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天白の民話と昔話

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このページを印刷する最終更新日:2012年10月12日

ページID:8153

ページの概要:天白の古老から子どもへ伝わった民話・昔話の紹介

 古くから語り継がれてきた民話や昔話は、昔の人々の素朴な生活や人柄、豊な自然や農村風景など、かつての暮らしの一端を伺わせます。区内にも古老から子どもへと様々な話が伝わっています。これら、民話・昔話を未来の子どもたちにも語り継いでいくことも大切ですね。

狐の嫁さん

きつね

 八事村に住む助七郎は心が優しく大変働き者で、毎日山の畑で一人一生懸命に働いていました。ある日、山でキャンキャンと狐の悲しそうな鳴き声が聞こえたので、声のするところに近づいてみると、狐が罠にかかってもがいているのです。助七郎は、狐を罠からはずして頭をなでながら、「もう二度とこんな罠にかかるなよ。さぁ、山へ帰りな。」とやさしくいってやりました。狐は、助七郎をじっと見上げ、五、六歩行ってからもう一度振り返り、ペコリと頭を下げてから山の奥へ消えていきました。

 それから十日ほどたった晩のこと、戸口をトントンとたたく音がするので助七郎が戸を叩く音がするので助七郎が戸を開けてみると見知らぬ娘が立っていました。「おこんと申す、旅の者でございます。日がくれて泊まるところも無く困っています。布団も何もいりません。どうか、一晩だけお部屋の隅をお貸しください。」助七郎はしかたなくその娘を泊めてやることにしました。あくる朝、助七郎が目を覚ますと娘はもうお勝手へ行ってたすき掛けで朝の支度をしています。「娘さん、そんなことはおれがやるまで、おまいさんはまっと寝てりゃええに。くたびれとるだら。」「いえ、休ませていただいて、すっかり元気になりました。さぁ、ご飯の仕度ができました。」

 助七郎は、久しぶりにおいしい朝ごはんを食べました。助七郎が畑へ出かけようとすると、娘は後についてきて、びっくりするほど良く働いてくれるのです。その晩のこと、「お世話になった上に重ねてのお願いで恐れいりますが、この私をお嫁さんにしてくださいませんか。」と両手をついて言うので、助七郎はまたまたびっくりしました。とうとうおこんは、助七郎のお嫁さんになりました。それからは二人とも幸せな毎日が続き、かわいい赤ちゃんもできました。

 そんなある日のことです。急におきな犬が庭先に来て、ワンワンと吠えかかりました。お嫁さんはびっくりして思わず梁の上へ飛び上がり、赤ちゃんを抱いてブルブル震えています。ようやく助七郎が犬を追い払ってふと見ると、梁の上に狐が赤ちゃんを抱いて震えているではありませんか。

 「私はいつかあなたに助けていただいた狐で、そのときのご恩返しをしようとこの家に入り込みました。狐と分かった以上、もうお側にいるわけにはまいりません。どうか、赤ん坊のことをよろしくお願いします。赤ん坊が泣いたら音聞山の大松のところまでつれてきてください。」といったかと思うと表へ走り去りました。助七郎はおこんの後を追いましたが、狐の姿はもうどこにもありませんでした。

 それからというものは、助七郎は男手一つで赤ん坊を育てました。赤ん坊はお腹をすかして泣いていても、音聞山の大松の下に来ると急に泣き止んで大松の幹に口をつけてチューチューとお乳でも吸っているかのようでした。その後、助七郎や赤ん坊がどうなったか、誰も知りませんでした・・・

(史蹟観光シリーズ「名古屋の伝説」名古屋市刊より)

きよの坂

きつね

 八事音聞山は、今では想像できないことかも知れんけどが、むかしは、風景絶勝の地と言われとってなも。はるか鳴海潟の潮騒の音が聞かれたもんで、この名がついとるんだわなも。
 その音聞山に、きよの坂と呼ばれる坂道があってなも。むかしは、大八車の空き車でさえ容易に登れんほどの急な坂じゃった。
 両側は藪で、昼でも暗くてなも。追いはぎが出ると言われとったが、島田地蔵寺へ抜ける近道だったので「地蔵みち」とも言われて、けっこう通るひとがおりゃあしたわなも。

 明治のはじめごろ、妙見山の東に「やんたの為」という百姓が住んでおったそうな。
 春まだ浅いある日のこと、やんたの為は「麦踏みも近い。そろそろ麦に根肥えをやらにゃあ」と、思い、名古屋の奥田町まで肥料を買いに出かけたそうな。そして、荷車に肥料をどっさり積んで帰ってくる途中、杁中のあたりまで来た時、前の方を着飾った美しい娘が、日和下駄をはいて「カラコロ、カラコロ」と、高い音を立てて、歩いていくのを見かけたんだそうな。やんたの為は「変な女だな・・・・・・」と思ったそうなが、何しろ相手は若い美しい娘、こちらは元気のいい若者のことだ。ついつい心が動いてしまってのう、自分は、そこから左へ折れて、妙見山まで帰らなければならないのに、重たい荷物を引いたまま、わざわざ遠まわりになる道を選んで、娘のあとをつけたんだそうな。

