立てとるわけです、こっちも、丁寧に。
(記者)
今、副市長がおっしゃっているニュアンスと市長がおっしゃっているニュアンスがちょっと違うように聞こえて。
(市長)
一般的にはということだろう。気持ちは変えとらんという意味だろ。申請を出すとは聞いとりませんよ、わし。
(廣澤副市長)
先ほど、今のあれですと、仮に3月の復元検討委員会、5月の文化審議会で全体が仮に通らなくても、天守解体が先に認められれば、全体の許可ももう少し後でも2022年に間に合うようには、必ずしも5月の文化審議会で認められなくても、認められるようになるという、そういう可能性があるということでございます。
(市長)
それはコンクリート解体が。
(廣澤副市長)
解体が5月(の文化審議会)で認められれば、とりあえずそれ(解体)が実施される期間がありますので。
(記者)
ですので、5月の文化審議会に復元の案を目指すという、全体ですね。
(廣澤副市長)
全体一括でやろうとすると、5月の文化審議会で認められないと間に合わないんですけれども、仮に分割案が認められれば、もう少し先の文化審議会でも間に合うという。
(記者)
市長がおっしゃっているのは、解体の申請だけをするとおっしゃっているんですけど、(解体の申請)だけでいいんですか。
(廣澤副市長)
スケジュールだけの問題で言えば、5月にその解体が認められれば、全体の2022年を目指しているものも、文化審議会の許可ももう少し後でもよくなるというのは事実です。ただ、一応、建前上は、今の現状で言いますと、これまで目指してきた2022年までのやつの全体を3月の復元検討委員会、5月の文化審議会で通すのを目指しているというのは変えてないです。それと並行して、天守施工解体を今回申し出をしたということです。
(記者)
3月の復元検討委員会を経ないと、復元について5月の文化審議会にかけることはできないですよね。
(廣澤副市長)
それは全体ですね。
(記者)
全体の。
(廣澤副市長)
全体を一括で通そうと思うと、そういうスケジュールになります。
(記者)
今、分けようとしているその復元と解体を、復元のほうも間に合ったから、やっぱり3月と5月に出しますよなんてことが、手続き的にはできるんですか。
(廣澤副市長)
一応、また、先に復元検討委員会がありますので、それは可能かと思います。もし3月の復元検討委員会で、じゃあ、これで全体がオーケーとなったら、やはり予定どおり5月に天守解体でなく、一発でという可能性もなくはないと思います。まずは3月に、解体の申請は出す。
(市長)
それは石垣部会次第ですわ。石垣部会がおっしゃっとるもんで、こうやって顔を立てて、石垣部会のコンサルタントの言ったアドバイスに従うということになると、まず、天守解体だけ通しといて、それで、石垣をその間に丁寧にやったら、石垣部会の方もわかっていただけるんじゃないかと、そういうことですわ。
(記者)
そもそも復元検討委員会って3回かけてからみたいな話があったじゃないですか。あれはどうなっているんですか。
(廣澤副市長)
慣例です、それは。
(記者)
では、3回でとかいうのはもうよくて、1回検討してもらったら、審議会に。
(市長)
それはありません。文化庁のほうからも、私たちは延ばすつもりはありませんと。早く、それは期限というのはないんですと。早い場合もあるし、長くかかる場合もありますと。はっきり言われていますから。
(記者)
まだ、一回も諮ってもらってないんでしたっけ、現状。
(市長)
そういうことです。それははっきり言われています。あのときも聞いとったやろ、文化庁がはっきり、私たちは延ばすつもりはありませんと。期限というのはないんです。早い場合もあるし、遅れる場合もあると、そういうことですわ。
(記者)
市長、5月には2つの案を並行して出すのは。
(市長)
いや、今のところは提出するのは、一応、石垣コンサルタントとか、ちゃんときちっとまず提出するのは解体だけお願いできりゃいいんじゃないのと言われとるわけです。だけど、仮にその間、じゃあ、石垣部会のほうも、ものすごい丁寧に進めてますから、今、現状。言っときますけど、名古屋城ほど石垣を丁寧にやったのは初めてらしいですよ、これ。すごい丁寧な調査ですよいって、石垣の専門家が言っておられました。そういうようなことで、これで十分だわということになれば、それはそれで急遽やりますわね。
