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平成30年6月4日 市長定例記者会見

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このページを印刷する最終更新日:2018年6月19日

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報告事項

  • ヘルプマークの配布開始について
  • 桶狭間の戦い再現劇の実施について

会見動画

報告内容

◎ヘルプマークの配布開始について

 それでは、6月4日(月曜日)になりますが、記者会見を始めたいと思います。

 おはようございますということで、まずは、7月20日(金曜日)から、「ヘルプマーク」の配布を開始いたします。

 ヘルプマークというのは、援助や配慮を必要としていることが外見からはわからない方が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせるためのものでございます。

 常に身につけやすいようにストラップ型になっていると。

 ヘルプマークを身につけている方を見かけましたら、鉄道やバスの座席をお譲りいただくなど、皆様のご理解とご協力をお願いいたします。

 区役所福祉課、支所区民福祉課、保健センター保健予防課、保健センター分室の精神・難病等窓口、障害者基幹相談支援センターで配布いたしますので、必要な方はどなたでもご利用ください。無料でございます。

 また、配布開始日である7月20日(金曜日)には、名古屋駅にて、街頭啓発キャンペーンを愛知県と共催で行います。これは愛知県との共催ということで、トゥギャザーということで、キャンペーンには、私も参加しまして、ヘルプマークについてご理解とご協力をいただけるよう、呼びかけてまいりたいと考えております。


◎桶狭間の戦い再現劇の実施について

 次に、信長攻路 桶狭間の戦い 人生大逆転街道 NOBUNAGA's VICTORY ROAD 「桶狭間の戦い再現劇」の実施について、ご報告いたします。

 これはNOBUNAGA's VICTORY ROADというのは、クリス・グレンが命名したというか、英語でどう言ったらええと言ったら、クリス・グレンがそりゃあ、NOBUNAGA's VICTORY ROADと。

 日本史上名高い「桶狭間の戦い」を観光資源として広くPRし、観光資源というのは、すぐこういうふうに捉えるんだけど、わしはちょっと若干違っとって、これは、人間の精神そのものです。政治とか行政というのは子どもさんたちを励ますことなんかもやらないかん。そうでしょう。そういうことですわ。どういうことかというと、織田信長は、もうこのときはいかんと言われとったんです。1560年ですか。前日には酒飲んで、みんな家臣が、これ殿、親方はあかんわと、これではと、情報が漏れんようにというふうにしたと言われていますけど。もうだめだと言われとったのが、そこで何だ言って、4時ぐらいに、おーい、出陣じゃ言って出ていったわけです。

 何が言いたいかいうと、子どもさんなんかでも、内申点も厳しいし、うちの親は金がないのでいかんとか、僕は体が不自由でいかんとか、そういう方がようけみえるけど、そうじゃないよ言って。人生大逆転というのは大いにあり得るんだと、そういうスピリットがこの名古屋のまちでぜひ、味わうじゃないけど、得てほしいと。信長の力で。そうだろう。女に振られたってええだろう、別に。女に振られたときとか、選挙に落ちたときとか、商売失敗こいたときとか、子どもさんが入試でつまずいたときとか、学校の成績がよくなかったという、そういうときなんかにも、この道を歩いてほしいと、そういうことなんですよ。観光資源じゃないですよ、別に、これは精神は。それが観光資源につながるということなんであって、受けとめ方が弱いでいかんわ。もっと人間の生活に対する。

 観光資源としてではなくて、人間の生き方をPRすると。人間の生き方を、苦しいことがあっても諦めやすなということをアピールしていくということで、広くPRして、本市への観光客誘致につながると。これは一番大きいのは、小中学生に言いたいんですよ、これ。本当に、子どもたちに。そうだろう。

 今、子どもさんの悩みってものすごいですよ、言っておきますけど。日本の教育は3回も国連から警告を受けとるんですから。あまりにプレッシャーが強いと、ということの中で苦しんでおる子どもさんたちに生きる勇気を持っていただこうと、それが一番最たる趣旨でございます。

 観光資源だいうと、何かものすごい薄っぺらく捉えられるがね、これ。それが観光になるのはいいですよ、それは。こういうことなんですよ。

 信長攻路 桶狭間の戦い 人生大逆転街道 「桶狭間の戦い再現劇」を、6月10日(日曜日)に実施いたします。これはご承知のように5月19日だったかな、旧暦でいきますと。それが今の新暦で、何とか歴とかあるんですよ。それでいくと6月10日だろうと。日曜日のほうがやっぱり皆さん来れますのでということで。午前4時ですから、私も早う起きないかんですけど。午前4時に信長さんが出陣じゃということで、粥をばかっと飲んだと書いてあるわね、確か。ということでございます。

 昨年度に引き続きまして、西川流四世家元である「西川千雅」さんに総合演出をお願いし、織田信長の家臣であった大田牛一さんが著しました「信長公記」に基づき、清州城での出陣は、馬を使い史実と同じ早朝4時に開始いたします。

 ほかにも、熱田神宮では戦勝祈願の再現劇を行い、桶狭間古戦場公園から長福寺までは、馬を使った武者行列も行います。

 また、今回は再現劇に加えまして、午後2時20分より日置神社、午後3時より万松寺大須商店街にてお礼参りを実施いたします。名古屋おもてなし武将隊の織田信長らが、桶狭間の戦いの戦勝報告に2つの神社を参った後、商店街を練り歩きます。

