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平成26年8月18日 市長定例記者会見

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このページを印刷する最終更新日:2023年11月2日

ページID:62365

報告事項

  • 市長の海外出張報告
  • 「久屋大通庭園(旧ランの館)の愛称決定およびリニューアルオープン」について
  • 「名古屋城本丸御殿における重要文化財障壁画の展示」について
  • 名古屋市博物館「伊勢湾台風55年 白水小学校の記録から」の開催について

会見動画

報告内容

市長の海外出張報告

 おはようございます。8月18日(月曜日)の会見を始めたいと思います。本日は、4点のご報告ということです。

 まず1番目は、先日行ってまいりました海外出張について、ご報告をいたします。

 繰り返し言っておりますが、税金で行く以上は、納税者にちゃんと、行ってよかったなというふうにならないといかんわな。単なる親善というのも、市長なんかの場合はありますけれど。

 そういうことですが、後で出てきますけれど、名古屋の子ども応援委員会を始めたことで、納税者の皆さまには、私の分、毎年、幾らかかるか知りませんけれど、何人かで行きますのでね。その分に限らず、過去55年分ぐらいの効果がある、喜んでいただけることになっとるんではないかということを、自信を持ちまして、名古屋市の納税者の皆さまにご報告をしたいと思います。

 名古屋とロサンゼルスは、姉妹都市(提携)55周年ということで、向こうのトム・ラボンジさんも、これはロサンゼルスの市会議員さんで、いわゆる姉妹都市というか、友好都市関係の責任者の議員さんですけれど、(ロサンゼルスの姉妹都市提携している都市のうちで)NO.1と、一番古いということは、盛んに英語で力んどらしたですわね。なかなかのもんではないかということで。

 わしも子ども心に、ロサンゼルスとこういう姉妹都市みたいなのでやっとるんだなということは、子ども心に知っていますのでね。伊勢湾台風の前ですね、前。伊勢湾台風のときにも、ロサンゼルスからだいぶサポートをいただいたと。ありがたいことがあったということは、わしも子ども心に知っとるぐらいのことですわ。歴史があることです。

 それで、行ってきたところは、ロサンゼルス市長、ロサンゼルス市議会、ロサンゼルス港湾局に行きましたが、1つ大きかったのは、さっき幹部会で言いましたけれど、LANSCA(ランスカ)という組織がありまして。Los Angeles andか。


(当局:ロサンゼルス名古屋姉妹都市委員会です。)

 

 いやいや、LANSCAの略だ。Aは何だ。

 

(当局:Los Angeles、LAです。)

 

 ああ、LAか。LA。

 

 Nagoya。

 

(当局:Sister City。)

 

 SCAは何かよう分からんけれど。Sister City。

 

(当局:Affiliation。)

 

 Affiliationは。

 

(当局:協会というか、委員会というか。)

 

 委員会か。まあ、何か分かりませんが、そういうもの。

 

 Affiliationは、難しい英語ですけれど、提携とか、そういう意味と違いますか。まあ、ええわ。難しいことは。

  

 それで、その委員長さんが今度、替わられまして、長年お骨折りをいただいておりまして、ヒダさん、前の委員長にはありがとうございましたということですが、今度は一宮の方でして、ロサンゼルスに三十何年おると言っていましたけれどね。女性ですわ。照子さん。ワインバーグ・照子さんという方です。

 

 僕に言っとったのは、今までリトルトーキョーというところでパレードをやったりいろんなセレモニーをやってきたけれど、それはそれで意味のあることだったけれども、ただ、本当の外国人といいますか、外国人というのはおかしいですけれど、本当のロサンゼルスのアメリカ人の人たちは、意外と知らんよと。

 

 ということで、「河村さん、みんなが来るところでいっぺんやってみないといかんがや」と。名古屋を宣伝して、観光客も来てちょうということならね。

 

 ということがありまして、どういうところでやるのといったら、向こうは、モールですね。ショッピングセンターのでかいやつですわ。ああいうところの、特にザ・グローブという、あれは有名なショッピングモールらしいですよ。相当有名な。

 

 そこの真ん中にステージみたいなのがあってやれるで、あそこで一発やろまいかという話が出まして、それはええなということで、そこでやったということで。

 

 だいぶ、LANSCA、今の照子さんたちはじめ、みんなメンバーがだいぶ寄附を集めましてですね。個別の名前も何ですけれど、別に言ってもええんだけれど、アメリカにおる日本企業の方がかなり協力していただきまして、開催に至ったということで。

 

 なかなか、大変にぎやかなところで、「おお、これは本当に、外国人ばっかりだな」という感じで。当たり前ですけれど、というところで名古屋の宣伝ができたということです。

 

