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平成26年10月27日 市長定例記者会見

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このページを印刷する最終更新日:2022年1月21日

ページID:64318

報告事項

  • 「オレンジリボンキャンペーン2014」の実施について
  • 市長の海外出張について
  • 「歩こう!文化のみち」の開催について
  • 菊井中学校生徒会による「菊中商店」の出店について

会見動画

報告内容

◎「オレンジリボンキャンペーン2014」の実施について

 10月27日(月曜日)の会見を始めたいと思います。おはようございます。本日は、3点ご報告をいたします。

 

 まず第1点目は、「オレンジリボンキャンペーン2014」児童虐待防止推進月間の取り組みについて、ご報告をいたします。

 

 バックボードが、児童虐待防止のシンボルマークに変わっております。オレンジリボンのデザインに変わっております。

 

 名古屋市では、昨年4月に施行しました「名古屋市児童を虐待から守る条例」におきまして、毎年5月と11月を「児童虐待防止推進月間」としております。また、同じく毎年11月には、厚生労働省・内閣府の主唱による「オレンジリボンキャンペーン」が全国的に実施されておりまして、本市でも、児童虐待防止のPR活動を実施しております。

 

 今年度の主な取り組み内容といたしましては、今週11月1日(土曜日)午後1時から名古屋テレビ塔1階タワースクエアにおきまして、「オレンジリボンキャンペーン2014 in名古屋テレビ塔」を開催いたします。

 

 イベント当日は、児童福祉に関わりの深い方々、約100名が参加し、市内合計12区間・延べ50キロにわたりまして、たすきリレーを行います、「子ども虐待防止オレンジリボンたすきリレーNagoya 2014」のゴールセレモニーや、今年5月に「なごやオレンジリボン広め隊」に任命されましたOS☆Uのステージイベントなどを行う予定です。

 

 また、翌11月2日(日曜日)には、瑞穂陸上競技場で行われる名古屋グランパスの公式戦におきまして、名古屋法務局や愛知県人権擁護委員連合会の皆さんと一緒に、児童虐待の防止や子どもの人権を守るためのPR活動を実施いたします。ぜひ取材いただきますよう、よろしくお願いいたします。

 

◎市長の海外出張について

 2点目は、私の海外出張について、ご報告いたします。

 

 10月30日(木曜日)から11月5日(水曜日)までの間、フランス・ランス市、ベルギー・ブルージュ市およびアントワープ市へ出張いたします。

 

 主な予定といたしましては、ランス市長を表敬訪問するとともに、昨年10月に名古屋市美術館と友好提携に関する覚書を交わしましたランス美術館を訪問し、より一層の交流促進に努めてまいります。

 

 併せて、名古屋港の管理者としまして、ベルギーでブルージュ運河を視察する他、姉妹港であるアントワープ港湾公社への表敬訪問、および港湾視察を行う予定です。今回の訪問を通じまして、皆さんとの友好関係を深めてまいりたいと考えております。

 

◎「歩こう!文化のみち」の開催について

 3つ目は、第15回目となります「歩こう!文化のみち」開催についてです。

 

 名古屋市では、名古屋の近代化の歩みを伝える歴史的な遺産の宝庫ともいえる名古屋城から徳川園に至る地区一帯を「文化のみち」として、貴重な建築遺産の保存・活用を進めております。

 

 11月3日(月曜日・祝日)ですが、ちなみにこれは私の誕生日ですけれど、晴れてか何か知りませんが、66歳になりました。11月3日(月曜日・祝日)の文化の日には、「文化のみちスタンプラリー」を開催いたします。スタンプを5つ以上集めた方に、「歩こう!文化のみち」オリジナルクリアファイルなどをプレゼントいたします。

 

 歴史的建造物の公開では、先日、文化審議会が国の重要文化財に指定するよう答申されました名古屋市庁舎、愛知県庁舎などを一般公開いたします。さらに今回は、建中寺の庭園を特別に開放していただきまして、普段見ることができない国登録文化財「徳興殿」を庭園から間近にご覧いただけることとなりました。

 

 また、11月は、3日の文化の日以外にも、「ゆっくりじっくり文化のみち」と題しまして、秋の文化財特別公開や文化財ガイドツアーを実施いたします。

 

 イベントの詳細につきましては、「歩こう!文化のみち」公式ホームページや公式フェイスブックをご覧ください。11月は、文化のみちエリアに何度も足をお運びいただきまして、名古屋の歴史と文化を感じながら、秋の日を満喫していただきたいと思います。

 

◎菊井中学校生徒会による「菊中商店」の出店について 

報告は以上ですが、今日は、スペシャルイベントといたしまして、名古屋市立菊井中学校生徒会による「菊中商店」の出店と、その収益による陸前高田市への寄附につきまして、お話をさせていただきます。

 

 11月3日(月曜日・祝日)に栄のオアシス21で開催されます「西区もーやっこお菓子まつり」の会場におきまして、菊井中学校生徒会が「菊中商店」、菊井中学校の「菊」と中学校の「中」ですが、「菊中商店」を出店いたします。

