名古屋市役所 郵便番号:460-8508 愛知県名古屋市中区三の丸三丁目1番1号 電話番号:052-961-1111(代表) 所在地、地図
それでは、11月20日(月曜日)でございますが、会見を始めたいと思います。
おはようございますということで、まずは、信長攻路 桶狭間の戦い 人生大逆転街道 NOBUNAGA’s VICTORY ROADです。「名古屋城必勝祈願フェス」及び「銘板連続お披露目式」の実施について報告いたします。
日本史上名高い「桶狭間の戦い」と清洲城から桶狭間に至るまでの道のりを観光資源として広くPRし、名古屋市への観光客誘致につなげる取り組みといたしまして、「信長攻路 名古屋城必勝祈願フェス」及び「銘板連続お披露目式」を12月2日(土曜日)に実施いたします。
これは後でちょっとあるかわかりませんけれども、本当に観光地というそういうようなので、ちょっと間違っとると言うと怒られますけれども、観光地でもあるのですけれども、本物ですから、これ。これはなかなかなんですよ、これは。
桶狭間の戦いというのは中学校ぐらいで習う、まず1560年ですか。織田信長27歳、青春の夢ということで言われております。桶狭間古戦場に行きますと、「近世の曙」と書いてあるんです。中世とはどういう時代であった、近世とはどういう時代であるかと。だから、中世というのは実は応仁の乱、一応あの辺が「ひとよむなし」と覚えましたけれども、1467年。日本はすさまじい殺し合いを続けておったわけです、戦国時代に。
これはいろいろな権力も、権力がいいとは申しませんけれど、ばらばらでですね、特に荘園というのがありまして、荘園というのはいわば脱税団体みたいなもんでですね、何やらわけわからない中で混沌とした暗黒という人もおりますけれども、時代が続いていたと。そこの中で、初めて一定の国家権力、というと悪いかな、国の仕組みを整えていったというのが、この信長・秀吉・家康と。
ただし三代かかったと。殺されたのは信長だけですけれども。だからそれだけ時間がかかってようやく元和偃武(げんなえんぶ)といいますけれども、1615年の家康が260年に及ぶ平和な治世を築いたということでございまして。大変にその歴史的にも大きな意味があると。中世から近世に移行する、そのくさびをまず信長殿が打たれたということでございますので、そういう気持ちでひとつ名古屋のまちを見ていただきますとだいぶ違いますよと。
信長攻路のコンセプトであります人生大逆転をテーマに。繰り返しますが桶狭間の戦いというのは、これは井沢元彦さんが言っておる言葉ですけれども、世界史上まれにみる大逆転劇と。大体10倍の兵力を打ち負かすということは。暗殺とかそういうのはありますよ。だけど正規軍がぶつかって、最近は正面からぶつかったという説が有力になっておりますけれども、桶狭間は。その10倍の軍隊に勝つというのは、世界史上まずないと思いますね。
そういうことでございまして、いわゆる「人生大逆転」というテーマでございまして、名古屋城では必勝祈願のフェスと題して、「ビリギャル」の著者でおなじみの坪田信貴さんのトークショーや桶狭間大チャンバラ合戦を実施しますほか、人気漫画家、原哲夫さんの作品、「いくさの子 織田三郎信長伝」とコラボした織田信長像をお披露目いたします。
また萱津神社、豊国神社、萬松寺、氷上姉子神社の4カ所で銘板連続お披露目式を実施いたします。今年6月に実施した際には、地域の皆様にもご参加をいただきまして大変盛り上がりましたので、今回もぜひ多くの方にご参加いただけますようお願いをいたします。
ここで、武将隊といいますか、信長殿と家康殿からそれではPRを一つお願いしたいと思います。
(信長:では、ご紹介にあずかった。皆のもの、おはようさんじゃ。我が名は、第六天魔王織田信長である。)
〈信長が手を叩く〉
(市長)
なんじゃ。
(信長:拍手を促したのじゃ。)
(家康:みなしも、拍手をいたそうではないか。)
〈一同拍手〉
(信長:去年も好評でござった、今年も12月2日(土曜日)にこの信長攻路、今年は「必勝祈願フェス」というものを執り行う。去年も大好評であった、大チャンバラ合戦、織田方と今川方に分かれて戦うのじゃな。これは、今年はどちらが勝つかと。去年はわしが勝った。今年は今川が勝つかもしれんということで、これは一般参加を募っておって、お子たちも同時に楽しめるということで、ぜひとも参ってもらいたい次第。
そして先ほども申した、わしの像がお披露目ということで、それも楽しみ。どのような像かは、当日のお楽しみということでわし自身も楽しみじゃ。そして、いつも市長殿が申されておる、信長攻路を通ってわしに思いをはせ、戦国時代に思いをはせ、人生大逆転ということで、こたびはとある娘を勉学にて大逆転に導いた坪田先生殿をお呼びしておる。
