ページの先頭です

ここから本文です

平成28年5月30日 市長定例記者会見

ソーシャルメディアへのリンクは別ウインドウで開きます

このページを印刷する最終更新日:2016年7月5日

ページID:82482

報告事項

  • 伊勢志摩サミットに関連した名古屋市の取り組みについて
  • 「桶狭間の戦い再現イベント」の実施について
  • 名古屋城本丸御殿対面所・下御膳所一般公開の開始について

会見動画

報告内容

◎伊勢志摩サミットに関連した名古屋市の取り組みについて

 それでは、おはようございます。5月30日(月曜日)でございますが、会見を始めたいと思います。

 

 まず最初に、伊勢志摩サミットに関連しました名古屋市の取り組みについてお話します。

 

 アウトリーチ国及び国際機関の首脳が名古屋市内に宿泊されたことから、5月26日(木曜日)の夜に、愛知県と協同で歓迎レセプションを開催し、海外からの賓客と地元経済界や政界などから約450名のご参加をいただきました。

 

 各国の首脳とも話をすることができまして、スリランカのマイトリーパーラ・シリセーナ大統領とは、2007年にスリランカから東山動植物園にアジアゾウをいただいており、今後も動物交流をお願いしたいという話をさせていただきました。Two elephants remenberということで、もうちょっと、Could you please?とか、Could you possibly?とか丁寧に言わないかんのですけどね。ばたばた時間がなかったものですから、Two elephants remenberと言ったら、にこっと笑ってきましたけれども。Remenber two elephants、その逆でしたけれど。

 

 27日(金曜日)にはパプアニューギニアのピーター・オニール首相が名古屋城を視察されました。これに、こう書いてあるんですけど、実は、本当は後でちょっと出てくるかどうか知らんけど、耐震性能の0.14というIs値というのはものすごい低くて、このたび名古屋の公共建築物の中で一番低いということがわかりました。0.1というのは一つあるんですけど、これは名古屋の中区の大須の中公設(市場)で、今はもう(28年度末までに順次)退去しまして、もう段取りに入っておりますんで、今使っておるものでは、名古屋の公共建築物で0.1は一番低いです。6強の地震が来ると倒壊の危険性があるということでございまして、熊本城は、ちなみに0.37ですから、名古屋城は0.14ということで大変なことですわ。これは、実は本当に。外国からのdistinguished guestですけど、貴賓、大事な人をそういう危ないところにお連れしていいのかと、本当に。国際信義上ええんかね、これ。

 

 ただ、地震ですので、今ここから直ちに起こるか、割と、これで濃尾震災が明治24年、濃尾震災はマグニチュード8あったと言われておりますけど、それから三河の大地震が昭和20年ですから、大体70年、80年、6、7、8だと、ちょうど警戒せないかん時期に来ておるということでございますので。私ももうちょっと早くわかるとよかったんだけど、「2-2」のほうばっかり行っておりましたので、震度の。ぜひ調べていただくと、公開されておりますので、0.14というのはものすごい数字ですよ、本当に。

 

 何遍も言いますけど、名前言ってもええよと言っていますので、中央大学の片岡先生に聞いていただいていいですから。片岡先生も、見たこともないような数字だということでございます。

 

 その理由とすると、あの7階の一番上が低いんですけど、今でも天守閣を見たらわかるけど、ずっとガラスの窓が覆っておりまして、壁がない。ありますけど少ない。それから、天井(屋根)が大変重いと。名古屋城は大体8,000トンあると言われておりますが、熊本は4,000トンぐらいじゃないかという状況でございます。木造になると、大体半分になるだろうというふうに言われております。

 

 という状況でございましたが、ご要望がありましたので、名古屋城を視察していただいたということで、僕は横にはおらなんだけど、局長はおったけど、こうやって木造の本物の分野を考えておるんだと言ったら、どう言ってましたか。Excellentとか、英語でどう言った。

 

(当局:非常に素晴らしいですねと。)

 

 それ、日本語だがや。英語覚えとらんか。Very goodかExcellentかわかりませんけど、そういうお話があったということでございます。

 