 反対に、それをやって、みんなといろいろ、慰労会でもないけれど、いろいろ話しておりましたら、名古屋もよっぽど本気になってやらんとこれはあかんぜ、本当に、というのはつくづく感じましたね。ロサンゼルスならロサンゼルスの人たちに名古屋に来てちょうというやつね。例えば。

 

 自分らで数百万円、寄附金を集めてやってくれとるんだもん、向こうは。こっちは、何べんも言いますけれど、地の利がええもんだで。東京と大阪の真ん中にあるもんだで、そう別に必死にならんでもやっていけるというところがあってね。デューティーといいますか、相当な気持ちになって、名古屋の売り込みというか、魅力発信といいますかね。をやらんと、ロサンゼルスのみんな、やってくれた人に悪いなと、つくづく思った次第です。

 

 「なごやめし」の提供なんかもありまして、これも無料だったんじゃないかな。確か。いろんな企業の方が協力してくれて。喜んでいただいたということです。

 

 また、次にダウンタウン・マグネット高校ということで、名古屋からの交歓高校生も現地におりましたけれど、お礼を申し上げるとともに、向こうのスクールカウンセラーと、マグネット・スクールもスクールカウンセラーがいましたけれど、向こうの教育委員会の方とも意見交換をしてきたということです。

 

 ここで、今日も幹部会で言っとったけれど、去年行った2人が個人的に悪いというわけじゃないです。そういう意味じゃないですよ。大きい違いをわしが思ったのは、去年名古屋から行った教育委員会の2名は、もういないんですわ。今年。違うメンバーなんですわ。そこにおりますけれど、1人。応援委員会ということで、全然違うメンバーが行くわけですね。

 

 これは、そういう仕組みだからそうなっとるので、2年か3年ごとにこうやって替わっていくんですけれど、向こうの方は、去年の、昔のお嬢さん、2人、3人。幹部が、管理職か何かは1人、2人替わったと思いますけれど、絶対ではないですけれど。要するに、向こうの人は、僕らにいろんなことを教えてくれた昔のお嬢さんたちは、スクールカウンセラーは、同じ人です、去年と。

 

 で、いろんな話をしとったら、喜んでいましたけれど。「皆さんの努力は、名古屋でこうやって取り入れてね」といって。「日本のエデュケーションの大きな重たい扉を皆さんが開けたことになりますよ」と言ったら、えらい喜んどったですけれど、同じ人なんですね。わしはつくづく感じたけれど、たまたま僕が継続的におるでいいですけれど。

 

 それと、ここで首席指導主事になっていただいた高原さんが、あの人は長い間、アメリカでスクールカウンセラーをやっとった人ですから、本当に英語がネイティブと同じようにしゃべれますので、それは非常に良かったですけれど、こういう何か、役所が今までやってきたことと違う取り組みをしていくようなときには、1年で替わってはいかんな。本当に。

 

 普通、僕みたいな人がおらんかったら、多分、終わると思いますよ。継続性がつくれんから。ということを、つくづく感じました。それは、プロジェクトチームでもええし。僕らみたいな弱小企業をやってきた者からすれば、あり得ない話ですね。多分、同じ人が行きます。絶対に。この1年、次の年、いよいよ軌道に乗せる大きな課題があるときなんかには。

 

 そこら辺の仕組みも、ちょっと考えていかないといかんのじゃないのと。人事がね。これは、本当にしみじみ感じました。

 

 しかし、いろんな最新の資料なんかも、スクールカウンセラーの昔のお嬢さん方が大変熱心で、愛嬌もありますし、「名古屋へ行きますわ」と言ってくれていましたけれど、新しい資料がだいぶゲットできたと。こういうふうに思います。

 

 それから、これは今日も幹部会で言いましたけれど、なかなかびっくりしたことは、学校のすぐ横に病院があるんですわ。隣接してというか、中にあるというか。これはどのぐらいの人が来るのといったら、大体4割が学校の関係者で、6割は地域の人たち、普通の病院ですから、あるわけです。

 

 今のところ、日本では、地域包括医療システムとか何とか言って、大体、年寄りのところに造りますわな。名古屋でも、緑区の、割と高齢化した市営住宅のところに造ると。包括支援センターを。だけど、よう考えてみたら、学校も大事なんですよ。本当に、学校も。

 

 これは手前みそじゃないですけれど、私の「河村ビジョン」の中で、中学校の保健室をもっと改良して、そういうプライマリーケア、イギリス型ですね。まずそういうところへ行くんですわ。そこから、あっちへ行け、こっちへ行けと、指示があるんですけれど、それにしたらどうだということ。

 

 そういうふうに書いてありますけれど、なるほど、これはこういうことだな、ええことだなというふうに思いまして、早速、検討しよまいかという。名古屋でね。というふうに、言っとるところです。そういうのがありましたということです。

 

 それから、議会、議員さんも一緒に行かれたので感じられたと思いますけれど、やっぱりアメリカの民主主義のベースですけれど、議事堂というのは市民のものですから、市民代表だから市会議員というのは大変立派なわけですわね。