しかも、信長から学ぶ必勝の心得ということで、わしは400年前、より先進的な考えをしておったが、現代でも通用する考えがあるようじゃ。この坪田先生殿の考えを、ぜひ聞きに参ってほしい次第。そして、これに参加いたすと、何と受験に必勝祈願された、何か記念品がもらえるということで、どのような物かも当日お楽しみということで、ぜひとも参ってほしい次第じゃ。わしからは以上である。)
(市長)
坪田さんという人はどういう人だった。
(家康:こちらのご人は、もともとこの名古屋市内にて有名な著名なる塾講師殿である。)
(信長:名軍師)
(市長)
塾を。偉い人ですか、なるほど。それで、成績がいま一つだった人たちをみんな、立ち直らせると。
(家康:有名最高学府に送りだしたということで。)
(市長)
すばらしいことです。
(信長:わしも幼いころはな、うつけと呼ばれておって。そこで人生大逆転いたし、天下人になった。)
(市長)
あんたの実物もそうか、信長ではなしに。
(信長:なんじゃ、今もそうじゃ。)
(市長)
今もそうか、結構なことだ。
(家康:さあ続いて、天下泰平の世を築きし、初代江戸幕府将軍、我が名が尾張名古屋開府の祖、徳川家康。はあっ!拍手じゃあ!)
〈一同拍手〉
(家康:さて、ほかにも舞台での見せ物…)
〈信長が家康に、マイクのある中央の立ち位置へ移動を促す〉
(家康:いやいやいや、こちらは信長殿の…。我が声は届きます。皆しも聞こえておるかの。信長公が真ん中に立ってくだされ、ぜひとも。)
(市長)
英語でしゃべったってみよ、英語でできるに。
(家康:Thank you for coming this morning. I was extremely happy to see Mr. Mayor because in these four days I got to see you …)
(信長:わしが全くわからんぞ。)
(家康:ああ、わかり申した。では、市長殿直伝のバテレン語は抑えておいて、日の本の言葉で。
そのほかにも見せ物や、飲み食いもいたせるキッチンカーなる出店も用意してござる。楽しんでもらいたい。
名古屋城のほかには、この信長攻路桶狭間の戦い、人生大逆転街道上に設置した銘板の連続お披露目式なるものを執り行う。この銘板というのはの、道しるべになっておるわけじゃ。この信長攻路の実際に信長殿が桶狭間の合戦の際に進まれた、この場所場所にあるということで、歴史を感じてもらえるわけなんじゃな。
さてこの道しるべは、あま市の萱津神社、中村区の豊国神社、中区の萬松寺、そして緑区の氷上姉子神社、こちらにて執り行う。ぜひとも参られたし。市長殿と我ら名古屋おもてなし武将隊がよろい武者姿にて登場いたすやゆえに楽しんでもらいたい。我らからは以上じゃ。)
(市長)
実は、家康が中学生だったころに、違う、信長が中学生だった。
(信長:わしが中学生。)
(家康:今で申すところの中学生じゃな。齢のとき。)
(信長:そういうことか。)
(市長)
家康が小学生だったころに、ちょうど名古屋城で2人は仲良くしとったんです、実は。あんた(家康)が人質で来ておった。
(家康:随分とわしはいろいろな意味で可愛がっていただき申した。)
(市長)
今の名古屋城の前の那古野城な。あなたがおったんだ。
(信長殿:さよう。旧那古野城な。漢字違い。)
(市長)
2人で仲良くしておったときに、植えた木ではないのかというのが、今この金シャチ横町の中に、でかいイチョウの木があります。あれがひょっとして樹齢が440年とかになると、これがぴったり2人で植えたということになる。違っとったら黙っておって。
(信長:400年前のことはちいと忘れたわ。すまんな。)
(家康:しかし、夢があり申すな。)
(市長)
それでそこで一緒で仲良くしておったのが将来、その後、信長中学生と家康小学生の同盟になって、戦国時代を切り抜けていったと、こうなるわけです。それで彼女どうした。
(信長:ん?元気じゃ。)
(市長)
元気か。それはよかった。
(信長:濃姫のことじゃのう。)
(市長)
濃姫。吉乃だよ、吉乃。
(信長:吉乃か、吉乃も元気。)
(市長)
元気か、それは結構なことで。
(信長:あまり言うなよ、たくさんおるということ。)
(家康:そろそろ空気も変わってきた。我らは退陣いたそう。)
(信長・家康:また会おう、さらばじゃ。)
(市長)
