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平成27年7月6日 市長定例記者会見

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このページを印刷する最終更新日:2015年7月29日

ページID:71206

報告事項

  • 名古屋市民おんたけ休暇村セントラル・ロッジの営業再開について
  • 「東山動植物園ナイトZOO&GARDEN~さあ、月夜にくりだそう~」について
  • 農業センター開園50周年記念「わくわく夏の収穫祭2015」の開催について

会見動画

報告内容

◎名古屋市民おんたけ休暇村セントラル・ロッジの営業再開について

 はい、それでは、グッドモーニングということで、7月6日(月曜日)の会見を始めたいと思います。

 

 まず初めに、名古屋市民おんたけ休暇村セントラル・ロッジの営業再開について、ご報告をいたします。

 

 今年4月6日(月曜日)より耐震改修工事のため休館となっておりました、おんたけ休暇村のセントラル・ロッジが、7月18日ですね、7月18日(土曜日)より営業を再開いたします。

 

 名古屋市民おんたけ休暇村は、御嶽山の4合目、標高1450メートルのところにございまして、名古屋市民の皆さんに、豊かな自然のもと、心身ともにリフレッシュしていただくための施設です。

 

 セントラル・ロッジには、宿泊施設の他、そば打ち体験や木工体験ができる施設や、天体望遠鏡がありますので、これはわしも見てきましたけれど、なかなかええ。あれは、反射じゃない、直接の。

 

(名古屋市民休暇村管理公社理事長:反射望遠鏡です。)

 

 反射だったかな。

 

(理事長:はい、反射望遠鏡です。)

 

 上から見た記憶が。反射、なかなかええやつがありますよ。観察できる天文館などがあります。

 

 本日は、特別ゲストとしまして、王滝村の瀬戸村長さん。今、出てござるか。

 

 こちらが王滝村の瀬戸村長さんです。日ごろは山奥深くでお過ごしですので、なかなか素朴な雰囲気が、グッドフィーリングですけれどもね。後で、御嶽山の状況や王滝村の現状、見どころなどを紹介していただきたいと思います。

 

 それでは、ここでPRいただくということになっておりまして、どうぞ、じゃあ、村長。ここへ来て、ちょっと名乗っていただきまして。

 

(瀬戸村長:ご紹介をいただきました、長野県木曽郡の王滝村という村の村長を拝命しております、瀬戸と申します。よろしくどうぞ、お願いいたします。本日は、こういう機会に、当村に名古屋市民の休暇村があるというご縁でお邪魔をさせてもらってございます。

 

 今、実は、御嶽山の噴火から9カ月ということで、なかなかこういった形でご案内をさせてもらうということには、ある意味、気が引けるといいますか、気持ち的になえるところがあるわけですけれども、さりとて、休暇村さんがこのたびリニューアルをしたということで、ぜひということで、私もお邪魔させてもらいました。

 

 私どもの村は、時間はどのぐらいあるか知らないですけれども、この御嶽山の麓につながる、山麓に位置する村でありまして。)

 

 非常に広いところがあるな、これ。

 

(瀬戸村長:ええ。面積は、名古屋市より若干小さいんですけれども、その中に800人しか住んでございません。ですので、人口密度的に言うと、オーストラリアと同じぐらいなのかな。)

 

 人口密度が。

 

(瀬戸村長:ええ。)

 

 今言いましたように、名古屋とほとんど面積が同じと。

 

(瀬戸村長:面積が、はい。)

 

 ということは、ぜひひとつ。名古屋市とね。それで、人口は、名古屋市が227万人で、王滝村が。

 

(瀬戸村長:840人です。)

 

 840人ですか、はい。

 

(瀬戸村長:はい。そんなことでありまして、プラス、これは言っていいのか、クマとサルとイノシシを足すと、もう1000人というか、増えるのかなというくらいの村でありまして、緑と野生の鳥獣に周りを囲まれながら、私どもが小さくなって生きているということの村でありますけれども、見事に自然は豊かでございまして。

 

 有り余る自然を求めて、古来より、お運びになるお客さま、あるいは、こちらにありますけれども、この中に、300キロになる林道がございましてですね。ダートの。それを使って、今、トレイルランとか、クロスマウンテンバイクというマウンテンバイクのレースをやっている方々がお運びいただきます。

 

 既に15年になりましたけれども、大体、年間6000人くらいは、このレースにお運びをいただいているというようなことで、その道でご存じな人は、かなり有名な方も参戦をされております。

 

 そんなことで、こちらの方に、私どもも今度は、アウトドアというような方の村を目指そうということで、今、頑張っていこうということになっておりますけれども、いずれにいたしましても、噴火災害からの新しい安全対策に、まずもって取り組まなければ何も始まらないということですので、そちらに、国、県、そして私どもが何ができるのかということを、1つずつ着実に重ねていこうと思っている現在であります。

 

 本当にこんな機会をいただきまして、ありがとうございます。)

 

 はい。そんなことでして、皆さんの方から、どうだ。所長も、ひとつ、それじゃあ。

 

(理事長:いえ、私は。)

 

 「私は」じゃないわ。

 

(理事長:休暇村の理事長の坪内と申します。今、村長が言われましたように、私どもの村は、休暇村じゃなくて王滝村は、信号もありませんし、コンビニもございません。)

 

 信号はないかね。

 

(理事長:ありません。1個もありません。)

 

 えらいことだね。

 

(理事長:あと、あるのは、きれいな空気と水と、それから、手付かずの、本当に手付かずの自然です。それと、もう1つ申し上げておきたいのは、満天の星空です。これは、名古屋の世界一のプラネタリウムと引けを取らないほどの星が満天に見えますので、ぜひそういった自然を満喫しにお出掛けいただきたいなというふうに思っております。よろしくお願いいたします。以上です。)

 

 あれはおるかな。ツキノワグマは。

 

(理事長:ツキノワグマが時々道路に出てまいりましたり、イノシシで芝生を荒らされたり、その復旧が毎日大変です。)

 

 岐阜か、滋賀県から逃げていったあれは、王滝村まで行っとる?

