名古屋市役所 郵便番号:460-8508 愛知県名古屋市中区三の丸三丁目1番1号 電話番号:052-961-1111(代表) 所在地、地図
(市長)
それでは12月28日ですが年末の記者会見ということでございますが、始めたいと思います。
おはようございますということで、皆さんに大変感謝をしております。ありがとうございました。サンキュー・ベリーマッチということでございます。今年の4月の「名古屋市長選挙」ではもう1回、奉公しようということになりまして、しっかりやりたいと思います。
欲を言えばきりないですけど、相当、多くの方から名古屋、住みよいわと、行きたくないとこではナンバーワンと、まああれ観光地として聞かれるとそうなりますけど、断トツで行きたくないマチNo.1という極めて名誉ある地位をお与えいただきましたけれども、住みよいかどうかということになると、この前のアンケートでも8割から9割ぐらいでしたかね、確か、名古屋は住みよいと言っておりまして、それはそれで努力のしがいもあるかなとは思いますね。
ただ、そういうことでここに書いてあるとこだと、これ、よう言ってますけど行きたくないマチNo.1の中で、まあ、それはしょうがないんじゃにゃあかというのが大体8割超えとりまして、これがなかなかできゃあですね。これ、名古屋人としての雰囲気をよう表しとると、名古屋の城の天守閣もコンクリートになってまったしと、いうようなことです。かつてはね。ひれぇ道路はぎょうさんあるけど、何度も言っていますけど、(区画街路は、商業地域、及び工業地域内は)幅員8メートル以上を標準としたとかいうことで、路地をぶっ壊したという、これは、「ぜひ本人が言ってくれてもええよ」と言ってますので、名古屋学院大学ですか、熱田神宮の横にあります、あそこの井澤知旦という教授が名古屋のまちのことを消毒都市と言っておりまして、毒を消した都市という、ことがこれはやっぱり非常に僕からするとちょっとえらにゃかと言うんですけど、これは実際、言い得て妙であるという。残念ながらね。
なんべんも言ってますけど初めての人、おるかおらんかわからんけど昔は路地いうのは非常に非衛生的なとこだったわけですわ。まあ、東京でもわしも議員宿舎に入らず、しばらく千駄木2丁目に住んどりましたけど、案外、空襲もなかったし、したがって、戦災復興事業のああいうものがなかったもので、そのかわり、正岡子規だとかそれから樋口一葉だとかああいう文豪がみんな結核を患って苦しんで死んでいったと。そういうところが路地だったということでございますけど、名古屋の場合はそれを全部、太陽が燦々と降り注ぐまちにしたということでございまして、それを消毒都市と言い得て妙で、心をドキンとさせられる言葉でございまして、そういう中でどうやっておもしろくするかと、これを、というのは毎日、酒を飲みながら考えとるということでございますから、なかなか難しいですよ、これ。本当に難しいですわ。NHKのBSもそうですけど、夜中になるとNHKばかりじゃないけど世界の街角と、地元の人以外は余り入らない居酒屋とかよくやっていますけど、ほとんど路地ですからね。ほとんど路地ですから。路地で桜通りみたいなとこで、一杯飲むというのは余り見たことないですけど、まあ、そういうことを考えながら、私、1年酒飲んであればっかと思うかもわからんけどもやっぱり酒を飲むと、ちっと脳のシナプスが早く動きますんで、どうしたらいいかと考え続けておりました1年でございました。
その中で名古屋城の天守木造化がスタートいたしまして、これは、ここまで来るまでに相当疲れましたのであれですけど、日本の巨大プロジェクトと、文化庁が京都に移転すると言っとりますけど、まあそれに匹敵するいうか、オールジャパンの夢物語の実現ということで、来年はさらにオールジャパンというか、オールワールドです。ということで盛り上げていきたいと思っとります。寄附金もたくさん出していただきまして、本当にこれ大衆募金でやっとりますんで、ここには1億と書いてありますけど、もうすぐ1億5千万円ぐらいになると思いますけど、大変ありがたいことでございます。サンキュー・ベリーマッチ、いうことです。
それから二之丸庭園が国の名勝の追加指定の答申を受けたということでこれもなかなかでございますので、二之丸御殿、二之丸庭園、これも重要なポイントですけど、名古屋城の場合は天守が一つの大きなかけがえのない引き金ですけど、本丸御殿もありますけど、あと、多聞櫓とか二之丸だとか、夢童由里子さんが会うたびに言っとりました、東北隅櫓ですか、東北隅櫓の復元だとかその他、太鼓櫓等もありますし、近世武家文化の象徴として、全域を復元しているというふうにしたいと思っとります。