何べんも言っておりますけれども、信長さんは大変に女性に優しい方であったということは、これは井沢元彦さんが言っておられますので、ぜひ頭に入れておいていただいて。普通の女性にも名前をつけたのが信長が一番最初だと言われております。著名人は北条政子とか、ああいうのは名前をつけますけれども、昔は誰々の娘とかそんなものだったんです、その当時は、女性は。
しかし信長が初めて名前をつけたと。もう1つ有名な本能寺の一番最後のところでですね、来ますわね、明智がばあと来て、是非に及ばずと。まあしょうがにゃあと言った。どっちが先だったかちょっと忘れましたけれども、女官がですね「殿、お伴しましょう」とみんな死んでいくわけです、普通は。そのときに信長は、「たわけ!」言って、「逃げろ!、生きよ!」と言って、みんな女性を生きさせたという。当時においてするとすばらしいことで。そういう脈々と女性を大事にする雰囲気がこの尾張名古屋にはあるということでございます。
報告は以上でございますけれども、名古屋城二の丸庭園が国の名勝追加指定の答申を受けた件についてお話をいたします。
名古屋城の二の丸庭園は、かつて存在した二の丸御殿の北側に隣接して造られた庭園でありまして、昭和28年に北西部分の一部の範囲が愛知県で初めてとなる国の名勝に指定されていました。
近年の発掘調査等の成果によりまして、文政期に描かれました「御城御庭絵図」などと照合する庭園遺構が良好に残されていることが明らかになったため、先週11月17日に国の文化審議会より名勝追加指定の答申を受けました。
御殿に隣接した庭園としては、京都二条城の二の丸庭園、約1万6千平方メートルが代表的なものですが、今回の名勝の追加指定により面積が京都二条城の二の丸庭園の約2倍、約3万平方メートルとなり、全国一の規模となります。
今後、名古屋城二之丸庭園の修復とともに、本丸御殿の完成と天守閣の木造復元によって、本物の江戸時代の姿が甦ることとなりますので、お楽しみに待っていただきたいと思っております。
これは二之丸庭園になっておりますけれども、二之丸御殿もこれは大変立派な御殿でございまして、これはいわゆる実測図がないんですけれど、平面図はありまして写真が残ってます。
ですから、この天守の木造化というのは、かけがえのない大変重要な、英語で言いますとトゥリガー(trigger)ですか、引き金ということでございまして、あと二之丸御殿、それから二之丸庭園、それから多聞櫓、それからお亡くなりになった夢童由里子さんが切望をされておりました東北隅櫓とかですね、江戸時代そのものの遺構を復元していこうということでございますので、ぜひお楽しみにしていただきたいと思います。
すごいですよ、江戸時代そのままになりますと。コンピューターグラフィックでは、広島大学の三浦先生がつくっておりますけれども、その中の相当な部分が実は詳細な実測図があるということでございまして、お楽しみにということでございます。
1枚は、減税よりも公共投資のほうが効果が大きいとの説についてという、これは私が書いたやつですけれども、本当に僕が書いたやつです、これは。本当に私が書いたやつですが、財政局にも見せてありますけれども。本当にこれやめてもらいたいんだよね、これ。やっぱり減税しないほうが効果が大きかったら、もう法律を変えてもらわないといかんですよ、本当に。
平成18年に私は国会におりましたからよう知っておりますけれども、それまでは市民税減税ってできなかったのよ、これ。それが、決めたのは国会ですけれども。総務省ということが今日幹部会で言いましたれども、理由は二つ言われておりますけれども。言われておるというより会議録で出てきますけれども、一つは行政改革をしたときにその成果を減税という格好で市民に戻すことはええことなんだと。これが一つ。
それからもう一つは、やっぱり市民税も競争すべきではないかと、これ。少ないところと多いところとですね。というような、ほかにもあったかもわかりませんが、今は僕が覚えているところではこの2つの理由で。それであのときに、ここに書いてありましたけれども、衆議院で平成21年2月26日です。僕が総務省に聞きまして、そのとおりですと。減税できるようになりましたというふうに総務省が答えております、これ。で、始まったということ。
ただし、総務大臣の許可が要るんです。総務大臣の許可とか。許可の内容は何かと言ったら、その分、真水でお金をつくってちょうだいよと。いわゆる起債をそれに充てちゃいけませんよという趣旨でございまして、非常に厳しくちゃんとチェックをされまして。名古屋市はそれに通りましてというのもおかしいですけれどもね、これ。