 

 これは何かアメリカのテレビでやったと言っていましたけれど、私が。ラボンジさんというのは、ずっとお世話になりましたけれど、連続3期12年で、向こうはもうそれで、その後立候補できませんので、これで、あと何をやられるか分かりませんけれど、市会議員は取りあえずリタイアされますけれど。

 

 ラボンジ氏と一緒に一曲歌おまいかということで、エルヴィス・プレスリーの「Can't Help Falling in Love」というやつですね。「falling in love with LA」と、最後、言いましたら、えらいみんな、外国人議員もみんな、拍手で喜んどりましたけれど、ああいうのはやっぱり素晴らしいですね。子どもも一緒におりますしね。孫か何か分からんけれど、議席に、議員さんのね。

 

 やっぱり、市民代表というか、民主主義というのはこういうもんだという。だから、議員さんの権威というか、立派だというか、こういうことが立派なんだということを、つくづく、毎回ですけれど、感じまして。

 

 この3分間スピーチというか、パブリックコメントというのは、私も10年ぐらい前に、だいぶ自費で韓国とアメリカに行きまして、いろんな議会に行きましたけれど、サンフランシスコの議会やら、フォートワースだったか何や知らん、みんなやっていますね。あれは。固有の権利ですね、市民の。

 

 そのとき、覚えていますが、今、委員会ではやっていますけれど、本会議でやらないといかんですね。本会議場で。「日本でこういうことをやると、クレーマーが来て同じことばかり言うが、というふうにすぐ言われるが、どうなっとるの?」と言いましたら、「それは、河村さん、固有の権利ですから、ちゃんとどういうことをしゃべるかはフォームを出してもらいます」と。

 

 それで、「何かルールを破ったような発言があると、そこですぐ停止されて、それからもうしゃべれない。そのルールは非常に厳しい」と。「だけど、ちゃんと真剣に言うんだったら、クレーマーというか、どういう名前か分かりませんけれど、ちゃんとみんな聞きます」と。「予算の前の議会なんか、すごいですよ」と言っていました。

 

 市民の声を聞くのが仕事だと。議会の。という根本ですね。結局。それをやろうと思って、わしのマニフェストにも書いてあるんですけれど、本会議でやらないといかん。ということですが、やっとるところは、日本中どこもありません、ということです。それをつくづく感じました。

 

 それから、東山動物園の姉妹動物園、ロサンゼルス動物園ですね。植物園も、ボタニカルガーデンも兼ねておりまして、さっきちょっと緑政土木局長が言っていましたけれど、向こうの方から、いろんな冗談を言っていろいろ言っとったら、「河村さん、冗談じゃなしに、コモドドラゴン」と。

 

 トカゲですね。手の上にもらいましたけれど、赤ちゃんのようですけれど。コモドドラゴンというやつを、ロサンゼルス動物園としては出してもええから、あと、どうやってやるか、ちょっと協議しましょうという提案がありまして。

 

 今、話をしとったら、緑政土木局長が、「河村さん、コモドドラゴンって日本に一匹もおらんのだよ」と言っていましたので、これはなかなかありがたいご提案だったなということで、早速検討を進めたいと。検討を進めたいというか、名古屋にコモドドラゴンちゃんに来ていただけるように計らいたいと思います。


「久屋大通庭園(旧ランの館)の愛称決定およびリニューアルオープン」について

 それから、2点目は、「久屋大通庭園(旧ランの館)の愛称決定およびリニューアルオープン」について、ご報告を申し上げます。

  平成26年3月をもちまして、リニューアル工事のため閉館していました旧ランの館が、「久屋大通庭園フラリエ」として、9月27日(土曜日)にオープンをいたします。これは例の行政評価によって、検討すべしというふうになったやつですね。

 

(当局:廃止です。)

 

 廃止。廃止という、市民の皆さんの大変厳しいご判定が出て、それに基づいて検討が始まったやつということです。

 この「久屋大通庭園フラリエ」という愛称は、オープンに先駆け公募を行っていたもので、958点の応募の中から、東区の佐久間美和さんという方の作品が選ばれました。

 「ふらり」と「フラワー」と「アトリエ」の造語で、「ふらりと立ち寄れる花いっぱいのアトリエ」の意味に加えまして、今度は入園が無料になりますので。ただですので。前は幾らだった?