それから東山動植物園が開園80周年になったと、これもようけの人に利用していただいとります。それからレゴランド・ジャパンとメイカーズピアが開業いたしましてということで、これもグローバルゲートもありますけど、私としましては零細企業をやってきた人間としましては、相当、知恵を使って盛り上げないかんという気がしております。
それからランスとの姉妹都市につきましても名古屋のこれからのテーマであります、どえりゃあおもしれえというか、どえりゃあおもしれえというのは平たい言葉ですけど無味乾燥な言葉で言うと文化とか芸術とかになりますけど、そういうことのシンボルとしてのランス市と姉妹都市になるということは大変意義深いことであります。今日も言っとりましたけど、私、何年前になるか知りませんけどランス市からのオファーというか、文章を読みましたときに書いてあったのが印象的でしたけど、ランス市はノートルダムキャシードラル(ノートルダム大聖堂)を歴代フランスの戴冠式が行われたとこですけど、国王の。そこが第1次大戦で完全に破壊された。これを復元したと。名古屋は、名古屋のお城が第2次世界大戦でほぼ完璧に破壊されたのが、こういう格好でまた生まれ変わっていく。本物の木造になっていくということで非常に夢を叶えていくというか、一旦つらいことがあっても復元、復興していくという町として共通点があると書いてありました。非常に印象的だったです。ということです。
それから、ロボカップも開かれまして、フィギュアスケートのグランプリファイナルも開かれました。私も出かけましたけど、なかなかでございました。やっぱり。スケーターのえらいもんですわ。あそこのフェアウェルパーティーですか。あそこでエルビス・プレスリーの曲を1曲歌いまして、大変皆さんに愛されたとこでございます。なかなかすばらしい。世界の超美女と会うことができたということで、ありがたい体験でございました。
それから、日本一子どもを応援するマチナゴヤにつきましてはなんべんも言っとりますけど、なごや子ども応援委員会という専門職、常勤の専門職、平たいこと言うとこの間の指定都市市長会議で大分、言ってきましたけど、常勤の専門職としてスクールカウンセラーなど持っとんのは実は名古屋市だけでございまして、国の提言されとりますチーム学校とほぼ同じでございますので、そういう考え方のフロントランナーであると。名古屋は。ということで文部科学省からはっきり明言をいただいております。ありがたいことでございます。そういう面でいろいろ、課題や困難もありますけども大体100人くらいになったんじゃないですか。全部で。相談件数がここにありますけど、9月末現在で7,150件、1,901人ですか、1.3倍となっております。平成26年4月の制度開始からの累計だと28,956件、6,051人の子どもさんたち、それは親の応援にもつながりますけども、応援したことになります。どえらい数字ですね、これ。本当に驚くべき数字でございます。まだ、あまり細かくは申し上げにくいけど、子どもさんの不幸、親のそれにまつわる悲しみ、不幸が続いとりまして、来年度は全力挙げて取り組むという気持ちでおります。
そのためには1円も惜しむことはありませんので名古屋市民の皆さんの血税を使わせていただきますんで、市民の皆さんにはぜひご理解をいただきたいなと。名古屋で子育てすればという言葉もありますけど、それもいいんですけどやっぱり子育てというのは、小さいころのイメージですけども、妊娠してからどういう仕事につくかというところまでの、どえりゃあ子どもさんをお客さんにしたあったきゃあ取り組みですね。みんな立派になってちょうよと、あんたたちの好きなことやってもらうでよと、そういう取り組みをさらに来年からフロントランナーとして進めていきたいと思っとります。
そのような趣旨でここに書いてありますけども、名市大の大学院に臨床心理コースということがスタートしておりまして11人だったと思いますけど、今言いました専門職、常勤の専門職のスクールカウンセラーの養成まで始まったということでございます。愛知教育大学も学部でやっていますけど、五、六十人おったと思いますけど。あそこも。この間行ってきましたけど、愛教大は愛教大で自分たちのプライドがありますので非常に熱心にやっとられましてありがたいことでございますけども。