 

(理事長:あれは来ていません。)

 

 あれは違うかね。

 

(理事長:はい。私どもに居着いているツキノワグマですので。)

 

 何か、この間、殺されたというか、クマは冤罪(えんざい)だったという話ですが、どう。

 

(理事長:それは村長の方がよく知っています。)

 

 村長。村長、よう知っとるの。

 

(瀬戸村長:ええ。こちらのメディアの。)

 

 情報でですか。

 

(瀬戸村長:いただいたんですけれども、退治されたクマは、DNAの鑑定の結果、ぬれぎぬだったということで、本当にけがをさせたクマは、はて、今、どこに逃亡しているかということのようでありますが、クマはエリアがありますので。テリトリーが。他のところへ連れていったって、絶対、帰ってきます。それはどうでもいいんですけれども、そんな。)

 

 そういうもんかね。あれは。

 

(瀬戸村長:はい。)

 

(理事長:必ず帰ってきます。)

 

 縄張りが。

 

(理事長:はい。帰ってきたときに捕まると、ドンと。殺処分です。)

 

 それが、まあ、違っとったという。クマには、何、刑事訴訟法の手続きはないのかね。

 

(理事長:ないようです。)

 

 ないかね。いかんですな。しかし。冤罪を晴らすために、どうしたらええですか。射殺する前に、ちゃんと手続きが要るんでないのか。ということでして。

 

 ということで、私も行ったことがありますけれど、今となってみますと、こういう、政令市か何か分かりませんけれど、これだけ広大な土地を、交友関係を持って、それから、休暇村を、これだけのものを持っとるって、ないんでしょう。

 

(瀬戸村長:ないです。)

 

 ないらしいですよ。だで、わしが市長になってすぐのときに、どうするかという。やっぱり税金も使っておりますので、いろんな議論をしたところですけれど、まあまあ。

 

 やっぱり水源地だというのが結構大きくて、名古屋の水は日本一うまいと言っておりますけれど、それが、水道技術もあるかどうか知りませんけれど、やっぱり水源地の皆さんのありがたいお心によりまして、うまい水が飲めるということで、何とかこの際、売っ払ったりするんでなくて、名古屋でちゃんとキープしながら。

 

(瀬戸村長・理事長:ありがとうございます。)

 

 ええ、やっていこうということになりましたので。しかし、どうやってやったらよ。しかし、税金はなるべく使わん方がええというのは事実ですので、名古屋市民の皆さんに来ていただくためにはどうしたらええかということを、ちょっと、いろいろ考えないといかんで、今もちょっとね。

 

 まあ、こちらの村長さんにだけれど、あんたが一番の仕事だけれど、やっぱり営業に回らないといかんわな。

 

(理事長:はい。)

 

 営業に回らないといかんです。とにかく。それは、名古屋市も協力しないといかんと思いますよ。偉いさまは。観光事業者のところをずっと回ればええわけですよ。そうすると、いろいろなテーマが出てきますよ。こうだであれで、ああだであれといって。

 

 ひたすら、商売は頭を下げることに尽きますので。本当に。人の倍働いて、人の倍頭を下げると、もうかるようになりますわ。ということを、今、話しとったところです。

 

 そんな気持ちでおりますので、ぜひ、名古屋市民の皆さんに限りませんけれども、別に。限らんだろう、これ。

 

(理事長:はい。)

 

 幾らか違うのかね。

 

(理事長:一緒です。)

 

 一緒だで、ほんだで、ぜひ、春日井の皆さんも、小牧の皆さんも、一宮の皆さんも、ぜひ休暇村へ遊びに来ていただきたいということですので。天体望遠鏡なんか、あれ、ええですよ。本当に。わしは、こう見えても結構好きな方ですけれど。ということです。

 

 おんたけ休暇村は、火口から6キロ以上離れておりまして、昨年9月の噴火の際も特に影響はなかったと聞いております。その辺、ご心配だろうと思いますけれど、まあ、心配ないということで、結構ですね。

 

(瀬戸村長:はい。)

 

 入山規制も徐々に緩和されておりまして、6月からはキャンプ場もオープンしております。夏休みにぜひ、名古屋市民おんたけ休暇村をご利用ください。

 

 ということで、繰り返しますが、水源地だということでして、今、皆さんが飲んでおられる、うみゃあ名古屋の水も、この王滝村のところからずっと、ちょぼちょぼと水が集まりまして、木曽川を通じて皆さんの水道のところへ来たものだということを、ぜひ頭に入れていただいてということです。

 

 それでは、サンキュー・ベリーマッチ、サンキュー・フォー・カミング。

 

(瀬戸村長・理事長:ありがとうございました。失礼いたします。)

 

 なかなか、ぜひ、素朴な村長の味を見ていただきますと、結構なことです。

 