 信長さんは万松寺に行ったかどうかは確たる証拠はないと思いますけど。多分、やっぱり帰りに寄ったんじゃないか、今のとこじゃないですけど。あれは清洲越しからできた、大須は。その前はちょうどこの辺の桜通りの桜天満宮だったかな、名前忘れてしまったけど、桜通り、あれから北に、どえらい広いとこだったと、あの万松寺は。それで、例の清洲越しのときに家康が今の大須の地に移れということで。今の織田信秀さんの万松寺には、加藤清正が名古屋城築城の折は、そこを本部にして、そこからいろいろな指示を出したり自分で行ったりしとったということでございます。大変巨大な広さがあるとこだったと言われております。

 また、公共交通機関が運行されていない時間からの開始となりますが、清須市さんのご厚意によりまして、清洲公園の駐車場を午前3時半から開場していただきますほか、清洲城、熱田神宮、桶狭間古戦場公園などをめぐるバスツアーを実施いたしますので、皆さんもぜひお越しいただいて、直接ごらんいただきたいと思います。

 これもう一つの意味は、桶狭間公園に行きますと、近世の曙と、今川義元と信長という近世の曙です。信長のこの古戦場は、それのスタート。そこで死んどったらなかったんですけど。その後、本能寺で死にますけど。その前までは、近世の前は中世といいますが、中世って何か言ったら、何かようわけがわからん社会だったということですわ。国として一本化はあんまりしとらなんだと。荘園なんかもありますし。荘園というのは一種の脱税の団体みたいなもんで、自分たちで勝手につくって、自分らで、俺らのもんだ言って守っとったわけです。それは武士が守っとったんですけど。そういうわけのわからん時代と。ちょっと収穫がなければ、隣の村へ勝手に攻め込んだわけです、これは。そういうことだった。

 だけど、それを信長から豊臣秀吉、徳川家康と三代かかりまして、信長が殺されたという三代かかって近世という一定の、あんまり言うと感じ悪いですけど、集権的な国家としての仕組みが整えられたというのも、始まりがこの信長だったと。だから彼は革命児だったわけです、要は。単なる古戦場というわけではありません。そういう近世への窓を開いたと。

 近世は殺し合いとかむちゃくちゃなのはなくなるということと、あと税金なんかも、それまではめちゃくちゃ取っとったんですよ。わけわからんのに、土地の測量がなかったですから、きちっとして。だけど、秀吉が太閤検地というのをやって、きちっと今度は、あんたのとこはどんだけだということで、いわゆるコントロールの一応きいた時代ができてきたということで、大坂夏の陣前からですけど、幕府が始まってから260年の元和偃武という平和の時代が出てきたという、それの草分けだったということは覚えておいてもらわないかん。そういう革命的な土地なんですから、あれは。ということでございますので、ぜひ来て。

 なかなかないですよ、これ、本当に。ちょっと歴史好きなという人にしますと、ええことやっとるな、河村さんと言って、これ。本物の道ですから、3種類あると言われとるけど。清須の清洲城を午前4時、熱田神宮を午前8時、それから大体午後1時ぐらいでにゃあかと言われておりますけど、桶狭間で今川義元さんの首を取ったと。同じ道を帰ったというふうに書いてありますね、「信長公記」には。

 そういう本物の道だということでございますが。せっかく偉い侍が来ておりますので、侍がPR、どっちがしゃべるの、やっぱり信長か。

(おもてなし武将隊 徳川家康)
 やはりここは、先鋒はわし。市長殿、そしておのおの方、こたびはありがとうさんじゃ。改め、天下泰平におき初代江戸幕府将軍、我が名は尾張名古屋開府の祖、徳川家康。語ってまいろうではないか。

 さて、この桶狭間の戦い再現劇というのは、市長殿が先ほど申されたとおり、まずもってはこの世紀の合戦が名古屋にて行われた、そして大逆転の精神を皆に心得てもらいたい、その結果、観光誘致につながればということでござった。

(市長)
 生きる勇気ですよ。

(おもてなし武将隊 徳川家康)
 生きる勇気、これを持ち合わせてもらいたい。そのきっかけとなるのが再現劇でござる。そして、この清洲城にては、史実どおり午前4時、まだ明けぬうちから出陣し、本物の馬にまたがりて、当時の夜明け前の出陣を再現いたすわけじゃ。おのおの方、午前4時というと、非常に早いがの、ぜひとも参られたし。

 そして、桶狭間では再現劇だけではなくて、古戦場祭りもござる。これは午前10時から開催じゃ。

 それから、午後2時20分からは日置神社、午後3時からは万松寺大須商店街にてお礼参りをいたす。わしからは以上である。
 こたびは信長殿が御主役ということで、お頼み申す。

(おもてなし武将隊 織田信長)
 ではでは、市長からご紹介にあずかった、若いころはだめだった武将、織田信長である。

 わしはこの桶狭間の戦いというのは27歳じゃからな、戦国武将としてはほぼ遅咲きに近い武将なんじゃ、実は。しかし、わしがこの人生大逆転をいたした桶狭間の地で、この桶狭間再現劇をやるということで、改めてこの信長攻路というものを説明しようと思う。

 信長攻路というものは、わしが出陣した清洲城から桶狭間古戦場公園までの道のりを、皆々に力をつけて、そして勇気をつけてもらうべく歩いてもらえるように制定いたした信長攻路という道がござる。この地を訪れ皆々、明日を生きる勇気、そして未来への指標、わしへの信念を、思いを馳せ、皆々に歩いてもらいたい次第じゃ。