 

 菊井中学校の学区には、全国でも有数のお菓子屋さんの町、「新道」という、「新しい道」ですね、「新道」がございます。「菊中商店」におきましては、地元のおいしいお菓子を販売する他、陸前高田市の名産品を販売すると伺っております。

 

 その収益によりまして、これまで交流を続けてまいりました陸前高田市の仲間たちや仮設住宅の皆さんに「がんばっぺし菓子」を贈りまして、友情の証と夢を届けられるというものです。

 

 本日は、菊井中学校の校長先生と生徒会長さんにお越しをいただいておりますので、ぜひPRをお願いしたいと思います。どうぞこちらにお越しください、ということでして、はい、やってまいりました。

 

 まず、このおとっつぁんが校長先生です。こちら側が生徒会長さんですので、では、PRをしていただくということで。

 

(校長:では、口火を切らせていただきます。皆さん、おはようございます。菊井中学校の校長です。今、市長さんからご紹介がありましたように、11月3日、オアシス21で、菊井中学校生徒会が「菊中商店」、駄菓子屋さんを出させていただきます。

 

 3坪ほどの小さなお店ですが、子どもたちの夢がいっぱい詰まっております。菊井の学区にある新道、お菓子屋さんの良さを伝えたい、陸前高田の仲間たちに夢を届けたい、お菓子を贈りたいんです。そして、何とか中学生が、自分たちでも社会のために何かをしたいという夢。いっぱい詰まっておりますので、子どもたちの夢の実現のために、どうか皆さん、後押しをよろしくお願いいたします。では、生徒会長、バトンタッチ。)

 

(生徒会長:前期生徒会会長です。11月3日に栄のオアシス21にて開催される西区お菓子まつりに、私たち菊井中学校は、「菊中商店」として駄菓子屋さんを出店します。「菊中商店」では、全校生徒全員で袋詰めをした、こちらのお菓子袋を100円で売らせていただきます。)

 

 もうちょっと。せっかくだで。テレビによ、そうしょっちゅう出してもらえんで。人生の中で。

 

(生徒会長:ぜひ市民の皆さんにこのお菓子袋を買っていただきたいのです。なぜなら、このお菓子を売って得たお金で、陸前高田で頑張っている中学生の仲間たちや、今も仮設住宅で暮らしている方々に、このお菓子袋を贈り、励ましたいからです。私たちの夢を応援する意味でも、ぜひこのお菓子袋を買っていただきたいのです。

 

 私たち菊井中学校は、お菓子のまちである新道にあります。だからこそ、お菓子のまちに住む私たちだからこそできる方法で、陸前高田の皆さんに夢や希望を届けたいのです。ご協力のほどを、よろしくお願いいたします。)

 

(校長:よろしくお願いいたします。)

 

 はい。

 

(校長:ありがとうございました。)

 

 いやいや。もうちょっとおれ。せっかくだで。質問があるし。なかなか優等生な感じで。

 

(生徒会長:ありがとうございます。)

 

 いやいや、なかなかご立派な方で。成績もええんじゃないかな。

 

(生徒会長:いや、ちょっとそっちの方は。)

 

 別かね。内緒ですか。それはそれは。まず、ほんだで、これを売って。段取りからすると、何。これを、オアシス、栄のあそこで、幾らですか。これは。

 

(生徒会長:これは100円です。1袋。)

 

 100円で買ってもらってですね。あんたが今言ったように、お金でなくて、これそのものを陸前高田へ持っていくわけ?

 

(生徒会長:はい、このお菓子を届けて励ましたいという。)

 

 ということは、買うということだで、このものは市民のところへ行きますけれど、名古屋市民のところへ。同じ量だけ、もう1回、仕入れて。新道のお菓子屋さんから。それを、現物を持っていくと。

 

(生徒会長:はい。)

 

 なるほどね。そうすると、仕入れというか、その辺がご寄附になっとるということか。

 

(生徒会長:はい。地域の皆さんの。業者の方々に。)

 

 その辺を言っといた方がええぞ。ちゃんと。どういうことでこういうことができるかということを。

 

(生徒会長:このお菓子をご協力いただいた方々、ありがとうございました。)

 

 もうちょっと雰囲気を出せ、せっかくなんだで。

 

(校長:地元の企業が11社、陸前高田も3社、ご協力いただいて、協賛品ということで、ただでこれを頂きました。それを袋詰めしたり、陸前高田の名産品ということでお売りして、そのお金でまたこのお菓子を仕入れまして、贈りたいと。また、その他にも、独自の、オリジナルお菓子というのも作りまして、「がんばっぺし菓子」と名付けて贈りたいと思っております。)

 

 なるほどね。これが、何人ぐらいで売るの。

 

(生徒会長:当日ですか。)

 

 当日。

 

(生徒会長:当日は、20人ぐらいずつで売っている予定です。)

 