◎「東山動植物園ナイトZOO&GARDEN~さあ、月夜にくりだそう~」について

 ということで、次は、「東山動植物園ナイトZOO&GARDEN」。「さあ、月夜にくりだそみゃあ」と書いてほしかったけれど、「くりだそう」と書いてありますが、ご報告いたします。

 

 東山動植物園では、今年も夏の人気行事である「ナイトZOO&GARDEN」を開催いたします。今年は、昨年より開催日数を1日増やし、8月7日(金曜日)から8月9日(日曜日)まで。8月7日(金曜日)から8月9日(日曜日)までと、13日(木曜日)から16日(日曜日)までの計7日間で、期間中は、開園時間を午後8時30分まで延長いたします。

 

 なんか、えらい飛んどるんだな。ここのところで。何やしらん。えらい、策を講じたというのか、何か分かりませんけれど。

 

 動物園では、昼の暑さで動きが少ない動物たちも、夜、涼しくなってまいりますと活発に動きだします。また、スポットライトで照らされた園内では、昼間と違った雰囲気で動物を楽しむことができます。

 

 植物園では、温室後館(こうかん)内のライトアップや、フラやウクレレなど、ハワイ文化に出会える大イベントを開催いたします。また、おいしいグルメが味わえるキッチンカーも出店いたします。

 

 また、昨年好評でありました遊園地の夜間営業も行います。イルミネーションで彩られました夜の遊園地を楽しむことができます。

 

 散策や夏の夕涼みを兼ねまして、皆さまお誘い合わせの上、ご来園いただければ大変幸いです。お仕事帰りにもぜひお越しください。ということで、これからは、職員からPRをさせていただきます。

 

(当局:今年は、「ナイトZOO&GARDEN」をご覧の日程で7日間、開催いたします。ライトアップされた動植物は、いつもとは違った魅力がございますので、皆さまのお越しをお待ちしております。ありがとうございました。)

 

 もうちょっとないか。せっかく出てきて。

 

(当局:シンプルにまとめました。)

 

 シンプルにまとめたのか。

 

(当局:はい。)

 

 そうか。なるほどね。これ、ゾウで。普通、キリンを使いますわね。ナイトZOOのときは。

 

(当局:そうですね。キリンのときもありましたね。)

 

 ますけれど、そうかね。

 

(当局:はい。)

 

 これ、ゾウちゃんたちも出てござるんですか。夜になると。

 

(当局:はい、出てまいります。)

 

 ほう。何でかな。やっぱり安全だということかね。他の、ライオンや何かに食われんということかね。

 

(当局:人間がでしょうか。)

 

 いやいや、ゾウが出てくる。

 

(当局:ゾウが出てくると、安全ですか。安全。)

 

 ノー、ノー、ノー、ノー。何で、夜になると、ゾウが繰り出すのかということ。

 

(当局:ああ、月夜に繰り出すのはなぜかということでしょうか。)

 

 ああ、うん。

 

(当局:そうですね。夜、動物たちも、休みたい動物もいるかとは思うのですが、やはり涼しくなってきて、活動的になる動物も多いのだと思います。)

 

 なるほど。

 

(当局:はい。)

 

 何か、よう分かりませんけれど。月夜だというのは、月夜の方がようけ出てくるんだ。

 

(当局:それは、どうなんでしょうね。この期間中は、残念ながら、満月になったりはしないようなのですが。)

 

 月夜にようけ出てくるということになると、解明すると、ノーベル賞クラスですね。多分。

 

(当局:そうですね。)

 

 なかなか、微妙なもんだわな。

 

(当局:そうですね。)

 

 どうやって月を感じるのかということがね。

 

(当局:周期的な何かがあるかもしれないですね。)

 

 何かあるかと。コンドラチェフの何とかとかいって、ありますけれどね。

 

(当局:法則があるかもしれないですよね。)

 

 ええ。まあ、難しい話になりましたが。ありがとうございました。

 

(当局:ありがとうございました。失礼します。)

 

 ということですので、ぜひ、夜、東山動植物園へお出掛けください。

 

◎農業センター開園50周年記念「わくわく夏の収穫祭2015」の開催について

 さあ、じゃあ、次は、第64回名古屋市農産物品評会・農業センターdelaふぁーむ開園50周年記念「わくわく夏の収穫祭2015」の開催について、ご報告します。

 

 このたび、名古屋市農業センターdelaふぁーむにおいて、「わくわく夏の収穫祭2015~野菜で楽しい!夏まつり~」というイベントを開催いたします。

 

 このイベントは、今年で第64回目となる名古屋市農産物品評会に合わせて、農業センター50周年を記念して開催するものです。名古屋市内の農家さんが丹精込めて作った旬の農作物が一堂に集まります。期間は、7月18日(土曜日)から7月20日(月曜日・祝日)までです。

 

 大人の方は「なごやさいマルシェ」でお買い物、お子さんは「野菜縁日」でトマトすくいって、何だ、これは。トマトすくいや野菜つりと。親子で「クッキング教室」など、盛りだくさんの企画を用意した「野菜で楽しい!夏まつり」です。ご家族で楽しめる内容となっておりますので、ぜひお出掛けください。

 

 ということでして、ここも本当に、この間行きましたけれど、天白農業センターといって、えらい、極楽みたいなところですから。都会のど真ん中にありますですね。

 

 ああいうところは、民間でどこかにピシッとやってもらうと、よう、面白うなると思いますけれどね。わし。飲んだり食ったりで、市民の皆さんが楽しめるところにすると、ええところになると思いますよ。

 