 そして、この桶狭間の戦いというのは、わしが人生大逆転しただけではなく、実は、ここにおる徳川家康も、わしの宿敵、今川義元方についており、松平という名前を名乗っておって、この戦いを機に、今川から離れ、徳川家康と改名いたし、後のいわゆる徳川政権につながったということで、この桶狭間の戦いがなければ、この名古屋、そして近代の日本すらなかったということなんじゃ。

 ゆえにこの歴史的重大事件が起こったこの場所が名古屋市内にあるということを、名古屋の民は誇りに思うべきであり、この日本中からその場をぜひとも体感いたしたいということで、多くの民が集まる。それがわしの望みである。

 わしからは以上じゃ。

(市長)
 見れば見るほど、ええ男でござるの。

 信長の言ったことは本当でありまして、こんな都心に、また縦断していますんで。3説ありますけどね、清洲から。ちょっとないですよ、これ、そこを通ったということで。ここを通ったという説もある、実は。この大津通りをね。

(おもてなし武将隊 織田信長)
 そうじゃな、名古屋城にて兵を借りたという。

(市長)
 やっぱり一遍は名古屋城へ来とるだろうな、ようけ集めないかんで。

(おもてなし武将隊 徳川家康)
 さようですな。

(市長)
 前、おりましたしね、信長。

(おもてなし武将隊 徳川家康)
 2歳から城主で。

(市長)
 城主で。中学生のころは信長がおって、家康が小学生で、二人で仲ようしとったというのが、今の金シャチ横丁があるとこだ。大きいイチョウの木がありますけど、それは一緒に植えたんでにゃあかと、あくまでにゃあかですけど、わしは想像しとるんですけど。いいことだ、これは。

 それから、もうひとつ言っておくと、この信長攻路の「こう」の字が攻めるという字を使っておりますけど、これは井沢元彦さんの命名でございます。ちゃんとみんなで話し合ってやったわけです。それまでは志賀直哉の「暗夜行路」ですか、行くという普通の字だったんだけど、井沢元彦さん、あの人は名古屋の人ですから、要するに信長いうのは新しいものが大変好きだったと。だから、常に挑戦した人生だったということで。新語であるで、造語だけども、攻めるという、攻める路に使ったらどうだと。ええこと言われるなあ。

 しかし、ええ男だの、えりゃあもんだ。舘ひろし殿が今度おみえになるけど、ええ勝負になるんじゃないですか。

(おもてなし武将隊 織田信長)
 そうか。人生大逆転すると、大体こういう顔になるんじゃ。皆々も桶狭間古戦場公園に訪れたら、大体こういう顔になる。

(市長)
 彼女はどうや、最近。

(おもてなし武将隊 織田信長)
 いっぱいおるぞ。正室、側室、側室、側室と。

(市長)
 あれ誰だった、あそこの、江南のべっぴんさん。

(おもてなし武将隊 織田信長)
 吉乃か。今回の桶狭間再現劇では、正室の濃姫しか出んから、あんまり(側室の)吉乃のことは言わんでくれ。

(市長)
 ぜひ、ひとつ人生を生きる勇気を、皆さん自身も、皆さん通じて名古屋市民の皆さんのいろんな人生を、ろくでもないことはありますで。悪いやつもおるし、本当に。挫折ってあるんですよ、やっぱりいろいろ。そういうときにこの道を歩んで、信長の生きる勇気ね、信長からの、感じていってほしいと。みんな、立派になってほしいと。特に子どもの皆さんには。そう思うでしょ。

 信長は女性にものすごい優しかったということが言われております。これは一つは、本当、庶民の女性いうのは名前がなかったんですよ、当時。誰々の娘とか、どこどこの橋の横に住んどるとかですね。当時はですよ。有名な人以外、北条政子とか、そういう人以外はなかったんです。信長が初めて庶民の女性にも名前をつけたと。

 それから有名な一番最後の本能寺の「明智でございます」、「是非に及ばす」と言って、その後に一言しゃべっとるんです。これは記録に残っています、「信長公記」に。女官が「殿、お供しましょう」と言うわけです。そのときに信長が、「たわけ」言って、「逃げよ」言って。ちゃんと書いてありますよ。「女はくるしからず、急ぎ罷り出でよ」と、そういうふうに書いてあります、「信長公記」に。「女はくるしからず」、女は遠慮せんでもええと。急ぎ罷り出て生きなさいと、死ぬなと言って女性を逃がしたと、ものすごいことだったというね。

(おもてなし武将隊 徳川家康)
 市長殿、もしも信長殿の個人的な話をされるのであれば、わし、徳川家康、これにて退陣してもよいか。あまりにも長く続けられるので、我慢強いわしでも。

 しかしながら、「信長公記」にもござった信長攻路、そして大逆転劇の精神として受けとめてもらいたいというのが、我らの…

(市長)
 あんたもしかしあれだわな、今川についとって、ようころっと信長のほうに変われたもんだな。

(おもてなし武将隊 徳川家康)
 家臣団たちは非常に怒り申した。しかしながら、将来性のある信長殿の姿を理解するのは、わし、徳川家康一人のみ。やはり家臣たちを説得するのには時間がかかり申した。