地方税を何で自分のところで自由に決めれんのだという話になりますけれどね、本当にですね。自治体というか地方自治なので、一応そういう仕組みになってしまっておりますので。地方税法という、これは地方財政法の5条になったんですけれども。
じゃあ、お金はどうやってつくったらいいかというと、これはだから河村さんが給料を800万円にしたわけです、これが。これを受けまして、議会も半分にしたと。戻してしまいましたけれども、半分にしたと。
それで、市の職員が1割給料を減らした。それまでは、名古屋市の職員って日本一給料が高かったんです。今は13位です。当時、平均689万円だったやつが618万円まで下がったと思いますけれども、確か。70万円下がって、2万6千人当時いましたから180億円現金をつくったんです。現金です、これ。そのほかの改革もありますけれども、このお金だけで言うと、その給料の分が非常にわかりやすいから、これ。ようやりましたよ、本当に。
市の職員はよう頑張ったと思いますよ、これ。みんな面白くにゃあと思いますよ、本当にこれ。こんだけのことをやってきたのにですね、減税をしたのにですね、減税の何か、公共事業より効果がにゃあでやめたほうがええような記事を書かれてですね、これはたまらんですよ、これは本当に。ということですわ、言いたいのは。
僕も何人かに言われましたけれども、昨日なんか、ある会合に行ったら、河村さんもああいうふうに記事も出とるし、もう減税をやめて自分の給料をようけ上げりゃいいがね言って。今2,800万円もらえますから、やめれば。これですね、今僕は800万円でやっていますけれども。年間2,000万円、それから4年ごとに退職金を4,220万円もらえばいいがねと、そうなっちゃうんですこれ。こういうふうに、それはいかんでしょうそれ言って、約束したことを守らな言って、と言いましたよ私は。
それと別にこれは、財政危機なんて嘘ですから。そういうわけではなくて、やっぱり納税者を大事にすると。税金で公共は謙虚にやると、特に政治部門ですね。役人さんは常勤ですけどね、やっぱり政治部門というのは、やっぱり納税者の方の代表なのであって、これ。役人の代表でじゃないんですよ、本来はこれ。
という精神で僕はやっていると。そんなことできませんよと、昨日言いましたけれども。そういうふうになっちゃいます、これ。これ事実です、昨日そういう話があったので、夜。名前をここで言うわけにはいきませんけれども、知りたい人は言いますから、本人に聞いていただければ、そういうことを言ったかと。意外と嘘は言いませんので、本当です。
なっちゃうということでございますので、この日本中で今は名古屋市しかありませんけれども。それじゃあ減税分はどうなったかというのは、これはもう皆さん持っておられると思いますけれども2つの資料が、これはプロジェクトチームで出したやつですわ。これ、まずは1枚目ね、これ。「名古屋市の市税決算額等の推移について」ということで、ここにありますけれども。平成21年に市長になりまして、平成22年には、あのときは1割減税でしたので、ボンと市税収入が4,762億円に下がりまして、それからこういうふうに持ち直しておりまして、大体110億円分は4年間で持ち直しております。
それからまた4年経って、もうすぐいよいよもう1、2年経ちますとリーマンショックの前のとこに戻ると。110億円減税分は大体220億円、倍の増収になって戻ってくるということでございます。
無論、全部減税のせいだとは言いません。全部減税のせいだとは言いませんけれども、減税というのは当然ですけれども、可処分所得を増やしますので、市民の懐を温めると、コーヒーの1杯にもなると、するとコーヒー屋さんがちぃっとでも栄えるということでございますので、経済がようなると。
それからもう1個の、こっちが結構重要なのだけれどもね、これ。これは、「経済活動別名目市内総生産の推移」ということで、右の縦線のグラフがありますけれども、これは「平成26年度市内総生産の対21年度増減寄与度」ということで5年間かかった。5年か6年かかりまして、じゃあ名古屋市のGRPはどうなったかといいますと、ここにありますように名古屋市、横浜市、京都市、大阪市、神戸市の中で断トツと言っていいと思いますがトップでございまして、GRPと言いますけれども、国でいうGDPです。
