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平成27年5月25日 市長定例記者会見

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このページを印刷する最終更新日:2015年7月22日

ページID:70274

報告事項

  • 「Nagoya ポップアップ・アーティスト」事業参加アーティストの募集について
  • 寄附による「よみがえれ文化財」のお披露目について

会見動画

報告内容

◎「Nagoya ポップアップ・アーティスト」事業参加アーティストの募集について

それでは、おはようございます。5月25日(月曜日)の会見を始めたいと思います。

 

 まず初めに、「Nagoya ポップアップ・アーティスト」事業参加アーティストの募集について、ご報告をいたします。パネルを持った職員が静々と入場してまいります。

 

 この事業は、音楽やダンス、大道芸などがまちのそこかしこで行われまして、市民が気軽に楽しめる空間をつくり出すことによって、都市の魅力向上を図ることを目的とするものであります。

 

 今年度からの新規事業として、10月から事業を運用開始するに当たりまして、6月1日(月曜日)から7月10日(金曜日)まで、参加アーティストの募集を行います。ぜひ、ちゃんと報道したってちょうよ。

 

 参加するアーティストは、音楽やダンス、大道芸等に取り組む個人やグループで、一次審査の書類審査と二次審査の公開オーディションに合格することが必要です。

 

 会場は、地下鉄の「伏見駅」・「栄駅」・「久屋大通駅」構内の他、公園施設や商業施設等、協力が得られる施設です。文化の彩りにあふれた風景が生まれてくるまちを目指しまして、まちとアーティストがコラボレートする本事業に、市民の皆さまも大いにご期待ください。

 

 ということでして、これは、実は大変期待しておりまして、よう言いますのは、ニューヨークとか、パリ、ロンドンもそうじゃないかな。やっぱりあそこも、前、テレビでどこかでやっていましたけれど、大変に、実際は結構やるのが大変で、誰でも勝手にできるもんじゃないよということをやっておりまして。

 

 ちなみに、これは説明するか分かりませんが、後で質問で出るか分からんけれど、皆さんが勝手にいろんなところでやられることを規制するものでは一切ございません。これは、ちょっと一応、公衆の、大変人がよう通るところとか、スペシャルプレースでやりますので、若干審査をさせていただくということと、言うのを忘れるといかんけれど、私は、3曲か4曲に1曲は、音楽の場合ね、みんなが知っとる曲と。

 

 それは、「燃えよドラゴンズ!」でも結構ですし、「盛り場ブルース」名古屋編でも結構ですし、クラシックの名曲でも結構ですが、昔の童謡とかですね。何でかというと、若い人だけじゃないもんで。歩いとるのは。やっぱり、昔のお嬢さんたちがぎょうさん歩いていかっせるので、みんな、ふっと足を止めようかなと思うような曲の方が、絶対広がっていくんですわ。

 

 いわゆるよう知られとる曲は、実際、名曲でして、「ああ、なるほど」と。「小さいとき、こういうことがあったかな」というようなことを感じていただければということで、僕は、クラシックから演歌まで全ての曲を含めまして、3曲、4曲に1曲は、ぜひみんなが知っとる曲をやってちょうというのを、この名古屋の特色にすると。

 

 東京、大阪でもやっとるんじゃないですかね。これは、確か。というふうに、私は言っとりますということで、職員からPRをさせていただきます。どうぞ。

 

(当局:この事業の愛称の「Nagoya ポップアップ・アーティスト」という名称についてなのですが、「ポップアップ」とは、ポンと飛び出すことでして、アーティストがまちに飛び出して、市民に身近な会場で映像だったりパフォーマンスを行うことで、文化の彩りにあふれた風景がまちのそこかしこで生まれてくる様子を表現したものです。

 

 また、こちらのデザインも、まちがアーティストのステージになることを表現しております。ぜひさまざまなジャンルのアーティストの方にご応募いただいて、10月からの事業運用開始に当たっては、街角の会場で市民の皆さまが気軽に文化芸術に触れることができるような事業にしてまいりたいと思っておりますので、どうぞご期待ください。)

 

 はい。ええかね。

 

(当局:はい、ありがとうございました。)

 

