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平成27年3月11日 市長定例記者会見

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このページを印刷する最終更新日:2015年7月22日

ページID:67021

報告事項

  • 東日本大震災から4年目の所感
  • 南海トラフ巨大地震の被害想定DVDの制作について
  • 市長の海外出張について

会見動画

報告内容

◎東日本大震災から4年目の所感

 おはようございます。3月11日(水曜日)の会見を始めたいと思います。

 

 各種報道でやられておりますけれど、今日がちょうど東日本大震災から4年目ということになりまして。

 

 私もあのときは、大村(愛知県)知事と一緒に、東京に何かの陳情に行ったときでして。帰りの新幹線の中、富士川の辺だったと思いますけれど、急に新幹線が止まりまして、大村(愛知県)知事の横におりましたけれどね。非常に印象が深いです。

 

 多くの方々が被災されまして、現在もなお復興に向けた作業が続けられております。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災地の一日も早い復興を願っております。

 

 これまで名古屋市では、陸前高田市や岩手県などに多くの職員を派遣してまいりました。今年度も合わせて14名の職員を派遣しておりまして、皆さんが復興に向けて頑張ってくれています。

 

 陸前高田市では、災害公営住宅や消防防災センターが完成するなど、少しずつではありますが、復興に向けて前進してきています。テレビで、今の陸前高田が、2日か3日前にやっていましたね。見ましたですけれどね。ベルトコンベヤーで土砂を運ぶところなんかをやっておりまして、だいぶ進んどるなと思っております。

 

 名古屋市としても、こうした復興への歩みが確かなものとなるよう、来年度も引き続き、陸前高田市を中心に職員を派遣するなど、被災地への支援を継続してまいります。

 

◎南海トラフ巨大地震の被害想定DVDの制作について

 本日は、まず初めに、南海トラフ巨大地震の被害想定DVDの制作について、ご報告をいたします。

 

 これは、昨年、公表しました南海トラフ巨大地震の被害想定に基づいて、名古屋市で起きる可能性のある揺れや津波の様子、そして、考えていただくべき備えとその効果につきまして映像化したものです。

 

 このDVDは、区役所、消防署などに配布し、講習会などの機会を通じて、市民の皆さんへの説明資料として活用してまいります。映像につきましては、名古屋市公式ウェブサイトの「なごや動画館まるはっちゃんねる」や、YouTube(ユーチューブ)の「まるはっちゅーぶ」でもご覧いただけます。また、各図書館ではDVDの貸し出しも行っています。

 

 こうした映像により被害のイメージを持っていただき、災害に備えていただくことをお願いしたいと思います。

 

 これは私、しょっちゅう言っておりますけれど、名古屋の場合は伊勢湾台風の大変な悲劇を、私は小学校5年生のときに経験しておりまして。

 

 これは、あまり油断するように書いてもらってはいかんのですけれど、なんと、この間出しました1000年のうちに起こる災害のシミュレーションで、想定外も含めた想定内のシミュレーションで、潮位は伊勢湾台風より30センチ、実は下なんです。津波の起こるのは。

 

 ですから、反対に言いますけれど、名古屋市としては、伊勢湾台風級のがまた来た場合に、1滴もその水を堤防内に入れないという決意を持って当たれば、1人も犠牲を出さんで済むのではないかということですけれど、これには条件がありまして、地震が入っていませんのでね。

 

 伊勢湾台風のときは高潮だけでしたから、地震によって堤防が決壊したり、液状化が起こったりする場合は、ちょっと別ですので、あまりそのまま、そのとおり30センチ下だでええんだというふうに思ってもらってもいかんですけれど、反対に、名古屋の伊勢湾台風というのはいかにすごい高潮であったのかということが分かると思います。

 

 次の日の、本当に抜けるような青空だったですね。あれは9月26日ですので、9月27日の、小学校へ通っていたときのね、まだよう覚えていますが、ものすごい青空だったです。その青空の下で、名古屋の南部を中心として5000人以上の方が亡くなられたという悲劇があったということは、本当に分からんかったです。