 女の子も来るわけだ。

 

(生徒会長:はい。)

 

 女の子もな。

 

(生徒会長:はい、来ますね。)

 

 なるほど。いっぺん、「いらっしゃいませ」ってやってみやあ。ここで。

 

(校長:いらっしゃいませ。)

 

(生徒会長:いらっしゃいませ。)

 

 ということです。「いらっしゃいませ」。

 

(校長:ちょっとやってみようか。今の、市長さんの。いらっしゃいませ。)

 

(生徒会長:いらっしゃいませ。)

 

 そういうふうで。手をたたいたりして。「はい、いらっしゃいませ」。

 

(生徒会長:はい、いらっしゃいませ。ああ、ちょっとすみません。ごめんなさい。)

 

(校長:まだ1週間あるでな。しっかりと。)

 

(生徒会長:はい、練習します。)

 

 もっとパワーを出してよ。ようけ買ってもらえますようにね。そういうことですが、何かご質問がありましたら、せっかくおりますけれど。

 

(記者)

 菊井中学校さんと陸前高田の中学校さんとの、そもそもの交流のきっかけみたいなものは。

 

(校長:一番最初は、名古屋市教育委員会が派遣している陸前高田の交流団という、そこに私が団長で行きまして、そこのきっかけです。それと、市長さんが丸ごと支援をしていただいている関係で、陸前高田の子どもたちがたくさん、名古屋市に来ました。そのときに、菊井中学校にも来てくれました。一緒に職場体験学習。向こうは壊滅していますので、働くところがないので、職場体験学習を一緒にしました。

 

 その後の交流会で、高田の子どもたちが、今、だんだんと目を向けてもらえないと。被災地に。忘れられるのが一番つらいということを聞きまして、私どもの生徒会、この子たちの先輩が「忘れません」と約束したんですね。その約束を何とか果たそうと、去年も円頓寺の商店街に「たかたのゆめちゃん」という、陸前高田の大きな張りぼてを飾りましたし、今年も、忘れないことを表したいと思って、この菊中商店の取り組みをしております。)

 

 大変フレンドリーな校長ですので。

 

(校長:ありがとうございます。)

 

 フレンドリー。なあ、そうだろう。

 

(生徒会長:とても尊敬していますが。)

 

 尊敬されとると言っとらっせるが。校長さん。偉いもんだな。

 

(校長:私も市長さんを尊敬しています。)

 

 何を。心にもないことを言ってはいけません。

 

(校長:子どものために、本当に目を向けてくれていますので。)

 

 それと、ポイントはやっぱり、皆さんご承知のように、菊井中学のあの辺は、新道ということで、お菓子の問屋がありましてね。名古屋の方だったら覚えとると思いますけれど、昔は袋詰めの菓子がぎょうさんあって、結婚式だとか、いろんなところで菓子投げなんかをやっとった。私らでも、よくあそこへ買いに行ったことがありますわ。袋詰めのやつを。地元のそういうものでこういう交流を図るというのが、ポイントですわね。

 

(生徒会長:はい。)

 

(校長:お菓子まつりで出店するのですが、そのお菓子まつりにも、地元は、あまり大きな企業が少ないですので、なかなか社員を派遣してまでやれないと。だったら、私どもで良さを伝えたいということで取り組ませていただきます。本当に、こういう声を上げましたら、地元の企業11社からお菓子を頂いて、これは心から感謝しています。子どもたちの夢を応援してくださることに、本当に心から感謝をしております。)

 

 それはありがたいことだね。それと、優秀な生徒会長なんかが、やっぱり、「いらっしゃいませ」とよ。そういう商売の体験をいっぺん、ものをちゃんと買ってもらうと。頭を下げないと、買ってくれへんで。威張っとっては。そういうのを体験するのは、大変にええことだというふうに思いますけれど。

 

(記者)

 陸前高田に贈る菓子というのは、どういうものなのですか。

 

(校長:基本はこれなのですが、あとは、ガムのパッケージをちょっと私どもでデザインしたり、いろいろ、あめですとか、そういうのも私どもでパッケージをデザインして、「頑張れよ」という気持ちを込めたお菓子を作って、贈りたいと思っています。)

 

(記者)

 特別に何か作るわけではなくて、詰め合わせて、そこにメッセージを入れるみたいな感じですか。

 

(校長:1つはそれなのですが、もう1つは、オリジナルのお菓子も生徒会と考えて作ります。)

 

 それは何。これからかね。

 

(校長:いえ、もうほとんどデザインもできていて。)

 

 何だ、それは。言っていかないと。

 

(校長:それは、ガムと、それから、あめですね。)

 

 2種類。

 

(校長:はい。これも、皆さんに買っていただかないと、オリジナル商品が作れませんので、ぜひ。)

 

(記者)

 その物というのは、何か書いてあるのですか。

 

(校長:はい。これが「がんばっぺし菓子」。「つなぐ絆」とか、いろいろ書いてあります。贈るときは、中にまたメッセージも入れて。)