この間、指定都市市長会議で言いましたけど何で苦労するかいうのは自分とこで養成せなあかんですわ、結局。アメリカの場合では僕が聞いた話では教育学部の中にそもそも評価をしうる先生というのは半分しかいないと、その養成が。あとの半分で大きくなったら何になるのとか体が不自由だけどこういうチャンスがあると、親が例えば離婚したし貧しいけど、こういう人生を生きたらどうというキャリアカウンセラーというらしいんですけど、それが半分近く教育学部の中に既にあるということで、すごいですね、やっぱり。ええとこは学ばなあかんと思いまして。指をくわえとるだけでいかんもんですから名古屋として養成コースをつくらせていただきました。いうことでございます。そういうことで、日本で1番子どもを応援するマチ、ナゴヤとしてたゆまない努力を続けてまいります。
それからあったきゃあまちナゴヤ、となっとりますけど待機児童ゼロ、4年連続ということで、まだこれ知られとらんけど何とかならんか、これ本当に。なかなか京都もそうですけど、これ知りませんで名古屋、わしが市長になったとき2年連続ワースト1だって、今4年連続待機児童ゼロというのは知られとりますけども、ええとこも皆さんに知ってもらわんと、どうにもならんということで。と言いますと、すぐ入れん人がおるじゃないかという例の保留児童の話が出てまいりますけど、七百三十何人だったね、あれ。去年というか、今年というか、このうちの1人は確か昔で言うと認可外ですか、入っとるということでなかったかな、ちょっと違うかもわかりませんけど、あとの方は全部、保育園の特定でございますので、そこまで広げることを今考えとりますけど、この場合、小学校や中学校につくればどうなるかと言いますと、待機小学生というのはありませんので全部入れるわけです。そのかわり学区制になりますわね。この学区の保育園に行きたい方はここだということになって選択はできんようになりますけど、それはそれでわしは一つの選択ではないかと思いますよ。何といったって保健室があるもん、小学校には。給食場だってあるじゃないですか、いろんな難しいこと言ってますけど。兄ちゃんや姉ちゃんがおるじゃないですか。外にはフェンスがあるじゃないですか。太陽が燦々と降り注ぐとこじゃないですか、みんな。どうなっとるだということでそこまで踏み込むように今、強烈に話をしておりまして、そうなると保留児童もなくなっていくということでございますけどね。だからそれで努力しようねということでございます。
ですから、ぜひ皆さんにおきましては6つ書くとこがあるね、申込用紙に、保育園の名前を。この6つ全部書かんでもええですけど、自分で希望を書いていただいてそこに入れん場合は名古屋市として紹介しましょうかという欄が次にありますので、そこに丸をうたない人は結構おるんですけど、丸をうっていただければ、そこに丸をうって紹介できなんだ場合は待機児童になりますから、名古屋ゼロということは全員きちっと紹介しとるとこでございます。そこで嫌だと言われますとなかなか現状では苦しいということになっとりますんで、ぜひそこのところ丸を皆さんもうっていただいて、第1志望、第2志望でなかったかもわからんけどいう場合は今の仕組みの中ではご容赦いただきたいということになります。さらに、そこまでも入っていただけるように今いろいろ考えております。
それから骨髄バンクドナー等助成金交付事業を開始いたしました。ここもやっていきますが、本当は僕は国会議員時代から対面というのを実は何とかできんかと言ってやっとるんですが、日本はまあ、国ごとにいろいろ違いますけど要するにドナーとレシピエントが会うとなんでええんだというと感動というのが伝わりますのでドナーになる方が増えるということですが、一方そういうと脅かすと、誰のおかげでおまえさん命が助かったということになるんで、そういうことはいかんという説もありますけど、もう今それどころかネットでいよいよやる時代にも入ってきまして、そんなこと言っとれん。ネットでやっちゃった場合どうなるの、という話ですわ。ということもあり、僕はええ方をもっと強調して名古屋で何とかこれ、名古屋からでもできんかと、対面がと。いうことでいろいろやっとりまして、ですけど一応骨髄バンクがみな持っとりますんで、国になりますんでいろいろ。一応、国が動かんとちょっとやりにくいという状況でございます。
10月にはヘルプカードの配付が開始されました。ぜひ皆さんも困って見えるというか、人がありましたら一声かけてにこっと笑うと、ハウアーユーという感じで名古屋のまちを勧めていってもらいたいなと思います。
