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第5章 南陽のルーツに迫る

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このページを印刷する最終更新日:2016年2月5日

ページID:78343

第5章 南陽のルーツに迫る

南陽の田んぼの画像

司会:

では、改めてJAの方から見た南陽の魅力についてお話をうかがいたいと思います。

寺西さん:

今の港区の土地って基本的に昔は海じゃないですか。

江戸時代の地図は中川区で切れていて、すべて農業の増産のために江戸時代の干拓で土地から作ったと言うのがスタートなんです。

百曲街道から南へすこし行ったところに江戸時代に作った最初の堤防がある。これが、第一段階。

司会:

大きな道路はもともと堤防だったりしますよね。

寺西さん:

今でも港区にも「堤外」っていう地名が載ってたりすることからみんな堤防の内か外かっていう意識だったんですね。

司会:

港区の「大手学区」の「手」という字も堤防という意味らしいですね。

寺西さん:

もともとは川があってね。みんなそういうところに水抜きの場所を作るんだよね。でも、南陽町の方は土地改良区で水利権を管理して水の管理をしてる。

山田さん:

土地改良区って元は水利組合って言ってね。

司会:

昔の水利権って殺伐としてて、村同士の抗争になるくらい死活問題だったそうで。

山田さん:

そうだよ。水を管理するというのはそのくらい重大なことでね。何とかして水を確保しなくちゃいけなかった。

寺西さん:

たとえば堀川から水をもらおうと思うと旧領地の水平地の境で取ることになるからね。基本的には熱田台地と呼ばれるとこが名古屋城までずっと大地のへりを川として作ってる。

司会:

たしか、堀川は都市の物流の観点から整備されてきたんですよね。

寺西さん:

そう。だから江戸時代は荷物を運ぶのは主に船だった。京都の南禅寺に水路が残ってるのはその名残なんだよ。南禅寺の水路はどこから引いているかというと北前のほうから琵琶湖を通って京都まで。これは物資を動かすためなんだよ。

司会:

当時は一番効率的な輸送方法でしたからね。

寺西さん:

都市というのは、みんなそういうことを考えて作られている。物流と農業では多少違うかもしれないけどね。

だから、南陽町に改良区があるって事は水路をきちっと確保しながら農地の維持管理をするってことなんだよ。伊勢湾台風以降にどんどん都市化されてきた中で、「それに合わせて農地も」ということで進められてきた。地域の皆さんが生産量を増やすために努力して、水利組合から改良区に組織を変えて水の管理をすると。それで、悪水と良水をきちんと分けて農地を整備してる。

司会:

南陽の農地は江戸時代以来そのまま残っていたと思っていましたが、時代の変遷に合わせていろいろと変わってきたんですね。

寺西さん:

外から見れば当たり前に見えるんだろうけど、やってる人たちは大変だと思います。

元が干拓地で水は命に関わってくるんで、排水域も改良区ごとに確保しながら整備した。そういうこと全てが背景にある。

水と生き物の写真

伊勢湾台風のもたらしたもの

司会:

伊勢湾台風で海水が入ってきて農地は台無しになったんですよね。塩害なんかもありますし。

山田さん:

南陽の農地も直すのに2年、3年はかかったよ。

伊勢湾台風の被害は相当なものだった。私の家は軒下まで浸かったから、今でも大黒柱に貝の跡が残ってる。(笑)

司会:

生々しいお話ですね。

山田さん:

伊勢湾台風の記念誌を読んでみるといいよ。

やっぱり台風後に田んぼを圃場整備しなければいけない。

昔、子どもの頃の稲作は舟を使っていました。今みたいに道路がないもので、田舟で農業をやってた。昭和33年くらいまでかな。

柄松さん:

昔の農家はみんな自分の家の前に舟があったんです。

司会:

え?そうなんですか?

山田さん:

茶後土地改良区は伊勢湾台風の後に、国の資金を借りながら昭和37年に土地改良事業をやって、圃場整備を実施しました。

司会:

昔の田んぼって凄く深かったって本当ですか?胸元まで浸かって農業をやってたとか。

山田さん:

それはあるだろうね。昔の人に聞いたり土地改良区の歴史を見ていますとそういうことも書かれとる。

司会:

稲っていうのは数cmしか浸かっていないというイメージです。水深があっても水の上まで伸びてくるものなんですか。

佐藤さん:

「水稲」というくらいだから大丈夫。昔は水面から1cmとか2cmって言ってたんです。

山田さん:

そういう田んぼで田植えをやったことがあるんだけど、稲はね、それでも強いんです。

頭あげて一生懸命に伸びよう伸びようっていう性質があって。いわゆる水稲作物はとにかく水が無ければいかんけれども、逆にある程度乾かさなければいかんという面もある。

寺西さん:

昔は6月に田植えをしていてね。今は水利権があるけど、昔は自然の水を使おうと思うと雨水が一番。雨水をためれば田植えができる。

山田さん:

南陽町はね、私たちが子どものころ地下水を取ってやっていたね。簡易水道といって。50mくらい深いところから地下水を取ってたよ。まだ宮田用水がない時代だと思うがね。

で、昭和33年ごろに上水道がやってきた。その後は伊勢湾台風で苦労したけど。

司会:

凄いですね。南陽の歴史というのは農業の歴史そのものですね。

山田さん:

農業と言うのは、親の代から教えてもらって、自分の体の感覚で覚えていくものだったんだよ。

農家のイラスト

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