 

(当局:大人700円です。)

 

 高いな。大人700円も取っとったのか。

 

(当局:中学生以下が無料です。)

 

 中学生以下が無料で、大人が700円と。それではあまり来んぜ。それもあってよ。今度は無料ですので、ぜひ気軽に、ふらりと、花もたくさん用意しておりますので、寄っていただきたいということで、「フラリエ」ということで。

 

 「音の響きが良くて、親しみやすく、花と緑に包まれた」というふうに書いてありますが、「憩いの場、交流・にぎわいの場」という施設の基本コンセプトにも合っております。

 

 生まれ変わった「久屋大通庭園フラリエ」は、6つの庭園を備えました、市民の皆さんがくつろぎ、楽しむことができる施設です。また、本格的なイタリアンレストランやビア&ワインガーデン、花をモチーフにした雑貨を扱うショップなどがありますので、食事やショッピングなどを楽しんでいただくことができます。

 

 ということで、オープンは9月27日(土曜日)ということです。ぜひぎょうさんの方に来ていただきたいということです。

 

 商売が盛んになる名古屋というふうに。あそこは大事なところなんだけれどね。ちょっと東へ寄らないといかんけれど。栄で、ちょっと遊びに来てもらった人が、大須へずっと歩いて行ってもらえる動線からちょっと東へ、久屋大通公園分ずれますけれど、実は、あれがずっと一体になるためには重要なポイントなんだけれど、お楽しみをいただきたいと思います。

「名古屋城本丸御殿における重要文化財障壁画の展示」について

 それから、3点目は、「名古屋城本丸御殿における重要文化財障壁画の展示」について、ご報告をいたします。

 ご承知のように、これは大懸案事項になっておりまして、大懸案事項も、わしも疲れたで、この間、文化庁に言ってきました。こちらのペースでやりますからといって。協議はしますよということですけれど。

 何べんも言いますけれど、二条城は、今、70%ほどですけれど、障壁画を中の収蔵庫の方に移しております。模写にして。あそこは、しかし、空襲で焼けていないんです。建物が。二条城は、国宝です。あれは。

 名古屋城は、ご承知のように、昭和20年5月14日です、あと3カ月のところで、空襲で建物が焼失しておりまして、名古屋の人間からすると、お客さんに来てもらうのに寂しいわけだわ。申し訳ないわけです。ホスピタリティといいますか。

 せめてある本物の障壁画を飾れんようではあかんといって。話にならんといって、文化庁に言ってきました。どういう責任を取ってくれるという話ですわ。本当に、名古屋の人間として。皆さんの中にも、名古屋。まあ、名古屋の人でないといかんことはありませんけれどね。

 名古屋に遊びに行こうかというと、結局名古屋城になるんだけれど、ロサンゼルスの人にも言うんですか。模写ばかりにして。向こうで、グローブで頑張っていてくれとるけれど、じゃあ、ロサンゼルスの人にね。「名古屋城へ来てくれ」と言ってもええですよ。だけど、みんな焼けてまって。

 何もなければ別だけれど、せっかく残った本物を展示せんで、どうするんだというんですよ。年間2週間でも。恥ずかしくて、言えんわというの。

 ということでして、近いうちに、全面的にこれを展示するようになりますけれど。僕は、年間2週間ぐらいずつで、75面ありますから、本物がね、変わっていくのがええと思うんですけれど。

 取りあえず、それの準備というか、第一歩といたしまして、昨年5月には、本丸御殿の玄関・表書院の公開を記念して、重要文化財障壁画の「竹林豹虎図(ちくりんひょうこず)」2面の展示を行いました。

 今年は、夏休み最後の8月29日(金曜日)から9月7日(日曜日)の10日間、表書院三之間の重要文化財障壁画「麝香猫図(じゃこうねこず)」2面を、本丸御殿中之口部屋にて展示することといたしました。

 表書院は、藩主と来客との公式な謁見に用いられた場所です。そのうち、三之間は、来客の家臣が控えた部屋とされまして、最も広い39畳の部屋です。障壁画は、夏を描いた「麝香猫図」です。東南アジアの熱帯地方などに生息しまして、当時の日本では高貴な生き物と考えられていたジャコウネコとともに、ツツジやカイドウの花が描かれております。

 在りし日の本丸御殿に思いをはせていただく機会として、名古屋城にぜひ足をお運びをいただきたいと思います。ということでして、ぜひ本物を見ていただきましてね。美術は美術で、そこに描いてあるのがありますけれど、美術の持っとる歴史的背景ですね。こういう障壁画なんかは。

 あそこで、よう言っとるでしょう。家康が息子さんの義直さんの結婚式に来て、名古屋城本丸御殿から大坂夏の陣に出陣していったわけですわ。そのときに、家康さんがどう思って行ったのかと。秀頼さんを殺しに行くわけだけれども、これですね。有名な二条城の会見ってありますわね。秀吉さんと秀頼さんが会っていますから。ちょっと前に。3年か、4年か。会っとって、義直さんも迎えに出たという記述がありますけれど。伏見でね。

 そういうロケーションの下にあった本丸御殿の、これだとするとですね。これは本物ですけれど、本物は、そういうシーンを見とるということなんですよ。大事なことは。家康の息遣いを。そういう面で、こういう美術品を見てもらわないといかんということで、単なる絵が描いてあって、きれいに描いてあるとか、そういう話じゃないんですわ。