 名古屋城の話は後で出てきますけど、これは大変なことらしいですよ。地震もそうだけど、木造で復元するというのは。片岡さんに聞いたってください、世界中がびっくりするような話なんだと。戦災でこういうふうに壊れた建物を木造でblueprintというかいわゆる設計図、実測図があることによって本物に復元していくと、こんだけの巨大な構造物はものすごいことですよというふうに、世界中が注目していますということは、片岡さんが言ってみえたと。

 

 また、28日(土曜日)には名古屋駅でバングラデシュのシェイク・ハシナ首相とベトナムのグエン・スアン・フック首相をお見送りいたしました。

 

 多くの首脳に名古屋市にお越しいただいた機会を捉えまして、この地域の魅力をアピールすることができました。今後も世界中の人に名古屋を知ってもらい、名古屋をデスティネーションとして来てもらえるように取り組んでまいりますということで、若干、役所の文書もちょっと進みましたけど、このデスティネーションというのをちゃんと書くようになったでえらいもんですわね、これ。これはテレビを見ておられる方もあるから、デスティネーションというのは目的地ということで、京都への乗り換えとか、伊勢神宮への乗り換えとか、高山への乗り換えとか、そういうのではなくて、それも含んでもいいですけど、名古屋でちゃんと降りて、名古屋を目的地として来る人のことでございます。これが名古屋の課題でございますと、オーストラリアへ税金で行きましたときに、メルボルンにおきましてジェットスターのCEOがそう言っておりました。名古屋のデスティネーションは何ですか。デスティネーションがないので、名古屋への航路をつくるということは、フライト便をつくるということは大変リスキーであるということを向こうのCEO、社長が言っておりました。

 

 そういうことをもっと言わなかんのですけど、悪いわけじゃないけど、課題をね。ということでございます。

 

◎「桶狭間の戦い再現イベント」の実施について

 それから次は、本日は、「桶狭間の戦い再現イベント」の実施について、ご報告します。

 

 名古屋おもてなし武将隊信長殿と家康殿が謹んで入ってまいります。どうぞ。

 

(家康:よろしくお願い申す。)

 

 Very pleased to meet you distinguished guests.この人英語しゃべりますので、家康。あんたもそうでしょう。

 

(信長:わしは、バテレン語は使えんの。)

 

 まあ、ええけど。まあちょっと寄っとりゃあ、近くに。まあちょっと近くに寄ったほうがええ。

 

 それでは、後でご両人からも、将軍殿から、将軍はちょっと今ほかのところにおりますのでいけませんけど、侍の大将からコメントをいただきたいと思いますので、一応、準備をしとってちょうだい。

 

 本市に残る多くの戦国武将にまつわるルーツ・史跡の中でも、日本史上名高い「桶狭間の戦い」を効果的にPRし、その知名度を向上させることにより、当地域の観光客誘致につなげる取り組みとして、「桶狭間の戦い再現イベント」を6月12日(日曜日)午前4時から実施いたします。

 

 ここにはあまり書いておりませんが、世界史上まれに見る大逆転劇と、この桶狭間の戦いということになります。正規の戦いにおいては。暗殺とか、そういうのは結構ありますけど、一応正規軍がぶつかったということで、信長のほうがいろんな説ありますけど、5分の1だったとか、10分の1だったとか、2分の1だったとかいろいろありますけれども、そういう正規軍がぶつかって逆転したというのは、世界史上、覚えておくとええでこれ。世界史上まれに見る大逆転劇というのが、この桶狭間ということと、名古屋のデスティネーション性のもう一つ大きい切り口は、やっぱり京都は貴族ですわね、基本的に言うと。平安時代。名古屋は侍なんです。その世界を、昔で言うと中世ですけど、中世を打ち破って近世、侍の封建革命ですね、昔で言うと。それを実行してきたのが、この尾張名古屋の地と、そのスーパースターがこのご両人と。

 

 秀吉は何でおらんの。関係ないでかね。

 

(家康:まだ位が。)

 

 届かんか。

 

(家康:さように。)

 