 

(記者)

 サンプルでもらってもいいですか。写真用に。

 

(校長:はい、大丈夫です。後から、置いておきます。ぜひよろしくお願いいたします。)

 

(生徒会長:お願いします。)

 

 女の子に負けんようによ、練習をやってちょうよ。

 

(生徒会長:はい、練習してきます。)

 

 バリッとやってちょうよ。

 

(生徒会長:はい。)

 

 はい、それでは、どうもありがとうございました。

 

(校長・生徒会長:ありがとうございました。)

 

 市民の皆さん。いつだった。11月。

 

(校長・生徒会長:11月3日です。)

 

 何時ごろ。

 

(校長:10時から4時まで、開店しています。)

 

 11月3日の10時から4時ごろまで、栄のオアシスね。来ていただいて、立派な生徒会長と女の子たちが、この陸前高田のお菓子を売っておりますので、ぜひ買ったってちょうということですね。

 

(校長・生徒会長:よろしくお願いします。ありがとうございました。)

 

 サンキュー・ベリーマッチ。ありがとうございました。

 

 明日、陸前高田市の戸羽市長さんにお越しをいただきまして、陸前高田市と名古屋市の友好都市協定を締結いたしますが、こうした次代を担う若者たちが架け橋となって、両都市の発展に貢献しようとする姿は大変頼もしく、また、うれしく思います。

 

 本当に、自分で商売をやったりということでね。子どもが主体というか、お客さんというか、そういうふうな名古屋をつくっていこうということですので、大変ええことだと私は思っております。菊中のような市民レベルの交流が広がっていくことを期待しております。

 

 以上です。

 

質疑応答

◎市長の海外出張について

(記者)

 海外出張ですが、ベルギーのブルージュとアントワープの方は、名古屋港とか、何か特定の問題意識を持って行かれるのですか。

 

(市長)

 姉妹港となっておりますけれど、完成自動車の輸出が結構あるんですわ。あそこは。ドイツとか、フランスもありますけれど、ドイツですわね。今は。ベンツとBMWだ、あの辺が何台出とるか知りませんけれど、そういうようなことで、名古屋港も日本一の完成自動車の輸出港ですので、そんなところで、何ぞ勉強できることはあれへんかなと。

 

(記者)

 アントワープですか。

 

(市長)

 アントワープ。それと、あれは川の中にあるんだな。向こうのやつは。結構、川のさかのぼったところに。あの辺もなかなか面白いところですけれど。車の輸出ということは、興味のあるところですね。

 

 名古屋も、よう言っていますけれど、貿易黒字が年間に6兆円あると言っとりますけれど、重量でいきますと、完成車の輸出が半分ですので。金額でいくと、あまり言うと感じが悪いけれど、貿易黒字額の7割から8割までが自動車関連ね。部品も入れると。名古屋港はそうらしいですよ。

 

 やっぱりその自動車の輸出について、僕が直接。これは別に書いてあるわけじゃないですよ。わしが思っとるところで、行く以上は、税金で行きますので、何か成果を1つ、ちゃんと、名古屋の納税者の皆さんに分かってもらわないといかんで、何かその知恵みたいなものがあるのかどうなのかということを、勉強してきたいということです。

◎名古屋市水道給水開始100周年について

(記者)

 明日なのですが、名古屋の水道が100周年ということで式典が開かれると思うのですが、あらためて、水道が100周年を迎えられるご所感と、名古屋の水道の味が、市の内外にどういった点がアピールできると思われるかということをお願いします。

 

(市長)

 いつも思っとるのは、名古屋の水はうみゃあといって、小さいとき、みんな聞いとったがね。本当にうまかったのか、冷たいだけなのか、よう分かりませんけれども、そういう、わしらのがきんちょのうちはそうなっとって、例えば東京や大阪なんかに行ってパッと飲むと、本当に名古屋のはうみゃあなと思ったもんでした。東京や大阪の人が文句を言ってくるといかんけれど、そう言われとったもんだ。

 

 それが木曽川から延々と運ばれてきましてですね。柔らかい水ですけれどね。大変に。風呂に入るとよう分かるね。名古屋の水は。非常に柔らかいですわ。軟水で。これも、御嵩の柳川元町長が襲われたり、産業廃棄物のときにですね。あれは、木曽川のすぐそばなんですよ。産業廃棄物の埋め立て場。

 

 そういうときに、襲われながらも守ってくれたと。名古屋の水の水源ですね。ということは、非常にありがたいと。木曽川の恵みというのは、本当にありがたいもんだと。上流の皆さんに、サンキュー・ベリーマッチということが1つと。

 

 それから、大きいのは、やっぱり外債で造ったということですよ。明治時代に。金がなかったんです。本当に、あのころは。もともとは、歴史的に言うと、入鹿池でええでないかといって外国の方は言っとったらしいですね。入鹿池から取れと。

 