 娘がつかず離れずなのか、やんたの為の荷が重いのか、なかなか娘と並ぶことができなかったそうな。そのうちに、ようやく追いついて「どこへ行くんだね」と尋ねると、娘は「この先の島田の地蔵寺のあたりへまいるところです」と、かれんな声で、はずかしそうに答えたそうな。
 きよの坂は急な下り坂、そこでは、手を出そうにも出せないんじゃから、ここで何とかと思ったんじゃろう。
 ところが、そのトタン、娘はやんたの為の手をするりとかわすと、急な坂道をコロコロコロコロ転がりだしたそうな。そして坂の下でヒョイと立ち上がり、こちらを向いてニコッと笑ったそうな。と、思う間もあらばこそ、その顔が狐の顔になったんじゃ。
 やんたの為は、驚いたのなんの、荷車を引いて大急ぎで家へ帰ったのじゃが、家に着いて、ホッとして、荷車の上の荷を見て、またまたびっくり、せっかく買ってきた肥料は食い荒らされて一つも残っておらなかったそうな。
 美しい娘に化けた狐にフラフラ気をとられているうちに、その狐の仲間が、荷車によじ登り、みんな食べてしまったというわけじゃ。

(「尾張の民話」未来社刊より)

尾崎白左衛門

 むかし、村の山は木が茂り、キツネが沢山いました。なかでもひときわ体の大きいキツネは尾の先が白いところから「尾崎白左衛門」と呼ばれていました。このキツネは人をだますことが上手で、村の多くの人がだまされました。

 ある時、一番山に近いところに住んでいた善兵衛さんは夜になっても帰ってこないので、みんなで心配をしていました。すると朝方になって、すっぱだかで帰ってきました。しかも大変くさいのです。そして「何だか気持ちの良い風呂に入れてもらって・・・・・・。」と善兵衛さんは、だまされていました。
 「おみゃさん、しっかりしてちょう。はよ、からだを洗ってちょうだゃあ。肥だめの風呂なんかに入らされて、キツネがちょうらかしただわ」
 おかみさんに言われて、やっと正気にかえりました。しかし晩になると、また善兵衛さんの足は、しぜん山の方へ向いてしまいます。

 これを聞いた村の猟師の林左衛門さんは、「そりゃきっと、あの尾崎白左衛門のしわざだ。よしわしがつかまえてやる」と言って、山の中の油あげに紐をつけておいて、それをキツネがくわえると、音の出る仕掛けをして待っていました。するとやはり尾の先の白いキツネがやってきて油あげをくわえたので、林左衛門さんはズドンと鉄砲をうちました。
 足をうたれた白左衛門は片足をひきながら、林左衛門さんをうらんで、西の山へ走りました。そして、植田の山には二度と「コンコン」とないて、八事山から中根村へ逃げていったということです。

(愛知県郷土資料刊行会「天白区の歴史」より)

毛替え地蔵

馬

 むかし、尾張の国に、熊坂長範という大泥棒がおったそうな。根城は誰にもわからなかったそうなが、尾張の国はもちろんのこと、美濃の国にもでかけては、金持ちの家から金品を盗みだし、その神出鬼没の天晴れな泥棒ぶりに、金持ちは、みんな、ふるえあがっておったそうな。特に金持ちが困ったのは、金にあかせて買い求めた名馬を盗まれることだったと。

 ところが、こう派手にやっておっては、盗まれた方は、八方手をつくして探すだろうから、盗んだ馬を馬市に連れていっても、たちまちバレてしまうことはハッキリしておる。長範の悩みはそのことじゃ。金に替えられんではまぐさばかり食いよってどもならん。そうかと言って、乗りまわすには、もったいない。1頭、2頭ならともかくも、これだけ多くては金に替えるに限る、長範は盗んだ馬を前に、「ハテ、どうしたものか」と頭を抱えておった。

 その長範に、耳よりな噂が流れてきた。なんでも、尾張から三河への街道の辻に立ってござるお地蔵さまにお願いすると、毛のことならなんでもお聞ききとどけ下さるんじゃと。
 喜んだ長範、右手に2頭、左手に3頭と、馬のくつわをとると、ゾロゾロとお地蔵さまの前へ引っ張っていったそうな。
 「お地蔵さま、どうかお助けください。この馬の毛色を変えてください。そうすれば馬市で売れますで。これは金持ちから盗んだ馬、その金持ちは、みんなひどいやり方でもうけたヤツばかりでございます。売ったお金は、必ず困った人に分けますで・・・・・・。」
 長範は、一心不乱に祈ったそうな。「困った人・・・・・・」の一言がお地蔵さまのお気に召したのじゃろうか、みるみる馬の毛色が変わったのじゃ。
 長いことお祈りして目をあけた長範は、あまりのことに、思わず目をゴシゴシこすった。なんと白毛はあし毛に、黒毛は栗毛に・・・・・・と、みごとに馬の毛色が変わっておるのじゃ。
 「ありがとうございます。」
 喜んだ長範、お地蔵さまに、ながながとお礼のお詣りをすませると、胸を張って馬市へ出かけていったそうな。
 なにしろ、金持ちから盗んだ名馬ばかりじゃ、良い値で売れたそうな。長範は、その金をお地蔵さまの約束どおり、困ったものの家の戸口に、そっと置いて歩いたそうな。

 その後、長範は、お地蔵さまの近くへ馬小屋を作り、安心して馬を盗んだそうなが、そんな長範のことを、馬どろぼうなどと、お上に訴えるヤツは、誰もおらんかったと。
 そのうち、このお地蔵さまは、毛替え地蔵と呼ばれるようになり、明治のころまでは、くせ毛を治していただこうと、女の人がたくさんお詣りしたそうな。毛生え地蔵とおもしろ半分に呼ぶひとがあるが、その効き目の方は聞いとらん。

(「尾張の民話」未来社刊より)
 

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