 と思いますけれど、私からは以上です。

質疑応答

◎名古屋城天守閣の木造復元について

(記者)

 名古屋城天守閣の木造復元のことで、2点お伺いします。1点目が、文化庁から先月の22日付で、名古屋城の木造復元についての見解が来たと思うのですが、それについて、あらためて市長のお考えを。もう1点が、いろいろな人に聞きますと、市長がかねがねおっしゃっておられる2020年の完成、復元が、スケジュール的に厳しいのではないかという意見を結構多く聞きます。スケジュール観についても、お伺いいたします。

 

(市長)

 名古屋城天守閣について、文化庁の見解ですけれど、今までの見解と、新しいというか、言ったこと自体が新しい、一般論が入っているところは新しいんですけれど、あとは同じですけれどね。

 

 いわゆる2段に分かれておりまして、まず1つは、それぞれ、文化庁がこう言ったから、こう言ったからと、それも大きいですけれど、やっぱり市が決めてちょうだいよと。どうするのか。ということが1つと。

 

 それから、もう1つは、日本中のお城についてですよ。幾つあるか知りませんけれど、私。50や100、あるんじゃないですかね。よう分からんけれど。につきまして、それは木造でやりたいところもあるだろうし、木造以外でやりたいところもありますけれど、その、それぞれの可能性は排除しないと。

 

 しかし、こと名古屋城についてはと。これはきちっと各論が制限してありまして、名古屋城については、昔からの資料がきちっと残されとるので、木造によって復元しないといかんよという意見が出ることは、その可能性は極めて高いというふうに言ったと、言われたということは、わしも何べんも確認しておりますし。

 

 もう2年か3年ぐらい前に文化庁に話をしまして、木造以外というよりもコンクリート復元は認められませんよということを言ったことと同じで、わしも、ここで言うのがええのかどうか知らんけれど、実は、口頭では、今でもコンクリート復元は認め……名古屋城についてはですよ。言っておきますけれど。総論と各論を分けないといかんですよ。

 

 皆さんご承知のように、法律というのは、広い意味では法令というのは、こういうガイドラインなんかもみんな言うんですけれど、広い意味での法律ですけれど、については、一般法というのがまずあると、それから特別法がある場合は、そのことについて特別法の方が優先するんです。

 

 これは、ちゃんと覚えておいてちょうだいよ。一応。これよ。だから、こと名古屋城についての場合は、名古屋の市。一般論の矛盾しない部分ね。まず市が決めなさいよという部分は適用になりますけれど、じゃあ、どういう復元ができるかといったら、そこに書いてあります、木造でやりなさいよという意見が出る可能性が、「極めて」まで書いてありますわ。文化庁の。極めて高いと。

 

 わしは、今まで長いことやっておりますけれど、「極めて」ということを役人が文書で書くというのは、ほとんどないですね。こういう表現は。

 

 ということで、わしは、話をしておりますけれど、口頭では、コンクリートではそれは駄目ですよと言っていますけれど、文書で書くということになりますと、お城を建て替えるときには、史跡の変更ということで、文化財保護法の何条か、ちょっと忘れましたけれど、文化庁長官の許可が要るんですわ。お城をいろいろ、どうのこうのするときは。

 

 許可を出すときには、復元検討委員会というのを、これを開かないといかんのです。名古屋市でもそうですけれど、いろんな審議会がようさんありますわね。名古屋市の。審議会を開く前に、「これは不許可です」とか役人が言ったら、どうなります? そんなことはあり得ないですから。

 

 だから、審議会、復元検討委員会が開かれるときに、木造で建てなさいよということの意見が出る可能性が極めて高いということは、そこの中で分かってくださいよということです。だから、これはもう木造ということになるんですよ。

 

 地方自治法2条14項に、地方自治体は、より少ない税金で最大の効果を上げなさいという規定がありますので、その事実上不可能になるようなことをやってはいけないと思いますよ。私は。ですから、文化庁の見解は今までの言っとったとおりでして、ただ、一般論は、付いた分だけ新しい部分があるということです。これは何べんも確認しておりますので。直接。

 

 ということでして、名古屋城は、いわゆるコンクリートによる再建は、僕が言うのがええかどうか知りませんけれど、できませんと。「事実上」が入っとってもいいですけれど、事実上できませんということを、繰り返し言われたということです。

 

 2020年オリンピック説につきましては、ちょっと考えてちょうと。400年前に、あの名古屋城は、1年半と言っていますけれど、1年か2年だと。1年だという説もあるんです。確定的に両方だという資料がないもんで、中間で1年半と言っていますけれど。石垣の他にね。で、完成しております。天守閣。400年前にですよ。1年半で。

 

 そのときは、30万人とか40万人とか20万人とかいう職人さんたちが集まったと、からできたと言っていますけれど、これね、どう思いやあす。あんたも。400年前、コンピューターはないですよ。トラックはないですよ。夜間工事はできませんよ。ろうそくでやらんならんで。400年前。そうでしょう。

 

 もっとでかいのは、クレーンがないですよ。クレーンが。だから、高層建築の技術も、全然違いますよ。今と。そうでしょう。何十階建てのコンクリートの建物ですけれど、造る技術がありましたか。それじゃあ。建築会社は、どれだけありますか。今、日本中に。ものすごい数ですよ。それでできんと思う?本当に。

 

(記者)

 市長としては、2020年の完成は十分可能と、まだ考えていらっしゃるのですか。

 

(市長)