 だけど、当時、名古屋の立派な先輩が、誰というのはよう分からんですけれど、とにかくそうじゃないと。木曽川からちゃんと取ろまいと。金が掛かるか分からんけれど、ということを言い出して、そのお金は、上下水、どっちが先。下水の方が先だったかな。あれは、確か。あれは外債でやっとるんですよ。外国から借りたということですわ。お金を。そうでしょう。

 

 それで、今、何ですか、これは。いろいろ。それどころか、国内で金が余ってまっとるわけです。これでよく分かるでしょう。日本の財政危機だって、うそだということが。そのころは本当に財政危機で。水道もそうだし、この辺ので言えば、新幹線まで世界銀行から金を借りとるんですわ。新幹線、東名高速、愛知用水。そういう時代から、今、日本は、自分の金を使ってでも、なおかつ金利がこれだけ低いと。

 

 だから、ものすごい、庶民の皆さんは、生活が大変だで誤解しちゃうけれども、実は国にめちゃめちゃ金が余っとって。銀行に余っとる。銀行に。ということを、つくづく感じますね。

 

 今こそ、何が言いたいか分かる? 水道でもそれだけ、外債を発行してでもやったんですよ。だから、名古屋は自分のところの金でやれるんだったら、いろんな、いわゆる投資になるやつですよ。投資。変な何とか記念館といって、天下りばかり行くやつはいけませんよ。そういうのは。

 

 投資になる、名古屋城の天守閣だとか、1000メートルタワーだとか、上海級の国際展示場なんか、今こそやらないといかんのです。時代的に言えば。つくづく感じますね。それを。日本の内部の金でできるんだもの。

 

 ということですわ。本当に、この財政危機だというのが、もう日本の政治を本当に悪くしとる。地方で金が回らんようになっちゃって、結局だから、その金が。何べん言っても。聞けばええ、銀行に。本当に余っちゃっとるで、みんな国債で東京に行っとるんですよ。これが日本の中央集権の姿です。実は。水道を思うについてね。

 

 先人は偉かったと思いますよ。名古屋で、何ですか、あれ。名古屋上野のこちら側の、覚王山のところの、この間造った、記念館みたいな。あそこに置いてありますよ。起債の債券が。あれは名古屋市が発行していますから、ちゃんと。名古屋市。すごい金だったと思いますよ。予算の何倍。何だった。

 

(当局:投資は、年間、全市予算の5倍とか7倍で。)

 

(市長)

 そういうことですよ。

 

(当局:実際はもうちょっと掛かっていると思いますが。)

 

(市長)

 5倍といいますと、全市予算で、一般会計だけだって5兆円借金したことになる。当時で。今の金で言うと。それまでにして、やっぱりまちをつくっていくという情熱があったで。自分のところでやらないといかなんだね。反対に。それだけやりますと、ええまちをつくっていないといかんで、必死になって公務員が働くんです。安月給で。

 

 当時の公務員は給料が安かった。今みたいに、国からボンボカ、ボンボカ金が下りてくると、まあええわというふうになってまう。決まったことをやっていけばええわとなってまっとるということで、東京に、どんどん、どんどん水をあけられとるというのが今の現状ですわな。

 

◎久屋大通(北エリア・テレビ塔エリア)社会実験について

(記者)

 来月から、久屋大通でオープンカフェとかの社会実験をやる話ですが、リニアとかで名駅地区が注目されている中で、栄でそういうことをやるということに関して、どのようにお考えですか。

 

(市長)

 だから、栄の商売を盛り上げるということ。納屋橋の鳥久さんたちでもそうですよ。納屋橋のあの辺の商売。納屋橋から栄の方ね。どえらい重要なことですよ。必死になって取り組まないといかん。その中の1つが、いつまで言っとるか知らんけれど、大津通の中央分離帯を取らないといかん。あそこを、早う。

 

 ようけの人が言っとる。この間、商工会議所でも言われました。そのようけの人が集まってきて、楽しいことをやらないといかんです。タックスペイヤーのために、本当に早うやらないといかん。真剣になって。その中の1つということなんでね。

 

 だけど、わしはもっと大々的に、もう東西の道路を廃止して。テレビ塔の。1738メートルありますけれど、110メートル。あそこに、酒飲み解放区っていう言葉がみんな嫌いか分からんけれど、文化、芸術、それから食い物の聖地みたいなのをつくるということですわ。

 

 今日もちょっと幹部会で言いましたけれど、こういうところで言っていかないと、なかなかやれえせんでいかんけれど、今、久屋大通公園のところに何とかいう草が生えとるんだわ。木の下に。下草。あれは、聞くところによりますと、いわゆるホームレスの人たちに対する防御策だったんです。

 

 今はもうないですから。わしはもっと花でもと思ったけれど、この際、ESDってやっとるなら、あそこを市民農園にすればええがやと。全部、ダーッと。楽しいよ。

 