 ということで、何べんも繰り返しますけれど、これは第一弾で、僕はもっと早くやれと言っとったの。夏休みに子どもさんが来るときに、本物というのをちゃんと教えられるように。この本丸御殿であった出来事ね。今僕が言ったようなことですわ。

 応仁の乱から150年も続いた日本の内戦。どれだけの人が泣いたか分からんと。それを終結させてきたのがこの大坂夏の陣であって、家康が、実はこの本丸御殿から出陣していったんだと。2日泊まっていますから、必ずこの本物の前で寝とるわけです。

 それで、義直氏に大抵話し掛けとるわ。「お前、どう思う」といって。「二条城で会っただろう。秀頼に。これを殺すかも分からんけれど、こんなことをやってええか」といって、俺は言っとると思います。言っとらんと言っとった人もいましたけれど、それはしゃべったことがないで分からんですけれどね。

 そういう気持ちで、ぜひ皆さん、名古屋城を見ていただきたいということになってきますと、もうすぐ天守閣の本物復元も始まりますので、ぜひご期待をいただいて。

 ちゃんと報道してちょうよ。350億円、何億円かかるのは、もったいない。ああ、そうですかといって。300年も400年も、法隆寺だったら1300年もありますけれど、大事にしていく。どっちがもったいないですか。やらん方がもったいないじゃないですか。というお話ですわね。

名古屋市博物館「伊勢湾台風55年 白水小学校の記録から」の開催について

 それから、4点目が、名古屋市博物館常設展示室内で展示します「伊勢湾台風55年 白水小学校の記録から」について、ご報告をいたします。

 昭和34年の伊勢湾台風の被災から、今年で55年となります。私もこれは、小学校5年生でしたので、よう覚えております。伊勢湾台風は。東区で、水害はなかったですけれど、風が強くて、あのときは、瓦がビュービュー飛んできて、どえらいおそがかったですよ。音が、ドドドドーッというの。夜でしたけれどね。

  木造の家だったで、壁が全部抜けまして。2階の部分が。一応、半壊になりまして。半壊で、大変な思いをして、おそぎゃあなといって、きょうだい3人で机の下にうずくまっとった記憶がありまして、おやじやおふくろは、ガタガタいろいろやっていましたけれど、ということですので、印象が非常に強いです。

 とりわけ被害が甚大であった南区白水小学校では、台風の被害やその後の生活を作文集としてまとめました。また、私の持っているフリップの絵は「伊勢湾台風被災図」といいまして、当時の6年2組の児童が台風の被害の様子を1枚の絵に描いたものです。

 これを見ますと、先ほども言いましたけれど、有名なラワンの木ですね。大木。この辺にずっと描いてありますけれど。ここも。貯木場から大木が、縛ってあったやつがほどけて、流れて、大変に被害を拡大したということがよく分かりますね。

 あのときは、テレビはなかったのかな。あのころは。どういうか分かりませんけれど、僕の記憶では、ほとんど何の情報もなかったね。次の日の、(伊勢湾台風が)9月26日で、9月27日の、ものすごい青空だったですよ。すごかったです。よう覚えています。

 その下で、特に名古屋の南部で大被害があったと、大悲劇があったということは、想像もできなんだですよ。何の情報もあらせんもの。ということだけれど、この白水小学校ということは、私も知っとります。それほど有名というか、悲劇の、ラワンのこれで。

 これら貴重な資料は、長らく白水小学校で保管されていましたが、台風の記録を保存・活用し、その記憶を後世に伝えていくため、今年1月に、白水小学校から博物館に寄贈を受けました。

 現在、博物館で資料の調査や聞き取りを進め、被災後の昭和34年11月から12月ごろに、児童・教師1669名が、3200枚を超える原稿用紙に作文を書き残したことが分かってきました。

 作文では、高潮による浸水で水かさが自宅の天井まで達し、屋根に上って助けを待ったことなど、子どもの生々しい台風の記憶が原稿用紙に記されています。また、「伊勢湾台風被災図」では、木材が濁流に乗って家屋を襲った光景や避難する人などが、素朴なタッチで描かれています。

 博物館では、これらの作文の一部と「伊勢湾台風被災図」を公開いたします。伊勢湾台風の記憶を風化させないため、ぜひ多くの皆さんにご覧をいただきたいと思います。

 ということで、わしは、言っていますけれど、本当にね、伊勢湾台風のときに。何時にやるか、今、気象台に確認しておりますけれど、やっぱり黙祷をやらないといかんですよ。名古屋は。

 その意味はもう1つあって、この間出ました1000年に一度の災害の予想ね。想定外をも想定した、1000年に一度です。あれは何と、油断してはいかんけれど、伊勢湾台風の最大潮位より30センチ下なんですわ。実は。