 わしは可能だと思いますよ。それだし、盛んに僕が言っているのは、名古屋の都市の魅力というのは何かというと、最近僕はこれをよう言っていますけれど、戦争で全部いったん燃えちゃったということですよ。名古屋のまちは。いったん地獄を見たということです。名古屋のまちは。涙のまちだったわけですよ。

 

 名古屋城天守閣、昭和20年5月14日ですわ。午前9時ごろに、焼夷弾の第一弾が当たったと言われていますけれど、3時間かけて燃えちゃった。それから熱田神宮でも、草薙(くさなぎ)の剣を防空壕に移した次の日に、本殿が空襲されとるんですよ。名古屋は。全部なくなりました。

 

 ここにおるから、ここは空襲で残りましたので、皆さん、何か戦前のものがあるような気がしますけれど、名古屋の特色といいますか、東京大空襲の方が亡くなった人の数は多いけれど、あれは下町ですよね。中心だったのは。名古屋は、都心の中心を完璧にやられたんです。そういう全くゼロのところから復興してきたということを、やっぱり世界にアピールしないといかんです。

 

 だから、「名古屋ってどこ? The City of Nagoya」と聞かれたら、「It's a city of dreams」と答えるんですよ。夢のまちなんだと。ということを、この間、ASEANの大使がみんなあそこのANAホテルへ来たときに、英語でしたけれど、こういうことをしゃべったったんです。空襲で全部なくなったんだと。

 

 それから、今や東京が威張っとるけれど、実は、名古屋は毎年、名古屋港ですけれど、これは。名古屋だけじゃないんだけれど、愛知、三重、岐阜、静岡ですけれど、6兆円も貿易黒字を出しとる、日本中の断トツの稼ぎ頭になっとる。そういうお金が、今の交付税の方の格好になって、日本中に行っとる。

 

 そうしたら、後で某国の大使が、「あの話はよかったです」と言っていましたよ。「そうだったんですか」といって。

 

 とか、これも繰り返しますが、新しい人が来るで言うんだけれど、わしのおふくろが昔やっとった居酒屋で一杯飲んどったんですね。もうなくなってありませんよ、全然。名古屋の真ん中ですけれど。イギリス人が来とったんです。外国人が。

 

 それで、「名古屋はどうだ」と言って、「名古屋城へ行ってきました」「ああ、そうか。何を見たの」と言ったら、「名古屋城が空襲で焼ける写真を見ました」と言って。焼けとる様子。「あれは本当に、most impressiveだ」と言っていましたわ。非常に感動的だったと。

 

 この間行ったときも、名古屋の天守閣に行ったら、あの写真の周りに外国人がようけ集まっとるんだね。外国人が。だから、そういうことを考えると、世界にこの名古屋のcity of dreamsをアピールするには、やっぱりオリンピックのときですよ。皆さん、分かっとるように、世界のスポーツの祭典でしょう。世界のスポーツの祭典に向けて、復興しないといかん。

 

 悲しい事態でね。この間も、あるアメリカ人の学会の来るときで言いましたけれど、確かに世界大戦でやられたということで、それはどっちがええ、悪いとか、そういうことじゃなくて、「Don't think twice. It's OK」と言うんですけれど、もういいじゃないかと。仲よくしましょうということの、平和のシンボルとしてですね。

 

 この名古屋のそれと、復興を遂げてきた夢のまち名古屋というのをアピールするには、どうでもこのオリンピックのときを逃しちゃいけません。こんなことが分からんではね。

 

(記者)

 この前、議会の委員会でも報告書が出たのですが、その中には、2020年までという表記がないのですが、それはどうしてなのでしょうか。

 

(市長)

 それは、いろんな意見があるんじゃないですか。それは、私の意見だからでしょう。まだ。

 

(記者)

 そうすると、まだ庁内で、そこは合意が取れていないという。

 

(市長)

 合意は、同意は取れとる。私は指示していますよ。

 

(記者)

 指示している。

 

(市長)

 はい、はい。

 

(記者)

 何であそこに書かれなかったのですか。2020年と。

 

(市長)

 分かりません。

 

(記者)

 それは、現場の判断ですか。

 

(市長)

 現場が自分の判断でやっとるんだけれど、そういうことはいかんですよ。本当は。

 

(記者)

 それは、現場がいかんということですか。

 

(市長)

 まあ、知りませんけれど。仕組みがいかんかどうか、知らん。またそう言うと、どう言った、こういうことになるもんでね。

 

(記者)

 あと、議会でも、財源がはっきりしないと検討できないと。減税の委員の方も、そうやっておっしゃっているのですが。

 

(市長)

 それはそうですね。

 

(記者)

 そこはどう・・・

 

(市長)

 財源と、それからもう1つは、経済的効果なんかについて、きちんと報告をするというのは、大事ですわね。

 

(記者)

 まだ検討はできていないのですか。

 

(市長)

 僕はいろいろ言っていますよ。現に指示しとるのは、財源なら財源で、熊本城、それから姫路城、それから名古屋城本丸御殿、それから、あと大洲城というのがありましたね。四国で。それから、あそこのあれ、静岡の、この間復元したところ。掛川城。そこが現にやっとるもんだから。現に。

 

 他の工事と比較するのもええけれど、そこの財源表をきちっと作って、比較して出せと。それからもう1つ、経済効果も同じことです。それぞれね。

 

(記者)

 それはいつごろまでに。

 

(市長)

 1週間ぐらいで、実は。1週間ぐらいで。僕は某所にも頼んでありまして。某所にね。

 

(記者)

 それは、市民経済局?