(市長)
 苦労したんだ、やっぱり。

(おもてなし武将隊 徳川家康)
 さよう、さよう。わしは家臣たちに、「殿はたわけか」と随分と罵倒され申した。

(市長)
 なるほど、だけど自分で決断して、信長さんとこへ行こうと。

(おもてなし武将隊 徳川家康)
 さよう。

(市長)
 小さいときにここに一緒におったでな。こっちか、名古屋城の。

(おもてなし武将隊 徳川家康)
 あのときも随分とかわいがっていただき申した。

(市長)
 中学生、小学生だったということ。

(おもてなし武将隊 徳川家康)
 さよう、さよう。合戦ごっこのときは、もう命からがらでござった。といったところで、合戦と申せば、桶狭間の戦いをぜひとも見られたしということで、おのおの方、ありがとさんであった。

(おもてなし武将隊 織田信長)
 ありがとさんじゃった。6月10日、待っとるでな。では、さらばじゃ。

(市長)
 私からは以上でございます。


質疑応答

◎名古屋城天守閣整備事業について

(記者)
 先週、木造復元、そして名古屋城について(天守閣に)エレベーターを設置しないと発表されましたが、その後、文化庁への訪問の日程とか、障がい者団体が本当に協議会に入るのかなど、進捗がありましたら教えてください。

(市長)
 このことにつきましては、まず前提として、今、建築基準法の一番基本のところをちょっと押さえてもらわないかんもんで、これ、一番基本のところを。これは逐条解説建築基準法編集委員会編「逐条解説建築基準法」(ぎょうせい2012年)に書いてあるやつですけど、この建築基準法の第3条第1項第4号というのがありまして、ここにいわゆる木造、名古屋城が本物になりますと、5階建てになります、木造。だけど、今の建築基準法じゃ、そういうのをつくってはいけないわけです。だけど、その例外規定というのがある、建築基準法3条1項4号に。

 それをどう解釈するかということのこの逐条解説ということで、「また、古い建築物が火災などのために滅失した場合にも、これを復元することは本法の基準に合うようにするという条件がある限り、まず不可能である。したがって、このような古い建築物が国宝などに指定された貴重な文化遺産である場合にも、本法をそのまま適用すべきかどうかは一考を要するところである。」と。ということはどういうことかというと、もう木造の3階建て以上なんかつくれないのよ、そもそも建築基準法を適用しますと。

 その後です。ここが大事なんだけど、「国宝などの文化財は、先人が我々に伝えた貴重な財産であり、これを保存し、後世に伝え、あるいはその活用を図って、国民、ひいては世界の文化に寄与することは我々の任務であるので」と。ちゃんと覚えておいてよ、これ任務なんです。「任務であるので、本法を文化財などの建築物に直接適用することは適切であるとは言えない。しかし、文化財といえども、社会的な存在である以上は、社会に与える影響を考え、安全上、防災上、及び衛生上支障がない構造にする必要がある。」と。これが、この建築基準法の除外規定の解釈ですから、こういうことで、任務なんです、これ。

 任務と責務の違いって、調べてみましたら、任務というのは、何か組織があると。その中の、あんたたちだったら記者としての任務です、これは。私だったら市長としての任務です。2万6,000人ですか、今でですけど、OBなんか入れるとものすごい数ですけど。その市長としての任務というふうに考えるわけです、これ。何かと言ったら、今、ここに言ったとおりです。国宝などの文化財と、まさしく国宝1号だったですから、これ。

 この間、NHKで名古屋工業大学の教授が言っとりましたけど、法隆寺から続く木造建築物の一つの到達点であって、最高の木造建築物であると。そこまで言われとるやつですね、これ。1号だ、国宝。2号が姫路城と。そういう建築物を子どもが与えられますと、「これを保存し、後世に伝え、あるいはその活用を図って、国民、ひいては世界の文化に寄与することは、我々の任務である」と。読みかえますと、市長なら市長の任務であるので、ということになります。

 ここが一番の基本ですよ。だから、一旦燃えてしまったから、もう新しい建物だという人がいて、もう全く過去のことは離れるという人がありますけど、それ違うんです。ここ、こういうふうに言っている、任務だで、逆ですよ、これ。歴史的建造物の復元と、これは文化庁はそういう言葉を使っていますけど、それは一つの確固たる領域なんです、これ。だから、ヨーロッパなんかでも、この間見ましたけど、ワルシャワの旧市街でも空爆されて何もなくなって、もう一回戻すでしょう。ドイツのドレスデンの聖母教会でも戻すんです。そういうのは任務なんです、これ。という気持ちでやっているんだということをまず頭に置いといてもらわないかんの、これは。任務ですからね、これ。俺もこれ(「逐条解説建築基準法」)を読んどったら、きちっと書いてあるがな。俺、社会的責務と言いましたけど、任務ですわ、これは。市長はそういうことをやらないかんということなんですよ。

 文化庁の説明については、今のところ電話ですけど、近日中に行きますからということで、文化庁の幹部にそう言ってあります。近いうちに説明に行きますからと。じゃあ、来てくださいよとなっておりまして、ちょっと今スケジュール調整をしておるところです。