 はい、ありがとう。ということで、こういうところから本当は日本一流、世界一流のアーティストといいますか、が育ってくることが非常にうれしいということですね。そういうのをたくさんやって、そこに寄附したりするようにすると、面白いんですけれどね。みんなが寄附できるようにすると、面白いと。

 

 ということをやって、それで育てられたアーティストかね。今、アーティストと言うんだね。ミュージシャンか何か、アーティストは、何か、カーネギーホールでコンサートをやるときに、「私は、実は一番苦しかったときに名古屋の皆さんのこういうコントリビューション(寄附)によって、一番苦しいとき、支えていただいたんです」と。「Thank you very much for citizens of Nagoya」と。こう言っていただきますと、格好いいですわね。

 

 というような、実はなかなかええシナリオはあるということですが、ぜひ、ともすればなかなかね、文化については、なかなかいかんと言われとるような話もありますので、ぜひようけの方に手を挙げていただきたいと。

 

 あれでもええんだね。いわゆるパフォーマンス、だわな。大道芸も書いてあります。こういうのも楽しいかと思います。はい、ありがとうございました。

◎寄附による「よみがえれ文化財」のお披露目について

次は、寄附による「よみがえれ文化財」のお披露目について、ご報告いたします。パネルを持った職員が、今度は、これもまた静々と入ってまいりましたが、はい。後で説明をする予定ですが。

 

 名古屋市博物館には、そのままでは展示できない、修復が必要な優れた文化財がございます。博物館では、広く皆さまからのご寄附を募り、後世に伝えるべき文化財を修復する「よみがえれ文化財」事業を、進めてまいりました。

 

 平成25年4月開始から現在までに、目標の1000万円を上回る、1330万円余りという多くのご寄附を、61の個人・団体の皆さんからいただきましたと。

 

 これも、この間、皆さんにオープンにしましたので、申し上げますと、カニエプロパンさんという方が900万円、ご寄附をいただいておりますので、これはサンキュー・ベリーマッチということですが、お力添えをいただきました皆さま方に敬意を表しますとともに、心より感謝を申し上げます。

 

 博物館では、皆さまからいただきましたご寄附によりまして、17世紀後半の伊勢への参宮を描いた、屏風としては最も古い「伊勢参宮図屏風」の修復や、「古墳時代の鉄製の刀剣」の保存処理、戦後を写した写真フィルムのデジタル化などを行ってまいりました。

 

 伊勢参宮図屏風では、絵の具が剥がれ落ち、骨組みがゆがんで、屏風が開かない状態でした。修復作業では屏風を解体して、骨組みを新しいものにするとともに、剥がれ落ちを止める処理をいたしました。

 

 また、古墳時代の鉄製の刀剣には、金色の飾りを持つ優れた太刀がありますが、さびがひどく、その進行を防ぐ処理を施しました。修復により、これまで公開できなかったものを市民の皆さんにご覧いただくことで、その素晴らしさを長く後世に伝えることができるようになりました。

 

 このたび、皆さま方のお力でよみがえった文化財を、お披露目する運びとなりました。博物館常設展におきまして、6月2日(火曜日)から7月5日(日曜日)、6月2日から7月5日まで展示いたします。

 

 博物館には、まだまだ後世に伝えるべき、修復を待つ優れた文化財が数多くございます。今後も「よみがえれ文化財」事業を継続してまいります。引き続き、皆さまの応援をいただきますよう、よろしくお願いをいたします。ここで、職員からPRをさせていただきます。

 

(当局:本当に、このたびは、市民の皆さまからご寄附をいただきまして文化財が修復されたということで、これをお披露目することができるようになりました。

 

 展示の方は、小さな常設展の中のワンスペースですけれども、これらをお披露目するだけではなくて、なぜこういった修復が必要だったのか、どのように修復したのか、あと、これを修復するといったことは未来に残していく大切さ。そういったことを知っていただければと思いますので、ぜひご来館いただければと思っております。よろしくお願いいたします。)

 

 お嬢さんは。

 

(当局:私は今回、この屏風の修復の作業に工房まで行きまして立ち合わせていただいているのですが、どうやって直していくのかということは、なかなか一般の方は。)

 

 どこで直しとるんだ。

 