 あんたらのほうが大分上とか、ということでございますが、まあ一人、秀吉さんがござるけど、桶狭間のときはようわかりませんので、いろんな説があって。7歳から8歳ぐらいまでは名古屋におったと。生まれたのは中村区だということは明らかでございます。

 

 それで、桶狭間の戦いにゆかりの深い清洲城や熱田神宮に加え、今年は桶狭間古戦場公園の3カ所で「桶狭間の戦い再現劇」を実施いたします。

 

 また、織田信長の家臣であった大田牛一があらわした「信長公記」というのが大変一級の資料だと言われておりますが、それに基づき、清州城での出陣再現は馬を使いまして、史実と同じ早朝午前4時から開始いたします。私も全会場に甲冑姿で参加しまして、会場を盛り上げます。

 

 ということで、6月12日(日曜日)ですが、あれは旧暦ですけれども、5月19日に午前4時、清州城を自分も入れて馬6騎しかなかったということで、皆さん、ご承知のように人生50年と。「下天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか。」と言って、敦盛を待って、立ったままで、何か雑炊か知りませんけど、ばくっと食って出ていったと。

 

(家康:湯づけです。)

 

 湯づけですな。という記録が残っておりまして、大変なことでございます。

 

 先ほど言いましたように、ぜひ、これをきっかけに、名古屋で人生大逆転街道ということで、四国の八十八カ所、それから西国三十三観音とありますけど、それに匹敵する一つの名所をつくりたいと。これは本物ですから、本物。本物ですので。

 

 この清州から熱田神宮にどう通ったか、これは3説あるんですけど。熱田神宮から、またどうやって桶狭間まで行ったか、大体3説ありますけど、その歴史検証を深めまして、ぜひ、日本国の皆さんは、女に振られたときと、また男に振られたときと、若い皆さんからすると、ちょっと試験の成績が悪かって入学試験に落ちた皆さん、それから名古屋市役所に入れなんだ皆さん、そういう挫折があったときに、この道を歩いて人生の希望をつないでいこうと。そういうシンボルの道にすると、人生大逆転ということでございます。

 

 織田信長27歳、青春の夢をかなえた桶狭間ということでございますので、あまり長いことしゃべっとるといかんですけど。あそこへぜひ行っていただきますと、信長、近世のあけぼのと書いてあるんですね、これ。重要だでちゃんとやってちょうよ。織田信長より前は、鎌倉時代から、若干、武士の時代が始まっていますけど、やっぱり圧倒的に貴族が強かった。貴族の時代というのは、大体職業というのは自分で変われなかったし、言われたところにずっとおる。その後もそういう面がありましたけど、信長が初めて楽市楽座や、これ名古屋の減税と同じようなものですけど、やって新しい人間でも商売を始められるよと。力を持てと商人は、そういうことで貴族社会、封建社会を近世武士の時代につなげていったということで、それは実は革命であったと。政権交代ではないと。要するに貴族のが上にあって、武士が下だったんです。それをレボリューションという、レボルブ、回転させたという、大変日本史上意味のあるところ、市民の自由をつくっていったというところでございます。

 

 今年度は西川流四世家元であります西川千雅さん、西川千雅さんは例のサミットのところで、鏡獅子を舞った方でございますが、大変立派でございました。

 

 脚本や演技監修をお願いするほか、明智光秀の子孫であります明智健三郎さんに時代考察をお願いしております。ほかにも、桶狭間古戦場では馬を使った武者行列も行います。より本物に近づいた再現劇を期待してください。

 

 また、公共交通機関が運行されていない時間からの開始となりますが、清須市さんのご厚意によりまして、清洲城周辺の駐車場を午前3時から、真夜中でございますが、午前3時から開場していただきますほか、清洲城、熱田神宮、桶狭間古戦場公園の3カ所をめぐるバスツアーも実施いたしますので、皆様もぜひお越しいただきまして、直接ごらんいただいて、名古屋というまちが名古屋城だけじゃないよと。これは本物を持っておると。人生大逆転、中世貴族社会から武士の社会へ転換していった、その織田信長27歳、青春の夢をかなえた本物があるということを体験いただいて、その後も人生に苦しんだら、清須から30キロぐらいだったかな、桶狭間まで。熱田神宮経由になりますけど、歩いていただくと、Your dream will come trueということで、夢がかなうよと。ドリカムに歩いてもらおうか。