 

(市長)

 市民経済局には指示してありますけれど。

 

(記者)

 別のところですか。

 

(市長)

 だけど、他にも、自分でやっていかないといかんところがあるんですわ。結局、引っ張っていかないと。

 

(記者)

 では、来週には、それは出てくると。

 

(市長)

 出てくると思いますよ。1週間ぐらいで出しますと言っていましたから。それと比較するのが一番いいんじゃないですか。

 

 ただ、今回出さなかったというのは、まず、まあ出してもよかったんだろうと思いますけれど、予算の審議をお願いするわけ、とはちょっと違いますしですね。そういうことで、ということだけれど。

 

(記者)

 次のステップはどうなるのですか。それを議会に示すと。

 

(市長)

 それはそれで、示さないといかんわね。で、ご理解をいただくと。市民の皆さんにもご理解をいただくということになります。

 

 そうなると、分かりますけれど、事前に言っておくのも何ですけれど、財源問題から言いますと、これね、私の考えですよ。これは私の考えですけれど、名古屋がもし。ああ、比較としていいのは東京の体育館、やっとるじゃないですか。今、国立。あれは2500億円ですからね。言っておきますけれど。2500億円。

 

 名古屋の天守閣は、オールヒノキで、一番ようけ掛かっても400億円。一番ようけ掛かってもですよ。今、言っとるのは。どっちが値打ちがありますかね。どっちかどうかを言うと、また東京が怒ってくるといかんので、どっちとは言いませんけれど、名古屋は国宝を造ろうとしとるんですよ。

 

 あと少なくとも400年は。いや、もっともちます。法隆寺だって1300年、木造でもっていますので。大体100年か200年たてば、もう国宝になりますよ。もう200年ぐらい大事にすれば。

 

(記者)

 結局、市長の財源に関するお考えというのは。

 

(市長)

 まずそれだけのお金ね。まずそれだけのお金だということです。これは、2500億円と400億円。

 

 じゃあ、この中で、補助金については、一応、半分までですけれど、国交省のお金がありますわね。一応、仕組みとしてですよ。仕組みとして。文化庁もどうされるか知りませんけれど。本丸御殿は3分の1ですけれど。何年かに分けてですけれどね。これが1つありますわね。

 

 それから、寄附金もあるでしょう。寄附金もありますけれど、例えば、名古屋城本丸御殿本物復元名古屋市民債というのを発行したとしますわね。あなたでも買うんじゃない?多分。××銀行へ預けとるより、はるかにいいですよ。金利はいいですし。国債とほとんど変わらん金利ですから。名古屋市債は。

 

 発行はOKですから。ちゃんと総務省に確認してありますから。補助金が出る事業であれば、お金の9割まで起債できますから。9割まで。これ。分かる? 僕の聞いとる人からすれば、買わせてもらいたいと、それ。みんな言っていますけれど。

 

 ずっと孫子の代までね。金利は払いますよ。金利。この間まで、例えば、最低金利(なごやか市民債)で、0.1%でしたけれど。0.1%のときは。

 

 仮に0.2%だったとしますと、200億円発行したとしますと、2%で4億円、0.2%ですから4000万円。毎年4000万円ずつ利息を払えばいいです。払うと言ったって、悪いけれど、外国、ギリシャと違いますので、ドイツへ払うわけじゃないんですよ。これは。名古屋市民ばかりじゃないけれど、市民の皆さんに払うわけです。4000万円。市民の所得になりますけれど。

 

(記者)

 分かりました。それは。

 

(市長)

 いや、これが大事なんだ、ここからが。ここからが大事なんだ。こういうところがあんたたちは駄目なんですよ。

 

(記者)

 結局、市民債を積極的にやっていくという感じではないですよね。まだ。

 

(市長)

 いやいや、どうしてこれが、どうしてどうかというと、4000万円利息を払うということは、今、500円でしょう。入場料が。500円。500円の何人分かということですわ。

 

 1万人分で500万円でしょう。500円だと。10万人分で5000万円ですよ。10万人入場者が増えれば、その入場収入だけでですよ。言っておきますけれど。あと、土産を買ったりしますのでね。それなしで賄えますよ。

 

 今、160万人ぐらい入っていますよ。名古屋城は。あれが170万人に増えるだけで、利息が払えるんですよ。元本はと言いますけれど、言っておきますけれど、公債においては、元本を、返してくれという人もおりますけれど、すぐまた元本が増えますので。これ以上安全な投資はないです。

 

 投資というより、その分の、200億円なら200億円を名古屋がもし市民債で使わないとすると、その200億円はどうなるかというと、市民は、銀行に貯金なりしますけれど、銀行は、銀行が市債を買ってもいいんだけれど、もし使わないというと、みんな国債になって東京へ行きますよ。悪いですけれど、そのお金は。お金というのは必ず動いていますから。利息を払わないお金というのは、ないですから。

 

 となると、名古屋市民のお金が、要するにその分、極端というか、言いますと、羽田沖の造成に使われると。羽田沖の造成に使われるか、本物の名古屋城に使われるかと。名古屋城の方は、未来永劫まではいきませんけれど、400年大事にして、平和のシンボルとして、もう戦争が起きて空襲で燃えんようにということとして、ずっと生き続けるだろうと。

 