 だから、反対に言うと、伊勢湾台風がもう1回起こってはいかんですけれど、起こった場合に、その水を堤防の中に一滴も入れないというぐらいの決意を持って防災ができれば、名古屋は一応大丈夫だということになりますね。地震を除いてね。地震はちょっとまた別ですけれど。

 ということになるということで、名古屋にとってすれば、この伊勢湾台風というのは絶対忘れてはならないということでして。

 これの展示期間は、8月27日(水曜日)から9月28日(日曜日)までです。なお、博物館では、これらの作文を書いた方々を探しておりますので。ご本人にお話をお聞きするとともに、作文公開の許可をいただきたいと存じますので、ぜひ情報をお寄せください。

 名前は分かっとるようですけれど。みんな、生徒さんの。そうだわね。名前は書いてあるもんだで。だけど、どこに、今、ござる人か分からんもんで、ぜひ。大体、僕が小学校5年ですから、大体僕ぐらいの、老人会青年部ぐらいの方が書いておられると思いますので、ぜひ。これは俺が書いたやつだということを、ぜひおっしゃっていただきたいと、こういうことです。

 私からは以上です。

質疑応答

「名古屋城本丸御殿における重要文化財障壁画の展示」について

(記者)

 障壁画は、もともとあった場所にですか。

(市長)

 違います。

(記者)

 違う場所ですか。

(市長)

 今のご質問ですけれど、私が申し上げとるのは、私がというだけじゃないけれど、名古屋の人に聞くと、ほとんど言いますよ。写真がありますので。どえらけない。戦前の。焼ける前の。だで、障壁画がどこの壁面に飾ってあったということが、全部分かるんですわ。飾ってあったというか、はめてあったわけですね。建物の一部ですから。そもそも、障壁画は。

僕らが言っとるのは、もともとはめてあったところに、ちゃんとはめようまいということですわ。と言っとるということでして。

 まあ、疲れるわ。本当に。何なんだと。もし名古屋城が、民間が経営をしとったら、絶対本物を展示すると思いますね。それは、お客さんの数というか、喜んでもらうという気持ちが全然違うもの。

 温度等について、皆さん、すぐ言われますけれど、温度、湿度。今、本物がありますよ。名古屋城の天守閣の中に。あれは、夜、冷房は切っておりますので。夜、冷房を切っとるんですわ。

 東京の上野の国立博物館も、夜は冷房を切っとります。24時間ありますと、8時間としまして、3分の1は冷房がついておりますけれど、3分の2は切れとるんです。全部ついとるところもあります。ごくわずかですけれど。

 ということなので、いろいろ聞いてみますと、かえって、どんどんつけて温度の変化が激しいよりも、一般的な、今まで400年間あったんですから、それはその自然な格好で置いておく方がええという説が有力ですね。ただ、毀損の恐れがあるので、そこは気を付けないといかんということですけれど。

 そんなことを言ったら、本物展示は全部できませんわね。ただ、「モナ・リザ」も、最近は防弾ガラスを入れておりまして、それはそれで、百歩譲っていいんじゃないのと。どうしてもしようがないなら。しかし、ヤマザキマザックのあそこの美術館は、防弾ガラスもなしで本物が見られますけれどね。300年前のフランス絵画が。ええのがありますよ。有名なやつが。

 これも、初めの方がようけみえるで、繰り返し言わないといかんけれどよ。皆さんも1年ぐらいで替わっていってしまわっせるもんでな。ヤマザキマザック美術館の館長さんに聞きましたら、「よう、これ、防弾ガラスなしでええね」と言ったら、「これは、実はもめたんです」と言って。

 お父さんが、マザックの社長さんですけれど。元の。哲学で、本物をガラスなしで見てもらおうという。そういう哲学なんですわといって。そう言っていました。さすが、世界NO.1のマザーマシン・カンパニーというか、工作機械メーカーをつくり上げた人は違うなと思いましたね。あくまで本物性にこだわるというのは、素晴らしいと。お客さんに喜んでもらおうという気持ちがね。そういうことですわ。

 (記者)

 公開自体は初めてですか。

(市長)

 公開は、今でも天守閣の中でやっています。

(記者)

 天守閣の中で。この場所でするのが初めてですか。本丸御殿で公開するのは。

(市長)

 この場所は、去年やったんだわ。その場所だといっても、本当の場所じゃないですよ。はめ込みでなくて、すぐ近くと。に置いたんです。だから、去年の再来という感じで、取りあえずは見ていっていただきたいと。

 わしは、自分でやろうかと言っとるんだわ。疲れたで。こんなもの、建具屋さんに来てもらっていろいろやればええわけですわ。防弾ガラスを入れてええんだったら、そう難しくないもの。

(記者)

 「麝香猫図」という今回のやつを天守閣で展示したのは、いつか分かりますか。

 

(当局:ちょっとそこまでは分からないです。)