 

(家康:夢をかなえる、かなえ人たちですな。)

 

ドリカムに来てもらって、ええぞこれ。ということでございまして、武将隊からPRをさせていただきます。まず、どっちだ。時代順で。

 

(家康:織田信長のほうから。)

 

(信長:わしじゃな。)

 

 はい。真ん中に来て。まず名乗って。

 

(信長:わしが、名古屋おもてなし武将隊、織田信長である。桶狭間の戦い再現事業は、市長殿の申されたとおり、桶狭間の戦いは、この名古屋の地で行われたことを日の本の民に多く知ってもらい、この名古屋に観光客を呼ぶための第一歩である。

 

 今回、再現劇は西川流家元、西川千雅殿にご指導をいただくほか、口上でも参加していただく。清州城では午前4時より始まる。馬を使い、夜明けの出陣を再現しようと思うとる。桶狭間古戦場公園では、武者行列、それと、かの義元の最期を殺陣で再現しようと思うとる。ほかにもアイドルのステージ、わしとラジオDJ、クリス・グレン殿、明智光秀の子孫、明智健三郎殿との桶狭間対談なるものを行うな。

 

 桶狭間の戦いは、わしにとって天下取りへの第一歩じゃった。ここにおる家康も、この戦いを機に今川を離れ、後の徳川政権につながった。

 

 このように、戦国時代を揺るがした戦いが、この名古屋の地にあることを名古屋の民が誇りに思う、それがわしの望みじゃ。そして、このゆかりの地を訪ねる日の本の民が多く訪れることを、わしは期待しておる。わしからは以上じゃ。)

 

 義元は誰がやるんだ。今川義元は。

 

(信長:義元は義元じゃな。わからん。)

 

 言われてもわからんか。まあ、ええけどな。最後、首とらんならんで大変だ。

 

(信長:首をとるのはわしじゃない。)

 

 あれは毛利新助か。

 

(信長:どうなるかの。)

 

 なかなか信長をやるやつは、皆ええ男だな、こうやって見ると。

 

(信長:そうか。わしはずっと変わっておらんぞ。)

 

 そうあんまり真剣に答えるな。

 

◎名古屋城本丸御殿対面所・下御膳所一般公開の開始について

 よし、それじゃあ、次は家康様に。

 

(家康:わしでよいのかの。実は、市長殿が後に本丸御殿の話をされた後のほうがよいやもしれんが。よろしいか。)

 

 とりあえず、せっかくだで本丸御殿の。

 

(家康:では、改めて、天下泰平の世を築きし初代江戸幕府将軍、わしが尾張名古屋開府の祖、徳川家康じゃ。はっ。皆の衆、拍手じゃ。

 

 英語でしゃべったれ。

 

(家康:英語。真に申すか。I am the first shogun of Edo shogunate. You can call me your Highness or either Shogun Tokugawa Ieyasu. Thanks a lot. Applause, clap your hands.)

 

All right.

 

(家康:毎回、このバテレン語を披露させていただき、ありがとう申す。以前はイタリア語ということでなかなか難しかったですが、こたびは本丸御殿は日の本の言葉、日本語で終わり参りたいと思い申す。

 

 さて、いよいよ本丸御殿の対面所と下御膳所が完成いたした。ゆえに6月1日(水曜日)より一般公開をいたすんじゃが、この見どころは何といってもな、今まで表書院でござったり、それから玄関でござったり、絢爛豪華な姿を見せておったわけじゃが、こたびはちと違っての。上を見上げてみると天井が高くての、木組みが全て黒漆塗りでござったり、天板が何と金箔押しであってな。そういった随分と骨太な武士感あふるる、そういった仕上がりになっておるがゆえに、ぜひとも見てもらいたい。

 

