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熱田区まちかど発見!熱田湊の風景

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このページを印刷する最終更新日:2021年12月1日

熱田湊について

江戸時代、熱田は東海道の渡津として尾張における最大の港となった。商品流通の拡大とともに、江戸・大坂通いの回船の泊地として一段と繁栄を極めた。そこで尾張藩は熱田奉行所を置き、さらに船舶の取締りをする船奉行、その下に船番所・船会所などをおいて、旅人や貨物の検察・保安にあたった。熱田湊は、明治に近代港が出現するまで、名古屋の経済発展に大きな役割を果たした。

東浜御殿について

東浜御殿は、一説によると、寛永元年(1624)に初代尾張藩主徳川義直の命で神戸(ごうど)の浜を埋め立てて出島をつくり、そこに造営された。寛永11年(1634)には、三代将軍徳川家光が上洛の際に止宿した。その敷地は1万平方メートル以上、海上城郭の様相を誇っていたとされ、御殿は名古屋城本丸御殿に匹敵する壮麗な仕様であったと考えられている。

鯱をいただいた小天守閣のような西側の高楼は、桑名城の天守閣に対抗して建造されたものという。これを桑名楼と呼び、東側の楼閣を寝覚(ねざめ)楼といった。

御殿の姿を示す資料は乏しいが、2018年に徳川林政史研究所(東京)において詳細な間取図が発見された。

東浜御殿の位置は、現在の内田町付近であったと推定される。

銘板について

熱田区では、区内各所に歴史資料を掲載した銘板を設置することにより、地域の歴史・文化に触れることができる機会を提供し、地域への愛着を育むとともに、地域の魅力向上を図っています。

設置場所

熱田区内田町(宮の渡し公園内)

デザイン

銘板「熱田湊の風景」の盤面

設置された銘板と除幕式の様子

設置された銘板

設置された銘板です。

除幕式の様子

令和3年11月21日に除幕式を行いました。

東浜御殿の3Dイメージ

東浜御殿については、錦絵などにはその姿の一端が描かれていますが、資料がほとんど残っておらず、詳細は長らく不明でした。

しかし、2018年に徳川林政史研究所(東京)にて東浜御殿の平面図が発見されました。これに基づき、地元団体の「熱田湊まちづくり協議会」が東浜御殿の3Dイメージを作成し、公開しています。

資料が乏しいため、建物の構造など不正確な点もあるかもしれませんが、あくまでイメージとしてお楽しみください。


南側から見た東浜御殿の3Ⅾイメージ
北西側から見た東浜御殿の3Ⅾイメージ

このページの作成担当

熱田区役所 区政部 地域力推進室 地域力推進係
電話番号: 052-683-9425
ファックス番号: 052-683-9494
電子メールアドレス: a6839420@atsuta.city.nagoya.lg.jp

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