GDPのグロス・リージョナルで名古屋の経済の大きさです。それがここにありますように5.2%ということで、次が神戸市の4.7%。次が京都市の3.8%、それから大阪市の1.8%、それから横浜市の場合はマイナスになっておりますけれども、マイナス0.1%。こういう状況でございまして、名古屋の特色からすると、これグラフを見るとわかりますけれども、非常にバランスがとれておりまして、マイナス部分が少ないんですわ、これ。だから、ここのところは今さらに分析するようにしよみゃあかと言っていますけれども。減税という政策はですね、毎年110億円ですから、うち法人が32億円ですけれども。非常に広く市民生活を一定といいますか、支えているとまでは言えないかもわからないけれども寄与しておるというふうにうかがえるということが言えます、これで。
法人税につきましては、名古屋がやりましたので、その後2年後ぐらいでしたか、国が名古屋の政策を追随いたしまして。国が法人税減税をやりました。ただし、国の場合はレベニューニュートラルと言いますけれども、ほかで税金をとることを常にやっておりますけれども。まあまあそれでいろいろ考えていることは事実でございます。名古屋の政策を国が追随したということですから、それは事実でございますけれども。こういうことでございまして、ぜひ皆さんもこれ。
で、減税をやめるとどうなるか言おうか。シミュレーションですと、8億円公共事業に回ると言っているのです、減税分やめると。8億円って実は、名古屋市の職員って2万5千人いますから、1万円ずつ給料が上がるだけで2億5千万円。それで、4万円上がりますと、当然10億円です。8億いうと、3万円ずつ全職員が給料を上げますと、7億5千万円。だから、全従業員が3万円ちょっと給料を上げるだけと言ったら何ですけれども、しょっちゅう人勧(人事委員会勧告)で上げていますよ、そういうやつはこれ。
私はいろいろ文句を言っていますけれども、8億円というのは職員の給料が3万円から3万円ちょっと上がるだけで終わりということになりまして。それでそれが何かその分そのまま公共事業があってそのまま補助金が25億円入ってと、そういうシミュレーションを当たり前のようにやられてですね。報道、まあとにかく気をつけてちょうだいよ、本当にこれ。誤解している人がいますから。効果ないんだってって言ってます、減税。
わしのところへ2人電話がありまして、1人は昨日、河村さんやめやあ言って。ようけ給料もらいやあ言って、2,800万円。ほんでええがやって。何の問題もないがねって言っていました。そうなっちゃうんです。ほんだで、やっとれんですよ、これ。本当にあんまり言いたにゃあけど。
よう言いますけど、国のある某高官がやってまいりまして、河村さん自分の給料これだけ下げて、それで市役所の職員も一肌も二肌も脱いで1割も下げて。で、財源をつくって国の法律改正に従って。日本でただ、初めちょこっと何市か減税をしましたけれども、みんなすぐにやめちまった。ずっと続けていると、言ったことを。ほんで、そんなものマスコミに文句言われたり、変な記事を書かれたりですね、誤解を生むような記事を書かれたりとか、やっとれんでしょうもう言って、これ言っていました。やっとれんですよ、酒を飲まなやっとれんがやこんなもん言って、ていう話です。これは一つ申し上げておきます。
ということでございまして、もし公共事業のほうがいいというふうだったら、減税政策はなしにしたほうがええです、法律を変えて。常に、名古屋よりも地方のほうが大抵、補助金の率は高いですから。名古屋は自主財源が多いから、公共事業が少なくてええけど。ほかの地方のほうが多いから、補助金も多く入るんです。それと、いつも計算をしとるんだったら、必ず、もう日本中、必ず増税をして、政治というものを。必ず増税して役人がその分公共事業をやればいいんです。
そのほうがええっちゅうんなら。やればいいじゃないですか。日本中、増税だけにすりゃいいじゃないですか。なぜしないんですかそれを。そうでしょう。(アメリカ大統領の)トランプさんにも言ったってちょうだい。減税するよりやりなさいって、公共事業を。やりなさいって。なぜかというと、やっぱり政治は失敗することやなんかありますから、権力ですから。だからやっぱり減税という政策をとって、常に納税者の方を向くように、一定の行革の圧力というのをつけていく必要があるということが当たり前のことで。
それを貫いてきた私どもがですね、こんなふうでは本当に辛くてやっとれんですよ、これ。あまり言いたにゃあけれど、ほかの政党におきましても、この間の衆議院でよう言っているでしょう、わし。何なんですか、消費税を4年間上げんと言ったところが政権をとったら上げて、10%に。で、そのとおり、市民の厳しい審判を仰いで、政権から落ちたじゃないですか。