 この対面所というのは、何といっても派手婚の源と相なった我が息子、九男坊、徳川義直と迎える春姫の婚儀が実際にとり行われた場所ということでも非常に有名。もう一つ、わし自身としては思い出深きことがあるのは、実はこの本丸御殿、対面所で時間を過ごした後に大阪の陣に向かったわけなんじゃな。ゆえに、歴史的な建物であるということなんじゃな。ゆえに、名古屋の歴史と日の本の歴史が始まった本丸御殿ということで、ぜひとも覚えてもらいたい。

 

 そして、完成の暁には、6月1日(水曜日)から第2期公開ということで、ぜひとも参ってもらいたいといった次第じゃな。わしからは以上じゃ。ご無礼いたす。)

 

 ということでございます。退出せず、次の事項を。名古屋本丸御殿ですね。

 

 それでは、次に、名古屋城本丸御殿対面所・下御膳所一般公開の開始について、ご報告いたします。パネルを持った職員が入室してまいります。

 

 バックボードをお指しください。ああ、ここにかかっとるな。きれいにできるもんだな、これもね。えらいもんだわ。

 

 いよいよ6月1日(水曜日)に、本丸御殿の対面所・下御膳所の一般公開が始まります。私の後ろのバックボードも、新たに公開される対面所上段之間や、本丸御殿越しに眺める天守閣などを中心に、名古屋城の魅力が伝わるものに変わりました。

 

 このたび公開となる本丸御殿の対面所・下御膳所については、本日午後に公開記念式典を開催することになっておりますが、一般公開が開始される6月1日(水曜日)には午前9時15分から本丸御殿の玄関・車寄前にてオープニングセレモニーを行い、午前9時30分から一般公開を開始いたしますので、どうぞおいでください。

 

 オープニングセレモニーには、「名古屋ダイヤモンドドルフィンズ」や「名古屋おもてなし武将隊」も参加していただくほか、西城幼稚園のかわいいガキっ子ちゃんたちの歌声など、大いに盛り上げていただきます。私も、もちろん出席しますが、大変楽しみにしております。

 

 また、公開開始にともない、6月12日(日曜日)までの間は、名古屋城の開園時間を午後6時まで延長いたします。なお、ご入場ができる時間は午後5時30分までとなり、本丸御殿のご観覧は午後5時が最終入場でございます。

 

 6月1日(水曜日)には公開記念といたしまして、先着で1,000名様に、「名古屋城特製のキラキラしおり」を配布いたします。2日(木曜日)から12日(日曜日)までは、同様に、毎日先着500名様に配布しますので、ぜひ、お越しいただければと思います。

 

 名古屋のシンボルである名古屋城におきまして、名古屋のシンボルと言いますけど、これは日本のシンボルですからね、何遍も言っていますけど。江戸時代においては、繰り返しますが、江戸城から大阪城は1650年ごろに、江戸城は振袖火事、大阪城は地震によって焼けておりまして、江戸時代をずっとまたいで、この名古屋城が焼失するまで、こういう大きい大型の城は実は名古屋城しかなかったということでございまして、名古屋のシンボルですけど、日本のシンボルというか、木造の復元型、世界のシンボルということでございます。

 

 本丸御殿の復元が完成した部分と復元工事現場を見ることができるのは、まさに今だけです。姫路城でもそうでしたけど、復元過程というのは、この姫路城の中にはエレベーターをつくりませんでしたけれども、見られるところにはエレベーターをつくって、つくっている最中というのは永久に見れませんので、これは非常に人気があったと言われております。本丸御殿も復元工事現場を見ることができるのは、まさに今だけでございます。この機会に名古屋城へ足をお運びいただき、歴史の1ページをご体感いただくようにお願いしますということで、武将隊からもPRと。

 

 家康はちょっとしゃべりましたけど、信長もしゃべるようになっておるんだろう。本丸御殿。なしか。

 

(信長:わしは死んでおるであろう、ここは。)

 

 死んでおるか。まあ、死んでおりますわ。

 

(信長:ようわからん。)

 

 本能寺で死んでおりまして。

 

(信長:さよう。)

 