 

(記者)

 天守閣で公開したことはあるんですよね。

 

(当局:ございます。)

 

(市長)

 あると思いますよ。

 

(記者)

 だから、戦後、本邦初公開とか、そういうことではないのですね。

 

(当局:それではないです。)

 

(市長)

 それではないだろう。初公開は。75面だわな。

 

(当局:ほぼないですが、大きさが入らないのがあるかもしれません。一部。入り口から入らないのが。)

 

(市長)

 なるほど。本当に、よっぽどしっかりせんとよ。今度、テレビ局に要望書を持っていこうと思っとりますけれど、お前さん、信長と秀吉と家康と、東京の言葉を3人ともしゃべるというですね。

 

 去年のドラマは、大変地方の言葉を大事にされて、会津で、女の人のやつ。あれは、いろんな地域の言葉が出てきましてね。さすが立派だなと敬服しとったところですけれど。

 今年に入りましたら、信長は東京の言葉で、秀吉も東京の言葉、家康まで東京の言葉ということで、これはいかんと。いうようなこだわりで見ますと、名古屋城も、やっぱり本物の方がええですよ。

 子どもさんたちの夏休みに、本物の魅力というのを伝えてほしかったんです。わしは。本物というのはこういうことだよと。古臭いだけじゃないよといって。名古屋城で何が起きたんだと。

 あと、ずっと、三代将軍家光さんが泊まった記録以降は、ずっとほとんど閉め切りだったようですけれど。いっぺんぐらいは、虫干しか何かしとるのかな。

 

(当局:それは、管理のために開けたりはしています。)

 

(市長)

 それはやっとるんだね。そういうことですけれど。

(記者)

 前回よりも、ガラスが1枚、間にあって、厳重な感じがしますが。

(市長)

 前回もガラスはあったよ。

(記者)

 展示ケースだけだったと思うのですが。前回は。

(市長)

 はいはい。展示ケースが置いてあったということですね。

(記者)

 今回、この間にガラスがありますよね。

(市長)

 ガラスがあったか。どういうふうだった。

 

(当局:今回は、中之口部屋の中に建具を立てて、小さい建具を立てた部屋になります。そこに若干の空調をかけていますので、そういった形になります。)

 

(記者)

 部屋の中に(空調を)かけてあるのですか。

 

(当局:そうです。)

 

(市長)

 そうすると、これは24時間やるのかね。

 

(当局:それは、様子を見て。温度変化を見ながら決めていきます。)

 

(市長)

 そうすると、天守閣だけは何で切るんだという議論になる。

 

(当局:天守閣の中の場合は、切っても温度変化が数度、2、3度、3度とかそのぐらいですが、本丸御殿の中で温度変化がどのぐらいになるかは、エアコンを回してみてから決めていきます。)

 

(市長)

 そういうようなことを言っておられますけれど、400年間エアコンはありませんでしたので。別にね。というお話ですわ。

ロサンゼルス動物園との動物交換について

(記者)

 ロスの動物園が言った何とかドラゴンというのは、何なのですか。

(市長)

 これは、トカゲの。


(当局:オオトカゲの仲間です。)

 

(市長)

 オオトカゲ。何だったな。コモドドラゴンと。

(記者)

 何でロスはこんなのを出したいのですか。繁殖して、困っているとかですか。

(市長)

 いやいや、そういう裏から物事を考えんようによ。せっかく名古屋から行ったんだで、歓迎のお気持ちで、善意ではなかったかと。

(記者)

 ロスの動物園の一番の人気だとか。何でわざわざこんなものを、「どうだ」と言ってくるのかなと思って。

(市長)

 日本に1個もないことを知ってござったのかな。

 

(当局:人気があるということは、ロスの動物園の方が言っておられました。皆さん必ずこれを見て帰りますよというふうに。それで、ご案内していただいて、コモドドラゴンはこれですというふうに、市長もご覧になったと思います。)

 

(記者)

 世界でロサンゼルス周辺にしかいないトカゲなのですか。

 

(当局:いえ、原産はインドネシアです。ただ、世界的に希少動物で数が減っていますし、世界最大のトカゲということで知られています。)

 

(市長)

 わしが手に持ったやつだろう?