 障がい者団体という、「障害」という名前が私は好きではないんですけど、本当は。もっと「害」という漢字は最低でも平仮名にかえるというのは、一つ昔から言われとることで、これは。前からの論点です、厚生労働省でも。グーグルで見ると、ずっと出てきますわ。そんな呼び方より中身を考えりゃええとか、そういうような話もあるんですけど。だけど、やっぱりそういう呼び方って重要ですから。アメリカで言うとchallenged peopleとか、disableだとか、障「害」という、そういうイメージがない言葉を使っていますね、やっぱり。そういうふうにせないかんと。やっぱり名前の呼び方というのは結構重要ですから、やっぱり。とりあえず今回のは平仮名になっておりますからまだええけどね。心はあるけど、形式は別だがなんて、そういうのは通りませんよ、そんなの、長年もやっとんだで。

 障がい者団体の皆さんへは、まず、とりあえず、特別秘書がずっと回ってきます、これ。皆さんのご要望なんかをお伺いしてということで、また、僕も行きます、これは。やっぱり足を運んで心を届けるということでやらないかん、やっぱり。呼びつけるというのはいかんのですよ、これは。どうしてもみんなで話し合うという場合もありますよ。そういうときは来ていただいて、それはそれでいいですけど、両方やると。

 それから、技術研究者も、先にまず障がい者団体のほうを回っていただいて。それから、もう今、11社、12社ですか、また電話しまして、12ありますから、確か。あります。

 繰り返し言いますけど、その中の名前を言ってもええかね、テムザックという京都のロボットの会社ですけど、名前を言ってもええと言っていましたから。そのテムザックさんなんかは、「河村さん、私も彦根城へ行ってきたけど、見てきた」と言われたんで、彦根城は段差が相当急だと。それより名古屋城はなだらかだということもあり、何とか今のとこ、姫路城や松本城は上がれんで当たり前と諦めとる段階だけど、まぁやれるように、名古屋発で努力しましょうと、そういうふうに言っていますよ、これ。4年もあるから。

 ということで、今のところいつできるかちょっとあれですが、早いとこ、代替技術の方と話ができましたら、名古屋城の中に(階段の模型をつくるつもりですけど、階段の全部つくるとえりゃあことだもんで、その中の一番角度の急なところの実物大の模型をつくりますから。そこで今言ったロボットのとことか。今日配らないかなんだけど、ある学者なんかは、「河村さん、しっかり頑張ってよ」言って、それで、「おもてなし強力(ごうりき)隊という名前でやったらどう」言って。

 それはそれで、ロボットが強力になるパターンと、人力でやる場合と2つあり得ると思いますけど。もう既にあるパワードスーツというんだね、あれ。この間、僕も着てやりましたけど。それは腰と腕ですけど、20キロぐらいの荷物を上げましたけど、その20キロはける力を、一種のロボットですけど、エアでやるパターンとモーターでやるパターンとありますが、ふうと上がりますから、何か不思議な感じですけどね、自分で。そういうのでも、もうそこまで行っとるし、介護サービスなんかだと、後ろ向きですけど、どうやってやるかですけど、自分で、富士山の強力隊ってありますわね。あれはあれでももっと考えて、そこで後ろ向きに座ってもらって、そのまま上がれる人もいるけど、ひざをパワードスーツにして上がっていくということができるんじゃないの言って、それはと言って。それだと、一番上まで行けますけどね。それがうみゃあこと行きますと、ほかの城郭どころじゃなくて、世界中の文化遺産、これはもう本物を大事にしますから、今までは階段のそのままだけど、そういうところでも使えるようになるんではないかと。

 それと、そういうやり方で大きいのは、やっぱりコミュニケーションがとれるでしょう、何と言っても、上がっていく人たちと。どこから来たのとかいうような話とかね。コミュニケーションがとれるの大きいですよ。エレベーターはしゃべりませんよ、何も。

 それと、何か火災だとか、煙があり得ると言っていましたけど、ある専門家は。煙でだあっとなったようなときは、やっぱり人間がおらないと、エレベーターとまっちゃいますからね、これ。だから、はるかにそういう、河村さんというか、今、名古屋市がやろうとしている方法は、はるかにバリアフリーにプラスになるし、温かいと、まず、ということは言っていました。

(記者)
 協議会のほうは、今月中旬までに開くとおっしゃっていましたけど、それまでに文化庁や障がい者団体には行くということですか。

(市長)
 まあ、行けると思います。それで、(協議会に)入ってもらって。いろんな人に、老人会のこの間の会合でも言いましたけど、老人会の皆さんにも。車いすの人だけじゃないですから、上がるのに困難のある人は。老人会だとか、妊婦さんだとか、目が不自由な方だとか、そういう人たちもどういうふうにやるかですけど、話を聞きながら、このほうがええわそりゃ言って、なると思いますよ。

 だから、外づけのやつも、この間、モリタさんが発表されましたけど、はしご車だと。はしご車だと畳めますので、ずっと。しょっちゅう外へ出とらんということですわ。畳めます。それからはしご車がクレーン車よりええとこは、仮にクレーンの作動がいかんかった場合でも、はしご車だったらおりてこれるんですけどね、それはね。車いすの方は、それちょっと難しいかわからんけど、そういう特色がはしご車はあるということで、今のところメーカーに聞きましたら、「(はしご車が)横倒れに倒れたとか落ちたとか」、「今まで事故があった」かと。「そんなんあるわけないじゃないですか」と言っていましたけどね。だけど、それはスタートですから、そこから考えないかん。