それで、これで終わったらどうなったのですか。上げた張本人が上げるの反対だ言ってるじゃないですか、保留するとか言って。だけど皆さん、何も批判しないじゃないですか、これ。何も。本当お願いしますわ、これ。真面目に言ったことを守るという人間は、政治ですからしょうがないけれどもね、死ぬよりいいと思ってやらないかん。そんなことはわかっていますけれども、減税を言った人間というのは殺されますから、下手しますと。だけど、ちょっとひどすぎせんかと、日本の政治状況が。日本のとまでは言いませんけれども、と思います。
もう1つ重要なのを言っておきますと。あとで質問が出ると思いますけど、忘れるといかんので。名古屋城のエレベーター。これにつきましては、正確に言いますと、私のところに取材がありまして。どことは言いませんけれども。ただ今現状どうなっているかと言うと、エレベーターは僕は前からつけんほうがいいのではないかと。史実に忠実にというのもありますけれども、1人しか乗れないですよ、今の竹中工務店が出しているやつ。車椅子ですと。立った人だと4人ぐらい乗れるのですけれども、1人だけしか乗れない。
それで、ずっーと上がっていくんですけれども、火事になったら大変ですよこれ。火事になったら。それとちょこっと建て付けが狂っただけで上がらないようになりますからこれ。それもありまして、新しい技術はないかと。月にまで人が行って、月を歩いて戻ってくるのでしょう、今。こんなの家康が見たら、びっくりこきますよ。信長も見たら。そんな時代ですよ、今。
ということで、某地域の最大の自動車会社とかにもちゃんと頼んでありますし。それから名前を言ってもいいと言っていましたので言いますけれども、和歌山大学の中嶋先生という、こういうロボットのような、こういうものの専門家です。見ていただければわかるのですけれども、和歌山大学の教授ですけれども。今日も5分前にまたちょっと久しぶりに電話しましたけれども。今、難しい課題だけれども研究しておりますと言って。今度、名古屋市役所から行くことになっておりまして。市の担当も行って話し合うことになっています、ということで。
将来的には、名古屋城はまず1つのきっかけですけれども、普通のビルや何かの階段の昇降をですね、車椅子の方ももっと簡単にできるように、そういうところに広げていきたいというような話でやっとるわけです。その大変に始めの大きいきっかけとして、名古屋城の天守をやっていこうじゃないかということでありまして。
私が某新聞の冒頭に出ておりました、横の、サイドで上がるやつ。私はそんなことは、それでええと言ったことは、一言もありませんし。本当に。私はそのときにも、取材のときにも言いましたけれども、福祉団体の皆さんには必ず喜んでいただけるようにしますと、まだ4年、5年あるからと。最高の技術をみんなで開発しましょうというふうに申し上げましたよ、私。
それと、こういうふうに発表する前には、ちゃんと福祉団体の人に言わないかんぞ言って。市として、言わないかんじゃない、相談しないかんぞ言って。そうやって言ったところですよ、私ちゃんと、これは。そんなもんでございますので。まず、ちょっと憤懣(ふんまん)やる方なしということもありますし。
だから名古屋がエレベーターの例で言いますと、本当の福祉の皆さんがいろいろな階段やら上っていくところの困難さを回復させる、最もフロンティアになれんかということで。実際に、もう相談してくれとるということは言ってもいいと言っていましたが。今日、今電話で「いいよ」言って、中嶋教授が言っていました。だから、大変困難であるということは間違いないです。それから、某大自動車会社も相談しておるんですけれども。これはなかなか困難で、危険だといかんので一応ビビるわなということは言っていましたけれども。いろいろ相談しましょうというふうにはなっております。まだ4、5年ありますので。
(記者)
まず最初に、今日もお話ございましたけれども、金シャチ横丁の件なのですが、出展企業も決まりまして工事も着々と進んでおりますが、市長として目指すべき将来像及び、あと、このぐらいまではやっぱり目指したいというか収益目標をお聞かせいただきたいのが、まず1点。
そしてもう1点が、長年言われているのですが、堀川の浄化の件なのですけれども、議会のほうでもう議論がずっと進んでおりますが、将来的に木曽川導水路の水も活用をした上でその浄化をしていくのか、それともほかの案で浄化をやっていくのか。そういったところについてお聞かせいただけますでしょうか。
(市長)
まず金シャチ横丁ですけれども、これ何とかはやってまわないといかんもんで商売は。とりあえず木造決まったからよかったけれども、木造決まらないならどうなるのだと思っていましたけれど、まずね。盛り上げないといかんです。特に、正門とこっち側とありまして、こっち側のところはやっぱりよほど盛り上げないといかんという危機意識は持っております。こちら側というのは、北東側のほうね、正門でないほう。