災害防災に関しては、国はこれまでの予知を前提とした東海地震対策を見直し、確率の高い予測はできないということになりました。これも昔から言われとりまして地震予知は実はできんのだと、だけど金ばかりどえりゃあ使っとると、いう説もあった。いろいろ。名古屋はやっぱり私も小学校5年のときに伊勢湾台風も体験しとりますし、相当な対応を取らなあかんということで、僕はやっぱり切り札としてはなんべんも言っとるけど、小学校ごとの避難訓練というか大体、くくりでやっていますけど、まあこれはこれで避難所が小学校になりますんで大事なことですけど、旧町名単位ぐらいでやると真剣味が出ますわね。何でかというと旧町名というのは、あとで政治が無理やりにつけた地名もあるかもわかりませんけど、そうではなくて大体地名を共有しておりますので、非常にそこに住んどる人にとって災害があったとき、どう逃げたらええかとか、どう対応したらとかいうことを共通するということでございます。具体的に言うと今日もあそこで言いましたけど、北区のそこをずっとおりて行って崖の下に船附町とありますわ。北区の。名古屋城の崖の下に。なんでこれが船附町だと。名古屋城より東ですけど、船附町ということはあそこまで海だったということでございまして、非常に旧町名というのは防災上においても大変重要な意味があるということでございます。そういうふうにきめ細かく説明をするように3年くらい前からか、4年前から予算をつけてやっとりますんで、さらにやってちょうよと。説明して、みんな寝とるような説明の仕方したらあかんぞと言ってありますけど。防災当局からすると相当、細かい単位で説明に行っていますと言っとりますんで、伊勢湾台風みたいなことが起こらんように、一人の人命も失うことがないように精いっぱいやらせていただきたいと思っとります。
指定緊急避難場所と指定避難場所を指定した。それから防災アプリに帰宅困難者をサポートする機能を追加しました。ちょっと変な話ですけど天災も非常に名古屋もひどいことがあります。というか地震だと濃尾震災が明治24年、次は三河の大地震が昭和20年、ですのでこれは本当にこれ、そんなもん起これせんわとみんな思っとるんだけど、起こったってわしは大丈夫だと思っとんだけど、いつ起こるかわからんと言いながらも30年くらいたちましたけど、よほどの注意を払ってやっていかないといかんなとは思っとります。
(記者)
来年1年はどんな1年にしたいですか。
(市長)
来年1年は、いよいよThis is 名古屋というやつが今言いましたように中身つきで、そういうのが引き金ぐらいにはなるよ。東京の人がいっぺん、名古屋に行こかと。品川からまだ来年ではリニアありませんけど、新幹線でもいいけどね。行ってうまいもの食うのか、おもしろい音楽でも聴くのか最終で名古屋から東京へ戻ってこようかと、大阪なら大阪でもええですよ。そういうふうに具体的にいよいよ言えるようなものが出てくると。
(記者)
市政としては、どういう将来像を描きながら。具体的に例えばまちづくりの面ではこういう方向でとか。市長がここに力を入れていきたいというような分野がありますか。その中に。
(市長)
まちづくりで言えば、それは名古屋駅をめちゃくちゃおもしろくすることですよね。何と言っても。今のところインフラの面ではもう結構やっていただいておりますけど。コンテンツというか、やっぱり名古屋駅へ行って八代亜紀のコンサート聴きに行こうかという話ですわ。わかりやすく言えば。この間、某所で聞いたら3割ぐらいの人出が減ってると某社長が言ってました。松坂屋の店長は同じぐらいやと言ってましたけど。よっぽどおもしろくせなあかんということですけど。多分、一番ヒットというか喜ばれるのは子どもの支援だと思います。子どもと親の。一番喜ばれるのは。ものすごい数ですから。支援の中には今度は就労とか、就労支援というと誤解されるんですけど、職業紹介みたいな話で捉えられる、日本で言うと、もう小学生ぐらいからやっていくということです。
具体的に言うと中学校やなんかで子どもの今のプレッシャーのきついこと。日本の教育は国連から3回くらい警告を受けていますからね。Too much pressureだと言って。中学校ぐらいで内申点が悪くても、そうあまり悲観するなとお母ちゃんもと。こういう人生の道があるよとあなただったら、こういうところが得意じゃないかと、そういうことをやっぱり専門の人たちが学校にちゃんといて、やらないとあかんですねこれ。某レポートによりますと大体アメリカでは、そういうのをキャリアカウンセラーというらしいですがやった人が大体、500人の子どもさんに1人はおるとそこに書いてありました。