 野菜地区と果物地区ぐらいに分けてよ。あそこでみんな、敬老パスでみんな来てもらって、やるだがね。ほんで、どこのニンジンがうまいとか、キュウリがうまいとか、スイカがうまいとかよ。あそこでみんなで食うだわ。バーベキューでもやって。それを。そういうようなことにして、楽しむと。

 

 歴史的に言うと、あれが日本の、戦後日本で、名古屋のシンボルだったんだがね。100メートル道路が。東西にもあるけれど。100メートル道路。あのときはいろいろご批判もあったようですよ。何だと、名古屋市内に飛行場でも造るのかと言われた議論もあったようですわ。今のところ、ええということになっていますけれど、あのおかげで、名古屋市内にあるお墓を18万9000も平和公園に移転したんです。

 

 東京は、わしが今調べとるところでは3000、大阪は2000ですよ。名古屋は18万9000。だから、そういうことで造ったところですので、今度は、その時代が変わってきたもんで、反対に面白いものを造れるスペースが空いとるということですわ。ゴボッと、都会のど真ん中に。ニューヨークの、何とかいう有名な公園の方がでかいけれど。

 

(記者)

 セントラルパーク。

 

(市長)

 セントラルパークまではいかんけれど。面白いものを造るには、都会のど真ん中で楽しめるものを造らないといかんわ。早う。

 

 ポイントは、とにかく、テレビ塔の東西にあるあの道路を閉鎖しないといかんですよ。あそこで切れちゃっとるんだわ。行くのが。わしは、栄で飲んで、よう東区まで歩いて帰ってきますけれど、あそこでやっぱり動線が切れちゃうんです。

 

 戦後のこのどえらい道路と墓の移転をやってきた名古屋市のやつを、やってまったことだで文句を言っとってもしようがないで、生かすには、ええチャンスですわね。そのための1つの社会実験ということで。

 

 ちまたで言えば、飲んだり食ったりして、それから音楽がありと。市民の皆さんが集まってくる、商売が盛んになると。そういうところを造ることですわ。気取っとらずに。何ぞ、出店してちょうよ。

◎旧料理店「鳥久」について

(記者)

 今、鳥久の話が出たのですが、市長から今、解体申請の認可の保留がされていますが、あらためて考えをお伺いしたいのと、このままだと膠着状態が続くかと思うのですが、今後どういう対応を取りたいと考えておられますか。

 

(市長)

 まず先に結論の方から言いますと、とにかく、鳥久さんにおかれましては、長年ああいう。多分、江戸時代の建物ですから。多分、相当の確率で。明治17年にあったことは間違いないんだけれど、多分、頼山陽も訪れたであろう建物を今まで守りしていただいて、大変ありがたかったと。ありませんから、ああいうものは。まずそれは感謝を申し上げておかないといかん。鳥久さんにはね。

 

 僕が食いに行ったときに、仲居さんが言っとったもの。息子がよう頑張ったんだよといって。ここまで、壊さんように。商売でね。そうもうからんけれど。「そう」どころか、もうからんで、なかなか。「よう頑張ったんだけれどね」と言っていましたので、それはサンキュー・ベリーマッチということですけれど。

 

 とにかく、空襲でなくなり、それから、戦後の戦災復興でとにかく広い道路ばかり造って、古いものをぶっ壊してきたこの名古屋のまちで、もうほとんど最後の1個と言えるんですね。お寺の建物なんかはありますよ。建中寺の建物や、200年以上たったのはありますけれど、ああいう料理屋の、庶民が集まったというですね。尾張の。そういうところって、もうないんです。最後の1個で。

 

 だから、頼むで壊さんでほしいと。ということです。頼むで聞いてほしいと。わしらの話を。残してくれと。そのためには、憲法29条3項にありますけれど、「私有財産は正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる」という条文があるんです。

 

 要するに、あれがそうですわね。リニアの今度のあれですわ。収用するじゃないですか。収用じゃないけれど、買い入れて。収用というのは一番最後ですけれど、したりして、私有財産も売ってくれってやるじゃないですか。

 

 それは鉄道事業法に基づいとるんですけれど、そういうことがあってのことだと言われておりますけれど、精神はそうですから。だから、正当な補償ということもやらせていただきますし、ぜひ名古屋のために残してほしいと。

 

 あそこの納屋橋には、堀川にもう毎年70億円近く。これは市の税金だけじゃないですけれど、全体のお金で掛かっていますよ。税金が。それから、納屋橋のいろんなことについては、ちょこちょこ、ちょこちょこ、いろんなことをやりまして、ようけの税金を掛けとるんです。名古屋市の。そういうのを無駄にせんようにね。まさに欠くことのできない決定的な財産ですよ。あれは、本物ですから。

 

 坪内逍遙と芥川龍之介が来たということは、間違いないですよ。菊池寛とか、あの辺が。本物の魅力というのは、すごいですよ。あそこがそうなれば、耐震改修して、若干リニューアルしてですね。ちょっと規制の関係があるで、これはデリケートで、ちゃんとやらないといかん。堀川から上がれるようにして。もうやりたいという人がいますから。