(当局:静岡です。静岡の。)

 

 ああ、静岡。静岡で。

 

(当局:はい、専門の業者で。)

 

 静岡市かね。

 

(当局:市です。)

 

 ほう。

 

(当局:はい。で直しているのですが、なかなか一般の方で、屏風がどういう構造になっているのか、実際どうやって直していくのかというのは、皆さんご存じないと思うのですが、今回、そういった作業工程なども併せて展示をいたしますので、ぜひそういったこところもご観覧いただきたいなと思います。おかげさまで、非常にきれいになっておりますので、ぜひ見に来てください。)

 

 ということは、もともと博物館が持っとったわけ?

 

(当局:ご寄贈いただきました。)

 

 ご寄贈いただいた。

 

(当局:はい。)

 

 ほう、それは。

 

(当局:平成23年ですね。)

 

 この間じゃない、まだ。

 

(当局:はい、ご寄贈いただきまして。)

 

 ご寄贈いただいたやつを直して、出してきたと。

 

(当局:はい。)

 

 それが、今度の、6月2日から7月5日まで、展示をしますよということですか。

 

(当局:はい。)

 

 伊勢神宮の、何だった。

 

(当局:「参宮図屏風」。)

 

 参宮の。

 

(当局:伊勢参りの様子を描いた屏風です。)

 

 伊勢参りの。

 

(当局:はい。)

 

 ほう。

 

(当局:17世紀後半、寛文ぐらいの作品と、私は思っているのですが、現在のところ、屏風としては最古のものだろうと思います。非常に、当時の伊勢参りの楽しい雰囲気が素直に伝わってくる、かわいらしい屏風です。縦が100センチちょっとしかない小さい屏風なのですが、丁寧に描き込まれた、大変いい屏風だと思います。

 

 今回、非常にきれいに直ってきておりますので、ぜひ細部まで見ていただきたいなと思っております。)

 

 どの辺の場所ですかね。描いてあるのは。

 

(当局:これは、外宮。一隻しかないのですが、ここに外宮があって、ここが門前町というか、伊勢参りで皆さんがそのとき体験したであろう、お土産を買ったりとか。)

 

 遊廓があるぞ。有名な。

 

(当局:遊廓は、なかなか、ちょっと見つかりませんでした。)

 

 見つかりませんでしたか。

 

(当局:はい。)

 

 有名な、何とかいう、何やった、あれ。

 

(当局:そっちは内宮の方なので。)

 

 あれは内宮か。

 

(当局:ないんです。)

 

 はい、はい。

 

(当局:ですから、本当はもう一隻、かつては内宮を描いた屏風があったと思うのですが、ちょっと今、見つかっていないですね。また皆さんからの情報をいただいて、もう1個が見つかったらいいなとは思っておりますが。)

 

 個人のうちにあったのか。

 

(当局:そうです、そうです。大事に保管されておりました。)

 

 ほう。

 

(当局:これだけのものが個人のお宅で見つかるというのは、なかなか珍しいことだと思いますし、それだけそのお宅で大切に保管されてきたのだろうなということが分かります。)

 

 これは何。尾張藩の辺の個人のうち? どこの。

 

(当局:はい、市内の。)

 

 ああ、市内のうちで。

 

(当局:はい。)

 

 ほう、偉いもんですな。

 

(当局:はい、偉いもんです。)

 

 ええ。いや、なかなか尾張藩は立派なもんだで、古いものが結構出てくるんだといって、この間、骨董商が言とったけれどね。まあ、ええですけれど。ということで、ええですか。

 

(当局:はい。)

 

 はい、ありがとうございます。ということですので、これはこれで、今日もちょっと幹部会で言ってきましたけれど、これからですけれど、ぜひ尾張名古屋の近世武家文化という。徳川美術館がそのシンボルですけれど、というのを。寄附が全部ならありがたいですけれど、非常にそれはきちっとやらないと、真贋ありますので、大変ですけれど、ある程度税金を使ってでも、名古屋城の天守閣を本物に復元しようと言っとるんですのでね。

 