(記者)
確認なんですけれども、じゃあ、解体のやつを5月に出すというのは、もう決定事項ですね。
(市長)
まあ、それは。
(記者)
復元も、一応、姿勢としては5月を目指すものの、実質、3月の復元検討委員会というのが一度その前にあるので、そこでもし出せなかった場合は、もうその時点で5月に復元を出すというのは諦めますということでいいですか。
(市長)
まあ、そういう感じでしょう。そういうことですよ。石垣部会さんのオーケーとってきてちょうよいって、石垣部会さんは今のとこは天守の解体は文化庁がお決めになることだと、こういうふうに言っておられますんで、文化庁がオーケー言えば、それだけでオーケーになる。石垣部会もオーケーになれば、みんなオーケーになりますよ。そういうことです。
これは自信持ってやらないと。おれなんか特に思いますよ。4、5年かけて丁寧な上にも丁寧にやってきたんだもん、文化庁に、これ。数代前の、それも言いました、名前はここで言えないもんで、課長が「竹中案てものすごいすばらしい案ですね」言って。そう言っとったんですよ、これ。
(記者)
市長、解体、もし本当に認められて、解体が進んだ場合、あの一帯の景観というか、雰囲気もがらっと変わって、本当に天守がない状態ということになると思うんですけど、観光とかいろんなところに影響もあるような気もするんです。そのあたりはどういうふうに考えていますか。
(市長)
いや、かえってですね、姫路城もあれテントかぶせて、修理中はものすごい人が来たと言われとるでしょう。だから、天守解体して、石垣の中の構造というのは、一生見れませんから、これは、何人をも。500年か1,000年たったときに、まだわかりませんけど、法隆寺は1,300年たってますんで、だから、そうなると、見に来る人もようけござると思いますよ、私は。
(記者)
じゃあ、天守解体後に、例えば石垣の状態とか、ある程度、多少見られるように。
(市長)
僕はしようと思っとるけど、ちょっとそこは竹中さんなり聞かんと、実際の工事で邪魔になるといかんもんで、それはちょっと確実じゃない、申しわけないけど。わしの思っとるとこでは、そういうことができるんじゃないのと。
見てみてゃあけどね、私も。天守外したときの内側はどうなっているかと。ケーソンが入ってますので、それと、内側は結構、あれコンクリートつくるときに、大分壊してますから石垣を、これは。新しいんですよ、中の石垣は、とこがあるということだで、その辺のとこは一遍、どうなっとるか見てみてゃあな。見えやせんもん、普通は。
(記者)
天守を取り外して、石垣の安全性の調査をされるということですか。
(市長)
そうです。
(記者)
そこでもし復元に耐えられないというような、現状では耐えられないというような判断が出たら、どうされますか。
(市長)
そんなもんは出んでしょう、やっても。
(記者)
天守の耐震性の問題というのは、今いろいろ説明いただいて理解できたんですけども、石垣も大分もろい状態があるんじゃないかというような指摘もありますけども、市長のほうはいわゆる石垣に対する認識というのはいかがですか。
(市長)
皆さん、誤解しとるといかんのは、熊本城の(地震後の状況の)テレビを見て、石垣ってもろいんだと思ってみえると思いますね。熊本城は、大天守の石垣は無傷なんですよ、あれ。12センチ下がっただけ。内側はちょっと傷んでいます。これは新しいもんですから。何でかいうと、あれは8本のコンクリートパイルが入っとるんですよ。それで受けてるんですよ。石垣の上に熊本城の天守は乗ってないんだ、実は、大天守ね。
名古屋城も同じように、もっとすごいコンクリートの塊が入っとって、そこに乗っとるんです。コンクリートでもそうです。木になりますと、大体荷重が3分の1以下になりますので、木材だと。だから、ものすごい強いんです、これは。