 

 報道もしばらく。新聞は来んかったかどうか、ちょっとよう分からんですけれど、テレビは確かなかったんでないかなと、ちょっと分からんですけれど。

 

 ちょっとしてから、南区の白水小学校で多くの子どもさんが、流れてきた流木で亡くなられたというのが、非常に印象的だったですね。あのニュースが。というふうに覚えております。

 

 台風のときに、私の家も半壊になりましたので。水は漬かなんだですけれど、木造2階建て、壁が抜けましてですね。ただ、半壊という、きちっとした名古屋の手続きが取られたかどうか、今、確認したんですが、もう記録がないということで。死んだおやじが、何かこれは半壊でどうのこうのと言っとったのは覚えとるんですが。とにかく。そんな状況でした。

 

◎市長の海外出張について

 次に、私の海外出張について、ご報告いたします。

 

 3月16日(月曜日)から3月18日(水曜日)にかけまして、タイ王国のバンコクと、中華人民共和国香港特別行政区に、エアポートセールスを目的とした海外出張をいたします。

 

 まず、今回の出張の背景として、中部国際空港の開港10周年を機に、2本目滑走路の実現に向けた機運が高まっておりまして、これまで以上に地域が一体となって、路線拡充などによる航空需要の拡大に取り組む必要がございます。

 

 今回、セールスを行うタイと香港は、近年インバウンド需要が伸びておりまして、今後も着実な伸びが期待される地域です。また、ロサンゼルスは本市と姉妹都市にあり、企業や学生の交流が盛んであるとともに、アメリカ西海岸は当地域のグローバル企業が多数進出していることから、同地域と中部を結ぶ航空路線の新規開設が強く求められております。

 

 そのため、航空路線の拡充により、東アジア・東南アジア・ロサンゼルスと当地域の交流をさらに進めてまいりたいと考えております。

 

 エアポートセールスには、私をはじめとしまして、中部経済連合会、中部国際空港株式会社、名古屋商工会議所にもご同行いただき、地域一体となったセールスを行います。

 

 具体的には、16日に日本政府観光局バンコク事務所を訪れ、インバウンドについて情報交換を行い、17日にはタイ国際航空を訪問し、名古屋を経由地としたバンコク-ロサンゼルス便の開設と、バンコク-名古屋便のダブルデイリー化を要請してまいります。18日には、香港エクスプレスを訪問しまして、昨年9月に就航しました香港-名古屋便について、現在の週7便から増便を要請します。

 

 ということで、私からは以上です。これはこれでお願いしておきますけれど、何といっても航空会社も民間ですので、何といっても名古屋が面白くなるかどうかが決定的でしてね。

 

 蒸気機関車でもそうですけれど、そういうことを含めて、面白い名古屋をつくるために、もっと。エアポートセールスも行きますけれど、税金で行きますので、これは。問題は、税金で行きますので、本当に実のあることをやらないといかん。それに対して、もっと名古屋市は決然と戦っていかないといかんですわ。面白いまちになるように。というふうに感じますよ。

 

 名古屋の方も、ようけそう願っています。どえりゃあ面白うしてちょう、名古屋を、河村よと。こういうのが、名古屋市民の大変大きな声です。ということをつくづく。

 

 エアポートセールスに行ってまいりまして、いろいろ訳の分からん英語でしゃべって回りますが、やっぱり肝心なお客さんが来て楽しむところをつくらないといかん。ということがメーンだということを忘れんようにしないといかんです。

 

 と、力んでおきます。一応。嫌われながら。こういうことを言うと嫌われる。ということです。以上です。

 

質疑応答

◎名古屋市の東日本大震災に対する支援と防災への対策について

(記者)

 今日、震災から4年ということで、あらためて名古屋市としてどういうことができるのかということと、名古屋市を今後、防災を高めるためにどうしていくか、そこら辺をお聞かせください。

 

(市長)