 だで、最低400年。天守閣で、400年ぐらいたつと大修理が要ると言われておりますけれど、こういうものはずっと永遠に保存できますけれど、残していくことは重要でないかと思いますけれどね。名古屋市美術館にモディリアーニの絵がありますけれど、あれはあれで重要ですけれど、やっぱり、ジス・イズ・ナゴヤというのを残さないといかんですよ。

 

 となりますと、やっぱり家康がつくった、御三家筆頭、名古屋。まあ、徳川美術館がありますからね。あそことセットになるようなコレクションができるとええなと。数百年後の私らの子孫が必ず喜んでくれるだろうなと、こんなふうに思います。

 

 今日のは、既にあったものを修繕するということですけれど、新品も結構出るらしいんだわ。この間、骨董商に聞いたら。「さすがですね」といって、尾張藩は。やっぱりようけ金を持っとった人がおるもんで、蔵にあったり、何やいろいろあるらしいんですわ。

 

 全部ご寄贈いただくといいけれど、そうもいきません場合もあるんだけれど、その辺は、必要なお金は、やっぱり。意外と大したことはないですよ。意外と。この間、わしも、ある短冊を3枚買いましたけれど、意外と大したことはないですわ。江戸時代のやつを。先祖のやつですけれどね。に思っております。

 

 私からは以上です。

質疑応答

◎「よみがえれ文化財」の寄附者について

(記者)
 「よみがえれ文化財」の寄附者の61件ですが、企業さんで、公開できる企業さんのリストをもし提示していただければ、ご紹介したいのですが。

(市長)
 なるほどね。これはちょっと、どうですかね。公開できる?

(当局:はい。できるものもございますので、博物館の方へ問い合わせていただければ、その範囲の中で。先ほどのカニエプロパンさんも企業ですが、他にも公開できます。)

(市長)
 ぜひ。僕は、そういうのはどんどん公開すると。寄附、コントリビューション、これはみんなで拍手しないといかんですから。ぜひ、減税分の一部で結構ですので、こういうご寄附をいただければありがたいと。

 ないし、修繕でなくても、新品ですが、皆さん、持っておられたら、若干のことはお支払いするつもりがありますけれど、ご寄附たまわれれば大変ありがたいということだね。尾張藩のものでね。尾張藩のものでなくてもええですけれど、かつてのよすがというのがあると思いますので。

 これ、実は、時代の転換なんですよ。何でかというと、変な話だけれど、これも初めての人がおるで、名古屋のまちづくりってどうだったのかということの中のシンボルを覚えていってほしいんだけれど、戦災復興事業といいまして、名古屋は空襲でもひどかったけれど、その後、日本最大の、世界と言ってもええか分からんけれど、日本最大の戦災復興事業って、やったんです。

 シンボルは、100メートル道路と平和公園です。平和公園に、18万7千基余の墓を動かしたの。道路を造るもんだで。東京は1万6千基余ですよ。大阪は1500基余ですよ。みんな反対してできんのですわ。先祖代々の。大体、昔は土葬ですから。だけど、名古屋は強烈な都市計画をやった。

 で、そのシンボルが、建中寺ってありますけれど、ぜひ行かれるといいですけれど、東区の。建中寺は、本堂は焼けていますけれど、三門は350年前の本物です。あれは。その裏に、尾張藩の歴代の墓がずらっとあったんです。空襲を免れて。初代は定光寺ですけれど、2代からずっと。

 これを全部区画整理をしまして、あずま中学校等に変えてまったんです。それで、これのご遺体を火葬しております。全部。ということをした名古屋のまちということですわ。

 わしは、このことは大変由々しき問題であるということで、うちの先祖が尾張藩に勤めとったこともありますけれども、それで調べましたら、やっぱり記録が残っとります。ちゃんと。残っとって、徳川美術館さんの了解も得まして、それを見ましたら、「極秘のうちに行う」と書いてある。ちゃんと。

 だから、非常にそのときの名古屋の人間、市民の心理はいかがなものであったのかということを考えていただくと、こうやって、尾張藩なり、こういう昔のものを大事にして残していこうというのは、実は革命的なんです。当たり前ですけれど。考えてみると。ということは、ぜひ頭に入れといたってちょうだい。このお話。