 

(当局:それは違います。)

 

(市長)

 あれは違うのか。

 

(当局:はい、別のトカゲです。)

 

(市長)

 別のトカゲか。

 

(当局:最後に、帰る前に見せていただいた、展示されていた結構大きいトカゲが、コモドドラゴンです。大きいやつです。)

 

(市長)

 それはいかん。間違えておりました。そうか。

(記者)

 どう猛なやつですね。

(市長)

 どう猛かね。

 

(当局:そうですね。動物食というか、肉食なので、どう猛と言えるかもしれません。)

 

(市長)

 肉食で。最後、帰るときに、ケースの中におったか。

 

(当局:3メートルぐらいのやつは、100キロを超える。)

 

(市長)

 そんなでかいやつかね。

 

(当局:大人になると。)

 

(市長)

 大人になるとね。

 

(記者)

 東山動植物園で飼育するという、前向きな検討を。

 

(市長)

 ええんじゃないですか。これはぜひ。

 

(当局:そうですね。ぜひ実現できたら、うれしいなと思っています。)

 

(市長)

 ねえ。日本に1個しかないと。

 

(記者)

 代わりに、違うのを何か持っていかないといけないのではないですか。交換なんですよね。

 

(当局:そうですね。それはまたロサンゼルスと話し合って決めたいと思います。)

 

(市長)

 交換でないと駄目というのは、絶対そうなのか。動物によって違うのか。

 

(当局:そうとは限りませんけれども。)

 

(市長)

 そうとは限らない。

 

(当局:はい。)

 

(市長)

 この間、闘莉王も言っていましたけれど、グランパスの。なかなか動物園もええらしいですね。東山動物園。闘莉王は、つらくなると動物を見に行くといって。こんな都会のど真ん中で、こんなでかい動物園があるなんて、すごいよといって。これは闘莉王さんが言っておられました。

  だで、もっとあれだわな、東山動物園も。その割に知っとる人が少ないんだな。日本で言えば。そうでしょう。一番有名なのが、上野なのか、旭山。かな、やっぱり。だで、もっとわしも。まあ、これも民間がやってまったら、もっと必死になってやると思いますよ。楽しく。

(記者)

 何とかドラゴンの画像は、あるのですか。

 

(当局:東山にはいないですけれども。)

 

(記者)

 いや、向こうで撮ってきた画像、絵はありますか。

(市長)

 検索サイトには、出てくるだろう。

 

(当局:現地で撮られたのが、もしあれば。)

 

(記者)

 ないと話にならない。書きようがないのですが。

(市長)

 ないと、それはいかんで。ほんだでな。民間業者なら持ってくるぞ、ちゃんと。何かちょっと、検索サイトか何か出せんか。今。出てこんか。

(記者)

 そういう問題でもない。

(市長)

 秘書殿、どうだ、ちょっと見たってくれ。せっかくだで。コモドドラゴン。


(当局:ロサンゼルスにいるやつではないですけれども、いわゆるコモドドラゴンというものは、画像はあると思いますので。)

 

(市長)

 あるだろう。何でかというと、後でもええけれど、出してもらった方が、皆さんが。もうこれ、何とか手に入れないといかんといって、引き返せんようにしないといかん。とにかく。何ぞ、えらいへ理屈かよ、いろんな講釈が何万個も出てきてよ、ああだ、こうだと言って、あかんようになるといかんで。ないの。ないか。

 

(当局:今この場でというのは難しいと思いますが、いわゆるコモドドラゴンがどんなものかという画像は、後ほどなら何とかなります。)


(記者)

 名古屋市提供というのに、検索サイトではいかんですね。

(市長)

 検索サイトでもええんじゃないの。いかんか。

(記者)

 ロスからもらった時点でいいですので。ロスからもらってもらえないですか。なければ。

(市長)

 電話をかけてやれ。

(記者)

 それで、配ってもらえないですか。

(市長)

 大課長。電話をかけて、くれといって。立派な英語でよ。

(記者)

 もし実現したら、交換は初めてですか。

(市長)

 日本では1匹もおらんと言っとったよ。

(記者)

 ではなくて、ロスと東山での、動物の交換は初めてですか。

(市長)

 今までなかったみたいだな。あるの。

 

(当局:いえ、今までも交換はしておりました。)

 

(市長)

 あった。そうか。

 

(当局:ただ、ちょっとこのところはありませんので。)

 

(市長)

 ここのところ、ないのかね。

 

(当局:今年4月にハクトウワシ舎がオープンしたんですけれども。)

 

(市長)

 ハクトウワシは、何。あれは、あそこから来たの。ロサンゼルス。

 

(当局:いや、国内で繁殖したものです。)

 

(市長)

 そうだろう。メッセージは来とったけれど。

 

(当局:はい。)

 

(市長)

 ロスの動物園長から。向こうからもらったというイメージじゃなかったけれどね。

 

(当局:はい。でも他に、アメリカドクトカゲですとか、幾つかもらっております。東山からも、タヌキを出したことがありますし。)

 

(市長)

 はい。というお話です。 

(記者)

 いつごろ来そうなのでしょうか。

(市長)

 いつごろ来そうだ。

 

(当局:繁殖も、これからです。)

 

(当局:そうですね。まだ繁殖されていないと聞いておりますので、成功したら、現実になるのかなと思っています。)

 

(市長)

 条件付きだったか。繁殖の話は。

 

(当局:それは、繁殖はこれからなのでということは、言っておられました。)

 

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