 

 そこで、今度は、皆さんが行って、一杯飲んで、ほぼ200年前の堀川の姿を。得月楼といいますね。「月を得る楼」ということで。これは、頼山陽がどうも名付けたようですけれど、あの上から一杯飲みがてら、堀川の水に月が浮かんだということで得月楼という名前になっとるところですから。

 

 それを1つの決定的なきっかけにして、、伏見から納屋橋、柳橋、それから笹島と、屋台も復活して。それから、名古屋城への。ずっと行けるようにして。船で。あの辺の一帯の。それで、ちょこっと川床料理みたいなのができるとええですね。本当は。規制がどうなっとるか知りません、規制緩和も申請するだわ。特区か何か知らんけれど。地下鉄もええじゃないですか。別に。人が来るようになれば。名所になれば。

 

 ということですので、とにかく残してもらいたい。壊さんでほしいと。懇願しとる次第です。

 

(記者)

 そうすると、このまま保留は続けるということですか。説得できるまで。

 

(市長)

 ええ、そういうことです。ぜひ、大ジャーナリストの皆さんがおみえになりますので、市民の皆さんの市民の声というやつでね。大きい違いは、ちょっと言ったけれど、覚王山の揚輝荘とか、それと、あそこの、東区の、金城の南の二葉館とか、ありますわね。それから、あそこは何というんだった。あの人の、陶器をやってみえた。何だった。

 

(当局:橦木館。)

 

(市長)

 橦木館、橦木館。橦木館がありますけれど、ああいうところはみんな、相当お金持ちの1つのあれなんですよ。だけど、今度の得月楼、鳥久さんの特色は、庶民といっても、若干ちょっと、芥川龍之介でもないけれど、そういう方ですけれど。名古屋大学の医学部の第1回同窓会があそこで開かれていますね。明治時代に。あの辺にあったらしいですよ。名大の医学部は。

 

 そういう、本当の普通の人たちが酒を飲んで、人生のいろんな喜びや悲しみをみんなで語り合ったところですので、どうしても、僕からすると、大変な価値があるように思えてならんのですよ。今で言うと、風来坊とか、山ちゃんとか、そういうやつですわ。

 

(記者)

 市長の思いはよく分かるのですが、今回、手法として、解体申請を許可しないという。そこら辺はどう思っているのですか。自然に考えると、例えば名古屋市の指定文化財ですとか、史跡ルートですとか、そういうようなものにまず登録して、その上で解体申請ストップという話でしたら、住民理解を含めてできると思うのですが、突然湧いて出た感じがあるのですが、そこら辺の手法に関しては、これがベストだとお思いですか。

 

(市長)

 突然湧いてきたことじゃないんですけれど。文化財関係のこともお願いしとったようですけれど、それはちょっとお断りになったようですわ。そうなってきますと、お願いして、正当な補償と思われるものを、こっちも既にご提示申し上げとるんですわ。ということで、いったんは合意したということです。だけど、またそれで、ちょっといかんようになりましたけれどね。今。

 

 だけど、旭丘高校の校舎のときに、わしは座り込みましたけれど、あれは昭和13年ですよ。あの建物は。ええ建物だったですけれど。名古屋市は、ちなみに、全く冷たい極みだったですよ。何べんも来ましたけれど。残念ながらね。瑞陵の食堂は残りますけれどね。あれは大村さんもよう理解してくれて、残りましたけれど。

 

 残念ながら。いったん途中で合意しておりますので。僕からすると。分かりましたと。「壊せませんですわね」と言うもんで、「そうなんですわ」といって。その代わり、ちゃんときちっとした正当な補償をさせていただくとなっとるもんで。

 

 解体移転するという人もおりますよ。いわゆる明治村ですわ。もう江戸時代ということになりますと、明治村より古いですからね。そんなのないですから。庶民的なこういうものは。料理屋みたいなものは。

 

 明治村になりますと、明治村でもどえらい金が掛かるんですよ。僕が聞いたところでは、明治村でないかどうか知りませんけれど、江戸村というのもありますけれど、例えばどこかに解体移転するというと、いったん、建てる前に仮置きするかどうかぐらいのところで1億5000万円ぐらい掛かるんでないかという人もいます。もっと掛かるという人も。ということですわ。

 

 解体移転は最低すべきだという人は、僕が聞いたところで、大変多いですよ。だけど、昨日か、例えばあそこの、昔の裁判所の前のところで開かれまして、名古屋市史の編集をやっておられる方に何人かしゃべっとったら、やっぱりあそこに残さないといかんわなといって。あそこに。やっぱり得月楼って、月が見えるところだし、みんな酒を飲んだところだし。

 

 それから、堀川のまちづくり、納屋橋のまちづくりって、リニアのとかにも入っていますので、あそこであることが決定的な意味があるんですよ。明治村ではいかんのですわ。江戸村では。

 

(記者)

 市長としては、今回の手法も本意ではないという。もうちょっと違う形で手続きするのもよかろうということですか。

 