 大変なことですよ。上野寛永寺の裏に歴代の将軍家のお墓がありますけれど、あれを全部ぶっ壊して中学校に変えるといったら、どうなります? それを昭和27年にやったということですよ。名古屋は。というお話。

◎子ども応援会議について

(市長)
 せっかくですから、昨日の教育委員会の、正式なのは、ナゴヤ子ども応援会議の討論会というようなものですけれど、あれについて、ちょっとお話をしていきたいと思いますけれど、あれはぜひ全国ニュースで取り上げてほしかったですね。私からしますと。

 なぜかというのは、国の法律が変わりまして、その後ちょっと、囲みか、そこでも言いましたけれど、要するに、教育というのは、アメリカにおいては、民族対立もあって、教育が間違えると大変な不幸が起こるということで、教育委員会というのをつくって、独立行政委員会で、従来の行政の力を得ない別個のものということで、まあ、アメリカですけれど、これはですね。つくって、それをまねたことはまねたんです。

 ところが、向こうは選挙をしておりましてですね。教育委員会を。独立性はそれで担保されている。民主主義によりましてね。だけど、日本は、やったところがありますけれど、やっぱり投票率が上がらんのですわ。今の状況でやったとしても。もっと小さくしないといかん。「地方教育行政の組織および運営に関する法律」に、市町村に置くというふうにしちゃったんです。教育委員会を。名古屋市でやらないといかん。教育委員会。

 ロサンゼルスもそうなっていますけれど、もっと小さい中学校単位ぐらいだったら、もうちょっと投票に行くかも分からんわね。仮に。しかし、それよりも時代背景で、明治維新なり終戦後の、とにかく、とにかく何もなしになってしまったこの名古屋、日本。日本中焼け野原になって、300万人も死んだんですから。の中で、急速に国を立ち上げるために、そんなことをやっとれんということで、選挙はなしになりまして、教育委員会という。

 だけど、権限だけ残っとるわけです。これは別個だということで、よく密室だとか、いろいろ言われるじゃないですか。いじめの事件が起きると、常に言われるじゃないですか。分かっとったけれど、何なんだといって。皆さんが書くじゃないですか。

 ということに対して、このたび、政府が、選挙で選ばれました市長というものが教育委員会の中へ入って意見を言って、みんなで承諾したら、OKと言ったら、1つの教育の大綱と。1つのガイドラインといいますか、何か分かりませんけれども、そういうものを作っていこうというふうに仕組みを整えまして。

 シンポジウム形式でやるのは政令市で初めてだと思いますね。もう1個やったところが。どこへ行った。教育委員会は。おれへんな。あると聞いておりますが、市長がそこで大綱を定めるというふうになっとるわけです。だで、私は、当然そういう趣旨ですので、趣旨に従って自分の言葉で書いたということですけれど、そこの中で、やっぱり教育の「教」という。

 ぜひ皆さん、ネットで出てきますから見てほしいんだけれど、教育の「教」の字の右の、こういう「文」というような画は、鞭(むち)ないし木刀のようなものだということで、一定の囲われたところで、鞭なり木刀で、「お前ら、これに従え」という意味があると。

 エデュケーションは、要は、「エ」は「外へ」と。ラテン語ですけれど、「デュース」というのは「引っ張る」という意味であって、だから、プロデュースと。「生産する」ですけれど、「プロ」は「前へ」で、「デュース」で「引っ張る」から、生産する。だから、英語のエデュケーションの中で、鞭とか木刀でたたくという意味はないんです。

 だから、誤訳、ないし違う意味であるという説が有力なんです。教育とエデュケーションというのは。わしは、国会議員時代にこれに気付きまして、ここに一番問題があると。

 だけど、時代的には、明治維新ないし敗戦で非常に厳しいときだって、そんなことは言っとれんような時代だったもんで、右へ倣え的なものが必要だったか分かりませんけれどもね。今や、いわゆる「エデュース」ですね。子どもの、いろんな、内在するということが大事ですよ。子ども応援委員会の思想はそこにあるんですよ。

 金のある子、ない子。言っとるでしょう。親が2人そろっとる子、そうでない子。それから、体の不自由な子、そうでない子。それから、暴力団の子であったり、いろんなことがありますけれど、みんなそれぞれの中に光るいいものがあるんです。子どもさんというのは。それをみんなで、エデュースと。引っ張り出してあげると、世の中に。というのが、エデュケーションの思想なんです。