(家康:信長殿の革命の後に一気に平和へと向かった、それの象徴がこの本丸御殿でござるな。400年前には京の二条城の御殿と双璧をなす、最も豪華な建物の一つということで。信長公の足跡があったればこそ、この平和の世の中ができたということで、天下持ちの信長公からわしが座りし、本丸御殿という感でござるな。)

 

 天守ができて、すぐ後にできたんですけど、家康が2日泊まったということになっとるわ。1日は雨で逗留という記録がありまして、まだ豊臣が大阪におりますので、この豊臣を滅ぼして、ようやく日本の内戦は応仁の乱から150年続いたんだけど、関ケ原で終わったのではありません。関ケ原は豊臣家の内紛でございまして、本当の日本の内戦が終わったのは、この本丸御殿から家康が2日泊まって、本丸御殿のあそこから出陣していったわけです。今の正門じゃなくて、そのまま今の体育館のある西側の門ではないかと言われておりますけど、あそこから家康が出陣していったと。それで日本の内戦は、大阪へ着いて、秀頼から淀君が亡くなって終結していったということで、ある意味じゃ非常に平和のシンボルであったということも言えんことはないでしょう、これ。

 

 そんだで、わしは、本丸御殿の障壁は本物の絵でないといかんと言っとる。わかる、これ。わかってちょうよ、本当に。模写は模写でやっとるで、本物を365日飾るんじゃなくて、年間2週間とか、模写があるからできるでしょう、交代で。どういう意味かわかる?家康が泊まった部屋は、この間、学芸員に聞いたら、ちょっとわからないと言っていましたけど、あの中に泊まっている、部屋は。2日おるわけですわ。ほんで、必ず自分の息子の義直さんに、「おい、おみゃあどう思う。今からよ、大阪へ行って秀頼を殺すかもわからんぞ。」と言って。「千姫も孫もおるし、こんなことやってええかな、どう思う。」と。「戦国ってこういうもんかい」って。「秀吉から頼まれとるだろう。秀頼をよろしゅう頼む。」と。その5年か、ちょっと前には二条城の会見ということで、清正と一緒に家康、秀頼の会見が行われているわけです。そのときに、家康は秀頼があんまり立派だったもので、これはえらいこった、これは生かしておいてはいかんと思ったと言われておりますけどね。そうやって義直さんも伏見まで迎えに出とるんです。そういう人を殺しに行くという、そのときの家康、義直の気持ちはいかばかりであったのかと。

 

(家康:再三、わしは豊家を残すための策を残したんですが、全て淀殿につっぱねられてしまったということで。ああいう形を迎えて残念なことでございましたがの。)

 

 やっぱり最後まで秀頼を生かそうと思ったか。

 

(家康:最後の最後まで。)

 

 優しいな、あんた。

 

(家康:いやいや、ゆえに平和な世の中ができたと。)

 

 だから、非常にダイナミックなところなんですよ、ここのところは。

 

 ちなみに、ある歴史学者にちょっと聞きましたら、河村さん、そういうこと言っとるで総理になれんわと言われましたけど。戦国は家康でも自分の息子を切腹に追い込んでおりますし、そんな状況じゃないんだと。やっぱり徳川家を守るためには、もうこれはしょうがないんだすべて、という気持ちで行っただろうというふうに、ある歴史学者に怒られましたけどという話がございました。

 

 大変立派なところでございますので、そういう気持ちを持って、ぜひ皆さんも、名古屋の皆さんに限りませんけど、ぜひ日本中、世界中から本丸御殿へお越しいただくと、ちいとは建物だけじゃないんだで、わし、よう言っとるけど、天守閣の。その奥に、それを築いてきた400年の人類の営みですね。それをやっぱり感じてほしいと。そうだろう。

 

(家康:さようにござる。)

 

 これはオバマさんで、広島でやっぱり原爆の落ちる日の朝、子供たちはどう思って生活しておったんだろうと。そう言いますでしょう、やっぱり。人間の営みと建物というのは、全く同じものなんですよ、実は。そういう気持ちで、ぜひ本丸御殿を見ていただきたいと。天守閣もそういう気持ちでつくっていきたいと。木造をね。そんなふうに思っております。