日本はゼロですので、そういうことを大変きめ細かく、またこの間も言いましたけどお母ちゃんがみんな悩んどるもんで、お母ちゃんのうちへ行かなあかんのです。学校へ来てちょうだいでは駄目なんですよ。皆さん、夜8時、9時まで働いとるのでね。パートのかけ持ちじゃ年収200万でこういう人たちのお母ちゃんのうちヘ行って、とにかくいっぺん、話を聞かせてちょうというのはね、子どもさんが学校へ1日、2日出んようになってきとるけど、どうですかということを誰がやるかですよ。誰がどうやるかも初めてになりますんで、全然やらんわけじゃないですよ。やっとる人もいますけど。そういうことをやっていくのが多分、日本の政治の中では一番、喜ばれると思いますけど。名古屋の特筆する事項として。
(記者)
名古屋城についてですけど、市長としては締結してとりあえず一段落ついてこれでいけるという話をされていますけど、今、バリアフリーの問題が出てて、それについてどういうふうに市長としては折り合いをつけていこうとお考えですか。
(市長)
まあ、大事なことなんで。ただ、ちょっと誤解がある場合がよそでしゃべってありましたのは、今でも(天守閣は)エレベーターで5階しか行けませんからね。展望台は7階ですから。5階は窓がありませんのでこれは。下の外づけのやつも1階のとこへ入ってくるだけで。そこはちょっと誤解があると、現在でも。という状況です。しかし当日もそうでしたけどやっぱり体の不自由な皆さんは車いすだけの人じゃないですよ。実は。目の不自由な方だとか、たくさんいますからね。だからそうでなくて、別にいわゆる不自由という意味ではなくて、ただ歳くったためにそういう人たちには相談をせないかんわ、これは。
よう話をしてそれが丁寧に話をさせていただいてということで、現に車いすメーカーのトップが近所にありまして。なんと北名古屋市に。日本の。この間、私も行ってきました。立派な会社ですけど、そこの社長と開発担当の人と話しとって、この間も言いましたけど車いすからしても最大の問題点は段差だということで、地下街ですね、地下鉄というか、あそこから上がってこられるような車いすをつくるということは大変、重要なことなんですわって言ってました。災害になるとエレベーターが、止まっちゃいますんで、それもありますんで、じゃあ全力を挙げて開発をやっていきましょうと。大学の先生も協力するいうことで進めていただいとります。わしもなんべんも直接に電話してますけど。そういう方法とって。
それと、この間も言いましたけど、月にいっぺんでも2か月にいっぺんでも、ちょっとわかりませんけど不自由な方の日をつくって、ようけおって中に。名市大の学生さんでも頼んでようけおって、みんなで手助けしながらちゃんと上がれるとこまで上がっていってもらうということはやっていきたいと思います。そういうときは、その時にまた考えないとあかんけど、入場料はただでもいいじゃないですか。別に。これは。とかね、仮に。いろいろ考え方はあると思いますけど、そういうことで、今日何か会見されたかどうか、余り打ち合わせしとりませんのでよくわかりませんけど。まあ、そんな方向であったきゃあ名古屋城になっていくと思いますけど、私。
(記者)
市長は今日プロジェクトチームの1回目会議があったと思うんですけど、プロジェクトチームにはどういったことを求めていくと言いますか、どういったふうにしてもらいたいんだということはありますか。
(市長)
僕はとにかく車いすの方だけじゃないですけど、今言いましたようにね。不自由な方でもいろんな段階があるし、そのようなことも、人のご希望をよく聞いてということだと思いますよ、まず。よく聞いてだけど新しい技術の開発には相当期待しとりますけど、私は。
(記者)
名古屋城に関してなんですけれども、ことし1年を振り返って大きく動いた1年だったと思うんですが、現状では石垣に関しても、バリアフリーに関しても、少し立ちどまってる状況にある。それを総合して振り返られてどのようなご所感ですか。
(市長)
まあ、そりゃ世界の夢物語でしょう、これ。こんな巨大なコンクリートの建造物を。たまたま言うたら怒られるけど詳細な図面を残しとってくれたという先人のおかげで、昭和7年からですけど。いろんなことがあるんじゃないですか。いろいろ言われるのは当然のことだから。と思いますけど。ちょうど現に二、三十年前まではコンクリートで修繕するということになっとったわけですよ名古屋。それは書いてありますよ文章で。わしも、それしかしょうがないわと思っとった。名古屋の人間として、しょうがないと思っとったけど、その後いろいろ勉強しましたら、いやいやと、実は図面があるし、今、技術も十分あると、できるんだと、木造にしたほうが長いこと持つし、僕は50年か100年で国宝になると思いますよ、名古屋城は。木造復元したら。となったのでいろいろな考え方が出てくるというのは別にそう驚きませんけど。