 まず、3月11日から。マーチ・ディザスターと言いますけれど、3月の悲劇から4年たちますけれど、ほんでも、名古屋としてはええことができたんでないかなと、そんなふうに、正直、思っております。

 

 これは、繰り返しますけれど、3月20日ぐらいだったかな。もうちょっと過ぎとったか、すぐでしたけれど、市長室にみんな集まりまして、どういう応援ができるかなといって、みんなやっとったときに、ある役人さまが、「市長、大名古屋だでいろんなことができる」と。

 

 ミニ市役所というのは僕が名前を付けとるんですけれど、ミニ市役所のようなものをつくって、それこそ福祉から、税金を集めたり、住民票を発行したり、水道やいろんなもの、消防もありますから。どこかを決めて、継続的にね。

 

 国から言われるのはやりましょうと。それはやるんだけれど、「継続的に応援すると、どえらい喜んでもらえると思いますよ」という話があって。

 

 「そんなこと、どこかやったことがあるか」と言ったら、「いや、ないです」と。「だけど、市長はいつも、『日本で初めてのことをやれ』と言っとるがね」ということで、「どこへ行くんだ」と言ったら、自分らで探してくるわということで。何人だったかな、車に乗りまして、ガソリンか何かを車に積み込んで。

 

 それで、何といっても岩手が大変だということで、岩手へ出掛けられて、帰ってきて、「市長、回ってきたけれど、陸前高田市を応援しましょう」ということが、その初めだったね。

 

 それから行っとるうちに、(陸前高田市の)中学生が修学旅行に行けんで悲しがっとるで、ぜひ名古屋に招待して、励まそうじゃないかと。笑顔の1つでもプレゼントしようじゃないかと。これも市の職員から声が出まして。「お金はどうするんだ」と言ったら、「お金は寄附でやる。市長はいつも言っとるじゃないですか」と。「そう簡単に集まらんぞ」と言ったら、「いやいや、やってみないといかん」ということで。

 

 これは大変、3000万円を超えたお金ですけれど、いわゆる大企業から、ないし財界というものはありません。全部市民の皆さんの寄附で成り立っておりまして、これは本当にありがたかったですけれど、それで陸前高田の中学生が来て、広友関係がつながったということで。今、交換、エクスチェンジになっておりますので、大変ええんでないかなと。

 

 今日の新聞にも出ておりましたけれど、名古屋市の、名(古屋)市(立)大(学)の中で、看護師さん(看護学部)の特別枠(陸前高田市枠)をつくりまして、女の子が。戸羽(陸前高田)市長に言わせると、「みんな、えらいあか抜けしちゃってよ」とか。「よ」とは言いませんでしたけれど、そういうふうに、女の子なんかが希望をもって東北の医療のためにね。ずっと名古屋におってもらってもいかんで、東北で、ぜひ東北の医療のために貢献してもらうとありがたいなという関係も始まっとるし。

 

 商売のつながりもいろいろやっとりまして。友好都市になってきたということで、これも名古屋市民の皆さんのご理解があったからこそですので。国からのいろんなお金も出ておりますけれど、やっぱり名古屋市民の皆さんの市民税の負担もその中に入っていますのでね。ありがたかったなということで、あらためて名古屋市の市民の皆さんにお礼を申し上げたいと思います。

 

 それはつくづく思いますよ。本当にええことができたなと。こんなことは一生にないですよ。感謝されるというのは。陸前高田へ行くと、関係ないのに「ありがとう」と言われますので、「いやいや、わしじゃないですから」と言っていますけれどね。

 

 ぜひ、名古屋市民の皆さんも陸前高田市へ行かれまして。今行きますと、ホテルもきれいなのができましてね。山の上に。ちょうどまず海が見えますから、広田湾が。そこで、カキの養殖のいかだなんかが見えますのでね。やっぱり自然の恵みというやつが見えますわね。

 