収益目標は、ちょっと私そこまでは知りませんのでということでございますが。出展される方も電話したことがありますけれども、みんなで名古屋めしの大所がやりますんで、若干いいかと思いますけれども。今、あまり言うといかんけれども、言っとかんとなかなか進まんのでいかんので言っておきますけれども、芝居小屋もやめたんですわ、あれ。
民間でやる人がおらなんだと言っていますけれども。今ちょっと電話しましたら、そういうところをやってもいいというような方がですね、ええじゃないのと、300人から500人ぐらい入るような。まあ要するに、1階が相撲のマス席みたいになっとるやつです。みんなで飲んだり食ったりしながらと、花道もあってと、こういうやつです。
江戸時代の絵に出てきますわね、芝居小屋の。名古屋にも50いくつあったと言っていましたね、安田文吉さんが昨日。ああいうのもつくって大いに楽しんでもらおうということ。これは今ちょっと自分で、まだ役所が決めたわけではありませんけれども、今僕が思っておるところでございます。ようけの人に来てもらわないといかん、とにかく。そういう段階でございますけど。
(記者)
堀川の件については。
(市長)
堀川は、議会のほうでも議員連盟をつくっていただきまして。それでとにかくはようきれいにしよみゃあと、きれいにするだけではなしに、みんなであそこで泳いで名古屋城に行くと。まではいかんにしろ、そのぐらいのところをつくろうと。で、川床料理か何かやって、鴨川みたいに。あそこで一杯飲みがてら、みんなで名古屋駅から名古屋城まで柳橋、納屋橋、堀川というふうにしようということで。
この間、国土交通省の方にですね、今までの話をすると、例えば川を堰き止めて水を抜いてまって、それでヘドロを取るというふうになりますと、結構いっぺんにようなるんです。ところがそれをやると、護岸が崩れてくるということを盛んに言う人もおってと。
ある役所なんかは、古出来の八剣伝で飲んどったら、飲んどるときまで来ましてですね、あれは河村さん護岸が崩れるとかなんとか。ほんときゃあ言って。だけどそれは、私も土木工学の専門家ではありませんのでということで、国土交通省に相談しましたら、新しい技術もあるもんで、ほいじゃあみんなで集まって、いっぺんそういう勉強会みたいなのを至急に立ち上げてやりましょうというふうになっております。
(記者)
ありがとうございます。
(市長)
ちょっとあれによりますと、障害者団体の皆さんがね、こういうふうにぱっと出まして、相談も何かしとらなんだようですけれども。これは怒る人も出ると思いますよ、私正直言いまして。だけれども、そのときの取材でも言ったけれども、必ず障害者の皆さんには、このほうがよかったなあと思うように。必ずそういう技術を開発して、あと4、5年あるのでやりますからと。という気持ちでございますので、近いうちにいっぺん話し合いたいと思っていますけれどもね。上がってきたときに、中もぐるっと歩くときに一緒におるとかするとええしね。それから本当に火事になったときに、エレベーターに頼っていると、かえっていかんですよ、本当に。
(記者)
減税の資料を出していただきました。名目の市内総生産が5.2%。
(市長)
名目って書いてあるわ、それは。
(記者)
名古屋市が一番高いということでしたが、平成21年から平成26年度の間、全国平均もこれ5.2%なんですね。そういう意味でいうと、名古屋市として、全国から見ると突出して経済が伸びたわけではないと思うのですが、そのあたりはどうでしょう。
(市長)
そりゃあ、この平成21年か22年にリーマンショックから落ち込んだ分が多いですから、その後また。そういう中で、やっぱり名古屋は減税も、一つになって健闘しておると言えるのではないですか、やっぱり。
(記者)
5%の恒久減税になったのが平成24年度だと思いますが、平成23年度、その前年から足元までの成長率は、同じ資料だと2.5%の伸びで、全国平均は4.8%なので、ちょっともっと名古屋として伸びててもいいはずではないかと思うのですが。
(市長)
一旦ゼロになりましたしね、減税も。10%だったですけれども。10%が次ゼロになったし。いっぺん今ここのところはちょっと精査するつもりでございますけれども。減税が経済効果がないというのはあり得ないですよ。可処分所得を増やすということは間違いないですから、これは。それと、やっぱり年貢を1円でも減らすというのがですね、ほとんど世界平和と同じぐらいに究極的な政治をやる者の目標じゃないですか、歴史的に。