 すぐマスコミの悪口言ったってしょうがないけど、言いますけど、悪いけど、(天守閣の)上へ上がった人たちが、車いすの人でもね、避難用のものをちゃんと考えとるというのもでかいんですよ、これ実は、本当に。今だったら、上がったけど、どうにもならんでしょう、エレベーターがとまっちゃうと、これ。だから、避難用で車いすでできるのは400キロから500キロか何かまで工夫しとると。だけど、竹中工務店さんが言うには、ひさしがあるもんで、斜めに普通見ますけど、この間の火災でも、真っすぐに上げたほうが、実はそのほうがいいんだよと言ってました、安定するから。ひさしがあるもんで、1(階から)2階まではまずはいいでしょうと。だけど、3階ということになると、7メートルぐらい横に出すように工夫せないかんで、もし3階までというんだったら、それはまたちょっと技術開発が要りますね。ということはこの間、言ってましたけど。これがスタートですから、4年あるんで、全力投球して、これは。

 はしご車による避難というものは、絶対やったほうがいいですよ、言っておきますけど。逃げれないんじゃないですか、上におった人が。いかん、いかん言って、勝手のええことばっかり言っとるけど。何を言っとるんだいう感じですわ、僕からすりゃ。それで、どうするんですか、これ、逃げれないんだけど。そうでしょう。

 それで、名古屋発ですばらしい工夫ができますよ。文化財と、それも復元文化財ね。復元文化財と、こういうバリアフリーという問題について、名古屋がすばらしい調整をしていくということになると思います。

 もうすぐ組織的には定まりますんで。具体的に組織的には、今の国際コンペの部分と、それから今言ったもう12社ぐらいありまして、パワードスーツだけでも5(社から)6社ありますね、この間調べたら。今のとこ2社ですけど、アプローチしとるのは。5(社から)6社ありますから、それぞれ聞いて、名古屋城で実験をしながら、そういうときも来てもらえばいいじゃないですか。車いすの人やら、老人会の人なんかで足が不自由で上がれん人とか、そういう人たちにいろいろテストしてみると。ええのができてくると思いますがね。

(記者)
 先日、石垣部会があったんですけれども、その中でも今の時点で結構スケジュールが遅れているのにプラスして、部会としては内部の石垣と外側の石垣の調査を一緒にやることは承服できないという部会の先生からの意見があって、そういう部会の調整ができないと、多分次には進まないと思うので、そうすると、スケジュールありきで今のところ進めているというのが、ありきというか、スケジュールを決めて進めているというのがなかなか厳しいんじゃないかなと思うんですけれども、それに対して、そのスケジュール感に対しては、市長はどう考えられていますか。

(市長)
 僕はもう早くでにゃあけど、とにかく今の天守を、これもうだめですから、耐震性能的に。だから、できる限り早くやるということで、もう僕が直接文化庁へ行っても説明しますし、石垣部会の方にも話ししてみるわ、これ。ということですわ。そうやってきちっとやっていかないかん、これ。

 名古屋市民の期待とね。本当に市民の皆さんの期待も大きいですよ、本当に。直接、「河村さん、早うつくってちょう」と、ようけみえますよ、年くった人なんかで特に。本当に。そういうことを自分で直接伝えて、人任せにせずに、自分でやると。文化庁なり、それから部会の人にも一遍直接会って話してみるわ、いろいろ。

(記者)
 部会の人も別に妨害したくて言っているわけではなくて、やっぱり文化財の本質的な価値を守るためには、そうしてちゃんと一個ずつやっていかなきゃいけないんじゃないかというのは、その主張としてはわかるような気がするんですけども。例えばもうスケジュールをこの2022年12月末までとやっていたのを、もう一度それを一回置いて、もうちょっと後回しにして一歩ずつやっていきますということにはならないんですか。

(市長)
 その言われとることの合理性というか、丁寧にやらないかんことは当たり前ですけど、極端なことを言うと、全部天守の石を1個1個非破壊検査やるかということになりますわね、極端なことを言うと、これ。そこまでは要求してないでしょう、多分、と思いますよ、私、これ。

 それどころか、市民の皆さんに伝えてちょうだいよ、これみんな知らんから、タクシーの運転手も知らんかった。要するに、今の石垣の上に、今のコンクリートの名古屋城は負荷がかかってないんです。熊本城もかかってないんですよ。何遍も言いますけど、皆さん書けせんもんで、それじゃわからん。要するに、天守の中に、名古屋だったら7,000トンから8,000トンぐらいあるじゃないかとか言ってますけど、コンクリートの塊のケーソンというやつですわ。本四架橋の下に置いて、そこから本四架橋が支えられとるというやつが。それによって名古屋城の天守の荷重を支えられとって、いわゆる名古屋城の石垣は、これはパネルみたいなもんなんですよ、あれ、実は。そこをちゃんと伝えないとわからんですよ、市民の皆さん。

 熊本城の大天守も、あれは8本だったと思いますけど、ケーソンではないコンクリートパイルが打ち込んであって、そこの上に乗っとんです。だから、熊本城の石垣も、いわばパネルです。だから、熊本城の石垣が、大天守の石垣は、内側のを除いて無傷だったんです。12センチ沈んだだけなんです。テレビで見ると、ようけ石垣が壊れとるもんで、どうかと僕も誤解したことがあるんですけど、あれ違うんですよ、やっぱり。だから、近代工法も使うことは使っておるんですね、そういう基本的なところは。いうことですので。