 そういう時代に変えていこうというふうに、これは私が国会議員時代から発見しまして、これは1つ、マニフェストにも書いてありますし、これを自分で書きました。当然。

 それを外してちょうという議論もありまして、それは分かるんですよ。何でかというと、先生は嫌ですよ。今まで、教育と、何々教育大学といって名前が出てきたといって、俺らは鞭の大学なのかと。そういうつもりはありませんけれど、現実的にそういう議論が、そういうことなんです。

 ネットを見ると分かりますけれど、ネットがない人は国会図書館でも調べるとありますけれど、あれは鞭でないというのは、教育関係者が、多分1人ですね。そういうことを言っとる説があるので。もう圧倒的に、これはそういうものであると。鞭とか木刀とか、そういう精神ですので、今はあまりふさわしくないということでね。

 それを変えていこうというのを、それを自分で主張する。そのために、この間、あれができたんじゃないですか。地方教育行政の組織および運営に関する法律というのを変えて、市長が行って、みんなで議論し合うというのをオープンでやったということは、まさに国益にそぐうことなんで、政府から褒めてもらわないといかんです。これは、本当に。「ようやっとるな。すごいね、名古屋は」といって。という話で、そこでまた議論が出たと。

 僕からすれば、教育がええのか、エデュケーションがええのかというのは、ぜひ、その根本ですから。やっぱり、ずっと子どもの貧困ということで、それが根底にあるんですけれど、子どもさんの悲鳴というのは全然なくならないと。いじめで命を落とす子どもの不幸もたくさん続いていると。そういう中で、一番根本の問題をいっぺん考えてみようという、ええ機会にしたいわけです。わしからすれば。

 日本中に、「ああ、そうか。教育ってそういう意味があるのか」「エデュケーションと違うのか」ということを、名古屋からぜひ発信していってもらいたい。ということでして、何とかね、全国へ行かんものかと。こういう話がね。そこから子ども応援委員会って出てくるんです。

 ちなみに、あれに書いてありましたけれど、わしは当日、来た人に、見てもらえれば分かりますけれど、私は強制したことはありませんよ。そう言われた方が、教育長も言ったし、その隣の教育委員も言われましたので。あれは外してくれといって。「教育からエデュケーションへ」という言葉は。だから、「いいよ」といって。「議論するならしましょう。今日は結論を保留しましょう。それなら」と、言いましたよ、わし。

 「いいですよ」といって。「だけど、私は変えませんよ、簡単には」と。これはやっぱり勉強してありますから、それなりの、不動の信念がありますので。私は私で。だけど、議論するのは当然、大変ええことなので、そう言いました。私は。

 それで、やめようかと思ったんです。別にいいですから。議論を続ければ。従来型のシャンシャンにする必要は、全くありません。本来の趣旨から言って。それで、委員長が「どうするの」といったら、「いや、じゃあ、みんなで。じゃあ、ええですよ」と言うもんだで、皆さん、ええと言われればサインしますけれど、ということになったわけですね。

 そのときに、「本当にええの」といって確認しましたよ、私。「いいですか」といって、委員長に。「いいです」ということでしたんであって、強制したつもりはゼロでして、わしは、どちらかといえば、保留してもよかったんです。議論すりゃあええんです、もっと。わあわあ、わあわあ、名古屋発で。エデュケーションとはどういうものなんだと。

 アメリカなんかだと、最近、先生のことをアドバイザーと言って、生徒のことをカスタマーと言うような言い方もあるように聞いております。だから、やっぱりそれは、子どもの自立性をね。だから、3分間スピーチの話も出とったでしょう。

 これも5年かかっておりますけれど、これはアメリカで仕入れたネタ。「アメリカ、アメリカと言うな」と言われるか分からんけれど、今日、全員洋服を着ておりますので。悪いけれど。和服を着とる人は1人もいません。この部屋の中に。だで、ええことは学ばないといかん。