(市長)

 いや、それはもっと早く気付いて、頼むで残してくださいといって頭を下げて、所有者に。もうからん商売だと思います。長い間、苦労しながらあれだけ守っていてくれたもんだで、どうしたらええかということを、本当に誠意を持って、もっと早い時点で話し合うべきだったと思います。僕も、気付いたのは、自分で気付いたんだけれど。

 

(記者)

 いつ気付いたのですか。

 

(市長)

 いつ、気付いたのはいつごろだったな。今年の初めぐらいか何か知らんけれど、要は、歴史的建造物を守らないといかんといって。それで、わしが市長にならせてもらって、歴史まちづくり推進室だったかな。組織までつくりまして、歴まちびとという、そういうアドバイザーまでつくってやりかけて、やっとったわけです。

 

 いろいろ登録したりする制度はつくりましたけれど、具体的に言うと、五条橋の上がったところの、美濃忠さんだか菓子屋さんの向かい側に、家があって、どえらい家だったですよ。あそこも。あれも壊しちゃうと。

 

 それから、北区の東急鯱バスの中に、明治時代のれんが造りの。あれは東急鯱バスの寮だったですね。わしはあそこへ選挙で行ったことがあるもんで、よう覚えとる。あれも壊しちゃって。

 

 それも、あまり言うとまた役人がよ、河村さん、そう役人ばかりきついことを、優しくしてくれと。そんな話じゃないですよ。これは別に。仕事でちゃんと厳しくというか、当たり前のことを言っとるんですけれど、それも、気付いたのは、私が通り掛かって、「なくなってまったがや。どうなっとるんだ」といって、初めて気付いた。何をやっとるんだ、一体と。区役所は何をやっとるんだと。まちづくり推進室?何やった、あれは。

 

(当局:まちづくり推進室です。)

 

(市長)

 まちづくり推進室といって、300人ぐらいおりますよ。確か、名古屋。役人ですよ。本物の。何をやっとるんだと。一体と。ということを言っとって、「鳥久は大丈夫か」と、僕が言ったんですよ。会合で。「鳥久さんは大丈夫か」といって。

 

 何で分かるかというと、わしも零細企業をやってきましたので、あの辺がそう商売でもうかるとは思えんからですよ。あの辺の近所で、具体名はちょっと言えませんけれど。聞いとるところもあるんですよ。もうからんといって。と言ったら、「実は」ということになって、「何」といって。

 

 その時点で、ちょっとしばらく前に、実は相談が来とった。鳥久さんから。何をやっとるんだということですわ。情熱を持たないといかんですよ。情熱を。本当に。情熱を。その辺のところの部署がないもんでね。営業本部みたいなのが。市役所の中に。結局。古いものを残すのは残すんだけれど、先程言いましたように、稼げる名古屋をつくるような感じね。

 

 すぐ福祉だと言うけれど、稼げるまちをつくらんで、福祉もでけへんですよ。言っておきますけれど。名古屋城の天守閣もそうだけれど。福祉の日本一をつくろうと思ったら、日本一稼げるまちをつくらないと。ということですわ。そういうために、本物の歴史的建造物、特に江戸時代のものなんていうのは、決定的ですよ。

 

◎福島県知事選について

(記者)

 昨日、福島県知事選で、自民党、民主党などが支援した候補が当選しましたが、何かご所感がありましたら、お願いします。

 

(市長)

 ご所感はね。だけど、やっぱり市民の力というのが、日本は、みんな努力しとるんだけれど、厳しいですね。これだけ原発でひどい目に遭ってですね。

 

 今度の方に会って話をしたことはないけれど、直接ね。だけど、推進していくという立場なんでしょう。それなりに。推進の度合いもいろいろあると思いますけれど。というふうにならんと、そういう方が立候補しないと、また政党がオール与党でああいうふうになってしまうと、何といいますか、苦しいね。本当に、ぼやいとってもしようがないけれど。

 

 やっぱり市民の皆さんは、気持ちはあるんだわ。いろいろ、新しい勢力でと。せめて僕は、福島ぐらいは、取りあえず原発はいかんのじゃないかと。無理なんじゃないかと、日本では。ぐらいの声が出てくる雰囲気の人が首長になってくるぐらいの雰囲気でなかったら、どうもならせんがね。

 

 賛成でも反対でも仮にええとしても、そういう主張の人が、少なくとも、福島という一番その被害に遭ったところで、悲しかった地域で、出てこないといかん。出んですわ。今や。大変に。前の知事をやっとった佐藤さんは、民主党で結構仲良くして、よくしゃべっていますから、それはそれであれなんですけれどね。

 

 新知事におかれましては、本当に、過去のいわゆる通産省、電力会社という決まった道じゃなくて、今回の悲劇に、やっぱり、面と向かっとると思いますけれど、十分受け止めていただいて、勇気ある行動なんかをしてほしいと思いますけれどね。いろいろ。

 

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