 それと同時に、最近、ベルトコンベヤーで土砂を、1つ山を切り崩して10メートル土盛りするというですね。カキの養殖の自然の恵みと、あのときの15メートルですか、という津波、自然の恐ろしさ、恐怖というか。恵みと恐怖と、それから、文明の力と。全部見えますから、今。行かれるといいと思いますので、市民の皆さんも、ぜひ陸前高田へいっぺん行ったってちょうだいということです。

 

 名古屋市としては、今回、別の局(防災危機管理局)もつくりましたし。予算で震災対策事業基金ですか、あれは。40億円か、50億円だったか。

 

(当局:45億円。)

 

 45億円、別枠の基金をつくりまして、いろいろ相当きめ細かい防災をやってまいりますと。

 

 僕が一番期待しとるのは、何べんも言いますけれど、地域の歴史ですね。これはやりかけていますけれど、古文書を見たり、地元のちょっと年を食った人に昔の話を聞いてきて。やっぱり災害は繰り返しますのでね。昔、ちょっとした小川でもあふれたことがあらへんかと。裏山の、ぱっと見る、単なる、里山までいかんちょっとした丘でも、土砂崩れがあったんでないかとか、そういうことを知ることを相当熱心にやっております。あれはいつごろまとまるんだ。

 

(当局:発表させていただくのは来年ですが、今年度中にはデータをまとめたいと。)

 

 一応の。今年度中で、鶴舞図書館を中心としてやっとりますので、どうぞご期待をいただきたいということです。

 

 自分は大丈夫だとみんな思っとらっせるもんで、災害は。わしは大丈夫だといって。これがいかんもんですから。それと、やっぱり繰り返しますので。地震でも、明治24年だったと思いますけれど、濃尾大震災か。濃尾大地震、濃尾大震災。

 

(当局:濃尾地震です。)

 

 濃尾地震。あれは、内陸部の史上最大の規模の地震だと言われておりまして。私も行きましたけれど、根尾谷に行きますと、記念館があって。断層が、今緩やかになっていますけれど、断層を車で通ることができますので、行っていただくとありがたいということで。

 

 あのときの地震に、ただ残った建物が鳥久の建物だと。実はですね。大変なことですよ。ほとんど、めちゃくちゃになっていますから、名古屋市内も。空襲と濃尾震災というのは、この地区の人災と天災の最大の悲劇が起こっとったということで。生き残った建物を失ったということは、誠に申し訳なかったということです。

 

 それから、先ほど言いましたように、もうちょっと、公助というか、役所がやらないといかん。まあ、今の身近なことも災(害)対(策)なんですよ、実は。

 

 言いましたけれど、伊勢湾台風の話がいいんじゃないですか、やっぱり。伊勢湾台風を忘れないと、名古屋はですね。これを風化させないということが、僕は基本的に一番重要だと思います。なぜかといったら、(潮位は)30センチ下ですから。地震の液状化とか、堤防が崩れるのは別として。

 

 だから、ぜひ皆さんもいろんなところで報道していただいて、伊勢湾台風級が来たときに、堤防の中に水を1滴も入れない名古屋というのを目指すことが大事だと。決然としたそういう決意を持ってやれば、1人も犠牲者を出さずに済むのではないかと言っておりますが、地震はちょっと別ですから。地震で倒れてきて、家の中で家具で下敷きになる場合もありますので。ということです。

 

◎人事院への申し入れについて

 もっといろいろ、ええですか。こないだうちの、何ですか、人事院勧告の問題はええですか。まあ、ええですか。あれは、この間も言いましたけれど、ちなみに私はノーアポ(面会の約束無し)では行っておりません。ちゃんと裏を取っていただければ。

 

 秘書官室に電話をかけまして。人事院総裁だもんで、僕は自分でかけたんですわ。やっぱり役人さまに電話をかけさせたら失礼なもんで、わしがかけて。「まあ、今日のことだで、無理な場合はどなたかご対応いただけますか」と言って。「5時40分の新幹線で着きますので、6時過ぎで、どなたかご対応を。どなたでも結構ですから」と言って、行きましたのでね。