(記者)
 市長はこの2022年12月末というのは、今のところ動かす予定はないということですか。

(市長)
 それはないです。それはしっかりやらないかん。

(記者)
 石垣調査の現状というのは、どういうふうに把握されているんですか。

(市長)
 今からちゃんと話しして聞いてくるわ、もう。人任せにできんし、いろんなこと言っとるで、もう直接。

(記者)
 スケジュールどおり進んでいないということは把握されているんですか。

(市長)
 そうやって言われとるわね。だけど、それを言うと、またそれで、そんな足引っ張ることばっかりやっとってよ、早くやってくれという希望もものすごい強いし、名古屋城の天守は濃尾大地震、明治24年、本邦最大の地震だと言われとる地震で、実は無傷だったんですよ。あのときは木造でしたけど、上に乗っとったんです、コンクリートの上に。全部じゃないけど、下には下にそれなりの工夫があったけど、そういう石垣ですから、これは。

(記者)
 あと、文化庁との協議の状況について、どういうふうに認識されていますか。

(市長)
 自分で行って話してきますわ、とにかく。来てくださいと言ってましたから、向こうは。

(記者)
 あといろいろ宿題が出ていますけど。

(市長)
 そりゃ、宿題は答えないかんじゃないですか。そのために公務員はみんな給料もらってやっとるんでしょう、何人おるか知らんけど。そんなもん、全力を挙げて取り組まないかんですよ、本当に。こんな大事なときは、昼も夜もなしにやらないかんわ。そうでしょう。もういかな、自分で文章書くわ、わしも、ほんなら。書いてあげるわ言って、この間言ってやったわ、ほんなら。

(記者)
 繰り返しですけど、スケジュールは影響だとか変更というのはないということでいいんでしょうか。

(市長)
 そりゃ、ないですよ。

(記者)
 なかなか難しい状況になっているような気もするんですけど、そういうふうにはお感じになられませんか。

(市長)
 だけど、きちっと話をすれば、いいと思いますよ、私。話しして、文化庁さんの言わっせること、ちゃんと一つ一つこなしていくということですわ。

 名古屋城で変な、もしなるんだったら、これ歴史的建造物の復元という領域自体がこれ、文化庁が出しとるやつ、歴史的建造物の復元というのには、何が書いてあるかというと、まずなくなったものです。なくなった建築物で、そこにありと、また場所も。いろんな資料により、蓋然性が高いと書いてありますけど、ほぼといいますか、昔のままに復元することが可能な建物ということは、先ほどの「建築基準法」の除外規定だと書いてある、それの復元すべきが任務と書いてあるじゃないですか、これは。というものなんですよ。

 ところで、名古屋城ほど資料が残っとるものはありませんから。ほかの普通の建物だったら知りませんけど、お城ではないです、これは。ありません。名古屋城でうまいこといかんかったら、ほかのお城も全部だめですね、これ。私はそう言いますよ、全部だめじゃないですか言って。これだけ資料が残っとるということで、私の市長選の結果から、市会での議決、議会での、それから、市民からの(名古屋城天守閣積立基金は)今のとこ2億円超えてますけども、財界とかというふうには別にお願いせずに、それから、今の建物がもう既に耐震性で危ないと。だから、どちらにしろ、木造できちっと耐震強度を保つか、それとも、それは否決されていますけど、それはコンクリートでそのままやるの、復元やめて。それはできないですよ。やらないかんだもん。誠心誠意文化庁と話をさせていただいて、私、自分でやりますわ、本当に、これ、ということですよ。

(記者)
 市長、文化庁に直接ご説明ということですけど、具体的に何をご説明するというですか。

(市長)
 今までの成り行きと、それから今の宿題なんか出とるでしょう、それはどういうふうになっとるかとか、どういうふうにやっていくのかと、そういうことだと思いますよ。

(記者)
 例えば、そこにバリアフリーの対応として、バリアフリーについてどう考えるかというようなところも含めて説明される、説明を聞くという。

(市長)
 説明を聞くというのは、どっちが聞くの。

(記者)
 市長が。いわゆるそういう復元というものに対して。

(市長)
 文化庁のご意見も、それは当然承りますし、こちらの意見も言いますよ、当然。

(記者)
 そうすると、木造復元に関して全体的な話とバリアフリーについての意見交換というか、意思疎通をしっかりしますという目的で行かれるんですか。

(市長)
 それと、どういうふうになっとるんですかと、その辺も説明してくださいよというようなことを言ってみえたで。

(記者)
 そうすると、担当課というのは特に、担当する課なり、相手はどちらに来てくれというふうに言っているんですか。

(市長)
 担当しとるのは記念物課ですわね。その上の部長さんもござるし、一番上は次長さんがござるけど。長官が一番上ですけど、その辺とも話してくるということでしょう。

(記者)
 6月中旬より前に行かれると。

(市長)
 もう早う行かないかんいって今言っとるんだけど、なかなか予定入れせんし、もう本当に。

(記者)
 バリアフリーに対する考え方について、文化庁はどういう認識かというのは、市として把握されているんですか。

(市長)
 総合的に判断して、していくだわねということを言ってみえたけどね。そういうことです。総合的に判断してやってくださいねいって。

(記者)
 それは向こうの役人ですか。

(市長)
 役人というより、そういうことじゃないですか。一方で歴史的建造物の復元というきちっとした領域があるんだから、それ。

(記者)
 復元の中でバリアフリーをどう実現していくかというのは、市としてはまだ把握されてないんですか。文化庁がどういう考えでいるのかというのは。

(市長)
 総合的に考えないと。

(記者)
 そこをどう捉えるのかということは。

(市長)
 ほんなら総合的にこっちも考えて提案せないかんですわ。聞きたがっとるようですよ。今、10幾つある具体的な提案について言ったら、「そうですか」言ってましたで。そんなもんわからんのです、初めてのことだから、これ。姫路城は人力で上げる実験をやったと聞いておりますけど、一遍は。

