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それでは、2月2日(月曜日)ということで、会見を始めたいと思います。皆さん、おはようございます。
本日は、名古屋市博物館で編集し、日本初の刊行となります「豊臣秀吉 文書(もんじょ)集」について、ご報告をいたします。関係者が入ってまいります。学芸員という方ですか。
(当局:はい。)
そうですか、はい。
名古屋市博物館では、名古屋出身の天下人、豊臣秀吉の調査を進めまして、日本初となります、全ての秀吉の手紙と命令書を集めた資料集の編集を目指してまいりました。このたび、名古屋市博物館編「豊臣秀吉 文書集」第1巻を発刊いたします。
これまで、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の中で、秀吉の文書集だけが刊行されていませんでした。伝えられている秀吉の文書は膨大でして、現段階で確認されているものが約7,000通、今後さらに増加すると見込まれておりまして、その全容の把握が困難なためでした。
そうした中で、文書集の編集によって、さまざまな情報の収集、ネットワークの構築が進むことで、名古屋市博物館が全国をリードする“秀吉研究センター”となる基盤としたいというのが、この研究の出発点です。
平成24年度に、名古屋大学名誉教授の三鬼清一郎(みきせいいちろう)氏をはじめとしまして、秀吉研究の第一人者8名の協力を得まして、文書集の編集会議を立ち上げました。これらの膨大な文書を、文書の一番早いものから没年までの34年間を通じまして見ることができるよう、年代順の編さんに取り組んでまいりました。
膨大な文書は、日付だけで年号の書かれていないものが非常に多く、文面から年代を推定する作業が必要で、困難を極めましたと。これはえらいことですわね、なかなか。全部分かったんですか。大体は。
(当局:分からないものもあります。)
分からないものもありますか。今回発刊の第1巻では、永禄8年(1565年)から天正11年(1583年)まで、秀吉が信長の武将として頭角を現し、賤ヶ岳の合戦を経て、信長の後継者としての地位を確立するまでの文書945点を活字化して、収録いたしました。
なお、発行は吉川弘文館、第1巻の販売価格は8,000円(税別)ということでして、本日より大手書店・名古屋市博物館ミュージアムショップなどで販売をいたします。今後、全9巻を順次発行してまいります。
この文書集が出発点となりまして、秀吉の新たな人物像が生まれるよう願っております。そして、名古屋市博物館では、この事業で収集したデータを生かし、今後の秀吉研究の中心的な役割を担うとともに、本当にやってちょうよ。中心的な役割を担うと言ってござるで。
(当局:はい。)
名古屋出身の秀吉をアピールしてまいります。ということですので、ここで職員の皆さんからアピールをお願いします。
(当局:このような資料集は、中を見ていただくと文字ばかりで、一般の方にはなかなか読めないといったものですが、研究の一番基となるものがこの文書です。一般的に、伝記だとか、合戦記だとか、読みやすい、分かりやすいものが引用されて使われてきているのですが、そういったものは、江戸時代の学者の目を通した見解が述べられているのであって、一番大本はこういった文書に戻るわけです。
こういったものを一次資料と言っておりますが、今、これを出すことによって、秀吉研究の出発点になると考えております。これを出すことによりまして、名古屋市博物館の方に全国の情報が集まってくることを期待しております。そういった意味で、先ほど市長が言われたように、センターとなっていきたいと思っております。以上です。
秀吉は、名古屋で、7歳か8歳ぐらいまででしょう。おったのは。
(当局:はい。外へ出てしまって、地元に貢献度が薄いとか言われているところもありますが、この名古屋、尾張をとても大事にしておりまして、おいの秀次を領主にするというようなことをしております。)
江戸時代に、尾張徳川家といいますか、なかなか厳しいご沙汰で、秀吉の住んどった中村の辺のところだけ増税したという話がありますわね。人が住めんようにしたという話があるんですね。
(当局:そういったことが文書で確認できると、一番確実だと思いますが、今のところ、まだそういった文書は。)
まだうわさですか。