仁徳天皇のころから。じゃないですか、仁徳天皇、「民のかまどはにぎわいにけれど、あと5年、都合10年減税したい」と書いてありますよ、これ。「課役を減ず」と。当たり前なのであって、ほんだでそれをやめるんだったら法律を変えてちょう、まあ。俺も疲れるで。こういうこと言うんだったら変えてください、本当に。総務省に言いたい、その平成18年。総務省がやってですね、と言うとまあ国会がやったんですけれど。それに大変忠実に従っているのは名古屋市ですよ、これ。
みんな増税すりゃいいじゃないですか、常に。増税して立派な政治家か何か知らないですけれども、公共事業をやりゃいいじゃないですか、補助金をもらって。そのほうがええ言っているならそうしたらどうですか、ほいじゃあ。大増税政治を主張したらどうですか、ジャーナリズム。これでいいじゃないですか、それで。大失敗します、これ。ということなんですよ。
(記者)
それでも、市長が減税から選挙を勝たれているということは、やはりそれは市民から支持を得たということ。
(市長)
いやいや、ほんだでなかなかですよ、これ。何か出口調査によると6割5分か7割ぐらいの方が減税政策を支持していると、この間市長選で言っていましたよね、これ。こういう状況下の中に、そんな減税の効果はないと。ないんじゃないけれど、公共事業と比べてね。民を恐れぬあれじゃないですか、これ。この間、すし市場の大曽根の回転ずしでは、おい河村さん言って、ちゃんと減税続けてちょうよと言った人もいます。怒っとる人いるんじゃないですか、これ。今回のでこれ、と思いますよ。
(記者)
名古屋城のエレベーターの件で、「あと4、5年あるから新しい技術がある」とおっしゃるのですけれども、詳細設計に落とし込むにはあまり時間がないですよね。
(市長)
まあまあ、それはないですけれども。
(記者)
まだ全く形にはなっていないわけで、何かそういう研究チームとかってできていますか。
(市長)
研究チームをつくったらどうやなとは言っておるんだけど。今のところプロジェクト何かありますんで、僕はちょっとそういう研究者や何かに集まってもらって、つくるのもええと思いますけれどね。こういう車椅子の昇降用の、いわばロボットです。ロボットというか技術ですけれども。先ほど言いましたように、普通の一般の大半でも使えますんで、これ。いいのができれば。
(記者)
それは結局、市と協議して竹中がやるということなのでしょうか。
(市長)
いや、別個にやらないかんですよ、こちらで。別個にやらないかんです。世界中の人が喜んでくれますよね、いいものができれば。
(記者)
今のところ具体的に何もそういうチームみたいなのは、形もないということですね。
(市長)
今のところはないけども、つくったらどうだと、この間ちょっと僕が言ったことは事実です。これ新しい技術ですから。
(記者)
詳細設計ってもうすぐじゃなかったでしたっけ。それでは遅いんじゃないですか。
(市長)
そこはまだええと思いますけれどもね。階段自体はもう決まっておりますからちゃんと。一番高いのが50度だったかな、あれ。1、2階、下のほうの階段のほうが結構角度が高いですけれどもね。一段一段、これちょっと高くて距離があるもんで、なかなか難しいところだと言っていましたけれども。だから、車椅子の人は、こんな普通のビルでもどんどん、どんどん上にあがっていけるようになる。まあ、エレベーターもありますけどね、そりゃ階段も上がれるようになるというのを喜んでいただければね。これを一つの大きいチャンスとして、名古屋城。
(記者)
明日、その障害者団体の方がエレベーターを設置してくれという要望書を出しにくるということなのですが。やはり、エレベーターを設置しない。
(市長)
僕は、それより今僕らがやろうとしていることが、必ず障害者の皆さんに喜んでいただけると思いますよ。本当に。大体1人しか乗れんと言っていましたよ、あの竹中さんところがつくった。どでかい、本当にここら辺にある本当のでかいエレベーターをつくると言う人はあまりいないでしょう、いくら何でもこれ。ちなみに姫路城もありませんからね、犬山城もありませんけれども。
(記者)
あれは残っていますから。
(市長)
名古屋城だって残っとるのと同じじゃないですか、実際図面があったから、これ実際は。だけど、これでちょうど車椅子の皆さん方が喜んでいただけるようにね、本当に。僕はできると思っていますけれども、この技術は。
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