それよりここまで疲れましたわ、本当に。ええ時に記者クラブをやっとったなあと思われるようになるで。あと500年か1000年後の子どものこと考えてみいや。本当に。すげえこと名古屋はやってきたんだなって、なりますよ。どんだけうれしいの、1000年後の子どもからしたら、子どもさんからしたら。図面による復元で木造になったと。そりゃあうれしいですよ、名古屋に住んどってよかったなあとなりますよ。
(記者)
今明治維新150年ということで各自治体、いろいろやっておりますが、尾張藩も徳川慶勝公も重要な人物で最近見直しが進んでいらっしゃいます。来年、例えば、高須四兄弟についてはいろんな他の自治体もPRイベントをやる方向でと聞いておりますが名古屋市としてはこういった動きについては、どのようにお感じでしょうか。名古屋市長として。
(市長)
大変、高尚なご質問でいつもながらに優秀なジャーナリストとご尊敬申し上げておりますけども。これ非常に重要な点ですわね、高須四兄弟。あのときに尾張藩がどういう役割を果たしたかと。最近若干、見直しも始まっとりますけども、やっぱり尾張藩があのとき本当に戦っとったら、これですね、薩長土肥と。大変なことになっただろうと。あそこでスルーしちゃったもんで、そのまま江戸へ行きましたのでね。というふうには言われとりますが、そのためには例の青松葉事件で14人ですか、重臣は3人ですけど、14名の尾張藩士が斬首されまして、今もちょうどあそこにある、重臣のほうは(愛知県)体育館があるとこですけど。その他の藩士は、外堀通りのいわゆる、ちょうど、あそこ(旧愛知県産業貿易館付近)ですね。今、壊しとるか。本町通りのぶつかるとこで。
その後、実は尾張藩というのは明治維新になってから、薩長土肥につきましたので政治的にうまいこといくかと思ったら、いかなんだと、薩長は許さなかったと、尾張藩を。宝暦治水やら長州征伐の総督や、途中まで行っただけだけど。行かないでそのときにそちらが首を切ったほうですけど、あれ14人ですけど、物すごいようけの人の数が失脚させられてますんでね。そこから北海道の八雲に行ったわけです、みんな、開墾に。大変につらい、尾張藩の皆さんが、したということで公式に招待されとる、行かなあかんと言うんです、これ。いろいろありますんで。いっぺん、そこらクローズアップしますか、やっぱり。青松葉事件があまりに悲劇だから、あまり尾張藩では言わんのですね。ぜひ城山三郎さんの『冬の派閥』というのがありますけど、あれに細かく書いてありますんで、細かくというか小説ですので、楽しく書いてありますのでぜひ、お読みいただくということで、せっかくのご質問なのでその尾張藩の果たした役割とその悲しみですね、あとの、尾張藩の悲しみですわ。それはちょっとせっかくのご提案ですので、ちょっと何ぞやりますか。大変なことですよ。本当に。大変だったらしいでね、八雲の開墾は。徳川さんは大分、応援したみたいですけどね。政治的にはなかなか尾張藩は恵まれなかったとこですかね。実は。
(記者)
丸栄本館の取り壊しについて、西澤先生たちが反対の申し出されておりましたけれども、市長としてお考えはいかがでしょうか。
(市長)
これは本当に悩み深いところですわね。わしも、古くさい建物まで。どえらいフェチでございますのでね。丸栄は建築学会賞か、何か取っとるでしょう。向こうから、西側から見るモザイクの景観といい、ちょっとはみ出とる雰囲気といい、悩ましいですけどね、大変に。隣の明治屋の建物は頼むで残してくれと言っとりますけど、あれ。あれは戦前の建物です。明治屋の。今では、あるのは明治屋の建物とずっと西へ行ったとこのさくら銀行(現三井住友銀行名古屋支店)か、何やったかあそこ。あそこ2件でしょう。ということでなかなか苦しいとこですけど、どえらい盛り上げたいという、そういうお気持ちの強いとこもたくさん見えますしね。例の地下街の食堂街は懐かしいわね。うまいもんぎょうさん売っとる。今でも売っとると思いますけど。
(記者)
なかなか反対とまではお気持ちとしては。
(市長)
今のとこではなかなか苦しいとこだと、ぐらいしかちょっと、なかなかね。という状況でございますけど。
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