だから、明治時代に石垣の上に乗っとった、明治24年の濃尾震災のときでも、名古屋城の石垣は無傷いって、完全にどこかで落ちたいうのはちょっとわかりませんが、一般的には無傷と。ただ、北側のはらみという部分があって、あれは上から石が落ちてきとるんじゃないかとかいって言っとった人もいますけど、それも丁寧に調査させていただいて、やっていくと。だから、加藤清正建設の社長が積んだ石垣はものすごい強ぇというのがね、熊本城でも天守の横に宇土櫓ってありますけど、あそこ無傷ですから、これ、建物が。
(記者)
名古屋城の石垣は、強い地震にも耐え得る状況にあるというふうに。
(市長)
まあ思いますね、私は、思いますよ。熊本城と混同したらいかんですよ。熊本城は、電話かけて聞いてみたらいいですがね。あそこの大天守の石垣は、内側を除いて12センチ下がっただけですから。皆さん、あれが、石垣の上に名古屋城も乗っとると思ったら大間違いで、(天守の重量は)1万2,000から3,000トンあると言われてますけど、乗ってないんですわ、実は。だで、名古屋城の石垣ってパネルなんですよ、現状で、これは。だから、濃尾地震のときで、上が木造であって、乗っとっても無傷だったと。完全に無傷かどうか、一般的に無傷と言われています。
それが、今の、今度またコンクリートでなしに木造になっていくわけでしょう。また、今でもすごい調査やっていますよ、本当に。だけど、石垣というのは、僕の知見では石が1個あって、これがどんだけの圧力で壊れるかどうかというのはわからないと言ってましたよ、今のこの科学的知見では。何個石があるんだ、1,000個ぐらいあるのかいったら、ちゃんと教える言っとったけど。これ1個1個の圧力に耐えれる知見がないときに、集団になったら壊れるかどうかというのは、これも難しいですよ、これ、科学的に。やってもいいけど、何百年もかかるんじゃないですか、これ、やりかけたら。何百年どころか、早くやらないと、コンクリート補修せないかんようになるじゃないですか、地震で危ないから、という話でしょう。コンクリート補修すると、もう木造は見えませんよ。当時30億円ですけど、今いくらかかるか知らんけど、大体コンクリートで平均50年ですから。いろいろなメンテナンスすると100年ぐらいもつという説もありますけど。中性化防止だとかいろいろやると。
だで、多分皆さんがおっしゃられるのは、熊本城のあれと誤解されとるんですわ、石垣の崩壊。聞いてくれりゃええわね。熊本城に聞いたってみや、崩壊したのはほとんど明治時代に積んだやつです。ほとんどですよ。加藤清正の積んだのでゼロとは言えんけど、どこかあると言ってましたけど。違うんですわ、実は。
(記者)
先ほど解体後の現天守の一部を何か取っておくというお話がありましたけど、それって、どこかの部分だけ切り取って取っておくんですか。
(市長)
そういう方法もあるしと。それから、VRか何か、そういうようなものでやるという手もあるしと。まだ決まっとらんと思ったがな、これ。
(堀場副市長)
検討中です。
(市長)
検討中ですわ。予算だけはついております。予算いくらだったな。覚えとらんかね。予算はついております。
(記者)
もし現天守の一部を取っておくとすると、どこに置いておくんですか。
(市長)
それもちょっとようわからんけど。それは金シャチ横丁の辺もありますし、あれも広げられますし、能楽堂の南も土地あいとるしね、あそこ。能楽堂の南は。
(記者)
一番上のとこですか。
(市長)
僕がそれ言っとった話で、昔ね。上のやっぱりあそこから双眼鏡で眺めた思い出があるもんで、ああいうとこちょっと残したらどうかなあとか、ありますよ。でも早う決めないかんわね。切り取るときの切り取り方があるんで。
(記者)
解体の予算は、現時点では新年度当初予算案に入ってくるんですか、それともまだ未定ですか。
(市長)
入ってきますよ。
(記者)
入ってくると。9億円でしたか。
(市長)
あんまり予算はまた改めて言うで、黙っといてくれ言われとるけど、皆さんのほうが知っとられると思いますけど。まあ必要なお金はね。