 

 何か、突如として現れたとかいう話がありますけれど、ちゃんと、人間の最低の常識は心得ておりますので。

 

 それと、公文書です、あの文書は。何べんも言いますけれど、公文書と、いわゆる行政文書というのは異なっておりまして、行政機関ないし公務員が処遇に関して作る文書を公文書と言うんです。

 

 ですから、皆さんに相生山のやつを配りましたわね。あれは公文書です。あれは、だけど、庁内で決裁は取っておりません。あれは、立派な公文書です。ということで、公務に従って行ってきたと。

 

 わしはかねがね、いわゆる今の人事院勧告の、主にホワイトカラーばかりだと、こう言われておりますし、それから、1事業所50人以上のところだけを基準にするのはおかしいと。ないし、それから、非常勤はどうなるんだと。民間はどえらい多いけれど、非常勤も入れるべきではないかということで。

 

 本当の民間並み給与と言うなら、国税庁の、あれ、賃金センサスと言うかどうか知りませんけれど、厚生(労働)省のやつは割と賃金センサスと言いますけれど、厚労省でもいいんですけれど、国税庁のが広いと言われておりまして。それを基準にすべきだと。

 

 ないし、はっきり、公務員の給与は民間の優良会社並みであるということを言うべきだと。民間並みという給与と言って、民間並みと違うことはおかしいじゃないかと、かねがね言っておりましたので、その旨、申し入れをしてきたということです。

 

 今、人事院が言っていましたけれど、やっぱり国会の方でも議論になっとるらしいですから。というお話がありましたので、むしろ言ってくることが大事なんですよ、やっぱりこれは。

 

 あまり単独のことを言ってはいけませんが、今日も某尾張旭市で某活動をしておりましたら、ある喫茶店のおやじが、「いやあ、わしらからするとありがたいよ。河村さんがああやって言ってくれるのは」と言っていましたよ。喫茶店のおやじが。うそだといかんというなら、個別だったらお名前を言いますので。うそではありません。

 

 しょっちゅう言っとるけれど、公務員は公務員で立派かどうか知りませんけれど、やっぱり納税者の代表者というのか、そういう立場でいう、政治をやる者が出てこないといかん。もっと、本当に。ラーメン屋のおやじがニコッと笑う時代をつくらないかんのです。わしは自分でそうやってやってきたもんだで、理論というより体験の中から、それがわしのレーゾンレートル(存在理由)だと思って力んどるんだがね。本当に。という話ですわ。

 

 今や、中小企業や零細企業は、毎日銀行のために生きとるようなものでね。大変ですから。本当に。ということですわ。ですから、まあ、そういうことでして。何なんだということですわ。

 

 本当は、政治部門というのは、公務員の代弁をするというのは、やってはいかんとは言いませんけれど、どちらかというと、いまだ団結せざる納税者のために頑張るというのが本来の姿ではあると思いますよ。やっぱり権力がありますので、徴税者は。どうしても肥大化していくんですよ。それに対して「ちょっと待て」と言うのが、私は、仕事だと思って。

 

 わし、実際、体験してきたもんで、零細企業を。それで、力んどるんですわ。だけど、孤独だわな、正直言って。非常に。実は、今日の朝の尾張旭の喫茶店は、味方です。おやじは。だけど、おらせんもの、こういうところに。残念ながら。

 

 マスコミは違うか。マスコミはどっちですか。分かりませんけれど。これは分かりませんけれど。特にテレビ局は、若干給料がええと言われておりまして。それはそれで、これはまた別問題ですけれど。

 

◎SLについて

 というお話と、それから、SLはずっと言ってきましたで、自分から言いますと、先ほどもちょっと話に出たけれど、エアポートセールスでもそうだけれど、本当に名古屋のまちは、みんなで何とかして面白くしないといかん。ようけの人が来て、降りてもらえるように、ここで。名古屋のまちで。ただ偉大な乗換駅で終わってまって、さようならでは、いかんですよ。