 私の勘では、まず、今、160万人でしたかね。入っとるのが。ちょっと今、今の姫路城とか熊本城の入場者数の上がった分だけ、計算すれば、それよりもっと増えますよ。なぜかといったら、現状でも一番ようけ来とるのが沖縄の首里城でしょう。次が名古屋城ですから。地の利があると言うと何ともあれですけれど、何人増えるといって、ちょっとこれからにしますけれどね。10万人ばかりなんて、あり得ないです。本当に、あり得ません。

 

 ということで、十分やっていけるお金が調達できると。そこまでちゃんと考えないといかんよ。もう、起債だで、借金だでと言ったって、間違っとるんだ。いかんのですよ、そういうことを言うことは。本当に。

 

(記者)

 最後に1個いいですか。市債を総務省に確認したというのは、誰がどう確認したのですか。

 

(市長)

 河村さんが、(総務省)自治財政局長に確認しております。

 

(記者)

 市長ご自身が。

 

(市長)

 はい。もうちょっと前にも確認しましたけれど、この間も電話しました。一応。2、3年前にも確認しておりますし。

 

(記者)

 何を確認するのですか。

 

(市長)

 起債の対象になるかということです。で、どれだけのパーセントで発行してええかねという。

 

(記者)

 総務省の。総務省ですか。

 

(市長)

 総務省自治財政局長、はい。私は、人のせいにするのは嫌なもので、自分でちゃんと確認します。これだけ大きいやつは。慣れていますので、これは。某議員、国会議員をやっとったときに、しょっちゅう話をしていますので。そういうのはね。確認しております。

 

 なりますと、どうぞと。公共事業ですから。それで、補助金が出る事業の場合は、9割まで発行できますよと。

 

(記者)

 文化庁の、口頭で「コンクリートではできませんよ」と言われたのは、文化庁のどなたかというのは。

 

(市長)

 名前を言うのはやめておきますわ、一応。文書とか、そういうのにはできんと言っとるでね。それはなぜかといったら、検討委員会があるからですよ。もう2年ぐらい前も確認しておりますし、それから、ごく最近も確認しております。

 

 だから、先ほど言いましたように、一般論ではいいですよ。日本中のお城を木造以外で造る可能性があるというのは。当然、それは。名古屋城の場合は、図面もあるし、そういう、どう言うか、復元がですね。再建復元。これが、ほとんど本物でできる場合は、文化庁とても、やっぱりなるべく本物を残したいわけですよ。ということですので。

 

 それで、各論は、各法、特別法は一般法に優先しますから。これ、頼むよ。矛盾しない部分は、限りにおいては、一般法が適用になります。だで、名古屋市がまず決めて言いなさいということは適用になりますけれど、こと名古屋城の城郭をどうしようかということについては、その名古屋城、3番目ですね、文化庁が出した。あそこが優先適用されますから。言ったとおりで。

 

 だから、「本物にしないといかんですよという意見が出る可能性が極めて高い」と書いてありますから。あそこに。「極めて」まで。ということです。

 

◎長良川河口堰について

(記者)

 話は変わって、長良川河口堰、本格運用から今日でちょうど20年ということなのですが、それについて2点お聞きしたくて、1点目が、利水という観点において、河口堰についてあらためてどう思うかというのをお聞かせ願いたいということと、あとは、開門調査がまだ実施に至っていないことについて、市長の今のお考えをお聞かせください。

 

(市長)

 利水については、はるか昔に、1つは、大きいですけれど、ちょっとこれは分かりませんけれど、某でかい製鉄会社が、昔は桑名の方に造ろうというのがあったんでしょう。本当の昔は。それが知多半島の方に変わったということもあり、また、それから、ようけの企業が、今、水のリサイクルの技術がめちゃくちゃ進んでですね。

 

 今は、知多半島。またこれ、知多半島の人があれですけれど、使っていますけれど、河口堰の水をね。だけど、私は別に、木曽川の一番上の、兼山だったかな。取水場。名古屋よりもっと上流ですわ。ええ水ですよ。あそこ。木曽川の水を使うというのは、私は別に、当然というか、できることであってですね。

 

 これは事実ですから言いますけれど、わしが国会議員時代ですから、もう10年ぐらい前かな。ちょっとあれですけれど、河口堰から取った水が、知多の浄水場ってありますわ。あそこで、最近はどうのこうのでちょっと違うかも分かりませんけれど、活性炭を、袋でバアバア、ものすごい入れましてですね、入れておりました。

 

 でも、そんなことをやらんとっても、あるわけですよ。水は。だから、利水上も。特に利水は、推進する派も、実際はもう要らないと言っているんじゃないですか。北伊勢の辺のところの若干議論がありますけれど、それはそれで、カバーすることはできます。

 

 それから、開門調査。開門調査は、わしの権限じゃないもんで、残念ですね。早くやって。

 

 よく塩害の話が出ますけれど、マウンドといいまして、長良川の下に、要するに、いわゆる洪水で切れたことがありますので。海津郡の方。あそこで、やっぱり下にこうあるんですけれど、それを取ると、要するに、洪水を防ぐためには、広くするか、深くするかというのが、これが通常の理論ですが、深くするためには川底を掘るんですね。なかなか横は広げられんもんだで。

 

 となると、その分、潮が上がってくると。というのが1つの議論ですけれど、不思議なことは、木曽川の方は、全部潮が上がっとるんですけれどね。これがまず不思議な現象ですわ。この、輪中があるでしょう。長良川は、あの西側ですね。東側は、木曽川は河口堰がありませんので、これは上がる。

 

 ただ、川底が、ちょっと傾斜が違うという説もありますけれど。それならそれで、考えればいいじゃないですか。取水口は、今、北伊勢の方が付いておりますけれど、もっと上へ持っていくなり。