 

 ということで、まだ何かあるかな。まあええかな。せっかく出てきたあんた、何かしゃべったらどうだ。

 

(当局:この6月1日(水曜日)から、先ほどから市長、それから武将隊の方々、それから市長のほうがおっしゃっているように、6月1日(水曜日)から、いよいよ名古屋城本丸御殿対面所・下御膳所が公開されるということでございます。本日、この後は式典がございますが、6月1日(水曜日)にはオープニングセレモニーということで、9時15分から記念のセレモニーをさせていただくということでございます。

 

 あわせて、公開初日ということもございまして、平日ではございますが、名古屋おもてなし武将隊の方々、今日お見えになっている信長公、それから家康公も含めて、お越しをいただきまして、特別の公開に向けての演武をやっていただけるということでございます。

 

 こうした中で、この名古屋城をますます盛り上げてまいりたいと思っておりますので、皆様もぜひ足をお運びいただけるように、ぜひ、よろしくお願いしたいと思っております。以上でございます。)

 

 なかなか真面目そうな男で、あんたもなかなかええ男だ。秀吉で出てきたらどうだ、雰囲気は。ということでございます。Thank you for coming.ありがとうございました。Good jobということで、オーケー。

 

質疑応答

◎名古屋城天守閣整備2万人アンケート及び副市長人事について

(記者) 

 2点、質問をさせていただきたいと思っております。名古屋城天守閣木造化の2万人アンケートについてですが、現在、集計はどのような状況になっておりますでしょうか。中間結果というようなものが取りまとめてあるのであれば、市長はどういうご感想をお持ちなのかということと、それから、今後の動きについて教えていただければと思います。

 

 2点目ですが、副市長が現在一人になっているということでございますが、市政への影響は、現在、出ておりますでしょうか。また、これについてはどのようにお考えになっているのでしょうか。また、6月定例会には人事案を上程されるおつもりがあるでしょうか。

 

 以上の2点をお願いします。

 

(市長)

 まず、2万人アンケートにつきましては、これは本当に近いところで、きちっと皆さんに報告をさせていただきます。今、最終段階でございますが、まあちょっと時間をいただきたいと思います。これは本当に近いところで、きちっと報告させていただきます。

 

 それから、副市長人事につきましては、なるべく早く3人、法定をいただいておりますので、ぜひ2人選任してと思っておりますが。過去に数カ月ですけど、副市長さん一人でやったこともございます。ですから、具体的な支障というものはないように頑張りますので、ちょっと今いろいろ考えておりますので、ちょこっと時間をくださいということでございます。以上でございます。

 

◎伊勢志摩サミットについて

(記者)

 サミットの件なんですけど、先ほど冒頭でご報告もあったんですけど、改めて名古屋市長として、先週から市民生活へのいろいろ影響もあった、交通機関等もありましたけれども、市のほうでも市長の対応だとか、改めて先週のサミットのことを振り返って、名古屋市長としてシンプルなご感想だったり、市民へのお話であったり、何かございますか。

 

(市長)

 市民の皆さんへは、いろいろ交通規制なんかで、ご迷惑といいますか、ご心配をかけまして、ご協力いただきましてありがとうございます。感想としましては、伊勢志摩というのは名古屋みたいなものだと言うと、怒られますけど、三重県の知事に、伊勢の市長に。兄弟みたいなもんでして、本当の近くで開かれたというのは大変よかったなと思いますね。やっぱり伊勢神宮がありますし、名古屋には熱田神宮がありますので、この非常に歴史的な、京都、奈良だけじゃにゃあよという。京都、奈良よりさらに古いですけど、伊勢神宮、熱田神宮は。そういうところを見ていただいたんじゃないかと思いました。

 