(当局:はい、見つかっておりませんので。)
うわさでと。秀吉は、自分でいっぺん減税したようですけれどね。小田原の役の後だったですかね。戻ってきまして、誰か、助けてもらったんでしょう。あれは、確か、尾張の人に。だから、中村の辺だけ減税して、庶民の生活を楽にしたと。だけど、その後、朝鮮の出兵のときに、あまり助けにこなんだで、その減税分を「あかん」といってやめてまったらしいということは聞いておりますけれど。
(当局:今後、そういったところは確認できるといいなと思いますが、年貢は一般的には、平均で、というか、それぞれの領主が決めることですので、秀吉が全国の年貢を決めるということはなかなか難しい部分です。)
なるほどね。しかし、あまり言われませんが、秀吉の部下といいますか、黒田官兵衛、それから有名な加藤清正とか、それから福島正則。部下といいますか、仲間といいますかですね。それから、確か池田もそうじゃなかったかな。確か。
(当局:池田恒興。)
ええ。それから、高知の大名だ。何だった、あれは。
(当局:山内一豊。)
あれは、どえらい。当時は、京都は有名でしたけれど、あとはどえらい格差があったんでしょう。日本の社会というのは。
(当局:そうですね。経済的には、尾張の方でも、津島とか熱田は、廻船の関係で富んではいたのですが、全般的には京都より低いということで。)
日本国中でね。それをずっと持ち上げたのは、この秀吉さんが自分の部下なり仲間をずっと日本中に出してね。偉いもんですよ、なかなか。その割に、江戸時代の間にぼろかすにやられましてですね。名古屋を大いに盛り上げないといかんなと。秀吉さんのね。それから、前田利家もそうですけれど、と思っとりますけれどね。福島正則ね。
(当局:秀吉の家臣が全国の大名となって分布していきますので、そういった点では、名古屋が出発点となった大名が多いということだと思います。特に西国の方ですね。秀吉の家臣については、徳川の譜代ではありませんので、西国の方にやられて、徳川の譜代は、関東からこの中部にかけて配置されるということになります。)
なるほどな。昨日、一昨日、京丹後市というところへ行ってまいりましてね。いわゆる、丹波の向こうですけれど。京都府の一番北ですわね。あそこへ行って、言葉が似とるというもんでね。名古屋ことばと。これはちょっと、中山市長が来て、この間、会見か何かされて、その後、教育長が。わしは、1時間ぐらいしゃべってちょうというもんで、いろいろ話してきましたけれど。
教育長がしゃべったけれど、本当に似とりますね。「どえりゃあうみゃあ」とか言いますよといって。あんた、名古屋の出身でないかというぐらいなんだけれど。
どうもあれを見とると、わしは、明智光秀が、あれは岐阜の人だもんで。もともと、可児市の明智で。あれは丹波ですけれど、あと、娘の細川たまさん、細川ガラシャさんが、丹後に幽閉されとるんだわね。非常に善政を敷いたと言われとって、その地域の言葉をどえらい大事にするような方ではなかったかと。
だで、その辺のことが残っとるんでないかということを言いましたら、京丹後の市長が、「いやいや、河村さん、秀吉はもともと京丹後の生まれなんだ」と言いましたけれどね。それはなかなかダイナミックなあれで、それは議論するとええわなということになりましたけれど、どうですか。そういうお話は。突然ですけれど。
(当局:京丹後で生まれたという説は、あまり聞いたことがないのですが、秀吉はいろいろなところにゆかりを持つというのですか。後の人が秀吉にあやかって、来たとか、ここのところで何とかしてくれたといういろいろな話を作っている地域も多いです。そういう点では、徳川の時代で嫌われていたとか、そういったところはもう1回見直す必要があるのではないでしょうか。)
そういうことですね。ぜひ尾張は、秀吉をもう1回見直そうという動きを、いっぺんちゃんと、あんたのところが中心になって、やっていただくと。こんな、何千通もあるんですか。秀吉は。
(当局:はい、7,000通あります。)
7,000通ですか。
(当局:信長は、途中で、本能寺の変で死んでしまいますので、中国地方ぐらいまでが領域だったのですね。秀吉は、それを全国まで広げたということがあります。家康は、秀吉が死んでから天下人になりますので、自分の領国内、領土内だけに出している時代が長かったものですから、そういう点では少ない。秀吉は7,000通、家康は3,700通、信長は1,400通という数が、今、挙がっております。)