 

 それと、田んぼの塩害については、そんなことを言ったら、日本中、海の近くに田んぼはいくらでもありますよ。八郎潟の干拓はどうだったんですか。一体。そうでしょう。いろんな、今、すごい金を使って、田んぼの中の塩害をストップするのは、すごいですから、今。

 

 ということで、早く。それはそれで、ちゃんと手当てをしないといかん。やっぱり。それから、知多半島の人たちにも言わないといかんですよ。理解をもらわないとね。そうなると。水がどうのこうのになりますけれど。なら、愛知用水をまたどうのこうのと、使うかということになるんですけれど。

 

 早う復活させて、あれですね。壊せとまでは言いませんので、やられたらどうですか。昔の、ダムのない長良川に復活させたら。

 

 時代が変わったんですよ。これも。ちょうど、あれ、変わり目だったんだけれど、残念だったですね。本当の、無駄な公共事業のシンボルでしたけれど。もうはや国会議員になる、なりたてだったころですけれどね。よう言ってきましたけれど。あのときは、細川内閣のときに、本当に止めればよかった、できたんです、与党だったから。

 

◎「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」について

(記者)

 質問が3点ありまして、今週末に開館する「戦争に関する資料館」について、20年越しにオープンということになりますが、それについての市長の今の思いと、あと、いろいろな方が寄贈されているわけですが、この20年間かかってようやくということで、その寄贈された方に対する思い。最後に、なかなか今、公設のこうした資料館というのも数少ないということですが、今後どういった資料館にしていきたいのかというような、この3点を、ちょっとお願いしたいのですが。

 

(市長)

 名古屋のまちというのは、本当に、空襲で大変な地獄を見たまちでね。ようけの人の涙の上に成り立っとるんですわ。だから、こういう記念館をつくるのは、大変必要なことだと思いますよ。ちょっと遅れましたけれども、大変ええことだと思っていますけれど。

 

 特にあそこは、あの建物は、いわゆる戦前の建物ですからね。もう名古屋にほとんど残っていない戦前の建物で、ああいう建物を大事にするということは。これはどういうことかというと、わしらみたいな古い建物のフェチからすると、あの建物は生きとると見るんですわ。

 

 やっぱり、あの建物は名古屋の地獄を見とるわけです。空襲の。全部焼けていくところを。そういうふうに見ないといかんですよ。そういうところの中でできるというのは、大変素晴らしいことで。素晴らしいという言い方はよくないけれどね。city of dreamsですわ。要するに。それこそ、名古屋城の木造復元ですよ。

 

 人間というのは悲しい過去があるもので、それを乗り越えられるものだと。また。ということを言うためには、これはいい場所だと思いますね。

 

 それから、寄贈された皆さんも、そんな思いがあって、家族を亡くされた方も、ほぼ1万人ぐらいの方が亡くなったと言われていますけれど、うちのおふくろのおふくろもそうですけれどね。空襲でですね。

 

 だで、いろんなものをまた寄せていただいて、若い人たちなんかも、学校でも行って、名古屋のまちがいったん地獄を見たということは、きちっと頭に入れておかないといかん。なぜこんなことになってしまったんだろうかということを、やっぱり頭に入れておかないといかんですね。

 

 今後も、まあまあそういうことですけれども、もうちょっと広げて。1階だけなもんで、上が、収蔵庫も要りますんでね。若干、博物館にもありますけれどね。

 

(記者)

 今後についてはどういう資料館にしていきたいというか、その辺の思いはいかがですか。

 

(市長)

 やっぱり、リアリズムといいますか。特に、この間も行きましたけれど、名古屋の空襲の第一弾というのは、一番の元はドーリットル空襲という、アメリカの勇敢な人たちが来てダダッと爆弾を落としていったというのが1つありますけれど、一般的に言いますと、いつだったな、あれは。

 

 日にちはちょっと忘れましたけれど、今のナゴヤドームのあるところですね。三菱重工の、あそこですね。あそこに、実は子どもさんが結構来とって、東邦商業の皆さん、それから金城学院の皆さん。ここの方が、あそこでたくさん亡くなられとるんですよ。

 

 東邦学園に行きますと、そのときの、空襲で壊れた煙突が置いてありますわ。あそこに。そこの、空襲の日を記念日にしてくれんかという意見がありまして、私もええなと思っていますけれど。そういう悲しい歴史を、みんな忘れていきますのでね。やっぱり、もっと広く分かってもらうように。

 

 しかし、名古屋の場合は、そこから、東京が威張っていますけれど、今、下手すると世界一だと思いますけれど、こういう地域的な産業のまちとしてはですね。ここまで復活を遂げたと。

 

 それは、私の力では全然ありませんけれど。わしらの親の世代の、死んだおやじやおふくろたちですね。大正世代から昭和の初めの世代の人たちが、めちゃくちゃに働いてくれたと。それは、トヨタ自動車の力も大きかったですけれど。そういうことで、今のこのまちができたんだというところを、そういう感じで展示してほしいですね。

 

 そうなると、東京オリンピックまでに名古屋城の天守閣を復元して、東京オリンピックで、世界中に報道されるときに、「いや、実は名古屋は」ということで、その空襲で燃えてしまった名古屋城を、今、この名古屋の力で、なんと木造で復元したということが、世界中に知られるでしょう。復活のまち名古屋と、夢のまち名古屋となるんじゃないですか。

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