 何かというと、ロサンゼルスへ行ったときに、ある記者がですね。向こうの。「河村さん、ロスに来ると、子どもがみんなの前で、ノー原稿で」と盛んに言いました。「ノー原稿で自分の意見をちゃんと言うというのがあるんですよ」と言いましたので、「それはやらないといかんがや」といって、早5年たちましたけれども。

 教育委員会は、この間1つ取り組みまして、それはテーマ型でも、それはそれでええわと、一歩と。オセアニアにおける移民政策についてどう考えるかという、おどろおどろしいテーマでしたけれど、それはそれでええと。一歩。

 もう一歩、今度、はようやれと。子どもさんたちに、自分の意見はどうだと。だけど、僕が主張しとるのは、なぜできないかといったら、例えば原発だとか、沖縄の基地問題だとか、それから集団的自衛権がどうなんだとかですね。AKBか、SKEがいいかと。そういう問題もええですよ。だから、政治的問題をやられると、困ると思うんですよ。PTAの皆さんやなんかが。

 僕が言っとるのは、大体1カ月ぐらい前にテーマだけ出してまやあと。子どもさんに。何をしゃべるのといって。ノー原稿でしゃべってもらわないといかんですから。それを見て、先生は準備して、必ず、例えば沖縄の基地問題だったら、「あなたは反対だと言っとるけれど、賛成派の意見はこういうのがありますよ」といって。だから、「両方あるからね」と。「よう勉強して生きていこうね」というふうにやれば、僕は非常にいいことではないかと。ということを、今、言っとるんです。そういうことで。

 私らでも、あんたらに要望することがあるでしょう。記者クラブってあるんだから。だで、こういうね、全国にぜひ報道していただきたい。本当に。ええことをやったときは、お願いしますわ。ということを、要望を申し上げておきます。

◎白川公園におけるサッカースタジアム構想について

(記者)
 先週末、グランパスが来たときに、白川公園のスタジアムの話があったと聞いたのですが、それについての市長の所感を教えていただけませんか。

(市長)
 俺は、どういうときかな、そろそろ公開されとるというか、話があるでええと思いますけれど、白川公園のバスのあれが、どくんですわ、あそこを。ああ、白川公園。久屋公園。

(記者)
 白川公園。

(市長)
 ああ、白川公園か。白川公園の方は、3つぐらい案がありまして。サッカースタジアムの。中の1つが白川公園とね。

(記者)
 白川公園だと、1000メートルタワーとかぶると思うのですが。

(市長)
 それは、またげばええですから。

(記者)
 そんなことは可能なのですか。

(市長)
 可能でしょう、それは。

(記者)
 可能ですか。

(市長)
 ええ、可能です。俺は、だけど、ゼネコンの社長でもありませんし、技師でもありませんけれど、普通から考えたって可能だと思いますよ。

(記者)
 仮に白川公園で本当にスタジアムを造るとなったときに、タワーと併用はできないと。技術的に。となった場合、タワーは諦めるのか。

(市長)
 そんなことは今から考えることで、それはそういう前提で、こうやって建てるわけでしょう。ずっと。タワーだけなら。東京スカイツリーは、塔ですから真ん中にコアがありますけれど、コアの位置だって、どこに造るかというのは若干あると思いますけれど。その形で。

 こういうふうなタワーだったら、下がぼこんと空きますよ。ぼこんと。だから、僕は両方できると思いますね。

(記者)
 空いたスペースに造ればいいと。

(市長)
 ええ。ええんじゃないですか。今、ちょうど、あのグラウンドがありますから。あそこは。白川公園は。なかなかのものになりますわね。だけど、それはいっぺんプロに聞いてみないといかん。そこのところは。いろんな造り方が、わしはあると思う。

(記者)
 ありがとうございます。

(市長)
 いえいえ。あそこだけじゃない、3つばかり提示されたわね。白川公園と、どこだったな。平和公園の方が1つと、もう1個、何かあったな。

◎ポップアップ・アーティストについて

(市長)
 このポップアップ・アーティストは、ぜひ広報いただいて、ようけの人が手を挙げていただくように、一つぜひお願いしたいと。先ほど言いましたように、議会でも質問がありましたけれど、今、自由にやっておられる方の権利といいますか、分かりませんけれど、を制限するものでは全然ありませんので。

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