(記者)
 11の技術というのは、今度市長が行かれるときに、初めて説明されるということですか。内々で下のほうでは協議はされているんですか。

(市長)
 いや、しとると思いますよ、当然。

(記者)
 そのときの反応はいかがですか。

(市長)
 その反応はわしはちょっと聞いとらんけど。説明はしとるということですけど。そりゃ、こちら側の希望も聞いてもらわないかん、やっぱり。名古屋市民の熱い期待を、これは、そうでしょう。それはそうですよ、これ。


◎名古屋城本丸御殿完成公開について

(記者)
 今日メディア公開で、本丸御殿がいよいよ全面公開になりますけど、メディア公開に今日がなっていて、全面公開になるご所感をちょっと伺いたいんですが。

(市長)
 しかし、何と言ってもこれは本丸御殿フォーラムのすごい努力ですね、やっぱり。わしもある意味では名古屋市の過去に毒されとって、青年都市ということで、道路ばかりつくっとって、名古屋城へ行ったってコンクリートだし、それに対して木造の話もありゃせんと。それで、本丸御殿って言って、まあよういって、あのころはですよ、何言っとるかなあと。私も一番最初のときに、立ちどまって考える中に一つ入れといたからね、本丸御殿自体も。こういうふうだったですよ。

 そういう風潮の中で、よう貫いたと思いますね。名古屋を一番愛する京女の方が。それは感慨は深いですわ、本当に。役所だけだったら全然できんかった。そんな雰囲気じゃないですよ、そもそも、こんなの。ようつくったってコンクリートだわ。ようやられたと。

 それと、やっぱり本丸御殿はちゃんとした実測図がありますんで。名古屋城天守と同じですから、本物がよみがえるということと、この間のNHKでは、模写のほうを相当やっていましたけど、これはこれで大変努力されましたけどね。

 しかし、400年前の旧国宝の本物があると。(障壁画)70枚、140面ですか、表裏が。これが秋からいよいよちゃんとはめ込んで。モナリザと違って、そこらにある絵と違って、障壁画というのは建築物の一部だったわけです。こういうところにはまっておったわけだから、そこに戻してあげるのが本来の姿で。それが、順番ですけど、やっていきますんで。

 3つありますわね。これも見どころですよ。コピー、模写ですね、これ、模写。それから、もう一つは、今俺まだ見てないので、早う予定入れてくれと言っってあるんだけど、デジタル模写ですわ。デジタルコピー。科学技術によって写真を撮って、それで印刷するという。これもほかの京都でも、前見に行きました、大徳寺か何か俺見に行きましたけど、本当にうまいことできますわね、これ。それから、もう一個、何と言ってもリアルオリジナルですわ、400年前の。本当のものと。3つあるということだで、それぞれお楽しみいただけるかな。

(記者)
 本物は順次交代で入れていくと。

(市長)
 まあ、そんな感じですね。僕はなるべくようけ見てもらえるようにしたいと思いますけど、本物はやっぱり。皆さんいろいろ言いますけどね、反対派は。色目が全然違うでどうのこうの言って。あんまりね、何かおかしいんじゃないですか、感覚的に。何遍も言いますけど、名前言うとあれだけど、アメリカから、女性ですけど、みえたときに、2つ出しといたんです、本物と、今の模写と。それで、どうですかいって聞いたら、Original is always good.と言っていました。やっぱりオリジナルの400年前の国宝の本物をじっと見とったです。やっぱりそういう、何というのか、感性なのかね、これ。文化的な心ですかね、結局。


◎名古屋城天守閣積立基金について

(記者)
 先ほど2億円を超えたというようなご発言があったと思いますが、天守閣の寄附金で、多分5月31日までだと思うんですけども、現段階でどの程度集まっているか教えていただけますか。

(市長)
 ちょっと5月31日はわし知らんけど、2億1,000万円は超えたというのはちょっと聞いたところで、きちっと金額、またそれはきちっと出ると思いますんで。


◎南京市友好都市提携40周年について

(記者)
 昨日から市議団の有志の方々が南京のほうに行かれているんですけれども、市長はどう受けとめられますか。

(市長)
 南京の人がニーハオ言って、ヘンハオ、ベリーグッドと、ヘンハオ、ヘンハオということで、ええんじゃないですか。ぜひ仲ようしていただくのは。私から南京さんとのどうのこうのと言ったわけじゃないですからね、これ。しっかりいろいろ、しばらく行けとらなんだもんだで、使節団の皆さんには、南京の皆さんと仲ようさせていただく、いただくいうのはおかしいけど、そういうまたきっかけといいますか、つくっていただけるとありがたいなと、みんな喜ぶと思いますよ。

 何か向こうで出迎えてくれる人は、私が行ったときにはずっとおった、うちのおやじとおふくろが行ったときにも通訳やったりした人の名前が書いてありましたんで、懐かしいなと思っていますけど。


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