まあとにかく、これほどまで丁寧にやっとるとこはないんです、本当に。だから、どこかほかで証明してくださいよ、ほかのお城で、ほんなら。名古屋城より丁寧にやっとるとこ。ありませんよ、これ。石垣の専門家に聞いていますから。すごいですよいって、名古屋のやっとることは。そんだけ丁寧な上にも丁寧に、石垣部会の皆さんにもやってきたし、それから、文化庁にもやってきたということですから。後は民意を、昭和23年からの民意を実現させてもらわな、これ、日本のためにも。
(市長)
それからちょっと、明日だったかな報酬審(名古屋市特別職報酬等審議会)、皆さんにちょっと前、この間言ったでわかってみえると思うけど、報酬審(名古屋市特別職報酬等審議会)いうのは、いくらの報酬が適切であるかということを聞くところじゃないですからね、そもそも。市長が提案しようとする条例案について聞くとこですから。これだから800万円について、それもほかの都市と比べてお手盛りはないかということを聞くとこですから。いくらの報酬が適当であるのかと議員さんが聞く場合は、それはタウンミーティグや何かやって、市民の皆さんとの民主的なプロセスの中から決めないかん、議員さんというのは、ということ。
それから、もう一つ、按分後領収書なんかについては、一遍やっぱり、今のことと、それから按分後領収書については、一遍議長に申し入れようと思っていますけど、この間お見えになったんで、これ。按分後領収書いうのは、市民の皆さんに説明されたほうがいいんじゃないですか、こんなことわからへんですから。
もう一回言っておきますと、100万円例えば家賃を払ったとしますわ。7割だとかやりにくいで、5割でやりましょうか。100万円払った場合は、5割だけ、50万円だけ税金の政務活動費で払っていて、あと50万円は税金では払えませんよということで、そういうふうに形式的に分けるんです、パーセントで。その場合、100万円払いましたよという証明を、今は50万円(の領収書)でいいんですよ。100万円(の領収書を)出しとる人もいますけれど、これ。本当に100万円払ったか50万円払ったかわからんじゃないですか、これは。そうでしょう。だで、信じられんと思いますよ、こんな話よその分野ではないですから。人に言わせりゃ、50万円は税金、あと50万円は例えばパーティーなんかで集めた政治活動費だったと、だから分けるんだと。ある意味ではそれでもいいですよ。だけど、そのあとの50万円いって説明してくださいと、ちゃんと100万円払ったということを。ということを言っとるんです、僕は、これは。本当に100万円払ったのか、50万円しか払ってなかったのか、どうやってわかるんですか、これ。50万円しか払ってなかったとすると、その半分の25万円しか行きませんよ、税金で払う分は、これ、そうでしょう。だから、それは証明してもらわないかんのです。
そういうことをジャーナリズムが、ぜひ市民の皆さんに伝えてほしいということ、そういう仕組みになっとるいうことを。こんなん民間の社会ではあり得ません、普通の社会では。ないですね。絶対お金を払う領収書というのは、満額でもらうか、2枚もらってもいいですよ。2枚もらうなら2枚もらって、それ2枚あります言って、そういうふうに申告せないかんです。それを2枚書くなら書くということで、一つええですし、その按分以外の分について、ちゃんと支払いがあるという証明をしてもらわないと困りますよと。私は支払いの責任者ですから。最高裁判所の判例で、この政務活動費の支出が、政務活動費としてふさわしいかどうかについては、これは議会が優先すると、その判断でというのはあるんです、最高裁の判例で。だけど、そういう問題じゃないですから、これ。大変形式的な問題ですから。本当にいくら払っとったのかだけ教えてくださいと、これ。100万円なら100万円でいいんですよ。それならそれで、できれば領収書も普通は要りますわ、領収書を見せてくださいと。2枚、実はいただいておりますと。それはそれで結構です。それはそれで、ああ、どうぞということになるけど、1枚しかなかった場合は、多分民間でも税務署は認めんと思いますよ、それは、税務署は。
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