 

 そのためには、相当なエネルギーを注がないといかんのですよ。それは、蒸気機関車も、SLもそうだし、それから国際展示場もそうだし、名古屋城の天守閣もそうだし、1000メートルタワーもそうだし。そう思っとるんですけれど、まあ、いろいろね。

 

 今のところ、僕は、いろいろなところで、朝、わあわあやっていますけれど、「SLをやめろ」といって僕に声を掛けた人はゼロです。これが事実。「おい、機関車を走らせろよ」と言う人は、ようけおります。今のところ、そういう人しか話し掛けんのかも分からんけれどね、わしに。分かっとるで。けんかになるといかんで。

 

 だけど、それが名古屋駅から出ていけば、もうかりますよ。はっきり言いまして。ものすごい人が乗ります。この蒸気機関車に、という。

 

  これも繰り返しておりますけれど、子どもで好きな人が多いでね。汽車ぽっぽは。がきんちょが。新幹線に乗って、すぐ横に見えますので、「じいちゃん、あれ、今度乗せて」と言って。そうすると、じいちゃんが、「いや、いかん、今日はちょっと京都まで行くで。今度来たときに乗せたるわ」という家庭の温かい会話が、ようけ繰り返されますに。名古屋のまちで。そういう温かいまちにしないといかん。イメージを持って。ということを力んでおりまして。

 

 前途多難だと書いてあった記事もありますけれど、それはそれで。いろんな多難を克服しながら、子どもさんやじいちゃんが喜ぶまちにしますよ。名古屋を。名古屋駅をね。

 

 言わないといかなんだけれど、名古屋駅の構想の1つなんですよ。僕は。何べんも言っていますけれど、まだ正式に組み入れられとらんけれど。

 

  リニア新幹線は地下だけれど、これからホームの改造をするわけでしょう。これから全体に、ダッと。そのときに、1つレトロホームを造ろまいといって。昔の。昔の木や何かや、赤帽さんがおってもええし。

 

  そこに、蒸気機関車なり、普通の電車でもいいですよ。特急とか、ああいうのでもええですけれど、できればB6だとかね。B6なんて、世界に1個しかありません。ドイツ製の。まさに名古屋が持っとる宝ですわ。

 

  とか、デゴイチ(D51形蒸気機関車)もありますし。近所に827号という、最後、中津川まで走っていった、さよなら運行をやった記念号があります。ものすごいええ保存状況で。名古屋すぐ近郊にあります。

 

 それから、12号なんかも、本当はええけれどな。名鉄の、明治村で持っとる。あれは明治村ですので、なかなか勝手には言えませんけれど、でも、週に、月に何日かぐらいは走って、明治村の宣伝をしてもいいしね。いっそのこと、通れんかと言っとるんですけれど。あと2キロらしいですけれど。あれは、「汽笛一声新橋を」の、日本の蒸気機関車の中で、今や動いとるので一番古いやつです。

 

  1号というのがあるけれど、東京にありまして。もう外観も変わっとりますし、動きませんので。すぐには、ゆっくりしか走れんけれどね。ちょっと直さないといかんですけれど。とかね。

 

 そうすると、名古屋駅というものが、ものすごい深みのある、人情味のある、世界の人たちが集まってこられる駅になると思いますよ。ピッカピカのものばかりで、何なんだといって。乗り換え至便も大事ですけれど、very good station for transferということだけではいかんわね。

 

 そういう気持ちでよ。わしの力がないか知らんけれど、もっと市役所全体で、喜んでもらおうと、名古屋のまちを、というふうに本当にやらないといかんです。そういう気持ちにならないと。

 

 そういう部署が、残念ながらないね、今。ありません。部長に言っても、それはあれですけれど、なかなか日々の、文化小劇場の天井が落ちてこおへんかとか、そういうことを心配しないといかんもんでという話になるんですね。だで、私がうなっとるということです。毎日。ということです。

 

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市長室広報課報道係
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