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史跡散策路「姫街道とハイキングコース」

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このページを印刷する最終更新日:2009年8月24日

ページID:1054

ページの概要:史跡散策路「姫街道とハイキングコース」について

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1 秋葉山慈眼寺

大同4年(809)、京都御所炎上のとき、遠州の三尺坊尊が火災を鎮めるため京へ上り、その帰路当地に立ち寄り「鎮防火燭」の直筆を残された。これによって創建された。その後、永禄3年(1560)織田信長が桶狭間の合戦の折、この山に祈願して勝利を得たので、三尺坊の尊像を奉納した。現在も、神仏混合の珍しいお寺で、神仏の行事が修行されている。参道には、藤棚としだれ梅、ぼたん桜の並木がある。なお、毎年12月16日に火渡り神事が行われる。

2 忠魂碑

秋葉山慈眼寺から針名神社へ至る道の左手に、明治の戦争に従軍した人々の忠魂碑と昭和の戦争での戦没者を祀った顕彰台などがあり、毎年4月に慰霊祭が行われている。

3 針名神社

秋葉山麓にあるこの神社は、延喜式内社で尾治(張)氏の末えい尾治の針名根連の命を祀る。針名根の命は、当時の尾張の国を支配した。併神として、大巳貴命、少彦名命を祀っている。なお、応神天皇の八幡社を明治42年に合祀している。創建は、延喜年間(900年頃)作成の『延喜神名帳』に従三位針名天神と記載されているところから、それ以前と思われる。その後、慶長年間(1612年頃)に、約800m北の元郷から部落と共に移された。また、ちょうちんともしの行事が、昭和57年、50年ぶりに復活した。因みに、犬山市の針綱神社は、針名根の命とその父君の尾綱根の命を祀っている。

4 名古屋市農業センター

緑ゆたかな名古屋市東部に位置する名古屋市農業センターは、昭和40年に開設され、主に農業技術の研究と指導を行い、また、農業に親しむことができる施設として市民に利用されている。名古屋コーチンをはじめ乳牛・羊・豚などの飼育、野菜・花などの栽培が行われており、四季を通じて花が咲いている。ベゴニアを中心にした温室、約700本のしだれ梅、ゆったりと遊べる芝生広場などがある。園内では、搾りたての牛乳やアイスクリームなどを販売している。春の「しだれ梅まつり」、秋の「農業センターまつり」には大勢の人々で賑わう。

5 荒池緑地

区の東部、南の荒池から農業センター、針名神社、秋葉山、大堤池に及び、面積は60ヘクタール。針名神社周辺と秋葉山は緑地保全地区に指定され、緑の保全が図られている。また、針名神社と農業センター周辺は野鳥保護区となっており、付近の小学生の手で巣箱が設けられている。

6 秀伝寺

曹洞宗。明応2年(1498)僧宗栄の創建。文禄元年(1588)の冬に焼失して廃寺となっていた。その後、徳川家康の命により、日進村龍谷寺から満嶺徳充和尚を招いて慶長17年(1612)再興された。御本尊の釈迦牟尼仏は、享保10年(1725)に作られたもの。

7 姫街道(平針街道)

平針街道は、慶長1717年(1612)徳川家康の命により、三州岡崎から名古屋城への近道として造られた。この街道は、江戸時代の主街道である五街道の一つ東海道に対して、姫街道とも脇街道ともいわれた。街道の両側には松並木が続いていたが、太平洋戦争中、造船などの必要から伐採され、今では跡形もない。街道開通に際して人馬の継場(つなぎば)が必要であったことから、郷の島にあった16軒の農家に移転を命じ、街道ぞいに移り住まわせ、「平針宿」が誕生した。その後、足助街道、熱田街道の交わる交通の要所として発展し、本陣、脇本陣も設けられ、宿場として大いに賑わった。

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