 それから、内容は、やっぱり非常に経済が重要なところに来ているということで、高官はドイツやイギリスなんかが財政について、割と健全化論といいますか、非常に強く言っておるんだけど、これはなかなか大変なことというか、貧富の差がどえらい激しいですけど、実は金がむちゃくちゃ余っておって、いよいよ投資がぐっと落ち込む。今も落ち込んでいますけど、さらに大変危機的状況であるか、ないか。あるんじゃないかということを国際社会で話をしたということは、いいことだと思いますよ、私。

 

 ぜひちゃんと必要な投資を、無駄遣いはいかんですよ。皆さんにおいても財政健全化が、何か全ての金科玉条にならんように。財政というのは、民間の経済がだめになると一遍にだめになりますから。仮に、金融を1割でも縮小したらえらいことですよ、これ。お金が回るのが。普通の会社は倒産しますのでね、小さいところは。1割でも縮小しますと。また次に1割縮小しますから、ずっとスパイラル状に経済が落ちてくるんです。そうなると、当然、担税力もぐっと減りますので、大変な時点になるというところを、そういう話があったということで、僕は、さすが第一次大戦後の世界大恐慌のときとは違うなというふうに、つくづく思いましたね。

 

 あのときも金融がぐっと収縮したんだけど、G7のこういうのはありませんでしたから。皆がずっと自分たちだけの保護貿易というか、自分たちだけになっていったわけです。さらに金融が落ちていって、失業の山になっていって、結局、人類は第二次世界大戦というとんでもない悲劇を経験することになってしまったということから比べると、やっぱり情報の力というか、集まって話し合えるような時代が来たというのはええことだなと思いましたね。

 

 たまには真面目なことを言わないかんでしょう。何か零細企業出身だとよ、それだけでばかにする風潮があるで、いかんな。ペケペケ省出とると、それだけで経済学をわかっとるようなよ。困ったもんです、これ。

 

◎ヘイトスピーチについて

(記者)

 先週に引き続き、ヘイトスピーチのことでお伺いしたいんです。

 

 昨日、久屋大通公園でちょっと大きめのヘイトデモがありまして、そこで河村市長がおっしゃっていた朝鮮学校への補助金停止の検討について評価するようなコールが結構あったんですね。市の政策がヘイトデモに利用された格好になりますが、そのことについて市長はどうお考えになりますか。

 

(市長)

 それは、今、話を初めて聞きましたけど、一応、言論の自由というのは、あらゆる自由の中で一番、思想、内心の自由がもう一個ありますけど、大きな自由と言われておりまして、皆さんがいろんなことをしゃべられるのは基本的には絶対的に自由とすべきだという、私は立場だけど。ただ、この間も言いましたように、それじゃあ国のことをぼろかすに言ってええかというと、ほかの国の国旗を燃やしたりした場合、犯罪になりますよね、たしか。ということがありますので、やっぱり一定の敬意を払うということは大事なことですけど。

 

 私のことを褒めていただいたんですか。

 

(記者)

 そんな感じらしいです。

 

(市長)

 それはありがたいですね。褒めてもらったことあれせんもんでよ、最近。ようわかりませんけど、朝鮮学校のことにつきましては、ああいう格好でね。

 

(記者)

 在特会に褒められた。

 

(市長)

 それは何とも言えない。言いようがないですね、これ。特定の団体をどうのこうのというのも、ちょっと難しいことですわ。

 

(記者)

 もう一つなんですけれど、今回、市が久屋大通公園、使用許可を出したことになると思うんですけれど、川崎市なんかは今回の法ができたことによって、公園の使用は、ヘイトデモに関しては集会の使用許可ができないように、公園が使えないようにとしているんですね。名古屋市もそういった検討が必要なのではないかと思うんですが、いかがでしょうか。

 

(市長)

 よく一遍、考えてみますけどね。一応、外国ないし、そういうのを侮辱したりすることについては、一応刑法上の規定も持っていますけど、なかなか悩ましいですわね。わしも基本的には自由論者なもんで。わし、基本的には。だけど、何をやってもいいとは申しませんが。なかなかね。

このページの作成担当

市長室広報課報道係
電話番号: 052-972-3136
ファックス番号: 052-972-3355
電子メールアドレス: a3136@shicho.city.nagoya.lg.jp

ページの先頭へ