信長は、でも、本当に書いたと思われるのは1通か2通しかないと言われとるでしょう。確か。
(当局:基本的に手紙を自分で書くというのは、とても少ないわけですね。右筆(ゆうひつ)という人がいて、書記役ですね。そういった方がいて、手紙を言われたまま書いて出していると。「こう書いておけ」と言われたら、「はい」と書いて、出すということです)。
それでは、どうも。ここでご質問があれば、せっかくですので。ええですか。
(当局:はい、ありがとうございました。)
ありがとうございます。
ということで、以上ですが、前に、この間の人事院の給料の問題を、人事院と人事委員会に申し入れをいたしましたので、プリントを、その現物を配りますので。
お手元に届いとると思いますけれど、前、お約束したとおり、1月中に名古屋市人事委員会ならびに国の人事院に申し入れをするということをやってまいりましたので、ただ今。文書の内容は同じですけれど、宛先が名古屋市の人事委員会と国の人事院ということです。
名古屋市人事委員会は、委員長に直接お渡ししました。国の方は、給与局長さんに、彼が責任者ですけれど、お渡しをしてきたということです。
一応、フルスピードでちょっと読みますと、「『人事院勧告が行う民間給与の調査方法について』の要望書。1月29日、名古屋市長河村たかし。人事院勧告では、情勢適応の原則(国公法28条1項)に基いて、国家公務員の給与水準を民間企業従業員の給与水準と均衡させることとしている。給与水準の均衡については、公務と同種、同等の民間を比較するというラスパイレス方式がとられている。しかしながら、この比較方法では、以下のような問題点があるので、是正を要望したい。
まず、現在の調査では、調査対象者の職種が極めて絞られている。すなわち、公務員と同種の仕事と比較するために、『事務系職種』に絞っているが、それでは事務系職種以外の仕事はすべて除外されてしまい、その結果としてホワイトカラーのみの水準となってしまっている。
また、調査対象者の事業所規模が絞られている。すなわち、調査対象の事業所は『企業規模100人以上、かつ、事業所規模50人以上』に絞られており、事実上多くの中小企業が除外されている。その結果、民間の給与実態を正しく反映しているとは言いがたく、実態は『民間エリート』との比較になっている。
さらに、調査対象者が『正社員』に絞られている。すなわち、調査対象は、正社員のみに絞られているが、民間の実態は、労働者の4割が非正規社員が占めており、現調査では民間の給与実態を反映しているとは言いがたい。
本来、公務員は全体の奉仕者であって(憲法15条)、その待遇も国民全体の中で考えるべきものである。納税者が納める庶民の税金によって、公務員の給与はまかなわれるという大原則に立ち返ると、公務員の給与は『納税者準拠』であるべきである。したがって、今後は、納税者の実態調査として国税庁が行っている民間給与実態調査の平均値をもって、基準とされたい。」
ということで、文書は、国への提出も中身は同じです。という申し入れをしまして、検討しますよというような返事でした。それぞれの、今の基準での、いろいろおっしゃられましたけれどね。勤務の年数が公務員は長いから高いんだとかですね。そういうのも、鶏か卵になりましてですね。結局。
一番の精神は、僕もしょっちゅう言っていますけれど、民間並み給与と言うなら、民間並み給与でやってくださいと。準拠するなら。こういう条件を付けてやるということは、公務員というのは、いわゆる庶民の、納税者の庶民としての平均に準拠しとるんではなくて、いわゆる大企業、それから優良企業並みの給与に準拠していると。
正直に言ってもらえばええですよ。わし、別に。俺らは試験に受かったんだ、河村さんがやってきたような零細企業と違うんだというふうに、ちゃんと堂々と言っていただければ、それはそれでいいです。いいということは、中身もええという意味ではありませんけれど。それはそれで議論が巻き起こると思いますけれど。
だけど、問題点がはっきりしますわね。そうなりますと。ということがありまして、私はかねがねこういうことは申しておりまして、この際といいますか、きちっと申し入れをさせていただいたということです。
私からは以上です。
なし
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